突き刺さる罪の棘
赤い頬に、微かに残る血の跡。乾燥した場所に放置され続けたせいで唇は乾き、幼子の持つやわらかさや色艶はすっかり失われていた。
いま自分に出来ることはなにかを考え、フィユはリヒトを振り向いた。
「リヒト、この子を医者に診せることは出来ないの……?」
「フィユ様が望まれるのであれば、可能です」
フィユの言葉とリヒトの答えを、メイドたちは暫くのあいだ理解出来ない様子でいた。どれほどの時間呆然としていただろうか。メイドがそろりと顔を上げると、視線の先には泣きそうな顔でリヒトを見つめる『性悪王女』がいた。
なにが起きてあの王女がこんなしおらしい態度を取っているのか、メイドは知らない。王女が家出まがいの騒動を起こしたことも、騎士団長が連れ戻したときには記憶を失っていたということも、あれからずっとここに匿われていた彼らは、なにも知らない。
「あ……あなたが! 全て王女様がしたことではありませんか!」
感情がぐちゃぐちゃになり、熱い涙が溢れてきて、メイドは思わず金切り声を上げた。もう自分や家族がどんな目に遭わされるかを冷静に考えられる理性は残っていなかった。
何の罪も犯していない家族を牢に入れ、妹を踏みつけ、挙げ句にゴミと言って嘲笑っておきながら、今更善人ぶってなにがしたいのか。希望を見せたあと覆すことでまた馬鹿にするつもりなのか。ああ、そうだ。きっとそうに違いない。医者を呼びつけて、妹の命を手玉に取りながら、屈辱的なことをさせるつもりなのだ。
メイドの脳内には、最早これから受けるであろう、劣悪な想像しかなかった。
「私はただ、王女様に頭を下げていただけでしたのに! ただそこにいただけで苛つくと花瓶を投げつけて……っ、花瓶を買い直すことが出来ないなら出て行けと……なのに……今更どういうおつもりなのですか!」
涙でぼろぼろになった顔で叫ぶメイドの勢いに、フィユはただ気圧されていた。彼女の言葉が真実なら、この幼子はただの八つ当たりでこれほど苦しんでいる。――――いや、真実ならなどという逃げ道は必要ない。なにもかもが真実で、王女は苛立ちの矛先を力の弱いメイドに向け、更に家族を危険に晒したまま、全てを放棄して逃げたのだ。
メイドの紅い瞳が、フィユの心を焼き尽くさんばかりの勢いで引き裂いていく。
「リヒト……医者の手配を」
フィユは痛む胸を押さえながら、リヒトを真っ直ぐに見つめて言った。
「畏まりました。……フィユ様は」
「ここに残るわ」
「……では、すぐに戻ります」
最後の言葉は、主に家族へ向けたものだった。王女になにかあれば赦さないと、牽制の意味が多分に含まれていた。そのことに気付いたのは両親だけだが、メイドも散々叫んだあとは最早処刑台に送られるのみだと思っているらしく、俯いて泣き続けている。
フィユは苦しげな幼子に向き直ると、寝台の傍らに膝をついた。そのことに両親は目を見開いたが、声にすることが出来ない様子でただ見つめていた。
「この子の名を、教えてもらえるかしら」
「え……?」
困惑の声を漏らしたのは、母親だった。なにを訊かれたのかわからないといった様子で暫し呆然としていたが、ハッとして地に伏せた。
「り……リディと、申します」
母親の言葉を聞き、フィユは細い声で祈りの言葉を呟くと、右手の中に小さな水の珠を生み出した。フィユの手の中にも収まるその水をリディの頬に当てると、苦しげな表情が僅かに和らいで、薄く目を開けた。
「リディ……いまお医者様がくるわ。もう少しだけ、がんばってちょうだ……」
「ごめ……なさ……」
フィユの言葉を遮って、リディは震える唇から掠れた声を漏らした。目の端からは涙が零れ、こめかみへと伝い落ちていく。
「い、ぃこ……に、する……から…………も、ぅ……泣か、な……から……」
「……いいのよ、そんなことは気にしないで。あなたは十分いい子だわ。だから、いまは喋らないで……お医者様を待ちましょうね」
リディはうれしそうに微笑むと、再び意識を失った。