花には水を
「ごめんなさい……こんなことしか出来なくて……」
意識を集中し、リディの頬に手のひら大の水球を押し当てる。
服や体を濡らしてはいけない。これ以上、体調を崩す要因を作ってはいけない。ただ、火照った体を少しでも冷やして医者が来るまで持ちこたえられるようにするだけ。
これが無力な自分に出来る、唯一の償いだ。
リディの両親も、メイドも、いまこの室内で起こっている出来事が理解出来なかった。抑々彼らは王女の病気――真相は入れ替わりだが――すらも知らないのだ。態度や性格が真逆になっていることが、己の目で見てもまだ信じられなかった。
(どうして……魔法なんか使ってまで……なにを考えているの……? 私たちにこれ以上なにをさせようというの……?)
両親の位置からは見えないが、斜め後ろに座り込んでいたメイドの目には、はっきりと王女が魔法を使っている様子が映っている。
魔法は、己の力一つでどうとでもなるような、万能の力ではない。術者の魔力と魔素を組み合わせ、理を正しく理解した上で魔力を練り上げ、発動する。意志が少しでも歪めば発動する結果もまた歪んでしまう。
フィユがいま使っている魔法も同様、少しでもリディに対する害意があれば、水の珠は刃となって幼い体を傷つけていることだろう。
「わたしにも、治癒術の心得があれば良かったのだけれど……」
ぽつりと、心の声が零れて落ちた。
ヴァルトは「これくらいしか出来ない」と卑下していたが、抑々治癒術は魔法の中でも上位に位置する魔法である。一歩間違えば傷が却って広がったり、傷ついた部位が余分に生えたり、体組織が暴走したかのように体が膨れ上がり、異形と化すこともある。
それを、寸分の狂いもなく癒やせる彼は、人の痛みに寄り添う心が誰よりも強いということ。本来なら、姫王子などと揶揄される謂れはないはずなのだ。
リディの体を冷やしながら待っていると、背後の扉が開いて王都に勤める医師を伴ったリヒトが戻ってきた。医師はあの王女がこの場にいることに驚くが、それ以前に、王女の傍にいる子供の容態に目を瞠った。
「お医者様……リディを、助けてあげてください」
静かに呟きながらフィユが場所を空けると、そこに医師がついた。
医師の表情は困惑と恐怖が濃く滲んでいたが、それよりも目の前で苦しんでいる幼子を診るべきだと意識を切り替え、集中する。慎重に診察したところ、リディは胸の骨を複数折っており、それが体内を傷つけていることで高熱が出ているようだった。
「これは……まず治癒術で怪我を癒し、その後薬草で熱を下げる必要があります。薬草はこの場にありますが、私は治癒術に心得はありませんので……」
「っ、治癒術は、わたしも……」
いまこの場でフィユに出来ることは、大気の精霊に語りかけて天の恵みを分けてもらうことくらい。体を少し冷やしたり開いている傷口を洗うことは出来ても、体の中に隠れている傷を癒すことは出来ない。
治癒術と聞いて思い当たる人は、一人だけいる。けれど彼は自国に帰ると言っていた。いまから彼を呼びに走って間に合うだろうか。焦りだけが渦巻き、痛みを伴ってフィユを襲っていた。




