雑草という名の花はなく
脱いでみてわかったことだが、フィユのドレスは表面だけでなく中に幾層も重ねられた生地にまで果実酒が染み込んでしまっていた。
フィユの好きなガーネットベリーはとても色が濃く、調理の際に防水加工をしていない木製の器などを使うと、それも染め抜いてしまうほどだという。焼き菓子屋などベリーを多く使う店では、このベリーのためだけにヴォルフラート王国の高度な錬金技術を用いた調理器具を使うこともあるという。
「……こちらは、私が洗濯場に出しておきます」
「大丈夫……? ずいぶんと染みてしまっているみたいだけれど……」
「ええ。……王女様は、どうかお気になさらず」
洗濯をしても落ちないかも知れないと内心落ち込むが、メイドは口には出さずに曖昧に微笑んでドレスを一抱えもある大きな籠に入れた。これは最悪、果実染めにして別の色のドレスにするしかなさそうだと思いつつ、メイドは話を逸らそうと思考を巡らせた。
「あの、王女様……一つお伺いしても宜しいでしょうか」
着つけの最中、メイドのジェーンは暫く逡巡したのちに勇気を振り絞って口を開いた。この場に先輩メイドがいたなら「無駄口を利かない」と叱られていただろうが、この場にいるのはジェーンと同輩のメイドが一人いるだけだ。
「ええ、なにかしら」
以前の王女なら「下賤のメイド風情が」から始まって、誰かしらが泣くまで責められていたところだ。それなのにフィユは、責めるどころか先を促して話すのを待っている。
「思い上がりでしたら申し訳ないのですが、もしや我々メイドの名を全て覚えておいででいらっしゃるのですか……?」
「そうね……時間はかかったけれど、教えてもらえた人は覚えることが出来たわ。誰よりお世話になる人たちだもの、皆ひとまとめの呼び方では失礼だと思って」
ジェーンに答えると、フィユはもう一人のメイドのほうを見て微笑み、
「あなたはヘレナよね。甘い果実を見分けるのがとても得意だと聞いたわ」
と言った。
それを聞いたヘレナは両手で口元を覆い、雀斑の散った頬を涙で濡らした。その様子に驚いたのはフィユのほうで、慌ててハンカチでヘレナの頬を拭う。
「ごめんなさい、人違いだったかしら」
ヘレナは答えようにも声が出ない様子で、何度も首を横に振った。代わりにジェーンが怖ず怖ずと口を開く。
「僭越ながら、ヘレナは名前だけでなくそこまで王女様に見知り置いて頂いていることがうれしいのです」
ジェーンの言葉に、今度はヘレナの首が縦に振られる。カフス部分で乱暴に涙を拭い、ヘレナは夕陽色の巻き毛が乱れるのも構わず、思い切り深々と頭を下げた。
「王女様の前でとんだ失礼を致しました!」
「わたしは気にしていないわ。それより、着替えをありがとう」
フィユがふわりと微笑んで二人に礼を言うと、メイドたちは涙の痕が残った顔のまま、花が咲くような笑顔で頭を下げた。