氷の荊は咲かず佇む
口づけをされたときから、ヴァルトの態度が妙に余所余所しい。
決してフィユに触れようとせず、ならばとフィユから彼に近付こうとしてもやんわりと遠ざけて逃げていく。
あの口づけは、やはり誤りだったのか。あの行動に至った想いも全て忘れて、なかったことにしてしまおうというのか。避けられているフィユには、確かめる術もなかった。
「フィユ様、ヴァルト様となにかありましたか」
「えっ……」
そんな日の午餐時。いつも通り部屋でリヒトにテーブルマナーを教わりながらどうにか食事を取っていたところへ突然ヴァルトの名を出され、驚きのあまりスプーンを持つ手がピクリと跳ねてしまった。
ただでさえ不慣れな食器使い。不安定に乗っていたデザートが膝の上に零れ落ちた。
「あ……ごめんなさい」
「いえ、すぐに片付けます。フィユ様、お体をこちらへ」
フィユが言葉に従って座ったまま体を横へずらすと、リヒトはフィユの前に跪いた。
このあと彼がなにをするつもりなのか、フィユは既に理解している。
「失礼致します」
フィユを見上げながら静かにそう言うと、リヒトはやわらかなスカートへと顔を埋め、脚のあいだに乗っている木苺のムースを舌で舐め取った。幾重にも重ねられたスカートの上からでさえ、リヒトの吐息がすり抜けてくるような感覚がする。
出会ってから数日のうちにこうなった彼を止める術はないと理解したフィユは、自身の意志に反して熱を帯びていく体を誤魔化すことに集中した。
リヒトは時折、こうしてフィユに接触する。食事が覚束なく何度か零してしまうことがあり、その度に彼は、フィユの食べこぼしをその舌に乗せるのだ。まるで、上等な甘露を味わっているかのように、うっとりと目を細めてフィユの脚や爪先に舌を這わせ、濡れた唇ですくい取る。
スカートに落ちたものだけではない。靴の上や床に落ちたものも同様に、リヒトの唇がすくい取り、そしてその様を見つめているようフィユに囁く。
「フィユ様が晩餐の席に着かれる日は遠そうですね」
「ごめんなさい……こんなに綺麗な食べ物も食器も見たことがなくて……」
「緊張されてしまいますか」
力なく頷くフィユを真下から見上げるリヒトの唇が、笑みの形に歪む。
「私は一向に構わないのですがね。こうしてフィユ様からお恵みを頂けるのですから」
「わ……わたしは、あなたに与えるつもりで、こんなこと……」
「ええ、存じております。だからこそ、この上ない光栄なのです」
ぞくりと、体が震えた。どこまでも澄んだ薄水色の瞳の奥に底意知れぬ冷たさを感じ、フィユは自身の体を庇うように、自らを抱きしめた。その様子にさえ悦びを映すリヒトの表情を直視出来ず、フィユは顔を背けて俯いた。
「フィユ様の唇が、舌が、新たな味と香りを覚える度に、その体に刻んで差し上げます。王女として相応しい淑女となられるそのときまで、何度でも……」
リヒトの言葉が、脳の奥へ染み込んでくる。暗示のように、体と心の深いところへと。決して無遠慮に踏み荒らすような野蛮な力ではない。だが確実に抗う気力を削ぎ落とし、真綿のベッドへと沈めるが如くに、彼の言葉はフィユの体を作り替えていく。
「……あなたの言葉は、甘い毒のようだわ……」
フィユが頬を赤く染めながら眉を寄せ、泣きそうな表情で絞り出すようにそう言うと、リヒトは恍惚の眼差しで見上げながら「恐縮です」と微笑んだ。




