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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:ミシルと罠師の糸
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穢れる白雪姫(4)/終幕は道化師の悲劇に

更新しました。



 南大陸(ローレンス)では動きがあった。

 魔族が占有する南大陸、それを神代より統治するのは魔王である。主神の血を継ぐ一人ミランの子より、代々その血族の中には『死術』と呼ばれる技が継承される。それはある命を奪い、それを別の命へ変換させる、生と死を司る神の力の一端。

 自然を変革させる『魔術』、万物の安定を促す『氣術』、そして命を操る『死術』。喪われた神の力を分配し、その中でも呪術の起源となるのが『死術』であった。魔法は神が齎す超常の変化が魔力によるものだと考えた者によって生産された技であり、云わば世界に普及した魔法・呪術は神の技の模倣である。

 火山地帯の多い南大陸は、安全と呼べる場所は少なく、常に自然現象による危機に命を脅かされていく中で、強靭な肉体と生命力を養った。それこそ、大陸同盟戦争にて魔法や呪術を用いていようとも、その奇怪な生態と条理を逸するような身体能力によって、中央大陸(ベリオン)を劣勢へと追いやった。当時から、万人に畏怖の対象とされ、未だに語り継がれる魔王の存在は色褪せる事はない。


 ベリオン歴二〇五八年――当代の魔王が地位を退き、禅譲しようと考えた際に一人の子供が次代を担うに相応しい存在とされた。幼き頃から『死術』を行使する事が可能であり、美しい容貌をしたその娘に魔王は何としても継承させたかった。

 魔王の一族にも、本家と宗家と二分している。宗家は本家を守護する強者、本家は『死術』の使用者を絶やさぬようにするのが使命。だが、次の魔王と持て囃されるその娘は、宗家と本家の混血であった。故に、本家に並ぶほどの権限を手にした宗家は我等こそ魔王と主張し始める。

 こうして、太古から両家の間での争いを禁じていたが、これを期に決壊してしまう。互いに刺客を差し向け合い、常に国を揺るがす死が続いた。荒れていく南大陸を治める魔王は、これでは後継者として娘を選定することも断念せざるを得ない。

 娘には本家の男を宛がい、それによって本家に再び覇権を返戻しようと図った魔王だったが、剣呑な王権の争いに心を痛めたのか、采配を下すよりも先に、春の風が吹く大陸から嗣子である娘は忽然といなくなった。

 刃を向け合っていた両家も、これには動揺を隠せず、急いでその捜索に移行する。尤も、争乱の発端である娘を快く思わない連中も混じり、迎えに駆り出されたのは後継者の存在を守ろうとするのではなく暗殺を企む輩が混入した歪なものとなる。

 果たして、一向に姿を見せない魔王の嗣子は何処に。

 そんな時、魔王の元を訪れたのは氣術師であった。彼等は、娘の捜索と引き換えに目的への協力を要請した。それは過去、魔族が悲願とした大陸の統一を阻止した怨敵――神族への復讐。

 魔王にとって、利しか無いこの話を即断した。氣術師に任せ、自分達は次の舞台へと移る。


 目指す敵は万物の父――ケルトテウスである。






  ×       ×       ×




 地下の闇に二つの影が揺蕩う。

 一方は青鈍色の袷に黒の袴を着た東国の装束。手に駆るのは細身の杖。これから敵を斃す為の得物としては、あまりに頼り無い外貌の中に、数多の命を屠った兇刃が潜む。それは裏の世界においては名の知らぬ者のいない刺客の持つ物であった。クェンデル山岳部の麓に隠れる工房で鍛造されたそれは、再び別の持ち主を得て新たに刃を鍛えることで、さらに剣呑な輝きを鞘の中に秘匿している。

 対するは、茶の外套と帽子、面貌を晒すことを厭う長い前髪は、黄昏の空に浮かぶ太陽を思わせる橙色。対策を講じた少年に対して口に銜え禍を招く『笛』は無用となり懐中に仕舞う。代わりに手にしたのは、一尺をやや下回る筒状の棒――これには孔も設けられておらず、音による敵の錯乱を用途とした物ではない。

