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異世界Good Will Hunting:善意の狩  作者: 寄り目犬
5/34

キャンプ場にて

氷川キャンプ場には

異様な光景が広がっていた。


作業着姿の数人の男たちが

黙々とハイエース(車種)からキャンプ用具を

取り出して、河原までかついでいっている。


作業自体は、このキャンプ場でよく見られる光景だ。駐車場から、テントを張る河原まで、急な坂を徒歩で下る必要があるので、きつい荷運びを強いられる。


ただし、その作業を行なっている面々の様子が

キャンプを楽しみに来た人間のそれではない。


無言で、手際よく荷出しをする様子は

軍隊のようだ。

ただ、その風体は軍隊とは程遠い。

色とりどりの髪の色。

タオルを頭に巻いている者もいる。

坊主だったり、ロン毛だったり

無精髭だったり、眉毛がなかったり

鼻にピアスがあったり、唇にピアスがあったり


それぞれ、個性はあるものの

その集団に一貫して

他者を萎縮させるような

「いかつさ」があった。

街中で見かければ

なるべく目を合わせずに

息を潜めて、いつも以上に

慎み深く行動するだろう。


ふと横を見ると

まあちゃんは涼しい顔をして

スイスイと歩いている。

賢治は緊張しながらなるべく

彼らに視線を向けないように

ジリジリと受付に歩みを進める。


すると、

彼らの中でひときわガタイのいい男が

こちらに気がついた。

作業をやめ、こちらに近づいてくる。

その眼光は恐ろしく鋭い。


賢治は思わず歩みを止めたが

まあちゃんの歩みには

なんのためらいもない。


気がつくと

他の者も一斉に作業をやめ、

こちらを眺めている。


賢治は杖のようにしてもっている

木刀を強く握りしめた


手に汗を握りながら、賢治は

いつの間にか幼馴染の行く末を

見守る傍観者になっていた。

(やばい、絶対、絡まれる。

 大方、まあちゃんの出現情報を見た

 たちの悪い集団が、金持ちのまあちゃんに

 たかりに来たか・・・)


