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お嬢様と美青年




「ささ、お嬢様準備が整いましたので向かいましょう」


「こんなひらひらした服、どこにあったんですか」


「旦那様がお嬢様のために買ってこられたのをお忘れですか!」




そうだったかな、と思いながら私は自室に置かれた全身鏡の前に猫背のまま立つ。すでに仕事を終えた女性使用人たちはケイトを除いてそそくさと部屋を出て行った。おそらくお客様を迎えるためだろう。


もう一度自分の姿を鏡越しに見る。グレーの髪に似合うような青空色のワンピースに、瞳と同じ色のペンダント。髪は低めにつくったお団子に三つ編みの毛をぐるりと巻いて可愛らしくセットされており、化粧もケイトがしてくれたので綺麗だけれど、ここまでする必要があるのか私ではわからない。




「だいたい、お嬢様はお洋服に興味がなさすぎるんです。旦那様がせっかく買ってきても一度も袖を通さず使用人たちに譲ってしまうなんて」


「私が着るより、皆さんで着てもらった方が服も喜ぶかと思います」


「そうですね、毎日泥だらけになるお嬢様なんてこの世にそうそういませんものね!」


「・・・・・・・・」




こんなに綺麗なお洋服が泥だらけになると考えたらぞっとします。と言うケイトに何も言い返せないので取り止めもなく笑っておく。


確かに私がこんなに高価なワンピースを着たって、すぐに汚れたりほつれたりするだけだ。だったらいつもおもしろい話を聞かせてくれる使用人たちに譲ったほうがいいだろう。こちらとしても、会話のおかげで実験が進んだり、探偵ごっこもできていたりするので、そのお礼と思ってもらえたらと思う。


特にケイトにはお世話になっているので服のほとんどは彼女に譲っていたのだけど、この様子だと着ずにクローゼットへしまっていたのだろうか。宝石などはどうしても譲れないから、せめてもと思ったのだけど、余計なことだったのかもしれない。今怒っているし。




「とにかく、そろそろお着きになる頃かと思いますので、今のうちに練習しますよ」


「練習?」


「はい、練習です!お嬢様、最近旦那様や奥様、使用人以外とお話していないじゃないですか」


「そういえばそうだ・・・・・」


「そんな方が今から公爵家のご子息とお話ができるとお思いですか?」


「む・・・・それくらいできる」



友人はいないが、別に人見知りではない。それは社交デビューのパーティーで実証済みだ。わちゃわちゃと喋るお嬢様たちの話もちゃんと相槌を打ったし、返答もした。どこがダメだというのか。


思わず眉を顰めてケイトを見れば、拗ねたと思われたのか「そんな可愛いお顔をされても練習はします」と言われる。別に拗ねていない。事実を述べたまでだ、表情で。




「いいですかお嬢様、お嬢様は少しだけ他のお嬢様と物の捉え方が異なります」


「(今の言い方は『少しだけ』って感じがしなかったような・・・・)」


「天気がいいですね、と言われても、そうでしょうかと返すのがお嬢様です」


「では他のお嬢様はどう返すんですか」


「そうですね、いいお天気ですね。と返します」


「私だってそれぐらい返せます」


「いーえ!『今の季節は秋ですし、東からの風が強くなってきたのでこのあと雨になりますよ』とお返事します」


「・・・・ケイトも博識になりましたね」


「以前お嬢様が私におっしゃったことをそのまま引用しただけです!もう!」




困ったお嬢様ですね。と叫ばれ、思わず耳を塞げば顔を真っ赤にして睨まれた。


この様子だと、ケイトは本当に心の底から心配してくれているのだろう。これは見栄を張っている場合ではないのかもしれない。私は観念して近くの椅子に座ると、ケイトを見上げる。そうするとケイトもようやく怒るのをやめて、しかし腰に手を置きながら口を開いた。



「お嬢様、ご子息から何か問いかけられたら、『はい』か『いいえ』でお返事なさってください。それからご子息が微笑まれましたら、手で口を隠しながら目を細めること。『はい』でも『いいえ』でも返答できないものに関しては、3秒以内で簡潔にお伝えください。間違っても重箱の隅をほじくるようなことはなさらないように!」