 両者が半身のみを相手に見せるように立ち、それぞれ手に武器を持って、襲い掛かる隙を推し量っている。これが刺客――全貌を晒す事は忌避すべきであり、それを見せた時こそ敗北と判じる。つまり、敵が識る前に速やかに殺めることこそ極意。


 耳を塞いだ――微かに耳朶を揺らす音響は、今はもう遠くから鳴く鳶の声も同然であった。その代わり、相手の呼気や足音も判らない。今の自分には視覚のみが恃みである。手足の感覚も戻り、体は十全に動く。

 相手はニクテスの凄腕――シャンディの中でも、選り抜きの実力者だった男で、失踪していた友人の実父。対決に臨むにあたり、ユウタは僅かな逡巡も取り払うべく、相手と問答をした。娘の存在について如何なる感情を宿しているか。

 返答は想定していた最悪であり、これによってユウタは刀を執ることを余儀無くされた。敵ならば、倒さなければならない。退くならば良し、立ちはだかるならば切り伏せる。――それはヤミビトの定めであり、ユウタの意思ではない。

 この男に勝ちたい、その想いのみであった。命は奪わずとも、大切なモノ――ユウタならば、欠け代えの無い婚約者ハナエであるその人を、平然と捨てる敵の精神に憤りを感じた。改めさせたい、一度試みた言葉は届かない。ならば、武力によって身心を鎮め、こちらの言葉を遮る障害を取り除いてから再び試みる他ない。

 懸念があるとすれば、それは相手が呪術を得意とする者。これまでの旅で、竜族と人間の混血種、八咫烏、傭兵、氣術師……様々な敵と交戦したユウタには、呪術師との戦闘経験は皆無である。神に定められた鍛冶のドン爺から、ユウタのように機敏な感覚を持つ人間は、呪術の暗示に嵌まりやすい。今は聴覚を捨てたことで、今度は意識が視覚から得られる情報のみに傾注している。つまり、相手が目に訴えかける罠を仕掛けてくるならば、ユウタは必ず苦戦を強いられる。

 勝負は、相手が呪術を行使する前に仕留める。そこで弊害となるのは、彼に従う異質なゴブリン。武装やドゥイを襲撃した行動速度からしても、ユウタの敵では無い。恐らく視線を交えた瞬間には、その急所をユウタの刃先が衝いている。問題は、ゴブリンの退治から【傀儡遣い】ワバトへと標的を移すまでの所要時間、その間に呪術が発動している可能性。相手は呪術の手練れ、そのあまりに僅かな時間でも充分なのか。

 撹乱されぬよう、顔を伏せて視線をゴブリンのみに注ぐ。森の中でも夜目の利くユウタは、この魔石の龕灯に照らされた薄暗い空間の中でも、敵影の輪郭を明瞭に捕捉していた。


 沈黙が続く。

 時間の経過と共に、緊張が高まる空気を孕んだ倉庫の重力が増したように感じて、ドゥイは息苦しさに思わず深呼吸した。それは錯覚だ、あまりに目の前の二人に集中していて、呼吸を忘れていた証拠である。

 ユウタの背後で戦況を眺めるミシルは、胸の前で交差させた手に糸を忍ばせている。戦闘の最中、どこかで彼女は介入を図っている。闇の中、見えると思って注視しなくては視認できない糸を、ユウタが苦戦している中で敵の背後に回って殺す積もりだ。この強者の対峙を前にして、自身も参加しようという剛胆は、ドゥイも舌を巻くほどだった。


 ユウタの勝負は一瞬――その後には、勝敗は決している。長期化すれば勝機は薄くなる。最速の剣を見舞うべく、ユウタは仕込みの柄に絡めた指を緩くする。手に力が籠れば、今度は肘に余計な力が入る。それが肩の運動を滞らせ、そして全身の動きを出遅れさせる。重要なのは、剣を振るのに最適な体勢を整えること。