緊張はピークに達し

静寂の中で自分の鼓動がやけに

響いて聞こえた


が、その静寂は

穏やかな声によって破られた


「岩城さん」


前方の作業着の男が

駆け寄って来る。

わざわざ近くまできてお辞儀をする。

「ご無沙汰してます。」

その声と同時に、作業着姿の男たちは全員

お辞儀して、叫んだ

「ご無沙汰しております!!!」


うおお。なんか、極道の世界だ。


まあちゃんは、

「久しぶり。」と、軽く頷く。


「荷物、川原まで運んじゃいますね」

と、息を切らして確認して来る様子は

犬のようだ。

その目もどことなく犬のように

つぶらな瞳をしている。

その瞳が賢治を捉える。


「あ、この方が、岩城さんの

 お友達ですか?」

見た目に反して丁寧な言葉を使う

イカツイ男に戸惑いつつも

「け、賢治です。お世話になります」

とお辞儀した。


「あ、いやこちらこそ。

 自分は、サギリと言います。

 岩城さんには本当に

 いつもお世話になってて・・・

 お会いできて嬉しいです。」

と、笑って深くお辞儀してきた。


社交辞令ではなくて

本当に心底嬉しいんだろうな

と素直に思わせる何かがある。

だからこそ逆に

なんだか恐縮してしまう。


「よろしければ、お荷物お運びします」

と、賢治が背負っていたバックパックも

ひょいと持ち、川原まで先導してくれた。


「あわわ」と

声にならない声が情けなく

飛び出たが、誰も気づいていないようだ。


まあちゃんと、サギリは

ずんずん進んでいく。


二人は何やら

楽しそうに談笑している。


いったい、サギリと言う人は

どう言う人で、まあちゃんとは

どんな関係なんだろう・・・。


河原には、

平日の昼間ということもあって

だれもいなかった。


すでに主だった荷物が

運びこまれており、

川を眺められて、平地になっているところに

タープが見事に張られている。


その下には

黒のスチールと、木材を基調とした

アウトドアの椅子と、机

棚が並べられ、グラスやランタン

アウトドアキッチンに

ツーバーナーも設置されている。

なんと、自家発電機まで置いてある。


「何これ・・・すげえ」

賢治は知らずに、感嘆の声をあげていた。

しばらくその場に立ち尽くし

アウトドア雑誌に出てきそうな

光景に見とれてしまった。


キャンプグリルで

肉を調理している

恰幅の良い、調理服の男が

こちらに気づいて会釈してくる。


あの人もまあちゃんの知り合いか・・・


いい香りがこちらまで漂ってくる。



まあちゃんは、すでに

普通に椅子に座り

肉を調理している人と

談笑している。


サギリもタープ内で

少し身を屈めるようにして

その談笑の輪の中に

入っているようだ。


「おーい、けんちゃん

 早く来いよ!」

まあちゃんが手を振っている。


慌ててタープの中に入ると

調理している人を紹介された。

恰幅の良い田中シェフだ。


なんと、彼は引きこもり出身。

実家のご飯に飽き飽きした彼は

YouTubeを見ながら料理を覚え、

その腕を家族に振るう。


一通り、料理を試してみて

今度は独自にレシピを考え

動画で紹介する。

最初は、簡単でうまいレシピを紹介しており、

人気を博し、チャンネル登録者数は増えていった。

しかし、次第に難解で手間のかかる料理の紹介が増え、チャンネル登録者も減ってきた。

そんなある日

「自分では作りたくないし、作れないと思うけど、美味そうだから3000円払っても食べたい」

というコメントを見て、自分の店を持つことを決める。

親に頼み込み、開店資金を借り

家から近いシャッター商店街の居抜きの安い物件を購入。

すぐさま評判が評判を呼び、人気店となる。


今では

西麻布の一等地に店を構え

ミシュラン3つ星を毎年

獲得しているオーナーシェフ。

まだ、若い。

歳は自分と大して変わらないように

見える。


まあちゃんは一通り紹介を

終えると

「今度店に行こうよ。

 結構おいしいんだよ」


なんて、

近所の定食屋に

誘うように気軽に言ってくる。

そんな店

一回いくらの食事代になることか

「ああ、バイト代入ったらね・・」


と、賢治が答えると

隣のサギリは、目を丸くして

感心したように「おお」と呟き

田中シェフとまあちゃんは

一拍おいてなぜか爆笑した。

まあちゃんは、

ひとしきり笑い転げて

「いいよ、おごるよ」

と、まだ声を震わせて

言ってくる。


今の笑いの意味するところは

どういうことなんだろう。

自分のバイト代程度じゃとても

食べられないような

高いお店ということかな?

…いや、まあちゃんが

そんなことで

人を見下して笑うことは

絶対しないだろうしなあ。

それよりまあちゃんが

あれだけ爆笑したのって

小学校4年の夏休み以来

かな…


などと、考えていると

「あー、やっぱ

けんちゃんいいな。」と

またいつもの冷静な声で

まあちゃんは淡々と呟いていた。


「いや、何で爆笑されたのか

よく分かってないんだけど」

と、賢治も素直に返した。


田中シェフは

そのやりとりを聞きつつ

ニコニコとしながらも

ステーキの火加減に

目を光らせている。


「本当に、テントの

 組み立てはこちらで

 設置しなくても

 よろしいのですか??