「ご子息が間違っていてもですか」


「なんでもです!うまく話を合わせること、それが本日のお嬢様の最大任務です」


「任務・・・・・・」


「そうです。任務だと思って対応ください」



公爵家のご子息が訪ねてきたのに、それを任務とはこの使用人やりおる。年は近いが使用人として長年勤めているからこその言葉なのだろうか。のほほんと好きなことをして生きてきた子爵令嬢などとはレベルが違う。


思わず感心をしていればケイトの目が吊り上ってきたのでささっと目を逸らす。それから立ち上がるとわざとらしくワンピースに皺がついていないことを確認して、ドアへと向かった。



「そろそろですかね」


「そのはずです。お着きになったら執事長がこちらに来るようになっていますから」


「またなんで公爵家のご子息が私を訪ねてくるんでしょうね」


「わかりません。いつも遊ばれている方の都合が合わず他にお相手がいないのかもしれません」


「・・・・・売れ残りですか私は」


「そのように聞こえましたか?」


「・・・・・・・・」



今日も毒を吐く使用人に頭が上がらないお嬢様である私は、ドアノブに手をかけたまま立ち止まる。確かにケイトの言う通り、私はお嬢様にランクがあったなら最下級だろう。最下級の中にもランクがあるなら、さらに最下級。ドベもいいところだ。


しかし、そう自分で自分を蔑んでもそこまでダメージはない。だって自覚をしているからだ。恋愛よりも実験をしているほうが楽しい。男性とデートをするよりも領民の痴話喧嘩を仲裁するほうが楽しい。歯が浮くような甘い言葉を囁かれたところで、好奇心は膨れない。


この世は不思議で溢れかえっている。生物学上、そして貴族の面子のために起きる恋慕や結婚なんてものは人類が誕生してから発生しただけだ。魔力はなぜこの世に存在するのか、どうして魔力の質に優劣があるのか、そういった不思議を追いかけるほうがロマンがあると私は思う。



「ジェニファーお嬢様、よろしいですか」



ぼんやりとしていると、ドア越しに執事長の声が聞こえる。どうやら公爵家のご子息が到着したらしい。私は一つ返事をすると廊下で待機していた執事長へと視線を向ける。


執事長のジョージさんは今年で75歳になる。祖父が生まれた時にはすでにこの屋敷に仕えていたということだ。ケイトと同じく、話しやすいので祖父のように思っているが、最近年齢と共に小さくなった気がする。少し曲がった背中をそれでもピシッと伸ばして、私に会釈をしてくれた。



「ウィリアム様が、お嬢様にお会いしたいとのことです」


「わかりました、向かいます」


「お嬢様!先ほどのことお忘れなくっ」


「はい、わかってますよケイト」



前を歩くジョージさんについていきながら、拳を掲げて声をかけてくるケイトへじとっとした目を向ける。ケイトはもしかしたらイベントか何かと勘違いして楽しんでいるのではとさえ思えてきた。相手をするのは私だというのに。



「ジョージさん、ウィリアム様はお父様と面識がありますか?」


「はい。ウィリアム様は旦那様が勤めている王宮文書保管室の長官、つまりコールマン公爵のご子息です」


「なるほど」


「お年はお嬢様の二つ上の二十歳と聞いております。コールマン様と同じ、深緑の瞳をされています。それはそれはお美しい方と聞いておりますよ。」



特に求めていない情報まで教えてくれるジョージさん。ジョージさんは執事長を務めているということもあり知っている情報が多い。今は父の専属執事をしているので、そういうところの話も聞いているのかもしれない。


ウィリアム様という方が年上だということがわかり、余計に身構える。どんな方かはイメージがつかないけれど公爵家のご子息なら高慢な人かもしれないし、言葉遣いにも煩いかもしれない。