 前に半足出して、ユウタは頭を少し下げた。ゴブリンの瞳は光を失っており、望洋として表情に乏しい。呪術で正体を失ったそれは、彼の傀儡の一つ。ユウタが動けば、ワバトが操る。


 ユウタが床を蹴った。

 音もなく飛び出した少年の所作に微かな喫驚を覚えながらも、ワバトは空の左手の指を動かし、右手の棒を口許に運んだ。指の動きに合わせ、ゴブリンの体が二人を直線で結んだ道に斜交いに飛び出して、腰にあった短剣を引き抜く。

 その瞬間にはゴブリンの首に白い光が閃き、その次の瞬間には納刀する堅い音が鳴った。床には払った血が弧を描いて落ちている。ゴブリンの頭部がゆっくりと胴を離れた時、その背後でユウタはワバトに対して一歩を踏み出していた。

 その場に居たドゥイとミシルを慄然とさせたユウタの剣閃。あまりに早く、稲妻めいた速度で振るわれた刃先の姿を見ることも出来なかった。あれがアキラの弟子が持つ力。幼い頃から研ぎ澄まされた剣の如し少年の実力を知る。


 だが、それでもワバトの方が速かった。寧ろ、ゴブリンをただの障害物、道を塞ぐのみで敵を討つまでを命令していない片手間で操っていた。それよりも優先すべきなのは――口に端を銜えた筒。その能力を使わなくては、敗北は自明。

 ワバトは口に少し含んだ唾液と共に息を吹く。筒の中を撫でた呼気が外へと放出された時、虹を澱ませたような球状のモノが一つ、二つと次々と浮遊する。筒より生産され宙を漂うのは泡だった。円の輪郭に、少し虹を澱ませたような光を帯びているそれらが、緩慢な動きで室内に起こる微かな風に乗って自由に動く。果たして、これが刺客の武器なのか。


 謎の攻撃に出たワバトの行動に、ユウタは迷った。絶妙な位置で動く泡の所為で、どの隙間から剣で攻撃しようとも痛撃にはならず、さらには謎の泡の一つを刺激することになる。触れてはならないという漠然とした危機感だけがあった。

 ユウタは攻撃を中断し、後方へと飛び退る。取り残されたゴブリンの体が地面に倒れるのと同時だった。


 ミシルは理解した。自分が入り込む隙がない。無闇に立ち入れば、命が無くなる。これが自分のいる世界で化け物と称される部類。

 ふと、ミシルの右にあった柱に泡が当たった。弾けたそれが、破裂音を鳴らすと触れた部分から木製の柱が朽ちていく。茶だった表面が黒ずんで、小さく縮んでいく光景に後退りする。泡に呪術が付加されている!

 呪術とは、体内の魔力を使用して肉体で触れた対象の体を破壊する技。それが、魔法でいう魔装と同じ使用法で戦闘に使われていた。己が嫌悪するニクテスが得意とする独特の技術を、この男は何の躊躇いもなく使う。敵を斃せるならば、手段に感情を挟んではならない、無駄を嫌う流儀のようだ。

 ユウタは低くした姿勢で、泡の動きを目で追っていた。直視せずに斜視する程度で、大方の位置などを把握する。一見、これらは自由に浮遊しているように見えて、呪術を付加した存在の周囲を自動で守るように回っている。それぞれが一つの役割を持ち、一つの動きを限定されている。例えば、彼の右側を固める泡が上に上昇すれば前方部分がそれとなく右側への寄っていく。

 相手に不自然さを感じさせないよう往復している。


 ユウタは仕込みの柄を右手で握る。位置が入れ換わる動作の中に、袈裟斬りで一閃できる位置を発見した。それも、どんな剣客でも実行を躊躇する小さな間隙、正確さが問われる危なげな選択をユウタは採った。

