お嬢様の憂鬱
三度の飯よりも探し物を見つけたり、魔術を試したりすることが好きだった。
今から18年前、この世に生を受けた私はそれはそれは可愛らしい、親曰く天使のような少女だったらしい。父親譲りのグレーの髪に、母親譲りの若紫色の瞳。いいところを全て受け継いで生まれた私は、家族内だけの話ではあるが《聖魔女の生まれ変わり》などと持て囃されていた。
そんな私は子爵の生まれということもあり、使用人や執事にも可愛がられすくすくと育ち、ゆくゆくは父が副官を務める公爵家へ嫁ぐ予定だった。
しかし、私が5歳の誕生日を迎えてすぐの頃、なんだか普通のお嬢様とは違うと使用人の数人が気付き始めた。お嬢様であればお人形やおままごとなどを好んで遊ぶはずという彼らの予想を裏切り、木登りや昆虫採集を始めたのだ。私には兄が一人いるので、その兄の影響を受けたのだと使用人たちは考えたのだが、年を重ねるごとに魔術の本に熱中したり、祖父が生前使っていた研究室で夜な夜な実験をしたりする姿を目の当たりにして、予想は確信に変わる。
ああ、このお嬢様は普通ではないと。
もちろん父も母も驚いていたし、悲しんでもいた。こんなにも可憐で天使のような我が娘はどうして花や蝶を愛でるのではなく薬草や蛙を好むのかと。おいおい泣いて私をなんとか更生させようと修道院に連れて行こうとした時は少々驚いたのが懐かしい。
とにかく、日に日に俗に言う麗かなお嬢様とかけ離れていく私に、父と母はそれでも愛想を尽かさずなんとか社交デビューだけは果たさせようとした。
デビューをすればどこぞのぼんぼんと結婚もできるようになる。もしそこでお声がかかれば御の字だし、そうならなくとも一応デビューはしたので貴族としての面目は立つ。最悪、貰い手がなければこのまま引き取ろうと目論んだのだろう。
それに気付いていた私も、せめて父と母の面目は立たせたいと思い、嫌々ながらにいつも男性商人が着ているような首元の詰まった白シャツにベスト、薄茶のパンツという装いを捨てグレーの髪に似合うような紺色のドレスを着込みデビューを果たした。
そう、果たしはした。
『男性の気を引きたいということでしたら、エハヴァの花とフィーリアと呼ばれる月の精霊が落とした涙を混ぜた香水を使うといいそうですよ。無性に欲が湧いて、夜に関しては効果覿面とか。それから奪われたお相手に一矢報いたいということでしたら鼠の糞と雀蜂の毒を薄めて調合した薬が腹下しにちょうど良いです。・・・まぁ、最悪死ぬかもしれませんが』
子爵の娘である私の社交パーティーには、同爵位の貴族や父が副官を務める公爵家のご子息も参加した。そんな彼らに挨拶をしたような気もするが、あまりにも興味がなさすぎて顔すら覚えていない。
とにかく、そこでのお嬢様たちの専らの会話と言えば、どこの誰が誰を好きとか、不倫だとかそういった話で。あまりお茶会にも参加しない私はお嬢様は全員脳内お花畑だと思っていたので、どろどろとした話もお好きなのだとそこで初めて知った。
とにかく、うら若き皆々様は恋愛に興味津々といった感じだったので、それではと伝えてみたところ、どうやら的を得た話ができなかったらしい。なぜだ、どろどろした話をしていた時はあれほど顔を紅潮させて楽しんでいたというのに。
ぽかん、と口を開いたまま固まるお嬢様方。中には金魚のようにぱくぱくと空気をなんとか吸い込み息をする赤面お嬢様までいらっしゃる。
少し遠くで父がグラスを落とした音が聞こえた。
「・・・・・・・」
私の社交デビューは、大きな波紋を生んで終わった。もちろん、縁談など一つも来なかった。
「お嬢様、ジェニファーお嬢様」
「・・・・・・・」
「お嬢様?・・・・あっ、またこんなところに!嫌ですわ、庭いじりなんてされては」
「これは大事な日課なのです、ケイト」
専属使用人のケイト、もといキャサリンが日傘を持って庭に現れた。別に今更日焼けなど気にしていないというのに、庭に植えた薬草の様子を観察しているところに影を作ってくれる。おかげでカラカラに乾いた土が暗くなって様子がよく見えない。
私は煩わしさから顔をあげる。すると、私よりも眉間に皺を寄せたケイトと目があった。
ケイトは年も近く、また出会ってから10年以上も一緒に過ごしている気心の知れた唯一の友人という立場だ。もちろん、お嬢様と使用人なので友人ではないのだが。ともかく、何かと声をかけやすいのでケイトにお願いをして必要なもの、『魔術の実験に必要なもの』を仕入れてもらっている。