年下なんだから俺の言うことを聞けと言われたら、ちゃんと『はい』と言えるだろうか。



「(ケイト、ちょっとだけケイトが今ここにいてくれたらと思います・・・・)」


「こちらのお部屋でお待ちです」


「あ、はい。ありがとうございます」


「とてもお優しい方だと旦那様からうかがっております、どうぞお楽しみください」



ジョージさんのしわくちゃな笑顔にホッと胸を撫で下ろしながら、ドアノブに触れる。これは任務だ、縁談の申し出とかそういったものではない。さっさと用件を聞いてお帰りいただこう。


近頃では味わっていない緊張感に包み込まれながら、そっとドアをノックする。ついで返事があってから、そのドアを開いた。



「ごきげんよう、ジェニファー様」


「ごきげんよう、ウィリアム様。お待たせしてしまい申し訳ありません」



客室の椅子に手をつき、立ったまま会釈をするすらりとした男性。少し癖のある黒髪から覗く顔は白く、まるで雪のようだ。髪と同じ色のまつ毛は女性が化粧をした時と引けを取らないほどの長さで、その顔に影を作る。薄い唇は薄ピンクで、微笑むと余計に艶やかに見えた。



「・・・・・・」



この人がウィリアム様か。確かにお美しい。きっと、ここにケイトや他の女性使用人たちがいたならばうっとりと目を細め、感嘆の声を溢したのではないだろうか。それくらいの美男子が目の前に立っていた。


私は少しだけ居心地の悪さを感じながらもウィリアム様へと近づく。するとやや遅れてウィリアム様も歩み寄ってくれた。目の前に立ったところで、ワンピースの袖を掴み貴族のお嬢様らしく会釈をした。


ウィリアム様も貴族のご子息らしく、胸に手をおき頭を下げる。だけど、どこか私の目よりも少し横へ向けて頭を下げていた。あまり人の目を直視できないタイプなのだろうか。目は口ほどに物を言うというし、自分の感情を読まれたくないと思ったのかもしれない。



「突然の訪問、すまないね」


「いいえ」


「座って話しても?」


「はい」



ケイトに言われた通り、余計なことは口に出さず『はい』か『いいえ』で答える。それがいいのか悪いのか分からないままウィリアム様に頷き、近くの椅子に私も座る。


その時、ふと視界の隅に動くものが見えた。何だろうとそちらを見れば部屋にもう一人立っていたことに今更気づく。どうやらウィリアム様のお美しさに緊張して周りが見えていなかったらしい。


おそらくウィリアム様の護衛か何かなのだろう、腰に剣を差した男性がいた。こちらの方も黒髪で、ウィリアム様より少しだけ背が高い。細身ではあるものの、鍛錬の結果か決してひょろひょろしているとは思えない。前髪で顔はよく見えないけれど、こちらの方もウィリアム様に引けを取らずお美しそうな顔立ちをしていた。


私があまりにもじっとその方を見ていたからか、ウィリアム様が少しだけ目を細めて私を見る。それから艶やかな唇をニッと上げて、優しい声色で話しだした。



「ああ、紹介が遅れたね。彼は私の護衛でブライトというんだ。ブライト、挨拶を」


「は。ジェニファーお嬢様、ブライトと申します」


「こんにちはブライトさん。どうぞブライトさんもそちらの椅子におかけになってください」



丁寧にお辞儀をしたブライトさんに軽く笑顔を向け、近くの椅子を指し示す。するとなぜかウィリアム様とブライトさんがきょとんとした。どうやら、今私が言ったことがよく分からなかったらしい。


何か間違ったことを言っただろうか。私はこてんと首を傾げながら二人を見る。するとウィリアム様とブライトさんはお互い顔を見合わせたあと、困ったように眉を下げてくすくすと笑い出した。



「・・・・・ウィリアム様?」


「あっ、ああすまない。まさか護衛に椅子を与えるとは思わなかったから」


「与えてはいけませんでしたか?」


「護衛が座っては、もしもの時に対応が遅れるだろう?」


「あ、なるほど」



確かに、もし私の家にウィリアム様のお命を狙う刺客が現れた時、護衛がのほほんと座っていては守れるものも守れない。そう言いたいらしいウィリアム様に、私はずいぶんと平和ボケしていたのだと反省する。