 ワバトはさらに泡を増やそうと、筒に息を吹き込む。口に空気を含もうと顎を少し上げた挙動を見た時、ユウタは飛び出していた。杖を上に掲げるように持ち上げて、そこから大上段から振り下ろすように泡と泡の行き交う軌道に生じた弱点を的確に衝く。剣筋は狙った場所を鋭く抜け、想い描いた未来を実現する一太刀を浴びせた。ワバトの筒を両断し、中途で刃先を止めて引き戻すと同時に、後ろへと飛び退く。

 ワバトが割れた棒を見下ろすと、ぴしりと鞘に刀を戻す音がした。


「獲った」


 泡はまだ消えない。だが、もう作る事は出来ないだろう。

 ユウタは倉庫にあった小道具を適当に選び、それを泡へと投げ付ける。接触した木を腐らせ、金属を焦がす毒をすべて駆逐した。ワバトは黙然と動かずに立っている。

 ユウタが掌を突き出せば、触れてもいないワバトの体が後方へと飛んで、支柱の一つに叩き付けられる。呪術師には目を合わせてはならない、耳を傾けてはならない、触れてはならない。これを徹底し、ユウタは最後に氣術で止めを刺した。

 体を打った痛みに脱力したワバトは、その場で床に草臥れた。歩み寄ったユウタは、草履の足の裏で蹴って彼を転がし、両腕を後ろに回させて手首を堅く紐で縛る。逃れられないよう、袖などに仕込まれた刃物が無いかを確認した上で、さらに柱へと縄で括り付けた。演劇に必要な道具が揃えられており、脱出劇もあるのか、そういった道具もあって拘束にいちいち工夫を凝らさずに済んだ。


「お前は、自分よりも他人を優先するのか?」


 顔を伏せたまま、ワバトが喋った。恐らくユウタに問い掛けたのだろう。振り返って、ユウタは慌てて視線を逸らす。正視する、視線だけで呪術によって嵌められるかもしれない。その危険性を考慮して、全員が同じく違う方向を見ていた。


「いや、そんな事は無いよ。他人は他人でも、自分の思い入れのある人間だけを優先する」


「刺客に仲間はいない」


「僕は刺客じゃない。この技は暗殺者のものであるけれど、それでも人殺しが生業じゃない」


「ニクテスは、無様だ」


「そうでも無い。僕もそういう環境の傍に暮らしてた。でも、彼等が不幸だった事はなかったよ。形は違えど、自分の幸せを作っていた。それを個人の意思で批判することはできない」


 ワバトが口を噤む。

 確かに理解できる。それはワバトが懐いたニクテスへの印象に過ぎない。全員がその感性を共有しているわけでは無いのだ。

 少年の郷愁に細められた瞳に、その想いの強さを感じて、ワバトは口を閉ざした。これ以上の否定は無意味だと感じて。彼は二度と口を開かなかった。

 そう、二度と。







   ×       ×       ×





 七本の剣を随える純白の魔女。神々しい光を人の形にしたような姿は、どんな人間の目よ眩ませる。アレオもまたその一人、思わず目を右腕で咄嗟に庇うように上げた。


「終わらせてやるわよ」


「ふ……やれるなら、ね」


 挑発的な態度のアレオは、内心で剣の動きに注意していた。見逃した途端に、串刺しにされる未来の姿が脳裏を過る。予知能力を持っているわけでもないのに、鮮明に思い描けたその光景に背筋を恐怖が撫でる。

 鮮紅色の刀剣は、切っ先を地面に向けてムスビを中心に環を描いて回っている。ムスビが両腕を広げれば、その内の四本が空中で横倒しの状態になると、風を巻いて走る。その速度は、アレオにも視認できなかった。いや、生物が捉えうる範疇を逸脱していた。

