野に咲く花の記憶
「フィユ様、お席が調いました」
「わかったわ」
リヒトに答えると、フィユはグライフを撫でながら王子に向き直った。
「案内するわ。どうぞ、こちらへ」
本来なら魔獣は表に繋いで、王子たちには城内を案内しながら広間へ通す予定だった。しかしフィユが少しでも離れようものなら、グライフが親兄弟と引き裂かれるかのような声で鳴くため、やむなく城の外周を彩る庭園を案内しつつテラスを目指した。
道中すれ違った使用人たちが、グライフが庭園を闊歩しているのを見るや、驚きながら慌てて道をあけていく。あの鋭い爪で襲いかかられれば怪我では済まないと理解しているためだ。
「急だったのに、綺麗に調えてもらえたのね。あとでお礼をしないと」
テラスは即席会場にしてはしっかり調えられており、フィユはまず王子を席に促した。フィユの傍らにはリヒトが、デューン王子の傍らには従者のツィンがそれぞれつく。
それから形式張った挨拶を交わすが、その度にグライフが相槌のように小さく鳴くのでフィユも王子も笑ってしまい、形にもならなかった。
「ふ……ふふ、ごめんなさい、遠方からのお客様なのに、挨拶も出来なくて……」
「いや、もういいんじゃねえかな……土産がここまで主張してくるとは思わなかったし」
「お土産……?」
首を傾げるフィユに、デューン王子はグライフを見上げながら答える。
「ああ。グライフは王女様への献上品として連れてきたんだ。うちで一番毛並みが良くて賢いヤツをな」
「そうだったの……」
大きすぎてテラスに入れなかったグライフは、すぐ傍の庭園でお行儀よくお座りをしてフィユたちを見守っている。陽光にきらめく丸い瞳を見上げて、フィユは眩しそうに目を細めながら笑いかけた。
「そういや王女様、うちに送ってきた手紙だけど、誰が書いたんだ?」
「手紙って……招待状も兼ねた、あのお手紙よね?」
「おう。エスペランサ語まで添えてあったから、城で雇ってる通訳の人にでも書かせたんだろうと思ってたんだけど」
「あれは……リヒトに言葉を教わりながらだけれど、わたしが書いたの」
恥ずかしそうに言うフィユを、デューン王子とツィンは目を丸くして見つめた。まさかあの我儘王女と悪名高いグランツクリーゼ王女が、辺境の小国王子相手にわざわざ自分で手紙を書くとは思ってもみなかったのだ。
目の前の王女は果たして本当にあの王女なのかと、二人の顔にはっきり書かれている。
「あの……もしかして、手紙になにか失礼があったのかしら……? エスペランサ語とは文法が違うから、自信がなくて……」
申し訳なさそうに言うフィユを見、デューン王子はハッとして首を振った。
「い、いやっ、全然! 寧ろ記憶喪失になってから教わったってんなら短期間であんだけ習得したってことだろ? 凄いと思うぜ」
「本当……? 良かった……」
心からの安堵の笑みを浮かべたフィユに、デューン王子は思わず見入ってしまった。
やわらかく、花が綻ぶような、優しい表情。噂に聞く印象とはあまりにも違う。現に、純粋なものにのみ心を開くグライフが、あれほど懐いているのだ。もしも王女が噂通りの人物なら、目の前に立っただけで拒絶の叫びや爪の餌食になっていたはずである。
フィユの笑顔を見たとき、デューン王子の脳裏にある一人の少女が浮かんでいた。その少女の名は――……