少々居心地が悪くなり、自分の指を見つめて俯く。すると、その様子を見ていたウィリアム様はくすくすと笑うのをやめ、その美しい目をこちらへと向けた。



「ジェニファー様はとてもお優しい心をお持ちなのですね」


「いいえ、そういうわけでは」


「そうでなければ、今の言葉も流れるように出ないでしょう」


「・・・・・・使用人にも同じ対応なもので。ブライトさんを贔屓にしたつもりでは、」


「なんと、使用人たちにもですか。やはりお優しい方だ」



何を言っても優しい優しいと言うウィリアム様。こうなっては万事優しいで片付けられてしまいそうだ。私は出そうになる言葉をぐっと飲み込んで、ケイトに言われた通り口に手を添え微笑む。


人見知りというわけではないけれど、すっかりウィリアム様のペースに呑まれている私は居心地の悪さが次第に広がっていくのを感じる。これはさっさと本題に入ったほうがよさそうだ。


私は椅子に浅く腰かけ直すと、できるだけ愛想の良い笑顔を浮かべてウィリアム様を見る。



「ウィリアム様、それでお話というのは?急かすようで申し訳ありません」


「ああ、いやいいんだよ。・・・・まずはなぜ君を訪ねたのかというところから話そう」


「(あれ、なんか話が長くなりそうだ・・・・)」


「君の名前を知ったのは、今年の春に行われた社交パーティーでのことだった」


「・・・・・・・」



なんと、父や母からしたら悪夢のようなパーティーの時に出会っていたのか。私は内心いい感情はお持ちではないだろうと考える。


お集まりのお嬢様方に惚れ薬や復讐方法を教え説き非難の目を浴び、ご子息様方からは嫁にしようものなら寝首を掻かれると恐れられた忌まわしい日。


私は顔を真っ青とさせ、瞬き一つ取らずにウィリアム様を見つめる。せっかくケイトが綺麗に着飾ってくれたのに、私の表情のせいで美しさはまるで消え失せたと言える。



「い、いらっしゃったんですね」


「ジェニファー様のお父上が私の父の副官だからね、もちろん正式に招待されていたよ」


「そうですか・・・・・・」


「皆が揃った頃現れたあなたは紺色のドレスに身を包まれ、会場に用意された花々と相まってまるで妖精のようだった」


「・・・・・・・」


「とても美しいと、精巧に作られた人形のようだと」


「まぁ、」



にこり、と柔らかい笑みを浮かべるウィリアム様。きっとこの方にしてみれば、いつも通りの笑顔なのかもしれないが免疫のない私にとって多少衝撃のあるものだった。胸のあたりがむず痒い。思わず掻きむしりそうになるのをグッと堪えて、口に手を添え目を細める。


しかし、心のどこかでは嫌味を言われると思っていたので拍子抜けに感じるところもある。父や母からしたら忌まわしい日であったろう社交パーティー。私としても子爵の娘であるからと慣れない女性同士の会話に参加し、面子を守ろうとして失敗した。だから良い思い出ではなかった。


けれど、人によってはものの見え方が異なるように、異なる意見をお持ちのようだ。


少しだけあの日を思い浮かべ、悪いだけではなかったのだと感心していれば、まだ話し足りないというようにウィリアム様が少しだけ身を乗り出す。




「パーティーも終盤に差し掛かった頃、面白い噂を聞いたんだ」


「え?」


「話の内容こそ聞き逃したが、どうやらジェニファーお嬢様は()()()()()()と」


「・・・・・本当に内容は聞いていらっしゃらないですか」


「ああ。そういうことなら君に一声かければよかったと後悔したよ」


「(よかった・・・・・・)」




できれば良い思い出のままでいてほしいというこちらのわがまま通りの状況に胸を撫で下ろす。でも結局は魔術好きと知られているので、いい感情はお持ちではないだろう。どこに魔術好きのお嬢様がいるというのか。