そのせいで、ケイトまで魔術好きと言われているようだが、本人から困っているなどと悪態をつかれたことがないので気付いていないふりを続けている。
私はケイトからの視線を避けるように土へと顔を落とす。他の使用人なら「直ちにお部屋へお戻りください」と言うところ、ケイトだけは日傘を差すだけで留めてくれるのはきっと私がやっていることへの理解があるからだと信じている。確証はないが。
「今日は何を作ろうと?」
「物体を巨大化させる薬です。薬草だけではできなさそうなので魔術を使うことになりそうです」
「・・・・魔術を使うことは旦那様から禁じられていますよね?」
「・・・・・・・」
「いますよね?」
「魔術といっても微弱なものです。発する魔力も少ないので誰も気付きません」
「そう言って、この前研究室を煙だらけにしたのはどこのどなたですか」
「・・・・・・・」
私です。という言葉を飲み込む。すると無言になった私にケイトが大きなため息をついたのがわかった。
この世の生物は皆一様に魔力を有している。今目の前にある薬草も、土も。それぞれ属性があって、草や花は水や土の属性、土は言わずもがな土属性。そして人間はそれらを摂取する立場にあるので、水、火、土、光、月、風などそれぞれ異なる。一番摂取し、性質の合うものが属性となるのだ。
ちなみに私は風の属性が一番相性がいい。もちろん生きていく上で別の属性も使えないことはないが、全力を出すにはやはり風が使いやすい。余談ではあるがケイトは火属性だ。怒りっぽいのもなんとなく頷ける。
ともかく、生物は魔力を有している。皆それがなければ生活もままならない。しかし、魔力とはその生物によっては量が異なるのも事実。
私はそこまで魔力の多い人間ではなかった。それから風属性ということもあって、魔力の質もその日によって変わってくるという始末だ。だからこそ父は、良家に嫁がせたかったのだと思う。良家であれば魔力の質もいい。娘が不自由をしないように、豊かな生活を送れるようにと考えたのだろう。
ともかく、風属性という気まぐれな魔力や、その量が少ないということもあり、私は時折研究室を煙だらけにしているのだが、それを知った私の父が実験では魔力を使わないこと、と私に約束をさせている。
今にもその約束を破ろうとしている私に、ケイトが腰に手を当ててぷんぷんと怒る。
「魔術はダメですよ、絶対に」
「・・・・・それはケイトが黙っていれば万事問題ないです」
「いえ、言いつけます。たまには旦那様からお灸を据えてもらわないと」
「裏切るんですか」
「お嬢様を思えばこそです!さぁ、お部屋に戻りますよ!」
「ちょっ、ケイト・・・・・・」
まだ観察が終わっていないのに。と言うがケイトが私の腕をグイグイ引いて歩き出してしまう。私は愛しの庭を名残惜しく思い、手を伸ばすがずるずる引っ張られて何もできなかった。
中庭へと通され、こちらの気も知らないでいつも通りぴしゃぴしゃと水を垂れ流す噴水を睨みながら、使用人用のドアから給仕室に半ば放り込まれた。貴族のために用意された部屋ではないそこは模様のない白い壁や申し訳程度に置かれた長テーブルがあるだけだ。
ちょうど休憩中だった他の使用人が私に気付き、慌てて立ち上がって会釈をしてきたので軽く手をあげ応えれば「お嬢様がする行動じゃないです」とケイトに叱られた。
「ほら、お部屋にお戻りください。給仕室にいるところを奥様が見たら驚きますよ」
「連れてきたのはケイトです」
「何か文句でも?」
「・・・・・戻ります」
まるで貴族に対する態度ではないと思うが、そういうケイトの気の置けないところが好きなので今回ばかりは大人しく部屋に戻るとする。ちょうどテーブルに置かれていた籠にパンがあったのでそれをヒョイと掴んでから部屋を出る。ドアを閉めるところでケイトが何か言っていた気がするが聞こえないふりをした。
「(暇になったな・・・・部屋で本でも読むか・・・・・)」
庭の薬草がもう少し早く育っていたら、今日にでも実験をしようと思っていたのに。やはり物体を巨大化させうる草の成長は遅い。その体にたくさんの養分を蓄える必要があるからだろう。ああ、早く育っておくれ。
「・・・・・・」
まだ確証はないが、きっとこの実験は成功する。
