棘と毒の花束
フィユが王城で暮らすことになってから二晩が過ぎた。ヴァルトやリヒトだけでなく、様々な人の世話になり、使用人たちとも関わるようになって、わかったことがある。
初日の時点で薄々勘付いてはいたことだが、王女の評判が頗る悪い。なぜこれほど早く戻ってきてしまったのかとすら思われているほどで、特にメイドたちのあいだでは世話をする役を押しつけ合う様子が見て取れることもあった。だからといって、別人だと明かすわけにはいかず、フィユは王女が築き上げた劣悪なイメージを背負いながら、記憶喪失の王女として針の筵で過ごすしかなかった。
「あっ……」
「っ!」
扉を開けたとき、メイドと鉢合わせてしまい、お互いにビクリと体を竦ませた。だが、王城での生活に慣れているメイドのほうがいち早く我に返り、廊下の端に避けて、深々と頭を下げる。
すれ違い様、フィユはメイドが微かに震えていることに気付いてしまった。
(悪いことをしてしまったわ……)
彼女だけではない。特に若いメイドは、フィユと出会うだけで怯えてしまう。
怯えさせるつもりも、彼らの仕事の邪魔をするつもりもないので、フィユは時間があるときは中庭で過ごすようにしていた。自室にいても良いのだが、元は路地で暮らしていた身。豪奢な家具に囲まれているよりは、整えられた庭園であっても、植物に囲まれているほうが幾分か気が楽だった。
この日もフィユは、中庭で美しく咲き誇る花々を眺めて過ごしていた。
「綺麗……このお庭も、誰かがお世話をしているのよね……」
城正面の庭園ほどではないとはいえ、この中庭も見て回るだけで一日潰せそうなほどに広い。そして、その広い敷地には様々な花や木が植えられており、どれもが見事に手入れされている。フィユが暮らしていた路地がある街の表通りにも、街の人々が集まる広場はあったが、とても比較にならない。
生け垣の花を眺めながら歩いて行くと、前方に見知らぬ後ろ姿を認めて足を止めた。
「誰……?」
フィユの気配に気付いて、人影が小さく訊ねながら振り向いた。
生成のシャツにチョコレート色のベストを着た青年は、灰色の長い前髪の隙間から覗く暗い紫色の瞳でフィユを怪訝そうに見つめていた。項で小さく結ばれた後ろ髪は、敢えて伸ばしているというよりは、気遣って整えていないだけのように見える。身形もこの城で見てきた中で一番平民に近い。
「あ、あの……わたし……」
「……ここに、なにしに来た」
「え……? なにって、お庭を見に……」
フィユが答えると、迷惑そうな視線が一切の遠慮もなく注がれた。城内でフィユを、というより王女を心から歓迎する人間は然程いないとわかっていたが、ここまで表に出してくる人間も初めてだった。フィユが困惑しているのを見て、灰髪の青年は興味をなくしたように前へ向き直り、作業を再開した。
「…………仕事は、見世物じゃない」
「ご、ごめんなさい……」
どうしたものかと立ち尽くしていたフィユに、迷惑そうな冷たい声が投げかけられる。相変わらず背を向けたままなので表情は窺えないが、好意的ではないことだけはわかる。フィユは小さく謝ると、青年に背を向けて歩き出した。
その背を睨めつけるように前髪の隙間から見つめる青年の視線が、嫌悪や拒絶だけではなかったことに、一度も振り向かずに立ち去ったフィユは気付かなかった。