穢れる白雪姫(3)/義憤の叫び
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西国の王は、春に勃発した国境での騒擾と度重なる国内の怪異な事件に漠然とした恐怖を懐いていた。突如として、何の脈絡もなく国と国が触れ合う、形式上は締結した平和条約によって互いを牽制し合ってはいるが些細なことで火種が業火へ化してしまう一触即発の事態である。それが二〇年前から守られ、その剣呑な雰囲気の中で沈黙していた両者の禍根を際立たせ、再び大きな戦火へと育てようとする不穏な輩がいる。
東国にとってこの卒然と現れた戦場が望外の事態であった。もとより、その国を治め戦役にこそその手腕を振るってきた総督アカヒゲは、長らく国内の事情にのみ着眼してきたその能力を、遂に己の職能を活かせる現場を見つけて遺憾無く振るう所存だ。仮に西国が如何なる条件や妥協を提示しようとも、理由を付けて弾くのみ。侵略と蹂躙こそ至高とする武の国であるセンゴク――東方の表意文字に「千極」と書くこの国は、あらゆる武術が息づく国であり、千の極みを有すると言う謂れである。すなわち戦場にこそ華あり、命の差し合いにこそ生ありと躊躇わずに応える。
前回のベリオン大戦について、総督アカヒゲは不覚にも一人の刺客に怯えてしまっていた。その身を守るのは、国の中でも一騎当千を為す八人の戦士、これによって西国から遣わされた如何なる刺客も退けてきたが、両者の中間に立って、ただ戦争を穏便に終結させようと図る東方と西方の血が混在する聡明な一族「カルデラ」より、休戦の申請となる書簡を届けに来た者がいる。
戦争を推し進めていたアカヒゲが、これを承諾する魂胆はなかった。たとえ一国の姫による治癒で劣勢の中にも気概を取り戻した西国が奮起しようとも、再び押し潰せば良い。――だが、当日から名を轟かせていたヒビキ・カルデラが寄越した間者は、そういった我欲や権勢では通用しない、無類の刺客である。
一見は初老の男、一掴みにも足らない細身の杖とカルデラからの書状のみを携えた人物を、一体誰が慴れるのか。無論、遣わされた人物の粗相だと偽装して即座に殺す心積もりであったアカヒゲは、容赦なく八人の護衛を仕向けた。どれもが単騎で夥しい死屍の山を作り出す死神である。だが、この初老の男はそれらを総ていなし、必要とあらば一刀の下に再起不能の身にしてしまった。
丁度、それを目前で見せ付けられてしまったアカヒゲは、命の保守の為にもやむを得ず休戦を呑む他になかった。
そして現在――年月を重ねて肉体は衰えようとも、その能力に関しては評価を数字に表記しても、一切の低減も無い健在のアカヒゲは、二〇年前に戦場で散ったとされるヤミビトの噂をまったく信じておらず、結果的にそれが正しかったと知る。西国で密かに有名となっている少年――そんな取るに足らない一国の長が、耳を掠めたその情報に戦慄したのだ。「二代目ヤミビト」、よもや弟子が存在したのか、そしてその役をまた後継した新たな化け物がいようとは。
アカヒゲは西国に対し、即座に少年を排除するよう勧めた。無論、交換条件としては争乱の鎮静化と共に以前の平和を取り戻すという。少年さえ排除できれば、再びこの大陸は自分の趣向に適応した環境へとなる。
少年が国家転覆罪となった実情は、単に彼を畏れた総督の意図があってのこと。少年我知らず一国を敵とする身になっているという事は、二つの国の中枢を除いた余人には知れない秘密である。
そんな中、東国の中枢に来訪者があった。氣術師を自称する者は、総督に対して一つの情報のみを伝えた。
半世紀以上も前、過去に大陸を治め、忽然と姿を眩ませた幻の皇帝、その血族が存在するという。その血には、北大陸を統べる主神に授けられた西国の『御三家』を凌駕する「加護」を宿しているという。伝聞ではあるが、人目を絶えず惹いてしまう美貌を備えた娘。蹂躙、いわば相手を屈服させる事を趣向とするアカヒゲには、余人よりも強い女癖がある。それを除いても、信仰国家である西国にとって皇族の「加護」は絶対の意味を成すだろう。ならば、この娘を手に入れれば、あの「二代目ヤミビト」による阻害も意に介さず戦に興じることができるやもしれない。
