棘無き花の小さな針
「その……魂、って……どういうことなの……?」
困惑するフィユに、跪いたままでレダは続ける。
「これは、私の一族にのみ伝わる、忠誠の証にございます。王女様が私を不要と思われた際は、結びつけられた髪をこの短剣で断ち切ってください」
「これ……あなたの髪だったの……」
よく見れば、後頭部で纏められていたレダの髪はすっかり短くなっている。剣の根元に結びつけられた艶やかな黒い紐は、切り落とされたレダの髪だった。
「でも、どうして……? わたしは、あなたの家族を……」
「救ってくださった恩人です」
きっぱりと言い切られ、フィユは言葉を失った。まるで確信している物言いに、喉から言い訳の一つすら出てこなくなってしまい、息を飲む。
「私はなにも問いません。なにも知りません。ただ、あなたにお仕えしたいのです」
あなたに、というレダの言葉の裏には、あの王女ではなく、と隠れているようだった。レダは間違いなくフィユを別人と確信している。理解している。その上でそしらぬふりをして、フィユに仕えようというのだ。
「少々狡い言い方になりますが、リヒト様にフィユ様の元を尋ねる許可は得ております。勿論、この剣を捧げることも、その意味も全て、あの方はご存知です」
レダの言葉も、眼差しも、真剣そのものだ。都合良く、自分のしたことに関する記憶を失った憎い王女ではなく、別の誰かだと確信している。だがそうだとして、ここまで深い忠誠を抱かれるほどのことをした覚えは無い。家族のことも、王女がしたことを思えば、あの場でフィユが出来る最低限にして精一杯の後始末をしただけだ。
「どうして……どうして、そこまで……」
「……私が無様を晒したとき、紅い瞳をご覧になったでしょう」
「えっ、ええ……そういえば、あなたはフロイトシャフトの民だと思っていたわ」
記憶を辿ってみても、あのとき泣き叫んでいたレダの目は間違いようもなく紅かった。だがいまフィユを見上げる冷静な目は、フロイトシャフトの特徴を持つ紫色をしている。
「私の一族は、フロイトシャフトの流れを汲んでいるため、彼の民と同様の特徴を持っておりますが、感情の変化で瞳が紅色に染まるのです。幼少期は中間のような赤紫色をしていて、徐々に紫に落ち着いていきます」
「そう……確か、リディの目もそうだったわね。わたしの好きな結晶糖にも似た、綺麗な朝焼けの色だったわ」
フィユが、うれしそうに花冠をかぶせてくれたリディの煌めく瞳の色を思い出しながらそう言うと、レダの目が僅かに見開かれた。驚いたようにも見える表情はすぐに和らぎ、緩んだ表情を隠すかのように頭を下げた。
「そして、なによりの特徴は、生涯に一人の主に仕える、影の一族であること……一定の年齢になると主を見極めるため、必ずどこかで使用人として働く習わしがあります」
レダは胸に抱いていた短剣を献上するように両手で捧げ持つと、改めて乞うた。
「王女様……差し出がましい願いだとは存じております。ですがどうか、私の魂をお側に置いてくださいませ」
切り落とした髪と、銀色に輝く短剣。一族に伝わる、生涯をかけた祈りの結晶。それは決して軽い気持ちで手にしていいものではないはず。
だが、これまでの話を聞く限りでは、偽りの王女であることを知っていてなお、レダはフィユに魂を捧げようと言うのだ。