「とにかく、魔術に詳しいということなら私の相談にも乗ってもらえるのではないかと考え、今日訪問させていただいたということだ」


「相談・・・・・・・?」


「ああ、君なら解決できるだろう相談」


「・・・・・・・」



なんだろう、そう言われると話を聞いてみたくなる。


ウィリアム様の話し方が上手なせいもあるが、魔術好きな『私なら解決できるだろう相談』という言葉が好奇心をくすぐる。私は顔に貼り付けた『お嬢様』というお面が剥がれそうになるのをなんとか堪え、できるだけ冷静にウィリアム様を見つめる。


私の様子に話を続けてもよいと感じたのか、ウィリアム様は上着の内ポケットから何かを取り出した。


手紙だった。白封筒から取り出された便箋を広げ、目を細めながらそれを読む。少しだけ笑みを浮かべるウィリアム様は、その手紙に書かれた内容を愛しげに見つめていた。


愛するお嬢様からの手紙だろうか。これだけお美しい方だ、婚約者でも彼女でも一人くらいはいるだろう。ウィリアム様に愛される方は、きっと心から幸せだと感じているのではないだろうか。


私には分からない感情だが。



「ジェニファー様、これを読んでもらえないか?」


「え?」


「読んでもらったほうが話が早そうだから」


「・・・・よろしいのですか?」


「?・・・どうして?もちろんだよ」



はい、と言って私に手紙を差し出すウィリアム様。私は顔に疑問符を貼り付けたままそれを受け取る。しかし本当に読んでいいのだろうか。きっと、その内容はお嬢様が真心込めてしたためたものだろうに。


私はそろ〜っと視線を手紙へと落とす。すると、それは領民からの手紙であった。読みが外れた私は今日何度目かのため息を溢し、胸を撫で下ろす。もしこれが本当にお嬢様がしたためたものだったなら、きっとそのお嬢様に間接的に恨まれただろうから。


とりあえず、呪いはかけられないで済みそうだと思いながら手紙を読む。差出人はウィリアム様がお父様が管轄する領地の民からだ。名前はマシューさん。おそらく男性だろう。そのマシューさんはお年を召した方のようで、最近本を買っても字が小さくて読めないらしい。眼鏡を買おうにもこれ以上度の強いものは領地にも近くの街にも置いていないと言われてしまい途方に暮れているそうだ。



「なるほど、字が小さくて読めないと」


「ああ、そうなんだ。マットは、・・・・ああ、私はマシューのことをマットと呼んでいるのだが、マットは靴職人でね、丁寧な仕事をしてくれるから贔屓にしているんだ。今年で89歳になるというのに生涯現役を貫いている、勇ましい人なんだ」


「はい」


「だが、マットも老いには勝てないようで、趣味の読書も最近では難しくなった・・・・私としても、今まで世話になった恩を返したいが、手紙にもあるようにマット専用の眼鏡を作るのは金がかかる。私が大金を叩いて与えてもいいが、きっとマットは嫌がるだろうと思ってね、困っていたところなんだよ」


「なるほど」


「そこで、君の力を借りたい」


「・・・・・・・」



真っ直ぐな目でこちらをじっと見つめるウィリアム様の表情は穏やかなだけど、その中に芯を感じる。


公爵家のご子息だから、高慢な方かもと思っていたけれどそんなことはなかった。領民を想い、敬う姿はとても美しい。顔だけでなく、そのお心までお綺麗なウィリアム様はまるで聖魔女のようだった。男性だけど。



「・・・・・・」



しかし、そこでふと私は自分の心に疑念を感じる。それはウィリアム様の美しいお心に対してではなく、目の前にいるウィリアム様に対してだ。今の言葉に嘘はないはず。ここまでできた話を作るほうが大変だからだ。しかしどこか腑に落ちない。


何だろう、何か私は見落としているはず。私は一度ウィリアム様から視線を外し、手紙を見る。マシューさんという老人が書かれた文字は達筆でとても読みやすい。読みやすいのは文字と文字の間に均等に隙間があるからということと、その文字そのものが大きいから。


