名を与えるということ
「この子の名前……」
きらきらとしたつぶらな瞳で見つめられ、フィユは優しく撫でながら難しい顔をして、必死に考え込んだ。
公用語とエスペランサ語では、時折発音が似通った語があり、更に同じ音でもそれぞれ意味が違うことがある。公用語で良い意味でも、エスペランサ語ではとんでもないものを表わしたりする場合を考えると、この場に辞書がほしくなってしまう。
「どうしましょう……いまほど自分の浅学を恨んだことはないわ」
「はは、フィユ王女は真面目だな。すぐじゃなくても、じっくり考えてくれればいいさ」
「そうね……そうするわ。後悔はしたくないもの」
名を与えられるということがどれほど重く、そしてうれしいことかを、フィユは知っている。願わくば、遠い地に贈られてきたグライフにも同じ喜びを与えたい。
「わたし、大変なお役目をもらってしまったわ。あなたに喜んでもらえるような名前を、きっと考えてくるから……待っていてね」
澄んだ瞳でフィユを見つめるグライフを見上げて腕を伸ばし、大きな頭を抱きしめると優しく囁いた。フィユの小さな手がグライフの喉を撫でる度、心地よさそうな声が漏れて目を細める。
王女とグライフが戯れる様子を眺めていたデューン王子とツィンは、これまで献上してきた貴族や王族の様子を思い出していた。
グライフは決して飼育が難しい魔獣ではないが、主を選ぶ傾向にある。高潔な魂に頭を垂れる種族とされ、ゆえに献上品として贈られることが多いのだが、その性質が徒となることも稀にだがあった。
贈った先で最も身分が高い人間に懐かず世話役や護衛の騎士に懐くだけならまだしも、拒絶の叫びを上げて飛び立とうと暴れたこともあった。当然、その貴族とは二度と正式な交流が成されることはなくなってしまい、未だ関係は芳しくない。
その貴族もまた、グライフの拒絶を受けたという事実が市井に広まり、民の心が離れてしまう結果を齎した。中には田舎の獣如きに嫌われた程度で貴族のなにがわかるものかと拒絶や噂をものともしない相手も居たが、それでも品の悪い獣を献上しようとしたとしてエスペランサ首長国との交易を途絶えさせる結果は変わらなかった。
他の国で受け入れられた場合も、パレードなどに駆り出されるとき以外は殆ど世話役に任せきりで、フィユほど積極的に関わろうとする者はいなかった。特に貴族令嬢や王女はドレスが汚れることを気にして、グライフの居るところへ近付こうともしなかったのに。
「あなたには空が似合いそうね。国が落ち着いたら、飛ぶところがみたいわ」
腕の中に閉じ込めたまま、目を閉じてしあわせそうに語りかけるフィユを見て、やはり彼女はこれまで見てきた誰とも違うと確信した。高潔な魂を持ちながら魔獣に心を寄せる優しさも持っている。
「フィユ王女、随分気に入ったみたいだな」
「ええ、とても。可愛くて賢くていい子だわ。本当にありがとう」
とろけるような笑みでお礼を言うフィユに、王子もうれしそうに頷いた。公式の会談があったあととは思えない気安い空気は、今後控える王女生活への重圧を少しだけ緩和してくれた。




