若草の芽生え
「な……!?」
力が向くまま固い床に倒れたフィユを、震える手を握り締めながらカイムが見下ろす。
王女の行動が理解出来ない。抑々、ヴァルトに大人しく肩を抱かれていたところから、様子がおかしかったのだ。これは本当に『あの』王女なのか。傍若無人で、自分が誰より一番高いところにいなければ気が済まない、あの。
思いの外軽い手応えが残る手を見つめ、カイムは一人思い悩んでいた。
「フィユ!」
ハッとしてヴァルトが抱き起こすが、フィユは殴られた衝撃で気を失っていた。頬には赤い手の痕が色濃く残っており、ひどく痛々しい。
抵抗なく腕の中に収まる細い体を抱き寄せ、頬を寄せる。赤く染まった頬は熱を帯びており、このまま放っておけば腫れ上がってしまうだろう。カイムだけではない、あらゆる人に言われてきた『姫王子』という言葉が脳内を反響する。
護られるばかりで、流されるばかりで、周りが気遣って優しいだけだというその言葉に甘えてきて、その結果がこれだ。優秀な第二王子や王国の名だけでなく、記憶喪失でまだ色々不安なことが多いだろう年下の王女にまで護られた。
「フィユ……すまない……」
ヴァルトは顔を上げ、過去見せたことがないほど力強い眼差しでカイムを見上げた。
「カイム、このことは王に報告させてもらう。彼女の過去の振る舞いが許されないものであるのと同様、君の振る舞いも許されるものではないことはわかるだろう」
姫王子と揶揄されてきたヴァルトの嘗てない気迫に一瞬たじろぐが、カイムも負けじと睨み返す。抑もの元凶は、王女にあるのだから。
「くっ……好きにしろ。我儘王女を甘やかした結果、堕落し腐りきった国がどうなろうと俺には関わりのないことだ」
「カイム!!」
踵を返し、硬質な靴音を奏でながらカイムは城をあとにした。付き添ってきたカイムの従者が申し訳なさそうに一礼し、急いでそのあとを追って駆けていく。
「まさか……」
「……王女様が、そんな……」
偶然通りかかり一連の出来事を目撃したメイドや使用人が、遠巻きに囁き合っている。彼らもまた、カイム同様にフィユの行動が理解出来なかった。以前の王女ならヴァルトを庇うなど、天変地異が起こってもあり得なかった。寧ろ、黙って殴られるのを見て愉快な見世物を見たかのように笑い声すら上げていただろう。
「部屋へ戻ろう……傷を、癒さなければ」
ヴァルトは意識のないフィユを抱え上げ、寝室を目指して歩き出した。使用人たちが、慌てて道をあけ、深々と頭を下げる。
ヴァルトが通り過ぎてから、再び潜めた話し声がし始めたが、構っている余裕はない。それに彼らの気持ちもヴァルトにはよくわかる。以前の王女なら絶対あり得ない。本当にその通りだ。けれどフィユは、確かにヴァルトのことを、身を挺して庇った。
「私は、君を信じるよ……フィユ」
これから先、他国の人間が噂を聞きつけて会いに来ることが増えるだろう。そうなったときにフィユを悪意の棘から守れるのは、自分だけだ。ヴァルトは過去の王女に言われた言葉を振り払うかのように小さく首を振り、気を引き締めた。