 二人だと結構きついっすよ」

と、サギリが心配そうに

申し訳なさそうに

まあちゃんに話しかけている。


「大丈夫、けんちゃんは

 ベテランキャンパーなんだ。

 テントを張ること自体が

 楽しいみたいなんだよ。」

と、得意げにまあちゃんは答えている。


その様子を見て

サギリも何やら嬉しそうに

笑みを漏らし、

「なるほど、それは邪魔したら

 怒られちゃいますね」

と言って、賢治を見た。


「そうだぞサギリ。

 けんちゃんは俺なんかより

 ずっと怖いからな。

 今日なんて木刀持ってきてるし」


まあちゃんがニヤリと笑うのと対照的に

サギリは声を詰まらせ「マジスカ」と

青ざめた顔で賢治を見る。


賢治は苦笑いしつつ、思わず

椅子の脇に立てかけてある木刀を

地面に寝かせた。


「あの、ご飯

 一緒にどうですか?

 これだけしていただいてますし・・・」


サギリは、いやいやいやと

両手を前に出して首を振り

「とんでもないですよ!!

 岩城さんから報酬は

 いただいてますし・・・

 

 それに何より

 今日の岩城さんの依頼、手伝えて

 すごく嬉しかったんですよ・・・


 また、ぜひ

 日を改めてお願いします!」

と、大変優しい声色とにこやかな表情で

答えてくる。

最初に見た印象と正反対の印象だ。


「けんちゃん、また今度

 サギリと一緒にキャンプしない?

 こいつ、見た目はチンピラだけど

 いいやつなんだよ」


と、まあちゃんは本人の目の前で

淡々と話しかけて来る。


「いや、そりゃ・・・。」

と、賢治は言いかけて

サギリに向き直り姿勢を正した


「サギリさん、本当に今日は

 暑い中ありがとうございました。

 またぜひ、よかったら一緒に

 キャンプしましょう。

 今後ともよろしくお願いします。」

とお辞儀した。


サギリは急に真正面な顔をして

賢治の目を捉えた

「・・・岩城さんが

 自慢の友達と言うわけですね。」

と、つぶやき

「こちらこそ!

今日は手伝わせてもらえて

 本当に嬉しかったです!

またぜひ!!」

と、大きな声で笑顔で握手を求めてきた。


照れながら賢治も慣れない握手をした。


まあちゃんを見ると

何やら満足げにそのやりとりを眺めている。


「じゃあ、すいません。

 私はこれで失礼いたします。」

と、サギリは改めて二人お辞儀をした。


すると

作業着姿の男たちが一斉に

お辞儀をして

「ありがとうございました!!」

と、声を出した。


どっかの居酒屋みたいだが、

その後の動きはまるで軍隊のように

サギリを先頭に

ざ、ざ、ざ、ざ、と

足音まで規則正しい。


賢治は苦笑しつつ見送った。


「彼は相変わらずだなあ」などと

田中シェフも呆れたように

つぶやいている。


まあちゃんはすぐに

クーラーボックスを開けると

当たり前のようにシャンパンを取り出し

グラスを用意してついだ。


「けんちゃん乾杯。遅くなったけど

 誕生日おめでとう」

とグラスを掲げてきた。


「お、おう。」

と賢治は恐る恐るグラスを近づけて当てた


キィんと

薄作りのシャンパングラスは

繊細な音で鳴り、シャンパンの泡が

一瞬細かく立ち上った。


ゴクリと一口飲むと


花束のような香り

程よい酸味と、深みのあるぶどうの味わいが

口の中いっぱいに広がった。


「うま・・・」

と、思わず呟き

一気に飲み干していた。


まあちゃんはその様子を満足そうに眺めて

「お、気に入った?