そこで執事長のジョージさんを思い出す。ジョージさんも今年で75歳になるが、最近目が悪いようで老眼鏡をかけている。しかし私にメモを残す時、ここまで大きな文字を書いているところを見たことがない。きっとそれは体に染み付いた経験がそうさせているのだろう。


では、この手紙は。


均等に、丁寧すぎるくらいに間隔をあけた文字。それから、小指の爪ほどの大きさがある文字。ここまで来るとなぜか不可解に思えた。もちろん、丁寧な仕事をするマシューさんが几帳面な性格であることは事実だろうから有り得る話ではあるけれども。



「(まだ何か見落としていることがあるような・・・・・)」


「それで、君の意見を聞いてみたいのだけど、どうだろう。君が知っている魔術で本の文字を大きくすることは可能かな」


「・・・・・・・・」



にこり、と微笑むウィリアム様。二重瞼の下にある大きな瞳がこちらを見つめる。その瞳を私も真っ直ぐに見つめる。黒髪に似合うような、漆黒の瞳。部屋の照明に照らされ、夜空のように輝く美しい瞳。


ーーー待てよ。


この部屋へ向かう途中、ジョージさんがウィリアム様の情報を教えてくれた。今年二十歳になるウィリアム様は父の上司であるコールマン公爵のご子息。それはそれはお美しい方で、コールマン公爵と同じ()()()()を持つ。


では、この目の前にいるウィリアム様はどなただ。ウィリアム様の目は漆黒で深緑ではない。ここは部屋の中なので深緑が黒く見えている可能性もあるが、おそらく黒で間違いないだろう。では、この方はどなたなのか。



「失礼します、お茶をお持ちしました」



思考の海に浸かっているところに、ケイトの声が響く。声のした方を見れば、茶の準備をするため両手で持つサイズのトレーを抱えて部屋に入ってくるところだった。


私は疑念を抱えたまま、ケイトをぼんやりと見つめる。するとケイトがギョッとした顔でこちらを見た。どうやらあまりにも惚けていたらしい。コホン、と咳払いをしたケイトがウィリアム様の方を向けと訴えてくるのでそそくさとそちらを向いた。



「お話はお茶を飲みながらでもよろしいですか?ウィリアム様」


「ああ、」



にこり、と艶やかに笑うウィリアム様にケイトがポットを落としそうになった。それでも毅然とした態度でウィリアム様の横に立つと、ゆっくりカップにお茶を淹れていく。いつもお客様がいらっしゃった時に使うカップは、ほとんどが父か母の知人に使われていたもので久しぶりに見た。


白の陶器に、藍色の筆で描かれた花や草。そのどれもが美しく、多少値の張る一級品だ。そういえば、父が自慢げにそのカップについて語っていた日のことを思い出す。


その様子をただただ見守る私やウィリアム様。特に聞かれてはいけない内容ではないものの、自然とそうしていた。ただ座っているだけだというのに品の良さが出ているのはやはり公爵家のご子息だからなのか。


私はじっと漆黒の瞳を見つめる。その漆黒の瞳はケイトがお茶を注ぐカップを見つめる。真横で行われる作業ともあり、その距離は近い。



「あ、」


「どうした?ジェニファーお嬢様」



突然声を上げた私にウィリアム様だけでなく、その護衛のブライトさん、それからケイトまでこちらを向く。ケイトにいたっては、「そんな声をお嬢様があげるんじゃありません」というような表情をしているが、今はそれどころではないのです。


私はひとまず「失礼しました」と頭を下げ、ケイトに続けるよう促す。ケイトは何か言いたげな顔をしていたが、それでも仕事を全うした。ウィリアム様も多少驚いていたようだけれど、すぐに麗かな微笑みに戻ると足を組み、そこに手を置いて品良く待機をした。



