跳ね馬の王女様
「シェルフィーユ王女……」
ロゼがフィユに手を伸ばし、声をかけたときだった。
「クラウス王子とネルケ王女がご到着なさいました」
入口から声がかかり、フィユの視線がロゼから逸れた。その瞬間、フィユの中にあった濃い酒気に満たされたような、霧雨に降られているような、しっとりと心を濡らす感覚が不思議なほど綺麗に消え失せた。
間もなく鮮やかな金髪に紅い瞳の青年と、亜麻色の髪をした女性が現れた。貴族たちの視線を受けながら、二人はフィユの元まで歩み寄ってくる。
「遠いところ、ようこそお越しくださいました」
「こちらこそ、お招き感謝する」
フィユとクラウスが挨拶している様子を、ネルケ王女はじっと見つめていた。そして、一通り形式張った挨拶が終わると「フィユ王女」と短く名を呼んだ。
「は、はい……なんでしょう……?」
「手紙、受け取ったわ。……今更どういうつもりかは、問わないでおいてあげる」
その言葉にフィユがビクリと肩を震わせたのを、ネルケ王女は目を眇めて見下ろした。フィユは俯いてしまっているため、彼女の探るような眼差しには気付いていない。
「王女としてあり得ないことをしたっていうのは、理解しているんでしょうね」
「っ、はい……なにをもってしても償いようもないことだと、存じております……」
ネルケ王女は女性にしては長身で、フィユとは頭一つ分くらいの差がある。更に彼女の声は、張りのある通りの良い音をしているため、間近で声が降り注ぐと心臓を直接掴んで揺さぶられているような心地になる。
婚姻の儀に祝いの言葉を贈らず、それどころか故郷を貶した罪は重い。なにも知らない孤児だった頃のフィユにもわかることだ。
償うことも、許しを得ることも出来ないだろう。この場で頬を殴られるくらいの覚悟はしておかなければと、怖々顔を上げた。だが、フィユの目に映ったネルケ王女の表情は、フィユが想像していたものとは全く違っていた。
「……ね、クラウス。あの子の言った通りだったでしょ」
「ああ……だが、それなら尚更、余計なことは言うなよ」
「わかってるわ」
彼らのあいだでどんなやり取りがされていたのかなどフィユに知る由もないが、彼らの表情は、意外なことに怒りでも侮蔑でもなかった。ふと、ネルケ王女とクラウス王子が、フィユの傍らにいるロゼに目を向けた。
「久しぶりだな、シャグラン伯」
「ええ、お久しぶりでございます、殿下。ネルケ王女もお変わりなく」
「お陰様で」
彼らのやり取りになにやら言語化出来ない含みがある気がして、フィユはじっと様子を窺った。その視線に気付いたネルケ王女が、ふとフィユを見て口を開いた。
「ねえ。少し話したいんだけど、いい?」
「え……ええ、もちろん」
フィユが承諾するとネルケは手近なグラスを一つ取り、フィユに目配せをした。周りに一礼してからネルケ王女のあとに続くと、行き先は会場の窓から出たところにある、広いテラスだった。
「花籠、ありがとう。あたしの好きな花ばかりだったから、うれしかったわ」
「気に入って頂けて安心しました。婚姻のお祝いは後日改めて致しますので……」
「お祝い? あれがそうなんじゃなかったの?」
「あれは……その、これまでの非礼に対するお詫びのつもりでした」
ネルケ王女は目を丸くして「手紙がお詫びで、花がお祝いだと思ってたわ」と言った。フィユはフィユで、散々働いた無礼のお詫びと婚姻のお祝いを一度に済ませるつもりなど更々なかったため、同じくネルケ王女の言葉に驚いている。
暫くのあいだ、互いに似たような表情で見つめ合ってしまった。