祈りの果て
メイドとその家族の出来事から、フィユは人のいない時間帯を見計らって、中庭にいることが増えた。元々この静かな空間は好きだったが、庭師の青年と遭遇したあとは仕事の邪魔にならないよう少しだけ足が遠のいていたのだ。
「……良かった、いまは仕事の時間じゃないみたい」
小さな噴水に腰掛け、生け垣に囲まれた空間で息を吐くあいだだけは城の息苦しさから僅かに解放される心地だった。
あれから、彼らがどうなったのか、リヒトはなにも言わない。幼いリディが熱に負けてしまっていたらと思うと、それだけで涙が溢れそうになる。だがそれを表に出すことは、王女である以上赦されない。己の所業を覚えていないのに罪悪感に襲われるなど、矛盾もいいところ。なにより胸を痛める素振りを見せれば、リディの姉である彼女は元凶である王女を憎みきれなくなってしまうだろうから。
街にいた頃のフィユは、存在しないも同然だった。名も無き石ころに意識を向ける人はそういない。誰かから感情を向けられることがこんなにも苦しいことだとは、あのときの自分は想像もしなかった。
「無事だと良いのだけれど……」
人がいないところでだけ、フィユはフィユでいられる。素直な心のまま、幼いリディを案じることが出来る。罪もないのに牢に入れられた家族たちを想うことが出来る。なにも落ち度がないのに罪を作り上げられ、家族を穢されたメイドに懺悔することが出来る。
どれくらいそうしていただろうか。
フィユの周りを一陣の風が吹き抜け、長い髪を悪戯に乱した。水の傍にいたせいか少し体が冷えたようで、小さく身震いをする。
「……戻らなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟いてから顔を上げ、静かに立ち上がる。と、城の中から、あのメイドが姿を現した。後頭部で一つに纏めた長い黒髪と意志の強そうな紫色の瞳は、どれほど時が経とうと忘れようもない。
メイドはスカートを摘まんで優雅に一礼すると、少女にしては低い声で語りかけた。
「失礼致します。王女様にお目通りをと申している者がおります」
「わたしに……?」
王女の評判は、国内外問わず轟いているはず。メイドですら寄りつかない王女の元に、わざわざ城外から来客があるのはカイムが記憶喪失の噂を聞きつけて様子を見に来たとき以来のことだ。
「はい。表立って謁見を願える身分の者ではないため城の西門前で待たせておりますが、いかが致しましょう」
しかも今回は彼のように正面から尋ねてくる身分の者ではないという。尚更心当たりがなく不安になるが、なぜか行かなければという思いが胸に灯り、フィユを困惑させた。
「……案内してくれるかしら」
少し考えてからフィユが答えると、メイドは「こちらへ」と告げて静かに歩き出した。
西門は王都の裏手に通じる長い坂がある場所で、道は細く曲がりくねっている。王城の裏手ではあるものの、すぐ傍には王国騎士団詰め所もあり、集団で攻め込むには向かない作りだ。ならば単独で忍び込むなら容易かというとそうでもなく、普段人通りがないため一人でも誰かが来れば監視している騎士の目に留まる。
ここを利用するのは、騎士に懸想した娘がこっそり手紙を置くときか、メイドに想いを寄せる男が花を贈るときなど、王家に仇為すつもりは更々ないが、多少人目を憚る用事のときくらいのものだ。
いったいそんな場所に、よりにもよって誰が王女に用を届けに来るというのか。疑問に思いながらも、会えばわかるだろうと黙ってついていった。
「どうぞ」
メイドが扉を開け、フィユを促す。外に出ることは出来ないため扉の近くまで行くと、壁の陰から小さな影が進み出た。