その娘に興味を示したアカヒゲは、即座に遣いを放った。国の槍と称して恥じぬ強者、総督を守護する八人の戦士の一角に迎えに行かせた。
これはそれよりも更に少し先の話であり、追々語られて行く事だが、遣いが届いた頃には娘が姿を消していた。後に、その戦士と娘が邂逅したのは少し後。そしてアカヒゲはまたしても、二代に亘って己と敵対する殺し屋の存在を知る事となる。
× × ×
場内を駆け巡るのは、灰色の波。殺意と狂気に満ちた先端は、今も獲物を求めてその五指を拡げて障害物を潰しながら蛇行する。蜿蜒と追跡する「手」は、座席の上を走るムスビを捕まえるのに難儀していた。この少女は魔法のみが取り柄であると踏まえ、至近距離で執拗な攻撃を続ければ間違いなく勝てると確信していたのだが、実際はそれを裏切る結果だった。
高い身体能力で悉く回避して見せ、さらには猛追する「手」と本体であるアレオに対して攻撃を止めない。強靭な肉体と生命力を有する魔族のアレオは、たとえ魔法の一撃、二撃程度の命中でも回復は可能だ。少し時間を置けば全癒してしまう。戦闘は平行線を辿るように見え、実は着々とムスビの方へと傾き始めていた。
追い詰めるほどに魔力の威力の上昇、次撃までの所要時間の短縮が目に見えて判るようになってきた。これでは幾ら肉体の強さを自負しているアレオでも、ただ少女の疲弊を待って「手」を駆動させるのみでは負けてしまう。
ムスビは身体能力の強化は出来ない。それは魔法という現象を発生させる技とは違い、人体に変化を与える呪術にも不可能である。相棒のような人間――すなわち氣術師が得意とする体内の氣を操る術に関しての知識は無かった。尋常な体術では「手」の猛威を避け続けるのは難しい。
ならば、とムスビは奇策を講じる。魔装という、物体を媒体として魔法を付加し、超常の道具を作り出す技法があった。実質、戦闘の際は純粋な魔法か格闘で敵を倒すムスビは、武器となる得物も無ければ、それを用いて魔装を使った経験も一度だけである。土壇場でこの力を実践する事に躊躇ったが、目の前に危険が押し迫っているならやむを得ない。
故に、ムスビが選択した魔法を付加する道具――それは体。相棒からは、魔装のように火力に欠ける氣術を体や物に使用することで絶大な力を生み出す使い方を聞き及んでいた。そしてその中でも気を引いたのは、氣巧拳と呼ばれ、肉体を氣を固めた鎧とすることで物理的な攻撃力と肉体の耐久力を向上させるもの。
無論、それは初見で為すのは困難だし、何より使われている場面も見たことがないムスビには、基本の型となる見解が大いに欠落していた。ならば、一部に限定して魔法を使えば良い。肉体とは言わずとも、例えば地面を蹴った際の脚力や地面の反発力に付けたらどうだろう。
常人が実現にも数ヶ月、或いは数年、さらに言えば一生を費やしても果たせない技を、その場で考案し、実行し、成功してみせたのはムスビにある天賦の才、魔術師としての力だ。
「手」を躱わし続けたムスビの驚異的な身体能力の秘密は、そこにあった。
アレオの焦慮を知りながら、涼しげに体力や魔力を温存しながらも、絶大な効果を発揮する己の魔装に自然と笑いが込み上げる。リィテルでの魔力濫用によって、ムスビの魔力量は余人には理解の範疇を超えた部類、その中でもさらに稀有とされる位階にまで到達していた。本人にも自覚はあり、あれから魔力の枯渇に悩まされたのは、大抵が大きく魔力を消費する上級攻撃魔法などの連発があった時ほど。しかし、その底は次第により深くなっている。
