王家の血の証
鏡の間は、王城の地下を抜けた先の別棟にある。地上部分から入れる扉がない上に窓も高い位置に小さなものがあるだけという、外からの侵入を拒む作りをしている。ここには契約を結んでいる国の王族を招くときや送り届けるときにしか使われない、特殊な魔法で起動する巨大な水鏡がある。それゆえに、王族とごく限られた上位の使用人以外は近付くことすら許されておらず、フィユもここを訪ねるのは初めてだった。
階段を上り、扉を開けると、グライフが入れそうなほどに高い天井の部屋が出迎えた。
白い壁を背の高い円柱が縁取っていて、柱の上部には精霊の彫刻が彫られている。壁や天井、窓の作りを一見すると宗教施設にも見える作りをしており、教会であれば精霊像や象徴の絵でも飾ってありそうな最奥の壁には、薄い水のカーテンが貼られている。天井を見上げると水の出所が見えるが、蔦が絡みついていてどういった仕組みかまでは視認することが出来なかった。奥に進めば、足下に薄く水が張られた大きな金の装飾枠が広がっていた。巨大な鏡を床にそのまま置いたかのようなそれが、この国の転送鏡だ。
「これが、王家の血を引く者にしか起動できないっていう転送鏡か」
円形の縁に金の細工で蔦や花が彫られたそれを見下ろしながら、デューン王子が呟く。それを聞いて驚いたのは、フィユだった。ここに来るまでそんな話は聞いていなかったとその表情が語っている。
「王家の……」
リヒトを見上げるフィユの表情は、いつになく不安そうだ。それもそのはず。この鏡がグランツクリーゼ王家の者にしか起動できないというなら、フィユが偽物であるとここで暴露するようなものではないのか。
「ねえリヒト、本当に……」
「心配いりません。記憶が無くとも、王女様は王女様でいらっしゃいます」
にこりとよく出来た笑みで言うリヒトの言葉は、本当にただの記憶喪失なら心強いものだっただろう。けれど、フィユは違う。誰よりも自分自身が違うとわかっている。だが、ここまできて彼らを馬車や船で帰すことは出来ないということもわかっている。四面楚歌どころではない事態に不安ばかりが募るが、ここはリヒトの言葉を信じるしかないのだ。
「起動認証呪文も恐らくお忘れでしょう。私に続いて唱えてください」
「……わかったわ」
フィユが頷くと、デューン王子とツィンは揃って水鏡の上に立った。二人の足下に薄く波紋が広がるが、靴や服が濡れることもなければ足が沈むこともない。
「じゃあな、フィユ王女。グライフの名前が決まったら手紙でも出してくれ」
「ええ、ぜひ」
短いやり取りののち、フィユはリヒトにエスコートされるような形で手を取られると、その手を水鏡のほうへと翳した。
僅かに身を屈めたリヒトが、起動認証呪文を呟く。それを聞いて、フィユも同じ呪文を口にした。そのとき。
「……っ!」
水鏡から光の柱が天井へ向けて伸び、フィユは眩しさのあまり思わず目を閉じた。光が収まったのを瞼の奥で感じ、怖々目を開けると、そこに彼らの姿はなかった。
「お疲れさまです。無事、送り届けられました」
何でもないことのように言うリヒトを、フィユが見上げる。怯えにも似たその眼差しを受けて、リヒトは綺麗な笑みを作って見せた。
「心配いらなかったでしょう、フィユ様」
「どうして……リヒト……」
鏡が問題なく起動したということは、この場にいるどちらかが王家の血を引いているということ。呪文は二人ともが唱えたのだから、それがフィユかどうかはわからない。
震える声で弱々しく問い詰めるフィユを優しい目で見つめ、リヒトは跪く。
「フィユ様。いつかあなたを王女としてお迎えするため、私は全てを捧げて参りました。あなただけが私の王女……私の全てなのです」
「こ、答えになっていないわ。ちゃんと答えて……どうしてわたしなの……?」
色を失って震える細い指先をそっと捕らえ、リヒトはふわりと口づけをした。体の奥で蟠る様々な感情が複雑に混じり合い、フィユは立ち尽くすことしか出来ずにいた。