忠義の矛先
「お食事が済みましたらお召し替えを致しましょう」
スッと立ち上がって手を差し伸べる仕草は瀟洒な執事そのものだというのに、リヒトはフィユが食事をするときだけあのような狂気を露わにする。彼がなにを望んでいるのか、フィユにはわからない。知ってしまうのが恐ろしい。けれどフィユがその真意を知らずにいたとしても、彼は構わず望みを叶えるのだろう。
氷の足枷は荊の鎖で以て玉座へと繋がっている。少しずつ手繰り寄せられているのを、日々感じずにはいられない。
「さあフィユ様、こちらへ」
「あなたが着替えを……?」
「ええ。この程度わざわざメイドを呼びつけるほどでもないでしょう。それとも、私では不服がおありですか?」
「い……いえ、そんなことは……」
差し伸べられた手を取り、クローゼットの傍へと向かう。パーティなど正式な場で着るような豪奢なドレスは専用の衣装部屋にしまわれているが、フィユの事情を鑑みて、普段身につけるものは部屋に置かれているのだ。
「失礼致します」
一言声をかけてから背後に立ち、リヒトの手が丁寧に衣服をほどいていく。やわらかな布が八重咲きの花のように折り重なったドレスから解放されると、着ていたときには然程感じなかった重みが取り払われる心地がして、体が軽くなった。
「慣れませんか」
「……まだ、少し」
無意識のうちに溜息を吐いてしまっていたらしい。器用に新たなドレスを纏わせながらリヒトが訊ねる。フィユはこれまで薄い布をかろうじて縫い合わせた程度のものしか着ていなかったというのに、あの日を境に自分で脱ぎ着することさえ出来ないようなドレスを着る羽目になったのだから、無理もない。リヒトもそれを理解して、人前に出る用がない日は軽いドレスを選んで着せていた。
「良くお似合いですよ、フィユ様」
着付けを終えるとリヒトはフィユの正面に跪き、金の長い髪を一筋指先で救うと、唇を寄せて囁いた。
「どうしてかしら……あなたが言うと皮肉に聞こえるわ」
「いいえ、本心でございます。あなたこそが、あなただけが私の王女なのですから」
「それが……わたしにはわからないの……どうしてわたしなの……? わたしは偶然あの場にいて、金髪だったというだけでいまここにいるのに……」
ふっと、リヒトが意味深な笑みを浮かべた。
「……そうですね。全ては運命の悪戯です。それよりフィユ様、お食事の際にお伺いしたことへのお答えを頂いておりませんが」
含みのある言い方だが、その真意を語る気はないらしい。代わりにリヒトは、フィユに食事の際に訊ねたことを改めて問うた。動揺したことで有耶無耶になっていたが、忘れていなかったようだ。
「そ……それって、ヴァルトのこと……?」
「ええ。わかりやすく態度が変化されておりますので、なにかあったのではと」
「大したことでは……それに、わたしにも彼の考えていることまではわからないもの……勝手な想像でヴァルトの心を話すわけにはいかないわ」
「確かに。それもそうですね。出過ぎた真似を致しました」
重ねて訊ねたわりにはあっさりと納得し、リヒトは恭しく一礼してから立ち上がった。
すんなりと伸びた手足が描く所作は指先まで完璧で、城の暮らしにいつまでも慣れないフィユを、呆れも嫌がりもせずに支え続けている姿は非の打ち所がないというのに、唯一彼の奇妙な妄執にだけは、恐ろしささえ覚える。彼の言葉を聞いていると、自分が金髪で生まれてきたことさえ抗いようのない運命に仕組まれていたのではと錯覚してしまう。
商人は、金髪は珍しいと言っていた。多くの『商品』を見てきた彼が言うなら、それは真実なのだろう。だが、それだけだ。そのはずなのに、フィユに指輪を押しつけて去った少女の姿を思う度、胸に言いようのない不安が渦巻くのを感じる。
「あなたの望みはわからないけれど、もしこの国が良い方向に行くのなら、わたしは……どうせ本来のわたしなんて、誰にも望まれない孤児だもの」
目を伏せ、諦念と悲哀を映した表情で小さく呟くフィユの手を取ると、リヒトは指先に唇を寄せた。
「フィユ様はどうかそのまま、私の王女としてあり続けてください。これからもずっと、ずっと、私だけはフィユ様のお側に……」
本当にこのまま皆を騙し通して王女に成り代わってやろうなどと、大それたことはまだフィユには決意できそうにない。ただ、リヒトの正体不明の狂気はさておき、彼の言葉は真実だと思えてならなかった。