 家にも何本か送っておこうか?」

と聞いてきたが


「いやいや、いいよ!こんなにいい酒

 送られてきたら

 親父とお袋がびっくりしちゃうよ」


と辞退した。


すると田中シェフが

焼いていたステーキを

皿に乗っけて静かに差し出した。


「あ、どうも・・」


ニコッと笑い

「美味しく焼けたと思います!」

といって、踵を返す。

長々しい

料理の説明がない。

気取っていなくて

ご機嫌な人だ。

 「やっぱり炭火はいいなあ」

なんて、鼻歌交じりに

調理する姿は、とても

ミシュラン3つ星の

オーナーシェフには見えず、

「親戚の叔父さんが

 料理してくれてる」

感じだ。


などと考えていると

ステーキから

すごくいい香りが立ち上る。

口に入れると

肉とソースの旨味が溶け合う。

「美味しいです!」


と、言うと


「でしょお?」

と、田中シェフは嬉しそうに

笑う。

しかし、手は休めずに

手際よく

次々と料理が乗った皿を

机に置いていく。


生ハムやら

キャビアを乗っけた

クラッカーだの

ほしイチジクを使った

料理だの。


口にしたことのないような

美味しいと言われているものたちが

所狭しと並んでいた。



「以上で、おしまい」

と、田中シェフは

片付けと身支度を

おえて、お辞儀をする。


「田中さん、今日はありがとう。

 また、店にも顔出すよ」

「お、岩城さん言いましたね。約束ですよ?」と

いたずらっぽく田中シェフは言って

帰っていった。


途中

振り返って手を振ってくる。


「みんないい人たちだね」

と、賢治は半分つぶやくように

言うと

まあちゃんは

「まあね」

と、いつもの熱のこもっていない

声色で相槌を打った。


「まあちゃん、いつも

 こんな食事してんの?」


まあちゃんは、グビグビ

シャンパンを飲みながら答える


「いや、和食の日だってあるよ。

 ただ、外に出るのめんどいから

 料理がうまい人を家に呼んで

 作ってもらってるの」

と、当たり前のように言った。


なんかもう住む世界が違うな・・・


しばらく二人とも

食事に熱中していたが

ふいに賢治は言った


「そうだ!テント建てなきゃ!」


「えー、後でいいじゃん」

あからさまに面倒臭そうにしている。


「まあちゃんは食べてていいよ。

 俺は酔っ払う前にテントの設営

 やっちゃうわ」

と、言って賢治は準備を始めた。


しばらくまあちゃんは

黙って飲みながら

こちらの様子を眺めていたが

退屈になったのか

「俺にも手伝わせて」と

言ってきた。


まあちゃんはキャンプ初体験とは

思えないほどの動きを

見せ、実に手際がよかった。


むしろ最後の方はこちらが

指示を受けながら

テントを張り

気づかないうちに

主導権は交代していた。


全て設置し終えると

まあちゃんが首を傾げながら言った。

「なんか・・・

 思ってたのと違うな

 キャンプ好きな人が

 好きそうなキャンプ用品で

 固めて欲しいとオーダーを

 出したんだけどな」


まあちゃんが

感じている違和感は

なんとなく分かる。


確かに設置された

テント、タープ

その他諸々のキャンプ用品は

この上なく上質で

キャンプ好きなら喉から手が出るような

商品だ。


しかし、

男二人のキャンプとは

思えないほど華やかで、

キャンプらしい泥臭さに欠ける。

無駄も多く、無骨さがなさ過ぎる。


Instagramでよく見る

#おしゃれキャンプ

のようで、

ベテランキャンパーほど

鼻につく仕上がりになっていた。

木刀は所在なさげに

テントの入り口に

うち捨てられており

なんとも言えない趣を

帯びている。


(あの木刀さえなければ

 キャンプというよりはグランピング:

 贅沢で快適さを追求したキャンプの一形態

 に近い仕上がりだな・・・)