山岳部のみに生息する山羊は皆一様に体が大きい。山羊は皆その草を好んで食べているからだ。その草は苦味が強いので他の生物は好んで食べない。故に巨大化する生物が少ないのだろう。
そのことに気付いたのは、父が上司と共に山岳部の領地を視察しに行った時に聞かせてくれた土産話からだ。父はただ山羊がでかい、でかいと言うばかりだったけれど私は他人と目の付け所が違うので何故でかいのか気になり調べたわけだ。そうしたらその草にたどり着いた。
土属性である『パンメガス草』という名の珍しいもの。きっと、おもしろい実験になるはず。
しかしそれには魔力が必要だ。なのに私の魔力はあまり期待できない。どうしてこうも魔力が少ないのか。多ければもっとたくさんの実験ができるのに。それこそ夜通しできるかもしれない。
今の魔力では二時間連続で使うのがやっと。しかもそれ以上使うと熱を出すという最悪のコンディションだ。
「はぁ・・・・・・」
思わずため息を零す。今日はもうあまり考えるのはよそう、体に悪い。と私は見えてきた自室のドアをぼんやり眺めながらのんびり歩く。
しかし、そんな私の名前をどこかで叫ぶケイトの声が聞こえた。なんだろうか、今はちゃんとケイトの言いつけを守っていい子にしているというのに。もしかして庭に植えた薬草の一つが法に触れるギリギリのものだったと気付いたのだろうか。
「それはまずい」
「お嬢様!どちらにいらっしゃいますか!」
「(狸寝入りを決め込もう。そうしよう)」
パタパタと靴を鳴らして階段を駆け上るケイトの足音に、私はそそくさと自室のドアへと向かいそのドアノブに触れる。急ぎすぎてドアの隙間に足を挟んでしまい思わず声にならない声を出していれば、足音がどんどん近づいてきているのがわかったので涙目になりながらドアを閉める。
「お嬢様!大変です!」
「コホ、コホ・・・・ケイトすみません、ちょっと体調が悪くなりました」
「仮病は結構です!」
「あ、・・・はい」
「それより大変なんです!」
「(お嬢様の体調を『それより』と言うとは・・・・)」
「公爵家のっ・・・・・!ウィリアム様が、ウィリアム様が今からいらっしゃるとのことです!」
「・・・・・・・どなたですか」
そんな友人、いなかったはずだが。と、ウィリアム様という男性を脳内に思い浮かべようとするけれど誰も出てこない。それもそうか、私には友人がいない。そして縁談も来ていないのだから。
ますますどうしてそんな方が、しかも公爵家の方がいらっしゃるというのか。
どんどん、とドアを叩く使用人らしからぬケイトの行いを無視し、そのドアにもたれかかり顎に手を置いて考える。公爵家なら、父に用事があって来たのかもしれない。しかし父は今公務中なのでこの屋敷にはいない。では母に会いに来たのか、何のために。母はあまり父の公務に関心はない人だ。何か質問されたところで答えられないだろう。では兄に?
「そこが無難か・・・・・・」
「いいから早く着替えの準備を!」
「え?」
「着替えの準備をさせてください、お嬢様にお会いしたいということです!」
「えぇ〜・・・・・・・?」
できれば一番想定したくなかったところで、私に会いたいという発言をしたケイトにドア越しから眉を顰める。
しかしこのままだとドアを壊されかねないのでとりあえず部屋に招いたほうがよさそうだ。私はそっとドアノブを回すと、ケイトはその隙間からぬっと手を出して一気に開く。そこまで急ぐ必要はないじゃないか、頭にドアが当たったよ。なんという使用人らしからぬ行動だろうか。
額を押さえてケイトを睨む。しかし、それ以上の形相でケイトに睨まれ萎縮する。やはりここは体調不良を装ってしまった方がいいかもしれない。今たんこぶもできたことだし。
と、ケイトを無視してベッドへと行こうとすれば腕をガシッと掴まれた。
「ケ、ケイト・・・・・・」
「そんな商人の息子みたいな格好でお出迎えされては困ります!」
「・・・・・・・」
「いいですか!お洋服もお化粧もこちらで済ませますから、お嬢様は椅子に座ってください!」
「はい・・・・・・・」
「皆さん!手伝ってください!」
なす術もなく私は半ば強制的に椅子に座らされると、突然慌ただしくなった使用人たちに取り囲まれる。あれよあれよという間に身ぐるみを剥がされ、風呂に漬け込まれる。
「こんなチャンス、二度と巡ってきませんからね!」
まだチャンスだとは限らないじゃないか。
その言葉は、風呂の湯とともに流された。