お嬢様の休養
翌日、やはり知恵熱を出した私はしっかりと休養をとった。
ケイトは魔力の使いすぎでよく熱を出す私を知っているので、今回もそうだと思ったようだが、ウィリアム様の上着をクリーニングし終わりそれを渡した際の私の態度が少しぎこちなかったことを見逃さなかったらしく、特に文句も言わなかった。
「奥様がウィリアム様と文通友達になったそうですよ」
さらにその翌日。
まだ病み上がりということもあり、寝巻きの上にカーディガンを羽織り自室の椅子にだらしなく座る私へ、ケイトがお茶を出す。すでに熱も下がっているので研究室に向かい実験の準備をしたいのだが、ケイトだけでなくジョージさんの目も今は厳しいので大人しくしている。
ぼんやりと十数回は読んだ本に目を通していると、ケイトが一度聞いただけでは理解できない話を持ちかける。
今、ケイトは何と言ったんだろうか。
「・・・・・すみません、お母様が何ですか?」
「ウィリアム様がお戻りになってから、毎日お嬢様のご様子をお手紙で伝えてらっしゃるんですよ。まぁ、まだ文通友達二日ですけどね」
「・・・・・・母はもしかして頭がおかしいんですか?」
「まぁ!奥様のことを悪く言うなんてケイトが許しませんよ!」
今日もぷんぷんと可愛らしく怒るケイトだけど、今回ばかりは笑って受け流すことができない。どうして母はこうも世話を焼きたがるのだろう。
正直鬱陶しささえ感じる話に私は眉を顰める。そんな私を見て、ケイトはトレーに中身の入っていないポットを戻すと、私の横に立った。
「ウィリアム様は三日後にはいらっしゃるとおっしゃっていましたが、昨日お嬢様が熱を出されたので、場合によっては日を改めていただくかもしれないことをお伝えになったんです。今回の件もありますから、お嬢様の体調不良をウィリアム様が気に病みご自身を責められるのではないかと思われたんでしょう」
「・・・・・・・・」
「どうせ、お嬢様から手紙を出されるとは思えませんからね。母の愛です」
そう言われてしまうとぐうの音も出ない。確かに私からウィリアム様に手紙を書くことなど、実験が成功した時くらいしかないだろう。つまり人生で一度きりだ。
脳裏に公爵子息の首を掴み絶対に手放さんとする母の姿が思い浮かぶが、特にウィリアム様からクレームが入っていないなら今回は良しとする。しかし、婚約に関する話が出た場合は母といえど容赦しない。実力行使という名の親子喧嘩も辞さない。
「気になるのでしたら、早くお元気になってくださいませ」
「もう平気ですよ。ただの知恵熱でしたから。今すぐにでも研究室に行きたいほどです」
「だめです!もう一日くらい安静にしてください。明日のためにも英気を養わねば」
「・・・・・平気なのに」
こうやって部屋でだらだらとしていると脳まで溶けてしまいそうだ。なので手持ち無沙汰に読書をするものの、部屋にあるものは全て三回以上は読み返しているためつまらない。
私はスリッパを脱ぐと、椅子の上で体操座りをする。その様子にケイトが何か言いたげにこちらを見たが、拗ねている私に優しく笑うだけで何も言わなかった。
ケイトがいつになく優しいので、少しだけ拍子抜けに感じる。だけど、そうなる理由がわかっているので私もその話題を出すことができないでいた。
「(私は今の自分の髪型気に入ってるんだけどな・・・・・)」
ウィリアム様がお帰りになり、お風呂に入ったあとのこと。
ケイトが、乱雑に切ってしまった私の髪を泣きながら整えてくれた。腰まで流れていたグレーの髪も、今は肩に届くくらいの長さしかない。これくらいの長さならヘアセットができるようで今日もハーフアップにしてくれたが、その時のケイトはやはり泣きそうな顔をしていた。
切るべきではなかったのだろうか。
ふと生まれる後悔のようなしこり。しかし、あの場での最適解はそれだったと思う。だから私はケイトを悲しませたことに対しては反省をするけれど助かるために切ったので後悔はしないと改める。
「・・・・・・・」
いつまでケイトはこの髪を見て泣きそうな顔をするのだろうか。私はいつまでケイトを悲しませるつもりなのだろうか。
時間が解決するのかもしれない。ケイトなら自分で立ち直るかもしれない。しかしそれで本当にいいのか。以前ならここまで他人の感情を気に掛けることがなかったのでうまく考えをまとめられない。
部屋か研究室に籠り、必要な時だけ声をかけ、何か文句を言われたらそれを軽く受け流し、たまに思い出したように使用人たちを甘やかす私は今思い返すと傲慢な人間だったと思う。
そう自分の過去を思い返す理由と意味を教えてくれたのはウィリアム様だった。
