故郷のために
暫くしてデューン王子と従者がメイドの案内で部屋を訪った。淑やかに一礼し、椅子を勧めて自分も席に着く。それぞれの傍らにそれぞれの従者がつき、手動と響石二種類での記録係を添えて、会談が始まった。
話題は主に交易についてで、国王が健在だった頃の内容とこれからのすり合わせまでを詰めていく。
エスペランサから差し出されるものは、相変わらず彼の国固有種の獣毛で織られる布と丈夫な糸、それから砂を焼き固めて作る煉瓦などの建材だ。北の港で獲れる肴の加工品も僅かに含まれるが、それは他国でも作られている猟師のための非常食でもあって交易品とするには少々弱い。
グランツクリーゼは交易船を定期船として出す代わりに、エスペランサの地下自然洞で採れる鉱石を新たな交易品に加えることを提案した。
「王女様の国は魔法が盛んなんだったな」
「ええ。そのために必要な鉱石は一応自国にもあるのだけれど、エスペランサにしかない鉱石が交易で手に入るようになれば、一層発展すると思うの」
「で、代わりに水を寄越すってわけか」
砂塵の国エスペランサは、各地に点在するオアシスと地下洞の地底湖にしか水がない。数年に一度の豪雨期に水瓶を並べて水を確保することもあるが、それを頼るにはあまりに不安定だ。ゆえにグランツクリーゼは、自国に潤沢にある水を条件に出した。
「海の水が飲めりゃ、楽なんだけどな」
グライフに乗って大陸を渡るときに見てきた、広大な海を思い浮かべてデューン王子がぼやく。どこまでも続く広大な青。輝く潤沢な水は一見綺麗だが、飲み水には適さない。なぜなら……
「魔素酔いがなければ、わたしもそれを薦めていたのだけれど……」
大陸を囲む海の水には高濃度の魔素が多分に含まれているため、迂闊に口にすれば魔素酔いで幻覚や幻聴、魔力暴走を引き起こして最悪死に至る。たとえ魔法生物でも水の気を持たないものは決して口にしない。
大昔には海の魔素が異様に濃いのは人魚族のせいだとして、人魚狩りが行われたこともあるという。結局は水の大精霊の怒りに触れ、その国のみ雨が全く降らなくなったことで人間の数が無為に減っただけに終わってしまったようだが。その国というのが、砂塵の国エスペランサの前身であることは、子供向けのお伽噺にもなっている有名な話だ。
エスペランサが首長国連邦から首長国になったのも、僅かな水を巡る戦の結果である。歴史書の中でしか知らないフィユと違い、デューン王子はいまでも過去の大戦の残り火を振り払いながら生きているのだ。水に感じる重要度の実感が違う。
「幸い、わたしたちは補い合える関係にあるわ」
「……だな。少しずつでも定期的に水が確保出来るようになったら、いままで水のために張ってた気を別に回すことも可能になる」
壁際に佇む錬金時計を見ると、会談開始から三刻ほどが経っていた。それほど長い時間話していた実感がなかったフィユは、一瞬見間違いかと思って目を丸くした。
「ええと……だいたい煮詰まったかしら」
「ああ。あとは持ち帰ってフェルスに相談したら改めて、だな」
「そうしたらそれを枢機院に提出すればいいのよね?」
フィユが傍らのリヒトを見上げて訊ねると、リヒトは無言のまま頷いた。それを見て、そっと息を吐くと、フィユはテーブルの上に広げられた書類を一纏めにした。
「では、以上に致しましょう。貴重なお時間を頂いてありがとう」
「こちらこそ」
纏めた書類は部屋の隅で待機していた役員へと引き渡され、フィユとデューン王子は、数時間ぶりに堅苦しい空気から解放された。