刈り取る刃
「…………? なにかあったのかしら……」
中庭から城内へ戻ると、なにやら人の行き来がいつもより多い気がして、首を傾げた。なにがあったのだろうと思いつつ廊下を進んで行く途中、メイドの一人が駆け寄ってきてフィユを呼び止めた。
「こちらにいらしたのですね。先ほど、フロイトシャフト公国よりカイム公子様がご到着なさいまして」
「え、ええと……」
「王女様にお目通りをとのことでございます。どうかこちらへいらしてください」
近隣諸国の知識など持っていないフィユは、突然知らない言葉を並べられて困惑した。メイドも慌てているのかそこまで気が回らず、とにかく来てほしいと訴える。
「王女様をお連れ致しました」
メイドに連れられて正面のホールまで来ると、ヴァルトとその公子らしき青年が従者を引き連れて入城し、対面したところのようだった。
カイムの容貌は、金髪を王族の証とするこの国では、とても目を引くものだった。良く磨かれた黒曜石の黒髪に、夜明けの空の果てを映しているかのような深い紫色の瞳。服も黒を基調としていて、まるで夜が人の姿を取って現れたかのよう。腰に下げた立派な剣や防具も兼ねた衣服などを見ても、色白で優しげな雰囲気のヴァルトと対面していることを差し引いても、とても鋭利な美青年に見える。
二人がフィユに気付くと、メイドは深々と頭を下げて「では、失礼致します」と告げ、そそくさと下がった。
その場に取り残されたフィユは、見知らぬ顔とヴァルトをただ眺めることしか出来ずに立ち尽くしていた。
ヴァルトはともかく、もう一人の黒髪の青年カイムは、見るからに剣呑な空気を纏っている。声をかけるどころか、目を合わせただけでも切り裂かれてしまいそうで、フィユは無意識にカイムを避けつつヴァルトを見上げた。
「ヴァルト……そちらの方は……?」
怖々フィユが訊ねるとカイムは大きく目を瞠り、そしてあからさまに嘲笑した。
「……ハッ、随分都合良く忘れたものだな。だが貴様がこれまでの無礼を忘れようとも、国中が愚かな振る舞いを覚えているぞ」
フィユを見下ろす蔑みの目は、先ほど庭で出会った青年と同じ目だった。愚かで不躾、他者など何とも思わない横暴な振る舞いの報いを思い知れと訴えてくる、鋭い眼差しだ。記憶喪失であろうとも―――否、記憶を失っているからこそ赦せないのだ。たとえ王女が忘れていても受けた傷や屈辱が消えるわけではないのだから。己の罪を忘れてのうのうと生きる様を見るだけで虫唾が走ると、彼の目が語っている。
なにも言い返せず俯いているフィユの肩を、ヴァルトが引き寄せて庇った。それすらも気に食わない様子で、カイムが二人を睨み付ける。
「カイム、あまりフィユを責めないでくれ」
「ふん、さすがは姫王子と言われるだけはある。お前もあの王女に散々虚仮にされていたくせに、もう忘れたか」
「忘れてはいないさ。だが、いまの彼女に言ったところで何になる? 強い立場を利用し上から殴りつけるのは、それこそ君が疎んでいた彼女となにも変わらない」
「何だと貴様……!!」
カイムの腕が振り上げられるのを見て、フィユは反射的にヴァルトを押しのけて二人のあいだに割り入った。カッとなった勢いのまま振り下ろされた手が、フィユの左頬を強く打ち据える。若い男に向かうはずだった力が、まだ栄養状態も悪く、城内を歩くだけでも精一杯の細い体に容赦なく降りかかった。