回避と共に攻撃を繰り返しながら、ムスビはまだ余裕があった。この戦闘を数時間続けても、まったく問題の無いほど冴えていた。これならば、焦れたアレオが決めようと自棄になって生んだ隙を見て、最大火力を叩き込む。相手が動く前に余計なことはしない、逆にこちらが急げばそれが一気に己を追い詰める行為になる。虎視眈々と狙う態勢で、今は相手の攻撃をいなす事に専念した。
「随分と、余裕だねッ!」
歪な笑みを口許に湛えた道化師が、少し声を張り上げて目の前を跳躍する白い影に話し掛けた。「白き魔女」と世に恐れられるのは、まだ成人したばかりの年齢の少女。まだ子供とも言える相手に、飄々としている筈の道化師が焦りや不安をその面に滲ませている。
それを嘲るムスビは、下から網状となって上ってくる「手」に出来た“網の目”に身を躍らせ、すり抜けてアレオへと風の矢を作り出す。
「《風の猛り》!」
散乱する瓦礫を巻き上げながら、強風がアレオの右側から強襲する。これに対し、「手」の一本を自身を中心にとぐろを巻く大蛇のような形態にして構え、風を防いだ。頑丈で巨木を何本も束ねた太さの「手」に伝わる衝撃に、アレオは我知らず苦笑した。これを至近で食らえば、戦闘不能になるに違いない。
防御から攻撃へ転じ、自分を守らせていた「手」の盾を解除して、それを撓らせ地面を穿ちながらムスビへと放つ。会場を盛大に砕く灰色の鞭の軌道を読み、自分が備える体術と付加した魔法による瞬発力で難なくかわした。その行動を先読みして潜んでいた第二の「手」が襲い掛かろうとも、臆さずにムスビは相棒を倣って軌道に身を寄せるように体を運んで、捕まれるか否かの寸前で退いて避けた。こういった動きもまた、相手を翻弄する筈の道化師がされて最も嫌がる行動。意地悪な笑みを浮かべて、ムスビはアレオを中心に円弧を描いて走りながら「手」を避ける。
「その回避、いつまで続くかな?」
「試してみる?かなり時間の無駄になると思うけど」
わずかな労力で生み出す強大な力。ムスビが発案した急造の技に、こうも弄ばれてしまえば、相手を嬲る事に快楽を得てきたアレオは泥を飲まされている気分だった。あの自信は擬勢ではなく、紛れもなく長時間を維持できるという判断から出来ている。
「手」を操作するのに体力は要らない。だが大きな変化を望む道化師の質が、拮抗した状況が何よりも嫌いだった。犯す、侵す、冒す、これこそ彼の流儀であり最大の悦。膠着状態こそもっとも忌避するものだ。
「ほら、そこよ!」
「!?」
ムスビが唐突に発した魔法が、触手の根本である背中の下部、腰の辺りに直撃し凄まじい熱量が爆裂する。背後で爆発でも起きた衝撃は、アレオの腰で火柱を上げて「手」と彼を分離させる。爆風に煽られ、その場に切断された「手」を残して壇上を転がった。床に伏せた彼の体から、煙が立ち上っている。
アレオによる攻勢が止まり、ムスビは舞台に上がって彼を見つめる。動く気配があれば、即座に魔法で狙い撃つ。警戒心を緩ませずに構えていた。
「……私はいつも、独りだった」
「まあ、確かに友達が居なさそうね」
「私の才能を妬み、恐れ、忌む者で常に私の世界は完成していた。新天地でもそう、だからこそ己を充分に誇示するには、人の恐怖が催す血生臭い惨状にこそあると考えたんだ」
床に俯せに倒れたまま、アレオが語る。
「期待には応えまいと反発したさ。そして、私は遂に娯楽を手に入れたんだ」
「……ふーん、あたしとは逆ね」
「だろうね、そんな人間だと思った。だから」
言葉の途中で、ムスビの足下の床を突き破って「手」が出現する。あまりに突然のことで対応できず、その手中に捕らえられた。少女の体を労る配慮の欠けた力で圧迫する五指に抗い、身動ぎするムスビを見上げながら、身を起こしたアレオが大口を開けて叫ぶ。
アレオの肌が灰色に汚れていく。額に亀裂が生じたと思うと、そこに新たに二つの眼球が現れた。さらに手足を、細い触手が覆って皮膚上に新たな筋肉を組成していく。より魁偉に変化していくアレオの変貌を、ムスビは見下ろしながら苦しみに喘ぐ。
