まあちゃんという男との再会
八王子の八高線ホームには、
平日の中途半端な時間にも関わらず
そこそこ人がいた。
それでも
彼が階段を降りてきた時、
群衆に紛れることなく、
すぐに発見することができた。
細身の長身。
モデル並みのスタイルの人間が
隙のない空気感を纏いつつ
手ぶらで歩いてくる。
その姿は
明らかに異質だ。
あれだけ有名になっても
マスクも帽子もしないで
一段一段、
自分の家かのように階段を降りてくる。
何人か周りの人間が彼を見て
ヒソヒソ話しているようなので
やはり気づかれてはいるようだ
しかし、声をかける様子はなく
遠巻きで見ている。
彼の持つ独特の空気感に
戸惑い、気圧されているのだろう。
幼馴染の自分でさえ
時折話しかけづらいことがある。
彼の持つオーラと
呼ばれるものなのだろか…
単に彼の性格を知る者は
傷つくのを恐れて関わりを避けるのか
そんなことを考えていると
まあちゃんはこちらに気づき
屈託無く笑う
「久しぶり」
温度のない声色で
話しかけられ、思わず背筋が凍る。
しかし、その声とは正反対で
小学校の頃と同じ顔でニヤリと笑っている。
自分の幼馴染であることを思い出す。
体が弛緩し、呼吸も楽になる。
自分でも驚くほど滑らかに軽口が出た。
「よく来たじゃん。結構暇人なの?」
それに対し鼻で笑いながら
「まあね。」と答え、即座に切り返してくる。
「で、木刀もって何と戦うつもり?」
お互いの近況報告なんてそっちのけで、
こちらのイジりどころを瞬時に見つけ、
茶化してくるのが実にまあちゃんらしい。
同年代とのこうしたやり取りは、本当に久しぶりだ。
今の自分にとっては
これ以上ないくらいの心地よいやりとりだ。
「とりあえず氷川キャンプ場で、ドラゴンを狩りにね」
「なるほど」
と、答えるなり、スマホを取り出し検索しているようだ。
「へえ、いいとこじゃん。駅から近いし、温泉もあるんだな。」
そんな彼を横目に1番気になっていることを聞いてみた。
「ところでまあちゃん、持ち物は?
俺のテント山岳用だから2人きついよ…」
「ああ、大丈夫。スノーピーク(国産キャンプ用品高価なブランド)の知り合いに今連絡して、テントとシェルターと、マットとシェラフ、タープ。ランタン、焚き火台と、バーナーとナイフと食器類、キャンプ場に運んでもらえるように手配しといた。」
「えーー!
俺のキャンプ道具、出る幕ないじゃん!
ここまでめちゃくちゃ重かったんだぞ!」
「いやいや、夕方ごろ届くらしいから
それまで、けんちゃんのキャンプ道具が頼りだよ。昼飯どうする?定番のバーベキュー?」
「一応、二人用のバーベキューコンロはあるよ。」
「へー、用意いいじゃん。それなら…」
いいながら、またスマホを取り出しどこかに連絡をしている。
「じゃあそれでよろしく。ありがとう。あと、次は…」
短くいくつかのオーダーを出しているらしい。
その鋭い声色に側で聞いているこちらも少し竦んでしまう。
「仕事?」
「いや、知り合いの肉屋とソムリエに、おすすめの牛肉と、赤ワインとシャンパン頼んどいた。昼過ぎにはキャンプ場に届くらしいよ。」
「すげーな。なんかもう、俺の知ってるキャンプじゃなくなってきてるけど…
まあちゃん俺今手持ちの金、6千円くらいしかないよ。」
「先月誕生日だっただろ。プレゼントだよ。遅ればせながら」
こういう時のまあちゃんはいつもの皮肉っぽい笑いではなくて、
本当に無邪気に笑う。
心からの善意だと分かるし、
今の自分と、成功した幼馴染の現状を比べることすら忘れて
素直に喜べる。
「あ、ありがとう…」
ちらっと、こちらを見てから
まあちゃんは窓の外を見ながら
ぶっきらぼうに言ってくる
「だいたい、頼まれてもいないのに
勝手にあれこれ注文して、
後から『割り勘な』とか、
言う訳ないだろ。見くびんな」
まあちゃんはそういうところが潔癖である。
常に自分の中の美学に従って生きている。
相変わらずだな…
しみじみと思いながら
電車に乗り込む。
お互い会うの1年ぶりだ。
連絡そのものもその間、一切していなかった。
それにしてはまるで
緊張感や気まずさはない。
電車の中での会話も
小学校低学年の頃毎日遊んでいた
あの頃のままだ。
「けんちゃん。火起こしはまず俺にやらせてくれ。
ここに来るまでにキャンプ動画見てきたから、
一撃で決められる自信がある。」
お互い成人し、
顔つきは変わったが中身は
変わっていない。
まあちゃんは自信家だが
実際人並み以上になんでも出来てしまう。
・・・がどこか抜けている。
というか、ズレている。
