偽りの罪と真実
メイドたちと入れ違いで、ワゴンを押しながらリヒトが入室してくる。リヒトは二人の後ろ姿を一瞥すると薄く口元に笑みを浮かべ、フィユに恭しく一礼した。
「おはようございます、フィユ様。随分楽しそうなご様子でしたね」
「ええ。……あんなふうに真っ直ぐ笑顔を向けられるだなんて思ってもいなかったから、つい時間を忘れてしまったわ」
「それはなによりです。ただ、味方が増える分には構いませんが、話しすぎませんよう」
「わかっているわ」
話しながらも、朝食の準備が調えられていく。
瑞々しい野菜や香ばしいパンが並ぶ中に、ヘレナが言っていた、フィユの好きな果実を使ったケーキとジャムが添えられている。
「……ねえ、リヒト。気になっていたことがあるの」
「何でしょう?」
「わたしの思い違いかも知れないのだけれど、周りが随分と落ち着いている気がしたの。国王様がご病気で、わたしも殆ど表舞台に出られずにいるのに、目に見えて大きな混乱がないのって誰かが支えてくれているからなのよね?」
王は病気で臥せっており、王女は記憶がなく療養を必要としているという現状、王女が周囲にしてきたことを思えばもっと大きな混乱があってもおかしくないように思えるが、現状そういった類の騒ぎは起きていない。政治のことなどなにも知らずに生きて来た身であるものの、弱り目につけ込む存在なら路地裏生活時代にだっていくらでもいた。
現にフィユが商人に捕まったのも、餓えた男たちに追い回された挙げ句のことだった。
「ええ、国は国王様お一人で成り立つものではありませんから。とはいえ、王無き王国がいつまでも安定し続けることはあり得ません」
「それは……そうよね」
「ですのでフィユ様には早めに五人の婚約者候補から、お相手を選んで頂きたいのです。国の安定のために……そしてなにより、フィユ様ご自身のためにも」
「わたしの……?」
不思議そうに問うフィユを、リヒトが氷のように澄んだ眼差しで見据える。
「一年間王女として暮らしたあと、路地裏生活に戻れますか?」
「……それは……でも、それがわたしのいるべき場所だったから……」
当たり前のように出来ると言い切れないのは、少なからずこの生活に馴染んできている自覚があるからだ。それを見透かしたように、リヒトは続ける。
「元の生活に戻るだけならまだしも、宝石を盗み王女を騙った罪人とされれば生きていくこともままならないでしょう」
「そんな……! わたしは」
「真実がどうあれ、民衆はいつの世も都合の良いほうを信じたがるものです。先の夜会で起きたことを思い出してください」
リヒトの言葉につられるようにして、先月の夜会での出来事が脳裏に蘇る。パーティの場で貴族の女性が自ら叫んだことが巡り巡って、彼女は賊に金を握らせて王女を攫わせ、ヴァルトに言い寄ろうとした罪人になってしまっていた。
あれから領地も財産も没収され、両親は爵位降格、彼女自身は辺境に追放されている。彼女がどれほど弁解しようとも、領民はおろか親兄弟でさえ彼女の言葉を信じなかった。
ふと、フィユは一つの疑問に行き当たった。彼女があのようなことになったきっかけは夜会での発言と、その場で広がった噂だろう。だが、貴族が爵位も領地も失うほどの罪が果たして噂話だけで確定してしまうものなのだろうか。
「……声に押されたからといって、すぐに罪になるものなのかしら? わたしの場合は、指輪のこともあるし、一年後に本人が戻ってくるのだからわかるけれど……」
「おや……意外と、無知ではないのですね」
「無知なわたしをあなたが教育したのよ、リヒト」
皮肉にもさらりと返せる程度には、リヒトの教育が身についているとフィユは思った。それが良いことなのかはわからないが。
リヒトは丁寧な笑みを浮かべて「恐縮です」と言い、フィユの疑問に答える。
「証拠は見つかるものではない、ということです」
その一言で、フィユは彼が如何に優秀であるかを本当の意味で理解するのだった。