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Under the Rose~ヒメゴトは氷の薔薇の許で  作者: 宵宮祀花
五幕✿奇跡を謳う花
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知らないことを知る

 部屋に戻り、リヒトの手を借りて客人を迎えるために調えた身形を僅かばかり楽な形に変えると、フィユは窓辺の椅子に腰掛けた。ここからは、アドニスの仕事場である中庭が一望出来る。小さな噴水をガーデンローズの植え込みが取り囲み、視線を上げれば別棟が見える。

 渡り廊下を通っていく別棟は、フィユも入ったことがない場所だ。尖塔が立ち並ぶ庭の先は入ってはいけないと言われているため、渡り廊下にすら近付いたことがない。恐らく使用人たちのプライベートスペースなのだろうと予測しているが、実際のところは誰にも聞いておらず、そして誰も語らないため把握していない。


「あの子の住処ってどうすればいいのかしら……」

「明日、デューン王子に伺ってみては如何でしょう」

「そうね。色々なことを聞いてしまうことになるけれど……知らないままにしておくよりいいわよね」


 窓の下を見下ろすと、アドニスが仕事をしている姿が見えた。リュカントと人の子だと言っていた彼は、人の目を避けているように見える。中庭以外で出会ったことがない上、普段どこでなにをしているかもわからない。


「おや、アドニスですか。もう彼とは会われたのですね」

「え、ええ……中庭は人があまり来ないから、気分転換に訪れていたの」

「然様でございましたか。双子月の日でなければ問題ありませんので、その日は中庭には近付かれませんよう」

「……? 双子月の日はなにかあるの?」


 フィユの問いに、リヒトは「ええ」と短く答えてから書棚へと歩み寄った。棚から本を一冊取り出して中程を開き、フィユの傍らへと戻る。そしてテーブルの上に、給仕をするとき同様の丁寧な仕草で本を置くと一つの挿絵を指差した。

 交易語で書かれた文章に添えられたその挿絵は、狼と二つの望月が並んだものだ。狼は月に向かって吠える仕草をしており、文書の見出しにはリュカントの習性とある。


「リュカントは双子月の夜に一番先祖に近くなる種族です。それはハーフであっても同じこと……アドニスはまだ理性が働くほうですが、それも独りでいるからこそ。フィユ様がお側にいれば……言葉を選ばず申し上げますと、余計な気を遣うことになります」

「それは、知っておかないといけないことだったわね。ありがとう。知らないままに彼を傷つけてしまうところだったわ」


 見開きの隣ページにはリュカントと並ぶほど有名な異人族のことが載っている。人狼のリュカントが森の民と呼ばれているのに対し、この異人種族―――ローレライは海の民と呼ばれており、深海の令嬢や潮騒の歌姫という別名もある。そして、リュカントが男しか産まれないのに対し、こちらは女性型しか存在しない。

 ローレライの歌声は船乗りを惑わせ、海へと呼び込む力がある。それゆえ船乗りたちのあいだでは魔物と同レベルで恐れられている。しかし一方で、ローレライに見初められることは男として優れている証でもあるため一種の誉れであるとも言われており、彼女らの元へ去った仲間が出た日は船上で盛大に祝う風習がある地方も存在するという。


「ねえリヒト、グランツクリーゼの領地には漁港はあまりないのよね?」

「ええ、交易用の大きな港はありますが、漁港は一つしかありません。港の形と深さが、漁をするよりも大型の船を扱うのに向いているのです。漁業が盛んな国はツァルトハイトですね。あちらは漁業の他に、貝殻や珊瑚を使った装飾品も多く作られておりまして……フィユ様のお部屋にもヴァルト様から頂いた、珊瑚を用いた贈り物があるのですよ」

「そうだったの?」


 本から顔を上げてリヒトを見るフィユに、リヒトは目を細めて頷く。

 そして「暫しお待ちを」と告げて側を離れ、キャビネットの上に飾られていた手のひらサイズの箱を持って戻ってきた。薄紅色の箱に金の装飾、蓋の中央には赤い宝石がはめてあり、開くと中は光沢のある布が敷き詰められている。繊細な作りの宝石箱だ。


「こちらは、十三歳になられた際に贈られたものです。彼女は田舎くさいと言って決して飾ったりはしませんでしたが、フィユ様をお迎えするに当たって、勝手ながら宝物庫から取り出して参りました」

「そう……わたしはとても綺麗だと思うのだけれど……」


 宝石一つ、装飾一つとっても、決して安いものでも容易く作れるものでもないだろうとわかる。高級品など見慣れていない孤児の目でも綺麗なものだと思うのに、彼女の目には世界がとても退屈に映っているのではないだろうかと、フィユは寂しく思った。


「……わたしは、知らないことが多すぎるわ。自分のことも、国のことも、皆のことも、なにも知らないんだもの」


 本のページをめくり、ぽつりと呟く。開いたページには異人族という言葉は差別用語として忌避されており、魔法種族、或いはそれぞれの種族名で呼ぶようにと書かれている。また、人狼や人魚など特定の性別しか産まれない特別な種族は、根深い差別意識と人間の活動区域の拡大により住処を追われたために、年々その数を減らしているともある。


「知らないことが多すぎて、なにから学べばいいのかもわからないなんて……」

「ゆっくり、学んで参りましょう。私がお教え致します。……一先ず明日は、グライフのことをデューン王子にお尋ねすることからですね」

「そうね……あの子のことはちゃんと知っておきたいわ」


 本を閉じ、リヒトに手渡す。なにも言わずとも書棚の元あった場所へ戻してから傍らに傅き、リヒトはフィユの「ありがとう」の一言を恭しく受け取った。

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