「それはいいけど…
まあちゃん。
とりあえず火起こしするなら、服着替えたら。」
「え?なんで?」
「その服でキャンプはないでしょう。
動きづらいし、ススで真っ黒になるよ。
夜は絶対寒いよ。」
「まあ真っ黒になってもいいけど、確かにこの服だと少し動きづらいかもな。」
と、言いつつスマホをいじり
「OK。適当にアウトドアっぽい服装見繕って、キャンプ場に届けてくれるってさ。一応けんちゃんのも頼んどいた。」
「え、俺のも?てか、まあちゃんさっきからめっちゃ人動かしているけど…どんなつながり?」
その瞬間、まあちゃんは目をそらした。
そして、一瞬冷たく細く光り、
少し寂しそうに
「まあ…恩を売った相手かな」
と、静かに答え窓の外をしばらく見ていた。
すると、唐突に
「寝るわ」と言って、目を閉じて
電車の座席に浅く腰掛けて寝る体制になった。
マイペースである。
我が幼馴染ながら、彼のしているビジネスはもちろん
その人間性については謎めいているところが多い。
しかし、家が近いこともあり、同い年にも関わらず、
不思議とまあちゃんは昔から実の兄のように
自分のことを可愛がってくれ、良くしてくれた。
実際、同じ年とは思えないほどしっかりしていたし、
子どもながらに、頭の回転が周囲の大人と比べても桁違いに速く、
話をしていてとても面白かった。
いつもまあちゃんの後について、よく遊んだ。
しかし、そんな
彼との接点は小学校6年生まで。
まあちゃんは
家の都合で引っ越してしまったのだ。
そこからは連絡も絶え絶えになり
彼の略歴は、Wikipediaに書かれている
以上のことを賢治は知らない。
まあちゃんの略歴をざっくり言うと、こうだ。
中学校から不登校になる。
しかし、彼が14歳の頃、
IT関係の事業で成功を収め、
一躍時の人となる。
その後もいくつも事業売却やら
買収、新規事業の立ち上げなどを行い
その全てで、成功している。
現在、どの世代も知る著名人であり、
特に、意識高い系の10〜40代の
カリスマだ。
ビジネス書も何冊も出している。
テレビにも出演するが、
早期からYouTuberとしても活動しており
最近ではむしろ、彼の発信する
YouTubeのチャンネルの方が影響力を持つ。
SNSでの発信も盛んであり、
歯に絹着せぬ物言いで、たびたび炎上もしている。
そんな彼と再会したのは、1年前。
20歳の時、小学校の同窓会でのことだ。
まさか、来るとは誰もが期待していなかったが
彼は当たり前のように来た。
大喝采の中、彼は表情一つ変えず
挨拶もせず
色めき立つ女子や、
著名人ということで
我先に絡んでくる男子どもを無視して、
賢治のとなりに座ってくるなり、こう言った。
「久しぶり、けんちゃん。LINE交換しようよ」
「え、いいよ」
そして、酒を飲みながら、
自分が現在、大学に行けていないことを
ポツリポツリと話をした。
まあちゃんは黙って聞いてくれていた。
そんなやり取りを横で聞いていたのだろう。
小学校時代、クラスの中心にいた
安倍が横槍を入れてきた。
今はテニスサークルで大学ライフを
エンジョイしているらしい。
「お前なあ、大学生になって不登校とかさあ…
おい、みんなも賢治慰めてやろうぜ。」
その瞬間、まあちゃんの目が冷たく光を帯びて、
安倍を見たような気がした。
その後、賢治は、
大学に行けなくなってしまった経緯について
核心に近づかないように話す
羽目になった。
いかにも心配そうに
気遣って慰めの言葉をかけてくる女子も
面白半分に賢治のエピソードを
いじってくる男子にも
怒りを感じつつ
何よりヘラヘラと笑うしかない自分が
惨めだった。
帰りたい・・・やっぱり来なければよかった。
自分はあの時どんな顔をしていたのだろうか。
賢治は今でもたまに思い出す。
みんな悪気があるわけでもない。
何より、さすがに賢治の煮え切らない説明になにかを察してそこまで深入りしてこないので、
みんな大人になったんだなあ・・・
などと、妙に感心もしていた。
まあちゃんは、
その間、必死で関わりを持とうとする女子数人を
適当にあしらいつつ、いつも以上に無表情で、
黙って日本酒を飲んでいた。彼は酒も強い。
賢治の話もひと段落してきて、
話題が次に移ったタイミングで、
俺の役目は終わったとばかりに
「ちょっとトイレ」
と、安倍が席を立った。
彼は賢治が話題になっている時
ずっと、話を回すMC的なポジションでいたのだ。
その満足気な横顔を見て、
賢治は言いようのない怒りに駆られる。
すると、そんな感情がすぐにかき消されるような
ありえない出来事が起きた。