 アレオの右腕と左脇腹を深く抉り、鳩尾と左足に深々と刃が突き刺さる。血反吐を壇上へと撒き散らして、思わず仰け反ったアレオに追撃を掛け、彼の体を切り裂いて過ぎた刀剣の二本が翻り、今度は後ろから背中を貫く。

 鮮血が床を凄惨に染め上げる。彼を中心に猟奇的な殺人現場が完成しようとしていた。しかしムスビが操作する魔法の剣に貫かれていながら、アレオの心臓は鼓動している。

 上体を勢いよく戻したアレオの顔は、今まで以上に口角を上げて笑っており、口の裂け目から流血が顎を伝って首筋を洗う。


「やるじゃないか魔女!それなら、これはどうだぁ!?」


 アレオが頭を大きく下げると、突き刺さっていた剣を弾いて、大きな「手」がムスビに向かって直進する。ただでさえ、樫の木のような太さをしていたそれを、更に数本束ねた巨大な「手」は、床を抉り道を刻印しながらムスビを正面から襲う。

 ムスビが両腕を目の前で交差させると、それを合図に四本の剣が鎬の部分を交錯させて盾となった。その防御を上から猛打する怪物。その力に圧され、ムスビの足が後ろへと下がって行く。

 刀剣に先端を激突させていた「手」は、依然として刀身に向かって力を加えながらも変形し、二つに分岐した指先が無防備なムスビを左右から挟んだ。深く胴に食い込み、ドレスに赤く滲んで血が噴き出す。吐血したムスビを掴み上げて引き寄せる。


「アッハハハハッ!!死ねぇ、魔女ォ!!」


 強引に引っ張られるムスビに向けて、拳固を振り上げる。魔族の腕力ならば、魔女の肉体を歪な塊に変えるのは造作もない。


 アレオは勝利を確信して、渾身の力で腕を振り抜いた。上から魔女の頭蓋を叩き割る一撃――それは届かなかった。

 彼の残った左腕さえもが、天井に向けて吹き飛んだからである。防御の陣形を固めていた刀剣四本が、アレオに引き寄せられるのを利用して、全身を射抜く矢となっていた。その体内を七本の切っ先が掻き分けて貫通しており、傷口から絶え間なく血が溢れる。

 至近距離に寄せたムスビの顔に、アレオの喀血が貼り付く。既に道化師の化粧は血に濡れて、より醜穢なる容貌となっていた。

 「手」がアレオの体へと引き戻される。切り裂かれていた傷口を治癒しながら、ムスビは昂然と立って彼を睥睨する。


「あたしの勝ちよ。これであんたは終わり」


「ふざけッ……んなよ……!」


「まだ足りない?それじゃあ……」


 ムスビが後方へと遠く距離を取る。羽毛が宙を舞うように優雅な所作で引き下がると、その掌をアレオへと翳す。

 七本の剣に穿たれた体では追う事も出来ず、苦し気に見上げる。白い影が舞台の上を飛んでいる……その奇観に笑った。


「さよなら」


 剣が光を放つ。

 周囲一帯を呑み込んで大きくなる強い光に包まれ、アレオは目を閉じた。







   ×       ×       ×




「何だ……?」


 演芸場へ上がろうと動き出した時、地下が大きく揺れる。柱の上に堆積していた埃や虫が落ちる中、三人と柱に拘束されたワバトが訝しげに天井を見上げた。舞台の方ではなにかが起きている。それは確かであり、果たして何なのかまでは断定出来ない。

 思考するユウタは、ふとワバトの頭上の天井が軋む音を聞き咎めた。上からの衝撃または多大な重圧に耐えられずに、内側から分裂していく木の悲鳴。


「まずい、ワバト……!」


 ユウタが彼に向かって走り出そうとする寸刻で、天井が崩落した。瓦礫が容赦なく降り注ぎ、その中にワバトの姿が消える。ドゥイが胴に腕を回して引き寄せたことで、ユウタは巻き込まれずに済んだ。ミシルは土煙と粉塵に隠された瓦礫の山を睨む。