「お嬢様、準備が整いました」


「ではケイト、ウィリアム様へ出してください」


「かしこまりました」



会釈をしてからケイトがウィリアム様のために淹れたカップを皿に乗せて出そうとする。その様子をじっと見ているウィリアム様。


ーーー何か仕掛けるなら、ここしかない。



「・・・・・・いえ、やはり私がお出しします」


「え?」


「?」



スッと椅子から立ち上がった私に、ケイトが驚きの声を上げる。本来なら、給仕でもない子爵のお嬢様がお茶を差し出すなんてことはしない。家族や夫婦になら有り得るかもしれないが、相手は公爵家のご子息。貴族の式たりはとことん伝統的で面倒で例外ないと誰もが知っている。


それを破ろうとする私に、ケイトが目を吊り上げる。もしこの場に私以外の人間がいなかったら恐らく怒鳴っていたところだろう。


けれど私は歩みを止めない。ケイトからそっとカップを受け取る、というか奪い取ると、それをウィリアム様の前に置かれたテーブルへ落ち着かせる。



「お、お嬢様?」


「ケイト、一度やってみたかったんです」


「ですが・・・・・・」


「どうぞウィリアム様、召し上がってください」



にこ、とウィリアム様に笑いかけると少しだけ怪訝な顔をされた。「お転婆さんだな」なんて言葉を呟きながら笑うウィリアム様は私の行動に呆気にとられているようで、カップの方をよく見ていないようだ。



「それでは、」



困ったように眉を下げながら、それでもウィリアム様はカップを手に取ろうと腕を伸ばす。しかしうまく取れなかったようだ。顔を左右に揺らし、目を凝らすと目星のものがあったようでようやくそれを手にする。


音も立てずに飲んだウィリアム様がケイトに「美味しいよ」と伝える。ケイトが顔をぽっと赤くして、私の後ろに下がる。しかし私は自分の席に戻らない。にこにこと笑ってお茶を飲むウィリアム様を見下ろす。


後ろからケイトの視線がビシビシと突き刺さるが、それでも座らない。そうしているとウィリアム様も不思議に思ったようでこてんと首を傾げながらこちらを見上げた。



「ジェニファー様?座らないのかい」


「ウィリアム様」


「ん?」


「そのカップ、父が職人に作らせた世界で一つのカップなんです。お客様を喜ばせようと、絵柄の中には領地に咲く花や美しい草を描いているんです」


「そうなのか」


「それだけでなく、ーーー当時父が飼っていた3匹の犬も思い出にと描かれているんですよ。見つけられますか?」


「・・・・見てみよう」


「はい、どうぞ」



そう言って、私はようやく椅子に座る。後ろから大きなため息が聞こえたが、お客様の前でそんな態度をとったら使用人としてはどうなのだろうか。まぁ、人のことを言えないようなお嬢様であるが。



「ああ、ここだ。これだね?」


「はい」


「それとここ、」


「はい」


「残りの1匹はどこかな。なかなか見つからないな」



楽しそうに目を細めてカップを回すウィリアム様。私はその様子をカップに口をつけながら眺める。くる、くるとカップが目の前で回る。何度も、何度も。



「なかなか見つからないな、降参だよ。教えてくれないかい?」


「はい」



ケイトの言いつけを守り、簡潔に答えて立ち上がる。あまり婚約もしていないご子息の近くに寄るのは好まれないが、今はケイトも許してくれるだろう。


ウィリアム様の横に立ち、少しだけかがむとそっと指を差す。ちょうど右手で取っ手を掴んだ際に、真正面に小さく見えるパピヨンを。



「ここです、ウィリアム様」


「ああ、ここだったか。悔しいな」


「ええ」


「なるほど、面白いカップだ。楽しませてもらったよ」


「それはよかったですウィリアム様」


「・・・・・・」


「・・・・いいえ、名前も知らないお方」


「・・・・・・・・」



私の声が部屋に響いた。後ろではケイトがせっかく礼儀正しくできていたのに、ポットをがしゃんと落としたみたいだった。それでも誰も何も言わない。


驚いた表情でこちらを見上げるウィリアム様に、笑いかける私。


ーーーさぁ、種明かしの時間だ。



異様な雰囲気に包まれた室内に、ケイトが割れた破片を拾う音だけが聞こえてどうしようもなく笑えてきた。

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