「――だから嫌いなんだよ!苦しむ顔がみたいんだ!」
ムスビを掴んでいた「手」が動く。縄の先に付けた石を投擲せずに、いつまでも振り回すように彼女を壁に叩き付けながら、アレオは怨嗟に満ちた声を張り上げた。そこに先程まで必死に崩さないよう努力は無く、鬼気迫る表情で醜く歪んでいた。
壁に引き摺られ、血を振り撒いたムスビは天井へと投げられた。空中で脱力した体が揺れる。眼下の景色に、こちらへ灰色の奔流が襲って来ている。獣人族の身体強度でも先程の攻撃を受けたのは手痛い。痛みに回避も叶わず、ムスビの両の脇腹を大きく刺又の形に変形した「手」が抉る。血飛沫と共に、力なく壇上へと落下したムスビの体を床に叩き付ける鈍い音が響く。
「さぞや期待されて、尊敬されて、重宝されたんだろう?気に食わない、だから潰してやる、私の手で、その美貌も才能も、微塵にしてやる」
血溜まりの中で横臥していたムスビの体が起き上がった。アレオの魔族による視力が、脇腹を捉えた痛撃の痕を癒していく様子を映す。かなり深く傷付けた筈だが回復が早い。あれだけの出血でありながら、まだ動けるのか。
ムスビが立つと、足許の血の池が虚空に浮き上がる。その一滴が、一条となって、さらに団塊を成して形を作る。ムスビを囲い、数本の剣が浮遊した。あの血の量で生成したとは説明が付かない、六尺ほどの長さをした鮮紅色の刃。それぞれが独自に動いて、奇妙に交錯していた。
まだ頭部から血を流しながら、ムスビの双眸がアレオを睨め上げた。琥珀色の強い眼差しに射られ、思わず後退する。
「確かに、あんたとは違う。誰かの為に戦う事が多かったし、誰かを救う為に身を張ってきた。それが当然だと思ってる、それがあたしだから」
ムスビは自身を育てた獣人族と、共に鍛え合ったジンを想起した。常に周囲からの期待と羨望を受けたし、そこに悪意がないと判ったからこそ純粋に応えようとした。時にその立場を辟易したこともあったが、それでも折れずに前進できたのは自分を信頼してくれた人間の存在。その為なら、力の行使を迷わない。いま、ムスビが相棒を守りたいと思うように、この力を誰かの為に使っている。
アレオとの共通点は、才能と欲深さ。ムスビも欲しいものを手にする欲求が強く、入手する為なら如何なる手段も厭わない。わずかに、しかし決定的に違うのは自分を取り囲んだ人間達だけだ。
「あんたは、自分で自分を貶めてるのよ。そういう環境を覆す為の努力をしなかった。逃げた理由を周りの人間にして、ただ今も逃げてるだけなのよ」
「……何だって……?」
怪物の瞳が動揺に揺らぐ。その相貌は驚愕と憤懣が混在している。
ムスビの体を包んでいた光が強さを増した。服を溶かして、それは形を定める。白い絹のように滑らか、純白の輝きを閉じ込めた裾の長いドレスへと魔力が変化した。血に汚れながら、新たに纏った白く優美な服。
「……穢れる白雪姫」
思わず呟いて、そして得心した。自分が整えた舞台の趣旨は、血に穢れて無惨に死に行く美しい娘の悲劇。だが、今眼前で繰り広げられているのは、それとは正反対で想像もしなかった場面。血に穢れながらも勇猛な姿を見せ、さらに強く美しくなる魔女の姿だった。
「あたしは、あんたには負けない!逃げたあんたには、絶対に!」
決然とした意を込めて、ムスビが叫んだ。
× × ×
ムスビがアレオと鎬を削る中、その直下にある大道具倉庫にて三人は敵と対峙していた。一枚の布を巻いて作られた帽子に、足首まで隠す長衣。歩く度に地下に谺するのは鈴の音である。口に銜えているのは木の枝――だが、それに三つの穴が開けられており、息を吹く度に枝先に付いた一枚の葉が揺れる。
ユウタは耳を責める強い音の震動の中、その枝を朦朧とした意識の中で見咎めて得心した。この音響、自分の体を不調にする禍の元はあれか!あの枝――いや、『笛』を奪ってしまえば、力を充分に発揮できる。