しかし、

それにしても・・・

と、賢治は辺りを見渡す。


氷川キャンプ場は

5月だというのに他のキャンパーがいない。

なるほど、

名前の通り寒々とした景色だ。


谷の緑は青々としているが、

むき出しの岩肌や

谷間を流れる川はどこまでも

清涼で、

何より河原は涼しく、静かである。



「そうだ。火を起こそう」

まあちゃんはおもむろに

ナイフと薪ち焚き火台を

川の近くに持っていった。


ナイフでバトニングして

薪を細くわり、

さらに着火しやすくなるように

枝をささくれ立たせて

フェザースティックを作る。


危なげがなく手際がいい。

綺麗ななフェザースティックを

2本ほどこしらえると

メタルマッチ(火打ち石)で

火をつける。


実に鮮やかな手際で

火は燃え広がっていく。


まあちゃんは、

少年のような

ピュアな瞳で焚き火に魅入られ

「火起こし面白いな」

と、珍しく独り言をつぶやいていた。


そして、その後

「もう、陰ってきたし、こっちに椅子置いて

 飲もうよ」

と提案してきた。


谷間なので、陽に照らされる時間は短く

少し肌寒くなっていた。


タープの中にある椅子と机を

持ってきて、火を眺めながら

酒とツマミを食べる。


日はもうすぐ落ちる。

空の色は藍色で、焚き火や

ランタンの灯りが少しずつ色を帯びてきている。


まあちゃんは突然真顔で

「ハッピーバースデートゥーユー

 歌おうか?」

聞いてきたが、

賢治は丁重にお断りした。


賢治の心は

ここ最近感じたことがないほど

ワクワク感や喜び、

いい意味での気恥ずかしさ

とにかく幸福感で

いっぱいに満たされていた。


(両親と一緒に祝った誕生会と大違いだ)


ここは、本当に別世界。

いつもは、狭い部屋で何かに怯えながら

必死になって、嫌なことを忘れようと

アニメを見たり、ゲームをしたり、

漫画を見たり・・・。


そんな自分が、

美しい藍色の空の下で

川の音を聞きながら

親友とシャンパンを飲んでいる。


両親に、

先ほど「まあちゃんとテント泊してくる」と

メールをしたが

返事はない。

私がいないあの家は

昔のように淀みがない

理想の家庭を取り戻しているに違いない。


「あーー」

賢治は伸びをして、空を見上げた。

美しい藍色の空に星がいくつか瞬いている。


本気で

「このまま死んでもいい」

と思っていた。

日常の自分などもともと死んでいるも同然だ。

この非日常の中にずっといたい。

などとも思わない。


このまま、この

非日常という異世界のなかで

親友と酒を飲みながら、

すっと息を引き取れたら

どんなに幸せだろう。


伸びをやめ、

姿勢を正して、前を見ると

まあちゃんが

テーブルに置いたグラスに

シャンパンを注いでいる。


焚き火と、ランタンの灯りが

折り重なり、

グラスの中のシャンパンは

黄金に揺らめき、細かな泡が

球体のダイヤモンドのように

キラキラと水面へ立ち上る。


ここは異世界だ・・。

そう思いつつ、

賢治はまた椅子にもたれかかり

目を閉じた。


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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


何やら

ガサガサと木々を揺らす

音が聞こえる。


目を開ける。

音は山の方からしているようだ。


まあちゃんは

既に山側の方を振り返り

凝視している。



木の近くで動いている

黒い影を確認し

鼓動が高鳴る。

冷や汗が出る。


熊・・・?


