高嶺の花と小さな花
ある貴族女性の謀で、メイドが果実酒をフィユのドレスにかけてしまった例の件以来、フィユの世話係を押しつけ合うことがなくなったことは、使用人たちの中で小さな話題となっていた。誰もあの王女と好んで関わり合いになりたくないというのが常だったのに、進んでその役を負いたいという者が現れたのだ。他の使用人はこれ幸いにとその物好きに押しつけたが、彼女たちは寧ろ喜んで請け負っていた。
通常ならば、カトラリーメイドが王女と直接関わるなど昇格どころではない変化だが、誰も彼女らを羨むことも妬むこともしなかった。
「おはようございます、フィユ様。お召し替えに参りました」
「おはよう、エマ、ヘレナ。今日も会いに来てくれたのね」
「き……恐縮でございますっ!」
バッと布が翻る音が響くほどに勢いよくお辞儀をするのは、パーティの日にトラブルを被ったメイド、エマだ。鋏で横一文字に切ったような前髪と、同様に真っ直ぐ切り揃えた短い後ろ髪が特徴の少女だ。深い紫色の瞳と黒髪はフロイトシャフト公国の民の特徴で、エマは故郷を離れ出稼ぎに来ているという。
「今日はグラナータベルがよく実っておりましたので、デザートにお持ちしますね」
そう言って微笑むのは、以前フィユに名を覚えられていたことに感涙していたメイドのヘレナだ。フィユに些細な特技まで覚えてもらえていたことが余程うれしかったようで、あれから市場や森へ向かっては質の良い果実を集めていた。
夕陽色の巻き毛を出来る限り纏めたお団子ヘアと、浅黒い肌、頬に散った星屑のような雀斑に暗金色の大きな瞳が特徴的な少女だ。燃えるような赤毛は荒野の外れにある亡国の民の特徴で、ヘレナは蛮族に追われた挙げ句亡命という形でこの国にきており、ヘレナという名は親代わりでもあるメイド長に与えられたものだという。
彼女の言葉には隠しきれない故郷独特の訛りがあり、最初はわからずに困惑したこともあった。
「うれしい、わたしあの果実が一番好きなの」
「でしたら私、また市場で一等良いものを買って参ります」
「ありがとう。楽しみにしているわ」
フィユが微笑むと、それだけで彼女たちはうれしそうに華やぐ。
そこでふと気になった。彼女たちがパーティの日をきっかけに怯えなくなったことは、フィユにも理解出来る。だがそれまで怯えていたというなら、恐らく以前の王女に暴言の一つでも投げつけられていたのだろう。メイドという立場ならもしかしたら毎日のようにひどい言葉を浴びせられていたかも知れない。それなのに、たった一日の出来事で評価が真逆になるものだろうか。
しかし気になったからといって、わざわざ彼女たちの思い出したくもない嫌な出来事を聞くわけにはいかない。
ぐるぐると思い悩んでいるうち、フィユは黙り込んでしまっていた。
「……フィユ様、如何なさいました?」
「えっ……あ……ごめんなさい、ぼんやりしていたみたい」
「なにか気になる点でもございましたでしょうか……」
「いえ、そういうわけではないの」
不安そうに訊ねるエマに、フィユは首を振って答えた。二人は自分たちの仕事に不備があったのではと思ってしまったようだ。
フィユは暫し考えてから、下手に誤魔化すと気を遣ったと余計落ち込みそうだと思い、思案の理由を話すことにした。
「その……なんて言ったらいいかわからないのだけど、あなたたちも、以前のわたしからひどいことを言われたりしたのでしょう?」
「い、いえ、そんな、私たちは……」
恐縮する二人に、フィユは「いいの」と努めて優しく言ってから続ける。
「嫌われて当然だと思っているわ。それはいいの。事実だもの。だからこそ不思議なの。あの日がきっかけなのはわかるのだけど、でも、どうしてあなたたちはわたしへの考えを変えてくれたのかしらって」
きっと、つらいことを思い出させてしまう。
目を伏せて「ごめんなさい」と呟くフィユを、二人のメイドは力強くも優しい眼差しで見つめていた。