林立する花束の如く
部屋に戻ってもまだ療養中で公務があるわけではないフィユは、ぼんやりと外を眺めていた。丁度入れ違いで庭師の仕事時間になったらしく、生け垣を整える姿が見える。
フィユを部屋に送り届けたメイドは終始怯えていてあまりにも憐れだったため、濡れたドレスを着替えたかったが、頼むことが出来なかった。部屋につくなり、下がっていいと言ったときの表情は、安堵と困惑が入り混じった複雑なものだった。
「どうしましょう……このままではお部屋を汚してしまうわよね……」
城門前でしゃがんでしまったせいで、ドレスの裾は濡れて色が変わってしまい、ひどい有様だった。ここまで来るあいだにすれ違ったメイドの目が、驚愕に見開かれていたのを思い出すだけで恥ずかしくなる。
王女として振る舞うようになって多少日にちが経ったとはいえ、路地裏暮らしの所作がそう簡単に消えてなくなるわけではないようだ。気をつけていないと、庶民であることが仕草の端々から滲んで、バレてしまいかねない。記憶喪失という言い訳だけではどうにも誤魔化しきれない事態が、絶対ないとも言い切れないのだから。
「……これは……どこからが一着のドレスなのかしら……」
試しにクローゼットを開けてはみたものの、手に取ることすら躊躇われる上等な生地の集まりに気後れしてしまった。しかも色味が近いものが並んでいるため、どこからどんな形のドレスが下がっているのかすら判別がつかない。
仮に一着選び出せたとして、複雑怪奇な作りのドレスは見ているだけでも溺れそうで、自力で脱ぐことすら出来ないと確信出来てしまった。
「わたし、なにをしているのかしら……リヒトがいないとなにもできないのね」
わかっていたことだが、改めて痛感すると情けなさが倍増する。
濡れたドレスでこれ以上部屋を彷徨くわけにもいかないので、仕方なくクローゼットの前でじっとしていると、背後で控えめに扉をノックする音がした。
「……! どなた……?」
慌ててクローゼットの扉を閉め、応答の声を扉にかける。来客だったらどうしようと、今更焦りが湧いてきた。
「王女様、お召し替えに参りました」
が、扉越しに聞こえた声は、レダだった。フィユと大差ない年齢にしては少年のように低く威圧感のある、特徴的な声。ただ聞くだけで彼女の鋭い眼差しを思い出すほどには、レダの声は印象的だった。
「入って頂戴」
「失礼致します」
折り目正しい所作で入ってきたのはやはりレダで、その手には、白い布で包んだ細長いものがある。気にはなるが、レダはそれをエプロンの腰紐に挟んで着替えを始めたため、訊くタイミングを逃してしまった。
代わりに、地下でレダとその家族を見送ってから聞くに聞けなかったことを問うことにした。
「リディは、もう大丈夫なのよね……?」
「はい。お陰様で快癒致しました」
それを聞いて、一先ず安堵の息を吐いた。子供は一見元気そうでもちょっとした不調は気付いていないだけということもあると、記憶のどこかに引っかかっていたので、元気な姿を見てもまだ少し心配だったのだ。
「ご両親も、ずっとあの場所にいたせいで体調を崩していたりは……」
「ご心配には及びません。リヒト様が馬車を手配してくださいましたので、明日の朝には故郷に帰れるそうです」
「そう……良かったわ」
良かったなどと、どの口が言うのかと我ながら嫌になる。抑々彼らがあのような場所で身を縮めていなければならなかった原因は、王女に……自分にあるというのに。
俯くフィユの横顔を、手際よく着付けながらレダが思案深げな顔で見つめていた。