 一階と思われる演芸場へと続く孔、そこから誰かが降りてくる。警戒に全員が得物に手を伸ばしたが、身に覚えがあった気配にユウタが二人を制止する。

 土煙の中、静かに現れたのは白いドレスの女性――数日間も行動を別にしていた仲間の華やかな姿である。ムスビは少し血に濡れており、苦笑しながら進み出て、ユウタに片方の瞼を閉じてみせる。ドゥイがその美しさに息を呑む中で、ユウタは彼女に近付いて外傷が無いかを確認する。

 血で汚れてはいるが、その箇所には見られない。返り血にしては異質……。


「お疲れ、かなり派手だね。誰と戦ってたの?」


「殺人鬼よ」


「え、自分と戦ってたの?何か凄いな、君を尊敬しちゃうよ」


「そうよ、あたしを崇めなさい」


 軽口の二人を唖然として見つめるドゥイは、瓦礫の上で蠢く影を見咎めた。


「おい、ユウタ……何かいるぞ……?」


 一座が視線を移すと、土煙の晴れた場所からアレオが現れた。袈裟懸けに体を断ち斬られたように、右半身と胸から下の身体を失いながらも命脈を保つ怪物の生命力に、全員が目を見開いた。あの状態で、未だ活動が出来るのか。

 ムスビの魔法による刀剣の爆発、それを体内で受け止めたアレオの体は四散し、肉体の七割を喪失する損害を受けたが、難を逃れた心臓が残り、弱々しくも生き延びた。

 傷口から触手が生え、身体を支えている。


「こんな所に居たのか……正義の味方」


 ユウタは視線を合わせない。アレオの居る瓦礫の下から、ワバトの血が滲み出している。それを見詰めながら応えた。


「僕は正義じゃないし、アンタなんてどうでも良い」


「ねぇ、私を殺してくれないか?」


「お断りだ、もうアンタは僕らを害するほどの余力も無いだろう」


「さあ、どうだろうね」


 アレオは触手を一座へと伸ばした瞬間、動きを止める。硬直して、虚空を見上げたままの彼を注視していると、その首が瓦礫と共に転がった。

 胴体の後ろで、いつの間にか移動していたミシルが糸を両手に携えていた。その細く銀の艶に濡れる糸から血が滴っている。


「行きましょう、師匠」


「……そうだね、ムスビは助けたし、此所を脱出しよう」


 一座は隠し扉へと向かい、倉庫を走った。恐らく地上では呪術から解放された町人達が、多少の違和感を胸に残しながら、いつもの日常へと還っているだろう。それでも、ユウタとムスビを狙う刺客もまた中に紛れている筈だ。

 ユウタはふと、先程のミシルを見て恐怖した。気配の消し方、この異常事態でも新たに現れた敵に動揺せずに襲い掛かる行動力。彼女は自分よりも人を殺める才がある。

 それが時に危うく感じて、ふとガーゼの言葉を思い出す。「娘を頼んだ」という、その言葉にはどんな真意があったのか。ユウタは疑問を抱えたまま、地下水道へと出ていく。


 ミシルは糸に付いた血を拭って束ね、腰に提げる。あの道化師――アレオは、恐らく誰かと喜びや怒りを分かち合えるユウタに嫉妬していた。そしてまた、それが自分自身には出来ない“正しい形”だと羨望し、彼を正義の味方と称したのだろう。ならば、ミシルのように人を容易く殺め感情を不要とする刺客に殺されるのは、アレオにとって途轍もない悲劇の終幕だ。

 カーゼから受け継いだ糸を見詰める。彼は刺客ではなかった。自分に愛情を注いでくれた人間だった。あの人を目指す自分は、刺客では無いのか?

 釈然としない思いに悩まされながら、ユウタ達の後に続いて演芸場を出た。















今回本作を読んで頂き、本当に有り難うございます。

あと何話になるかはまだ判りませんが、近い内に五章は完結となります。

次回も宜しくお願い致します。

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