一輪の記憶の欠片
「さて、たくさん話して疲れただろう。すぐに思い出せなくても気にすることはないよ。君が無事だっただけでも奇跡なのだから」
思い悩んでいる様子のフィユを見、ヴァルトが優しく声をかける。フィユは俯いていた顔を上げると彼を真っ直ぐに見つめた。
ヴァルトの表情は優しい。声も仕草も、出会ってからいままで、ずっと優しい。僅かな話を聞いただけでも、王女は我儘放題で決して好かれる人間ではなかったはずなのに。
「……あなたはどうして、そこまで優しくしてくれるのですか……? 以前の……いえ、いまでもわたしは、誰からも歓迎されていないように思えるのに……」
不安を湛えた泉のような瞳が、ヴァルトを真っ直ぐにとらえる。これまで王女に感じたことがない庇護欲が湧き上がるのを感じ、思わず細い体を抱きしめた。
以前なら抱きしめようとしただけで撥ね除けられていたはずなのに、フィユは無抵抗で腕の中にいる。悪態の一つすら飛んでこない現実がまるで夢のようで、ヴァルトは小さな体をじっと腕に閉じ込めたまま絞り出すように想いを吐露した。
「フィユ……君は私の大切な幼馴染みだよ。幼少のときからずっと一緒だった。どれほど邪険にされようと、亡き聡明な母君のようにいつか心を入れ替えてくれると信じていた。それが、このような形で叶うとは思っていなかったけれど……それでも、私は……いまの君がとても愛おしいんだ」
ヴァルトの真摯な告白を受け、フィユの視界がじわりと滲んだ。罪悪感だけではない、なにか大きな感情が涙と共に溢れてくるのを感じたが、その正体が何なのかまではいまの彼女にはわからなかった。ただ、渦巻く感情の波に溺れそうだった。
フィユの小さな手が、ヴァルトの背にそっと添えられる。その熱を感じたヴァルトも、フィユをより固く抱きしめた。
「……わたしは、あなたの幼馴染み……」
「ああ、そうだよ。誕生祝いに招待されたときからの縁だ」
「それなら……ふつうに話しても、赦されるのかしら……?」
「フィユ……!」
フィユの後頭部と背中に回された腕は、キツくフィユの体を閉じ込めている。それでも苦しくならない程度に加減されている辺り、彼の深い愛情を感じた。
本物の王女とは、二言三言言葉を交わした、というより一方的に重すぎる言葉と指輪を押しつけられただけだった。彼女の横暴な立ち振る舞いや高飛車な口調を真似ることは、到底出来そうにない。だが、今更フィユがなにを訴えようとも、王女は戻らない。真実を告げたところで、騎士団長が言った通りの末路が精々だ。
ならば―――幼馴染みであるヴァルトに対する不自然な余所余所しさなど、城のことをなにも知らない自分にも出来そうなところから偽っていこう。彼女の言葉が本当ならば、偽りの生活からは一年で解放されるのだから。
(……きっと、一年後にはとても傷つけてしまうわ……ごめんなさい……)
願わくばこの優しい人が、一年後に真実を知ってからも、心穏やかにいられるように。盗み以上の大罪を犯すことへの許しを請う代わりに、そっと祈った。