珍しく、あのまあちゃんが愛想を振りまいたのだ。
と、言っても
取り巻いていた女子たちに
「すぐ戻る」と笑顔で言い、席を立った。
ただ、それだけなのだが・・・。
彼をよく知る人なら
その行動を見ただけで
震度5以上の衝撃を受けるだろう。
まあちゃんが離れてからの
女子たちの色めきぶりはすさまじく、
堰を切ったかのように「きゃあぁぁ」という、
黄色い…というより、
桃色の歓声が上がった。
まあちゃんがいかに格好良く、
他の男子たちと違うか、
顔を赤くしながら女子同士熱く語り合っていた。
その間、周囲の男子は閉口し
半ばふて腐れて、残り物のつまみと
酒を飲んでいた。
女子たちの凄まじい熱気に圧倒されつつ賢治は
(女子って、本当にきゃあぁぁとか、言うんだな)
などとぼんやりと考えていた。
そして、呑気に女子達の様子を
ぼーっと眺めていた。
しかし、賢治にも女子の熱波が襲う。
「ねえ!さっき、岩城くんとLINE交換してたよね!?教えて!」
と女子軍団に一瞬で巻き込まれた。
そうしているところに、
まあちゃんが何事もなかったかのように
席に戻ってきた瞬間、
女子達は一斉に賢治から離れ、
まあちゃんの元へ行く。
しばらく、まあちゃん狙いの女子軍団を完全に無視して、
まあちゃんは賢治に他愛もない話をしてくる。
無論、隙あらば女子達も会話に滑り込んでくるが、
まあちゃんの冷徹な一言で撃墜されていく。
しかし、そうして撃墜された女子は
しばらくするとゾンビのように蘇り
不屈の精神で会話に入ってくる。
その姿に苦笑しつつ、
大分素のまあちゃんが出てきていることに嬉しく思う。
こうして、旧友たちと、
他愛もない話をして笑っているのは心地よいな。
ちょうどそんな思いが伝播したのか、
「そろそろ二次会行こうよ!もう予約取ってるから」
と、女子の一人が言い出した。
その頃には賢治も、二次会もありかな・・・
なんて考えていた。
しかし、まあちゃんは、
さっきの女子達に向けた笑顔とは、
正反対で、あからさまに面倒臭そうな顔をしている。
あの時の笑顔は何だったんだ…。
そんなことを考えつつまあちゃんに、
「ごめん、トイレ」と言い、
席を立つと、
まあちゃんは独り言のように
「安倍によろしく」と言い、
ニヤリと笑った。
トイレに行き、小便器の前で用を足していると、
個室トイレからすすり泣きと、何か呟く声が聞こえる。
安倍だ。
姿は見えないが尋常じゃないことだけはわかる。
用を足し終えて、少し迷ったが
「安倍?」と声をかけた。
すると、意外にもすぐに泣きじゃくった声で
「賢治か??」と返事があった。
「うん。…あの…大丈夫?」
と言い終わらないうちに
扉が開き、
安倍が掴みかからんばかりに飛び出してきて、
土下座してきた。
「ごめん、ごめん」と繰り返して
内容はよく聞き取れなかったが
さっきの件について
泣きながら賢治に
謝っているようだった。
最終的に、安倍は財布の中身を全て賢治に渡し、
「帰るわ…。それで支払っておいて」
と燃え尽きたかのように言い、トイレを出ていった。
その姿は、一回り小さくなって見えた。
安倍がドアを出てすぐに
短い悲鳴が聞こえた。
ドタドタと走り去る音、訪れる静寂。
賢治は混乱しながら、
トイレのドアを恐る恐る開けた。
そこにはまあちゃんが壁にもたれかかり、
腕を組んで立っていた。
「遅えよ」
「あ、ごめん」と反射的に答えつつ、横顔を見る。
その表情は、少し笑みを浮かべているような、
悲しそうな…
こう言う時のまあちゃんは、いつも以上に
何を考えているのか分からない。
下手にご機嫌伺いするように
話しかけると、
大抵さらに不機嫌になる。
だからこう言う時はあえて、
単純な欲求を口にすることにしている。
「あー、なんかラーメン食いたいな。
全然食べた気がしないよ」
まあちゃんはニヤリといつもの顔で笑い
「じゃあ、大勝軒行こうぜ。」
と、さっさと会計を済ませて店を出てしまった。
その姿を呆然と見ながら
「え、二次会は?」といいつつ
賢治は後を追った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そんなことを思い出していると
電車は乗り継ぎの駅に着いた。
「まあちゃん、乗り換えるよ」
するとすぐに
「おう」
と寝起きとは思えないほど
はっきりとした声で答えた。
目つきも寝起きの人のそれではない。
「まあちゃんって人間だよね?」
と、賢治は思わず
心の中の問いを口に出していた。
まあちゃんは
ニヤリと笑い
「さあね」
と、乾いた声で答えた。