摘み取られた花
そうこうしているうちに足音の主はあっという間に少女を取り囲み、集団の中でも一番権力がありそうな甲冑姿の男が一歩前へ進み出た。顔は見えないが、兜の隙間から綺麗な銀の髪が覗いている。
「こんなところにいらしたのですか、王女様。さ、皆が心配しております。すぐにお戻りください」
「え…………あ、の……」
「いかがなさいました?」
「あ……っ、ええと……あの、記憶喪失って……それに、指輪も……わたし……」
混乱するあまりに断片的な言葉しか紡げず、かろうじて指輪を見せることは出来たが、それだけだった。
それを目にした男は一瞬目を見開き、そして安堵の表情を浮かべた。少女からは表情の変化は一切見えなかったが、甲冑の奥からホッとしたような吐息が漏れていた。
「記憶が……いえ、なによりもまず王女様のお体がご無事でなによりです。御身は勿論のこと、賊に指輪を盗まれなかったことは奇跡と言えましょう」
どうやら誤解されたようだと気付いて口を開きかけるが、それよりも先に、男が少女の首に指輪をかけながら続けた。
「どうか、なにも仰らないでください。王城の外を全くご存知なかったのですから、誰も王女様を責めたりは致しません」
物腰丁寧ながらも若干強引な物言いの男は、王国騎士団の団長で、名をアハトという。王城とは全く縁のない少女の耳にすら噂くらいは届くほどの人物で、並ぶ者のない剣術と槍術でもって王家を堅牢に守護しているという。
「ああ、靴をなくされたのですね。皆、先に戻り、馬車の用意を」
「はっ!」
周りの騎士たちに指示を出すと、団長は少女の前に屈んで声を潜めた。
「なにがあったのかは聞きません。あなたもどうか仰らないでください。それは、王家に伝わる婚姻の印……証明する術がない以上、あなたが真実を口にしたところで盗人と判断されるでしょう」
「それは……」
「巻き込まれた形で理不尽でしょうが、処刑を免れるためと思って、どうか私に協力してください。……さあ、参りましょう」
ぼろを着て手枷をつけ、首から明らかに分不相応な宝石を提げた少女を、まるで本物のお姫様にするかのように恭しく横抱きにして、悠々と路地を抜けていく。細い裏路地から出ると、そこは街の外れだった。白と金の豪奢な馬車が留まっており、当然の如く少女を中へと座らせると。団長も隣に座った。
「手枷の鍵は……ああ、良かった。お持ちでしたか。もし奴隷商に売られたあとだったら捜索の範囲を国外まで広げなければいけなくなるところでした。そうなれば恐らく、更に時間がかかっていたことでしょう」
他の団員がいるからか、騎士団長は王女に対する口調で少女に話しかける。
馬車が動き出すと団長は少女が手にしていた小さな鍵を受け取り、枷を外した。まさかその奴隷商に捕まっていたところを、恐らくは本物の王女に買われたところだったなどと言ったところで信じてもらえるかどうか。そして信じてもらえたとして、その後の自分がどうなるかも、彼の言う通り知れたものではない。
「さぞお辛かったことでしょう……なにがあったかは伺いませんが、多くの者が王女様を心配しております。落ち着かれましたら、皆に元気なお顔を見せて差し上げてください」
口調も声音も表情も優しいがどこか有無を言わせない雰囲気を感じ、少女はじっと押し黙った。
協力と言われたが、なにをすればいいのかわからない以上、下手なことを言わずにいたほうがいいだろうと、少女はひたすら俯いて馬車に揺られていた。
(ずっと、つらいことしかなかったけど、罪人としてでもこんな綺麗な馬車に乗れたのは良かったのかな……こんな綺麗な乗物、一生縁なんてないものだし……最期くらいはって神様が哀れんでくれたのかも……)
もしも自分が王女でないと知られたら、良くて火炙り。あるいは、どこでどんな経緯で手に入れたか、尋問されるに違いない。
間もなく王城が見えてこようかというところで、騎士団長が静かに口を開いた。
「ご安心ください。なにも心配はいりません。全て私にお任せください」
その言葉の真意を問う勇気は、少女にはなかった。ろくに知識や教養がない少女でも、盗人がどんな目に遭うかくらいは理解出来る。
いまの少女も、どう好意的に見ても薄汚い孤児が宝石を盗んだところにしか見えない。しかし彼の真っ直ぐな眼差しに、少女は思わず頷いてしまっていた。
少女の反応に、団長は満足げに微笑み「間もなくです」と告げた。
窓の外の風景が、見たこともない景色に変わっている。白い城壁に、見事に整えられた生け垣。それらは外敵から城を守るためというより、王の権威を示すため、或いは単純に装飾のため築かれているような荘厳な作りをしていた。
その奥には目が眩みそうな王城が構えていて、少女は内心で覚悟を決めた。