惑いの瞳
ネルケ王女の、あまりにもさっぱりとした性格に呆気にとられていたフィユだったが、ハッとして気を取り直し、ホールへ戻る。
「ああ、シェルフィーユ王女……いえ、皆様に倣い、私も親愛を込めてフィユ王女……とお呼びすべきでしょうか。お戻りをお待ちしておりましたよ」
すると、ロゼが歩み寄ってきてやわらかく微笑んだ。いくら呼ばれたからとは言ってもゲストを放置しすぎたと、フィユは俯いて謝罪の言葉を口にする。
「……ごめんなさい、つい話し込んでしまって」
「いえ、良いのです。王女同士、話しやすいこともありましょう」
ロゼの声は変わらず優しい。甘く響くその音は、羽毛で心を擽るかの如く。だが初めて対面したときのような、糸雨に身を浸すあの感覚がない。
あれはなんだったのだろうかと思っていると、
「フィユ王女、どうかされましたか……?」
訊ねる言葉と共に、ロゼがフィユの正面に跪いて顔を見上げた。
そのとき、くらりと目の前が揺れる感覚がして、一瞬意識が遠のいた。
「フィユ様!」
すぐ傍でリヒトの声がして、ふわりと自分の体が浮いたような錯覚を覚える。暫くしてぼんやりしていた頭がはっきりしてくると、目の前にネルケ王女の顔があった。どうやらめまいを起こして倒れかけたところをリヒトに支えられ、その声で気付いたネルケ王女が心配して戻ってきてくれたらしい。ということを、フィユは随分遅れて理解した。
「フィユ王女、大丈夫? 長く風に当てすぎたかしら」
「いえ……これは」
リヒトの鋭い瞳が、ロゼを捕える。ロゼはなにが起きたのか理解出来ていない様子で、目の前の状況をただ呆然と眺めていた。
「……ロゼ様。失礼ながら申し上げます。その仮面の下……右目になにを仕込んでおいでですか」
「右目……? 私はなにも……兄からは、爛れた目の代わりになる鉱石を移植したとしか聞かされておりませんが……」
ロゼの動揺は演技ではなく本物のようで、震える手で自らの右目の辺りに触れている。彼は両親が火刑に処されるとき、巻き添えで顔や手にひどい火傷を負った。それを仮面で隠していること自体は全く咎められることではないが、その下に、王女に害をなすものが隠されているとなれば話は別である。
周りは遠巻きになりながら、ざわざわと不安の声を零している。
「鉱石? それがなにかは聞いてないの?」
自国の王女に問われ、更に王子の視線を受けながら、ロゼは恐縮して頷く。
「はい……ただ、兄から一つだけ、お前はフィユ王女の目を見つめて名を囁けば良いと、それが、私がシャグラン家のために出来る唯一のことだと……そう言われて参りました」
その言葉に、ネルケ王女はサッと顔を青ざめさせた。
「ネルケ、なにか心当たりがあるのか」
「……確証は持てないけど……幻光石じゃないかしら」
小さく呟いたその石の名前に反応を示したのは、リヒトだけだった。他の者は、それがどういった鉱石かわからない様子でいる。ネルケ王女は周りの反応を見るとそっと小さく息を吐いた。
「シャグラン伯。悪いことは言わないわ。テオドール先生の元で別のまともな目を入れてもらいなさい」
「これは、そんなに良くないものなのでしょうか……」
「ええ。グランツクリーゼを乗っ取ろうとしたと言われても、言い訳出来ない代物よ」
ざわめきが大きくなり、視線がロゼに鋭く突き刺さる。
革命が起きたとき以上の針の筵に、ロゼはただ立ち尽くすことしか出来なかった。




