記憶の中の小さな花
「……なあ、王女様」
デューン王子はフィユの手を取り、両手で包みながら真剣な眼差しで切り出した。
「俺も、フィユって呼んでもいいか?」
「えっ、ええ、それは構わないけれど……」
突然の申し出に驚きながらも頷くと、デューン王子は輝くような笑顔になった。褐色の肌に白い歯と濃い金色の髪が良く映えている。年齢を重ねても屈託のない笑顔はあの頃と全く変わっていない。
「他人と重ねるなんて、王女様にもあの子にも失礼だとは思うんだけど、なんか他人とは思えないんだよな。王女様もあの子も、凄く綺麗な花なんだ。俺にとっては」
「……ありがとう。伝える術があったなら、彼女もきっと喜んだと思うわ」
「だといいな」
小さなフィユの手が、無骨で色黒な王子の手の中にすっぽり包まれていて、彼もまた、ヴァルトやカイムとは違った逞しさを持っている。彼は内紛や賊との戦が絶えない環境で生活しているという。そんな過酷な国の首長になる王子ともなれば、知略も政治も戦闘も出来なければ民を導けないのだろう。
大きな手のひらと衣服の隙間から覗く鍛えられた体、そして微かに見える傷跡が、彼の生き様を表わしていた。
「……っと、悪い。嫁入り前の淑女に気安く触れるもんじゃねえよな」
「い、いえ……気にしないで」
パッと離されたぬくもりを名残惜しく思いながら、フィユは先ほどよりは上手に笑みを作って見せた。だが懐かしい日の記憶に触れたからか、王女としての化けの皮がいまにも剥がれ落ちそうで怖かった。
「フィユ様、そろそろお客様をお部屋にご案内して差し上げる時間です」
そんなフィユの内心を察したかのような頃合いで、リヒトが声をかける。安堵が表情に出ないように努めながら、フィユはリヒトを見上げてからデューン王子を見た。
「……いけない。話しすぎてしまったわ。二人とも、お部屋に案内するわね」
フィユが立ち上がると、くるくるとグライフが喉を鳴らした。呼ばれた気がして、庭のほうを振り返る。すると話し合いが終わって構ってもらえると思ったグライフが、期待に満ちた眼差しでフィユを見つめていた。
挨拶のときに小さく鳴いたのは、もしかしたらデューン王子が緊張しているのを見て、グライフなりに気遣ったのかも知れないとすら思う。実際に場の緊張がほぐれてからは、じっと大人しくしていたのだから。
「あー……フィユ王女、案内ならメイドさん辺りに頼むからさ、ソイツの相手頼むわ」
「そんな、お客様なのに、そういうわけには……」
「いいんだ。ずっといい子で待ってたのに褒美をやらないってなると拗ねちまうから」
「では、私がご案内致します。フィユ様は暫しこちらでお待ちくださいませ」
「ええ、ありがとう。デューン王子も、今日は本当にありがとう」
「おう、また明日な」
デューン王子と従者の案内をリヒトに任せて、フィユはグライフのいる庭へと降りた。構ってもらえると理解したグライフの仕草は大きな雛のようで、高い声と無邪気な仕草でフィユに寄っていく。
孤児だった頃を含めても、初対面のときからこれほど真っ直ぐ好意を向けられたのは、グライフと主人であるデューン王子くらいのものだ。リヒトの感情を好意と言ってしまうことに抵抗があるのは、彼の思惑が読み切れないせいもある。
ともかくいまは、この大きな雛にたくさんご褒美をあげようと、手を伸ばした。