傷には祈りを
「いえ、迷っているあいだにも、リディは……」
やはりいまからでも隣国まで会いに行くべきだと顔を上げたとき、扉を軽くノックする音が響いた。
「フィユ、いるのかい?」
「ヴァルト……!?」
思いも寄らない声がして、フィユは思わず驚いた声を上げてしまった。
「ええと……入ってもへいきかな」
「ええ、お願い」
応答すると扉が開き、想像通りの人物が入ってきた。ヴァルトは真っ直ぐフィユの元に来ると、まず砂にまみれているフィユのドレスを払った。
「先ほど帰ろうとしたらアハトに呼び止められて、とにかく向かって欲しいとこの場所を教えられたから来てみたけれど……いったいなにがあったのかな」
「説明はあとでするわ。ねえヴァルト、この子の怪我、治せないかしら……?」
ヴァルトは何事かわからないなりに緊急事態だと察して、フィユの視線の先で横たわる子供を見下ろした。医師からの説明を受けると、そっと苦しげに上下する胸に手を触れ、目を閉じた。暫くそうしてから目を開き、フィユに「大丈夫」と笑いかけた。
「少し集中するから、待っていてね」
「ええ……」
祈るような気持ちで、ヴァルトを見守る。
埃っぽく土の匂いが充満する室内を、爽やかな草原の風が吹き抜けたかと思うと、荒い呼吸音が静かになった。まだ熱は下がっていないため油断は出来ないが、元の原因である骨折と体内の傷が塞がったことで、徐々に体力を戻していくことが出来るようになった。
「……ふぅ。もう大丈夫だよ。怪我は治した」
「あ……ありがとう、ヴァルト……」
「おっと、大丈夫かい? 君のほうがふらふらじゃないか」
力が抜けて崩れかけたフィユを、ヴァルトが支えた。肩を抱き、背中を撫でながら声をかけるヴァルトに、フィユは小さく頷いてからそっと息を吐いた。安心したら力が抜けてしまったようで、支えてもらわないと立っていられそうにない。
ヴァルトの優しさに甘えたまま、フィユはリヒトを振り向いた。
「彼らは、ここで働いているわけではないのよね……?」
「ええ。シェルフィーユ様の目を逃れるため、ここに隠されていただけです」
「なら、もうその必要は無いわ。宿の手配をして頂戴」
「畏まりました」
リヒトが退室すると、今度は医師に視線を移す。医師もまた目の前で起きている光景が信じられない様子で、呆気にとられた顔をしていた。
「リディは、お医者様のところにいたほうがいいのかしら」
「い、いえ、あとは薬湯を与え、静かに療養するだけで回復するはずでございます。この薬草を煎じて飲ませれば……ただ、少々苦みが強いので、幼子には酷ではありますが」
そう言い、医師は解熱に使う薬草を差し出した。その手は微かに震えている。フィユが薬草を受け取った瞬間でさえ、手がビクリと跳ねたのがはっきり見えてしまった。
「ありがとう。急に呼びつけてしまってごめんなさい」
医師はフィユに深々と一礼すると、半ば逃げるように去って行った。仕方ないこととはいえ、やはり化物でも見たかのような態度を取られると哀しくなる。自分の行いが原因であるならいくらでも非難を受けるが、そうではないのだから。
王女の目に、世界はどんなふうに映っているのだろう。
メイド一家の怯えた眼差しを受けながら、フィユはとりとめもなくそう思った。