人はそれぞれ異なる考えを持ち、その全てを理解することは難しい。友人もいない私は気の知れた相手しかいなかったので、今までならそれでもよかったかもしれないが、ウィリアム様やブライトさんと繋がったことで飛躍的に世界は広がった。
たった二人じゃないか、と誰かは言うかもしれない。けれどそれだけでも私の許容範囲は超える。ウィリアム様の目に見えない『紐』はすでに、ケイトや母の傍にあるのだから。すでに『こぶ』もあるかもしれない。
そうなったら紐解くことは難しい。鼠算のように広がる紐を全て把握するには、今の私のままだと不可能に近い。将来、また私は誰かの心に土足で踏み入り傷つけ、さらにそこから膨らんだ事象で別の誰かまでも傷つけるだろう。
「もう懲り懲りだ・・・・・・」
「はい?何ですかお嬢様?」
「ああ、いえ・・・・・・・・」
他人の感情に触れ、困惑するのは疲れる。できるだけ平坦な感情で自分がいたいからだ。我が儘を言うようだけれど、また悩みに悩んで知恵熱を出すよりはいい。
けれどその苦労を私がすることでケイトが元気になってくれるなら、するべきことは一つ。
「ケイト」
「はい?」
「思い出したのですが、髪の成長を早める薬があると文献で読みました。確か熊蜂の蜂蜜と、セイレーンの貝と月の雫という名の薬草で作るそうです」
「・・・・・・・・」
「仕入れてもらえますか」
そう、ケイトの顔を見ずに伝える。しかしいつまで待ってもケイトからの返事がなかなか来ない。私は声の掛け方を間違えたかと戸惑う。
意を決して横に立っているはずのケイトを見上げる。しかしやはり、見上げるのではなかったと思った。
「うっ、うっ・・・お、お嬢様が優しい・・・」
「・・・・・」
「お嬢様に慰めていただける日が来るなんてっ・・・ケイトは夢でも見ているのでしょうか!」
「・・・・・・」
喜ばせるつもりが泣かせてしまうという結果に脳内がパンクする。おろおろと手を伸ばしたまま固まった私だったけれど、ケイトが鼻を鳴らしながらその手を掴んでくれたのでやっと息をつくことができる。
ケイトはフリル付きのエプロンで目元を拭うと、それでもぽろぽろ涙を溢しながらにっこり笑った。
「お嬢様」
「はい」
「お嬢様の髪色、私大好きなんです。太陽の光を浴びると絹のように美しく輝き、月の光を浴びると銀色に見えてまるでお伽話のお姫様のようなんですよ」
「・・・・・・・・」
「その髪のお手入れをするのが私の楽しみです。今の髪の長さでもアレンジはできますが、やはり長い方がレパートリーも増えますので」
「・・・・・では、メモに書きます。そちらに座ってください」
「はい!」
テーブルを挟んで向かいにあった椅子を手で指し示せば、ケイトがそれを持ち寄せる。別に向かいに座ってくれてもよかったが、近いからと困ることはない。
私は羽ペンを手に取り、紙にさらさらと必要なものを書いていく。その様子をにこにこと膝の上に両手を乗せて眺めるケイトはいつも通りに見える。
少しは役に立てたのだろうか。実験結果のように数値化をして目に見えるものではないので、実感がわかない。
それでも、ケイトが私の髪に触れるたびに、その薬で成長が促され、いつの日か元どおりの長さに戻る日を楽しみにしてくれるなら、それでいいのかもしれない。
「お嬢様、ありがとうございます」
「・・・・ケイトにはお世話になってますから」
「もう!どうして今日はそんなに可愛いことを言ってくださるんですか!」
「・・・・、・・・どうしてですかね」
言おうとした言葉を飲み込んで、戯けてみせる。ケイトはそのことに気づいていないようで私が書いたメモを受け取ると早速仕入れるために動き出すらしく、部屋を出て行った。
部屋にぽつんと一人になった私はまた知恵熱が出ていないか確認する。少し体温が高いような気がしたので、とりあえず今日は大人しくベッドに入っておくことにしよう。
「・・・・・どうして、か」
それは、私が私らしくいるために必要なことだからだ。そして、私の浅はかな行動でこれ以上『紐』が汚く『こぶ』を作る人がいないようにするためでもある。
何より、私が自分の行いに悲観した時、いつでも味方だと言ってくれたケイトを大事にしたいと思ったから。
友のように、背中を押してくれるケイトは私にとって貴重な存在だ。
しかし、それを本人に伝えようものなら再びころころと表情を変えるかもしれない。また泣き出されたら困るから。
「(まだ、言わないでおこう・・・・・)」
私はゆっくりと目を閉じる。明日にはウィリアム様が来る。それまでに元気になって、ブライトさんの依頼を解決しなくては。
すでに答えが出ているのに、実験に移れないのがもどかしい。
早く明日になれ、そう願いながら、私は夢に落ちた。
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