全ては求める者のため
「構いません。どうぞ喧伝なさいませ」
混乱するフィユと、その反応を楽しんでいるメアの様子を眺めていたリヒトが、不意にとんでもないことを口にした。二人が揃ってリヒトを見るが、リヒトは至極冷静にメアを見据えている。
「しかしその行動をなさったとき、信用を失うのはあなたのほうですが」
「な……! どういう意味ですの!?」
「あなたがお兄様想いであることは、周知だということです」
氷の目を細め、リヒトは謳うように言った。
暫くその言葉の意味を飲み込めずにいたメアだったが、悔しそうに歯噛みしてリヒトを睨む。先のパーティで己がフィユになにをしたか、周りがなにを目撃していたか、それを改めて思い出したのだ。
「嫉妬に狂って、証拠もないのに王女のあらぬ噂を流した愚か者にするつもりですのね。そして、使用人の身分でありながらこのわたくしにそこまで言うのですから、あなたには可能なのでしょうね」
にっこりとよく出来た笑みを作り、リヒトは「ご想像にお任せします」と言った。その完成され尽くした表情と同様に、彼はなにもかもを完璧に成し遂げてしまうのだろうと、否応なく思い知らされる。ただの表情一つ、眼差し一つで、こうも人の心をざわつかせることが出来るものかと、メアは畏れを抱いた。
これが他の使用人ならば、たかが下働きの言葉など誰も信じないと突き放すことも可能だっただろう。その選択肢を浮かばせない程度には、彼は力を持っているということだ。メアは王女の言葉だけを聞いていたわけではない。そのあとの、リヒトの言葉も聞こえていた。それすらも把握した上での、いまの一言なのだ。
「……本当に、忌々しいくらいよく出来た執事ですこと」
「恐縮です」
お手本のような笑みを作ったままでメアの皮肉に答えると、リヒトはフィユを一瞥し、またメアに視線を戻して続ける。
整った顔立ちを最大限悪用したその所作に薄ら寒さを覚え、メアは思わず身構えた。
「フィユ様が別人であるということは、シェルフィーユ様を憎んでいたあなたにとっても悪い話ではないはずです」
「わかりやすく話して頂戴。あなたの言い様は回りくどくていけませんわ」
先ほどから手のひらで転がされているようで、メアは苛立ちを露わに、突き放すように吐き捨てる。だがリヒトはそんな反応すらも予測通りといった様子でさらりと受け流して微笑んだ。
「では、簡潔に申し上げます」
目の奥に狂気を宿し、氷の忠臣は悪魔の如くに囁く。
「フィユ様が真に王女となられたとき、あなたの憎むべき相手はどうなるでしょう」
「そ、そんなもの、いくら何でも王家の証もないのに一年も経ってから戻ったところで、既に『王女』はいるのですから、誰も…………あなた、まさか」
リヒトは恍惚の表情でフィユの傍らに跪き、二人のやり取りにずっと口を挟めずにいたフィユの手を取る。そしてその手に恭しく唇を寄せながら、視線だけでメアを見上げた。瞬間、メアは氷の槍で心臓を射抜かれた心地になった。
たかが使用人と侮っていては膝をつかされる羽目にもなるだろうと思わせる、深く暗い光を湛えた瞳をしている。
「私の王女は、フィユ様ただお一人です」
ぞくりと背筋が粟立つ感覚がして、メアは思わず踵を退いた。
しかしすぐに恐れたことを悟られないよう姿勢を正すと、静かに「わかりましたわ」と呟いた。
この男は、王女と仰ぐフィユのためなら誇張なくどんなことでもするのだろう。悪意を浴びせた貴族を失脚させ、敵も障害も切り捨てて、空席となった玉座に縛り付けるつもりなのだ。
どこの娘かは知らないが、気の毒なことだとメアは思った。