ドゥイは真剣な面差しで、対峙する敵を眇て見る。橙色の頭髪が長く、目元まで隠している。しかし、毛の間から覗いた瞳は鋭利な刃物が持つ輝きを連想させる鋭さを秘めていた。それだけで、これまでの敵とは異なる存在だと認識する。
観察する二人の傍、息荒く今にも崩れそうなユウタの体を支えていたミシルが恐怖に震えていた。顔面を蒼白に、小さく摺り足で後退している。様子の異変を悟ったユウタが心配に見上げれば、首を振って訴えていた。
「駄目です!こいつは危険です、一度撤退しましょう!」
「どうした、ミシル!ここまで来てとんずら出来る訳がねぇだろうが!」
怯える彼女に怒声を上げたドゥイを、恨めしそうに見詰め返す。
「あいつは【鷹】の中でも取り分け危険な奴です……呪術の手練は桁外れ、師匠とは相性が悪すぎます!」
ユウタは改めて、敵の姿を窺う。これがいま地上に居る町人を操る呪術の根源かもしれない。つまり、この敵を倒せば後々、脱出にも難儀せずに済むだろう。だが、敵はミシルの言う通り、ユウタとの相性が最悪である。まともに戦えば敗北は確実だろう。あの『笛』を奪うまでが長く、果てしない作業に思えた。
「ニクテスと……知り合いか」
正面に立つ刺客が小さく呟いたのを、ユウタは聞き逃さなかった。彼の視線が、自分が首に提げている琥珀の首飾り――南の離島に住む少女テイが別れ際にくれた贈り物だ。それを見て、何故この男はニクテスと関係している事を理解したのか。
橙色の頭髪……強力な呪術師……ユウタの頭の中で、小さな破片が大きな物語を作り出す。相手の素性を、ユウタは察したように思えた。
「まさか、テイの父親……?」
ユウタが口にした言葉に、相手が動揺した。
間違いない。この男は、ユウタが話に聞いた人物だ。何年も前に、ニクテスの手を掻い潜って島から逃走した呪術師、テイの父親である。彼がニクテスに働いた狼藉によって、娘である彼女が忌諱されていた。所在を眩ませていた裏切り者、それが目前に現れたとなって、ユウタの驚愕もひとしおだった。
「そうか……テイの知り合いか」
「ええ、彼女には世話になりました」
「そうか、だが娘は関係無い。元より捨てた子だ、どうでも良い」
刺客が長衣の中から手を出すと、そこに白い光沢を放つ棒を握っていた。一尺ほどのそれを、宙に文字を描くように振るう。その所作を怪訝な表情で見詰めていた三人の目が、闇の中で蠢く何かを捉える。
ユウタ達の前に、闇の中から次々と姿を見せたのは人形。木で組まれた人型のそれは、見えない糸で操られているのか、独自の意思を持つようにそれぞれがユウタ達に向かって武器を持って構える。
「……【傀儡遣い】のワバト!」
ミシルが敵の名を告げる。
同時に、一斉に人形が駆動した。地下の中に騒がしく雑踏が響いた。それが重なり、ユウタ達を目的地に集結する。凶刃を振る人形を戦鎚で薙ぎ払うドゥイと、ユウタを連れて後ろへと引き下がるミシル、そしてその戦いを静かに眺める刺客ワバト。
人形を破砕するドゥイの周辺には、木っ端が散乱する。下半身を失ってなお、未だに動く人形の頭部を踏み砕き、さらに竜巻となって肉薄するワバトの使い魔を退けた。これならば、さほど脅威ではない。ワバトの戦力が人形のみならば、ドゥイだけでも勝てる。
人形の輪を砕いて直進し、ワバトへと飛び掛かる。
「おおおおおお!」
「甘いな、小人族」
自信を崩さないワバトが指を鋭く鳴らした。何かの合図かと身構えたドゥイを、右側から闇の中より現れた何かが殴打する。衝撃音と共に、その矮躯が鎚を手放して林立する柱の一つに叩きつけられた。
ドゥイを殴り飛ばした物は、ワバトの横に頭を下げて座る。