いや、その割には

音の刻みが

鈍重ではない。


ガサっ、ガサっ



かなり動きが早い


木の陰から

木の陰へ高速で動きながら

こちらを伺っているようだ。


まあちゃんはいつの間にか

火起こしで使った

ナイフを抜き、立ち上がっていた。


思わず、

賢治も木刀を手にして

立ち上がって身構える。


木々や茂みが揺れ

河原の方に近づいてくる。


何か来る。


その瞬間


黒い影の主は

聞いたこともないような

唸り声を上げて飛び出してきた。


20mほど離れた茂みから

だったが、とにかく

視界に黒い影がいっぱいになり


反射的に木刀を振り回す。


ブンと空を切る音

反転する視界

肩に灼熱の感覚

態勢は仰け反り、

後ろに倒れそうになるが

足で踏ん張る。

ガシャガシャと言う砂利の感触と音


一瞬で

視覚、聴覚、触覚の情報が

混じり合って襲ってくる。

脳は冷静にそれらを処理

してくれているようで


敵を捉えろと

冷静に指示を出し

体を動かす。


賢治は自分でも驚くほど

素早く態勢を立て直し、

黒い影の主を捉えた。


黒い影の正体は熊ではなかった。

いわゆる人狼というものだろうか。

狼の顔に二足歩行。

鋭い爪と牙。

分厚い黒い毛皮越しにも

分かる隆起した筋肉。


山側から川近くまで

30〜40mほど。

一足飛びに襲ってきたらしい。


あの一瞬で・・・

冷たい汗が全身から吹き出る。


「言葉通じるか?」

熱を帯びないいつものまあちゃんの声。

静寂の中その声はやたらと響き渡る。


「お前は誰だ?何なんだ?」

その人狼は唸りながらも

慎重にこちらの様子を伺っている。


また、こちらに飛びかかってきそうな

気配を感じ

賢治も木刀を構え直す。

すると肩に凄まじい

痛みが走る。

「ぐっ……!!」

右肩に手をやる。

服は裂けており、

生暖かい血がトロリと後から

後から溢れているようだ。


その瞬間

賢治の頭はパニックを起こした

まずい!この血の量!

止まらない!

死ぬ!なんで!?

何だこの状況!!


混乱とともに、理不尽な暴力に対する

怒りがふつふつと湧き上がる。


腹の底にドロドロに溶けた鉄が

赤黒く蠢いているのを感じた。

それがさらに脊髄を加熱していく。

頭の芯が捩じ切れんばかりに

ヒートアップしていく。

家で感じたあの感覚。


視界のど真ん中に

先ほどの人狼がいる。

視界の中でその人狼がだんだんと

下の方へ移行していく。


いや、違う。

自分の体が大きくなっているようだ。


自分の体に異変が起きていること以上に

久々に感じる気持ちの高ぶりが

妙に心地いい。


殺されかかってるんだ

思い切り暴力を振るおう

あの化け物を殺そう


右手に持った木刀を

握りしめるとミシミシと

音が出そうなくらいの力が

込められる。


自分の体に

凄まじい力がみなぎっていることを

確信する。


賢治は万能感に身を任せ

人狼に向かっていった。

左足で地面を蹴ると

次の瞬間、

とんでもない勢いで

体が前方へ放り出されたような

感覚に襲われる。


恐ろしい速度で

人狼をやや見下ろす形で

跳躍していた。


あ、このままじゃ人狼を

跳び越す


と思った時には

体をひねり

人狼の頭をめがけて

木刀を振り下ろしていた。


ゴシャ


という嫌な音と感触。

人狼の頭は粉砕され

目玉や脳みそ

が飛び出す。

首も妙な形にねじれ

今にもちぎれそうだ。


勢いに任せてそのまま

木刀を振ると

その体ごと一緒に吹き飛んでいく。


その様子を

賢治はまるで

スポーツ中継の

スローモーションでの

ハイライトを見るように

観戦していた。


目の前で

残酷な光景が繰り広げられているのに

賢治は何とも言えない快感を

感じていた。


視界はゆっくり反転し

着地体制へと体は備える。

次の瞬間、急に時の流れが

通常に戻る。


ジャリジャリジャリ


足と手の爪を河原の地面に立てる。

勢いを殺し

川に着水する手前で止まった。


まあちゃんの方を見ると。

いつもの無表情で

こちらを見ている。


(こんな時でも、その顔なんだな…)


前傾姿勢から、

直立姿勢に戻そうと

上体を起こすと

不意に視界が暗くなる。

体が後ろに傾く。

意識が遠のく。


(まあちゃん…

 今俺、どんな顔してる?)


視界の端に、美しい満月と

恐ろしく美しい女の顔が見えた気がした。

ここで、賢治の意識は途切れる。

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