馨しき花の棘
フィユと別れたあと、ヴァルトは王城の主である国王の元を訪れていた。
王女が、例の指輪と共に無事見つかったこと。記憶を失っており、暫くは静養が必要であること。彼女については自分に任せてほしいということ。そして彼女には王が最も信頼している執事をつけることなどを告げた。
「なにも心配いりません。全て彼にお任せください。きっと良い方向へ向かうでしょう。王女様もひどいお怪我はされておりませんでした、すぐに良くなるはずです」
「そう、か…………」
王はぼんやりとした表情のまま力なく答えると、また目を閉じた。付き添いの医師が、静かに退室を促す。
ヴァルトは一礼してから退室し、フィユの部屋へと向かった。
「父上も案じていたが、やはり思わしくないようだ……フィユが戻ってきてくれて本当に良かった」
使用人たちには苦労をかけてしまうが、いなければいないで苦労をするのだ。特にこの国では、王女は他国での王子に当たる王位継承者。唯一の王女である彼女がいなくなるということは、本人が思う以上に国にとっての損失なのだから。
「ヴァルト様」
通りかかったメイドが、ヴァルトを呼び止めた。最早この国に隣国の王子がいることを不思議に思う使用人はいない。ヴァルトも第二の実家のように、メイドに答える。
「なにかな」
「先ほど、フィユ様のお清めが完了致しました。いまはお部屋で寛いでおいでです」
「そうか。ありがとう」
「いえ……では、私はこれで」
メイドはヴァルトに一礼すると、忙しそうに去って行った。
王は不治の病に伏せっており、それゆえにいまこの城では、王女の婚約者を選ぶためにあらゆる人が奔走していた。そんな折り、突然王女が単身城を抜け出した。だが、王女に逃げられたとあれば、ただでさえ低い評判が地の底へ落ちてしまう。いっそ賊に攫われたことにしておくほうが、幾分かマシだった。
ヴァルトは、古くから続く国同士の付き合いで王の信頼を得ている。結婚相手の最有力候補だったが、王女は彼を「ヘタレ王子」「世のどんな令嬢よりも令嬢らしい姫王子」と言って憚らなかった。どれほど罵ろうとも反論どころか嫌な顔もして見せなかったことが却ってそれを加速させたのだろう。
そしてあるとき王女は、様々な国の要人や貴族を招いて開催したパーティの場で、こう言い放ったのだ。
『いやだわ。こんな腑抜けなんかと結婚したら、明日にも国はあちこちから無用な戦争を仕掛けられて、あっという間に滅んでしまうでしょうね』
ヴァルトだけではない。近隣諸国に対してもひどい侮辱となる、最悪の言葉だった。
以前より王女の評判は目も当てられないほど落ちてはいたが、このことが決め手となり婚約者候補が次々辞退したことで、結婚相手を見つけることは絶望的となっていた。
王女にとっては無理矢理結婚させられることも嫌だが、誰の目にもかけられないことも同じくらい屈辱だった。愛されないことへの不満は周囲に当たることでしか解消されず、そうすることでますます人が遠ざかっていく。
そうして孤立した王女に唯一寄り添い、日々助言を与え続けた者がいた。それが、王の多大な信頼を得ている若き執事、リヒトだった。
リヒトは、先祖代々王家に仕える従者一族の寵児で、歴代の従者の中でも優れた才覚を持つ青年であり、若くして執事の地位を得た希有な存在だった。
今回騎士団が王女を捜索するための助言も、彼が直接行っていた。