ユウタほどの背丈に、その筋肉は渓谷のように深い凹凸を作っていた。皮の鎧を着込んで、左腕には盾を装着した深緑の肌の魔物。口からは著しく長い歯が突き出しており、それがその顔を醜く見せている。ドゥイには、これがシエール森林の中に棲息するゴブリンだと判った。大概は大陸の何処でもその姿を見られるゴブリンだが、シエール森林に住むモノはまったく違う。二尺ほどしかない体躯が通常であるのに対し、人と比肩できる背丈をしている。高いもので六尺あるが、このワバトという男がそれをやや下回るほどのゴブリンを操っているのは、俊敏に動ける大きさに都合が良いと考えての事だろう。
ドゥイは立ち上がろうとして、人形の残骸を踏みながら、耳鳴りに悩まされながらも進むユウタを凝視した。
「お、おい、無茶はすんじゃねぇぞ!」
ドゥイの声に、ユウタは精一杯の笑顔を作る。それがやはり苦しそうであるのを見て、ドゥイも呆れて嘆息をついた。
ワバトの前にふらふらと進み出たユウタは、彼に劣らぬ気迫のある眼差しでゴブリンを睨んだ。
「テイに、何の思い入れも無いんですか?置き去りにした家族に、何の悔いも無いと?」
「ああ、そうだ。
シャンディとして警備に勤しんでいた私は、ニクテスの体制が嫌いだった。閉鎖的な島で一生を浪費する様は見るに堪えない醜穢。だからこそ、私は島を脱した。ニクテスと関わる者を全て捨てて」
憎悪に満ちた声音で、ワバトは話す。
ユウタはそれが、ある人物と重なって見えた。数ヶ月前、燃える村を背に佇む男。本来、彼はその村を守る為の役割を担っていた筈なのに、それを裏切った――守護者ギゼルである。
だが、彼とワバトが異なるのは、故郷を捨てた理由。ギゼルは娘の為に村を焼き、ワバトは家族も捨てて島を逃れた。愛する者か、それともそれが自分自身か、その点におければ両者の異質さが判る。
「……そうだな、僕もそういう人間を知ってる。実際、その人の所為で僕も森を出る事になったんだ。でも、その人は娘を愛して、娘が固定された世界に閉じ籠るのを嫌って、守り続けた村を捨てたんだ」
「……」
「確かに酷い事をしたって、彼を責めるけど……それでも、僕は彼が好きだよ。大切な人の為に、そこまで強く行動できるのが凄いと思う。
僕の師匠もそうだ。自分の幸福を拒否してまで、愛情を注いで育ててくれた。僕の為に、その人生で得られたであろうモノさえも捨てて」
ユウタはワバトを見上げた。表情に変わりはない。やはり、テイに対する心情を微塵も持ち合わせていないのだ。
ならば、もう惑う余地などあるだろうか。現在の彼は、テイの父親でも無ければ、ニクテスの守護者でもない。――ユウタの敵、立ちはだかる障害なのだ。言葉を交わす必要もなくなった。
ユウタは懐にあった手拭いを噛み千切り、それを唾液で湿らせて丸めた物を二つ作り、それを両耳に填める。強かな音圧に叩かれていた耳の痛みも引き、ユウタの中に冷静さが取り戻されていく。その胸の芯から冷めて行き、体内は凪いだ湖面のように落ち着いていた。
「アンタは僕が嫌う人種だ。相手がどうなろうと知らない、その部分は僕と同じだけど、私欲だけで動くアンタとは違う」
「ふん……」
ワバトは少年に対して顔を顰めた。なるほど、自分も彼が嫌いだと。己を優先する事の何が悪いのか。いや、そこに善悪は無い。ただ、少年にとって許され難いというだけの話だ。
噂に聞く【梟】の名の通りだ。肝が据わっていて、不調でありながらも敵に臆するどころか果敢に立ち向かう様子、恐れを知らぬ梟の目と同じだ。
ユウタは杖を後ろに引いて、柄に手を添える。ワバトの目が険しくなり、口許が引き締まった。両者の醸し出す闘気に周囲の空気が緊張する。ドゥイも、引き留めなくてはならないミシルも息を呑んで見守っていた。
「僕は、アンタなんかには負けない!大切なモノを捨てたアンタには、絶対に!」
揺るぎ無い意思を胸に、ユウタは踏み出した。
今回本作を読んで頂き、本当に有り難うございます。
次回、四章最終決戦です。
【梟】のユウタVS【傀儡遣い】のワバト。
「白き魔女」ムスビVS「ジョーカー」アレン。
この二本立てとなっています。
次回も宜しくお願い致します。




