不変を願う声の先
「王女様……」
二人は顔を見合わせ、互いに頷き合ってから、まずはヘレナが口を開いた。
「確かに、以前の王女様は大変荒れておいででした。少しでも私たちの仕事が不完全だとお叱りを受けるのが当たり前で……」
あくまでも自分たちが悪いのだという体で話すヘレナは、単にプロ意識が高いだけではないように見えた。名を呼んだだけで涙したことなどから思うに、仕事から離れた彼女は感情表現豊かな心優しい少女なのだろう。
そんなヘレナに続き、エマも恐縮しながら話し始める。
「聞いた話ですが、物を投げられたメイドが血を流したのを見て、部屋を汚した罰として解雇されたこともあるとか……」
「そんな……!」
エマの言葉に、フィユが思わず声を上げた。
彼女たちからすれば、自分が過去したことに大して驚いているという不思議な光景だ。
「ですが私たちは、ここで働けるだけでしあわせなのです。毎日着るものがあって、壁も屋根もある部屋で休むことが出来て、お給金まで頂けるのですから」
エマの故郷フロイトシャフトは、公爵家の屋敷から離れるにつれて未開発の土地や村、貧しい少数民族が多くなっていく国だ。元々が、同一民族を祖先に持ちながら長い年月の中で細分化していったという歴史を持つ民族であるため、フロイトシャフト出身者はどの村や町の生まれでも、基本的には黒い髪と紫の瞳を持って生まれてくる。
そしていまの公爵家もとある一族が歴史を重ねる中で力を持っていっただけに過ぎず、後発の国であることも踏まえて内政は発展途上といえる。
「特に私は、遠い南の地にある貧民窟の出身です。こんな大きなお城、目にすることなく生涯を終えてもおかしくない身分でした」
ヘレナに至っては、故郷を賊に滅ぼされている。家族とも散り散りになり、探すことはおろか、連絡を取る手段すら持っていない。生きているかもわからない家族の無事をただ祈ることしか出来ないのだ。
「……そう、だったの」
エマとヘレナの言葉を聞いて、フィユは自らの生い立ちを思った。
フィユ自身もそうだ。お城は遠い世界にあるもので、外観を目にすることさえ想像だにしなかったのに。
「大変だったのね……理不尽な八つ当たりのほうが、ましだと思ってしまうほどに……」
「いまこうしてフィユ様にお仕え出来て、お話することも出来て……これ以上しあわせなことはございません」
「どうか私たちの過去など思わず、王女様はそのままでいてくださいませ」
久しぶりに聞いた言葉だ。ここの人たちは、フィユに「そのままでいい」と口にする。
事情を知っている者の言葉には、余計なことはするなという警告も含んでいるのだろうことは、フィユにもわかる。ならばなにも知らない者の言葉には、以前の苛烈な王女には戻ってほしくないという願いが込められているのかも知れない。そう思うと、益々一年の期限が重くのし掛かってくる心地だった。
「お支度が調いました。今日も素敵ですわ」
俯くフィユに、エマは明るい声で言うと淑やかに一礼した。
「フィユ様、ご朝食の時間が近づいて参りました。リヒト様がいらっしゃる前に私たちは失礼致します」
「いけない、長く引き留めすぎたわね。ありがとう、色々お話ししてくれて」
「いえ。それでは失礼致します」
揃って綺麗なお辞儀をすると、二人のメイドは退室していった。