表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:ミシルと罠師の糸
94/302

穢れる白雪姫(2)/死神の足音

更新しました。



 風に乗り、その言葉は山を越えて仲間の下へと馳せる。クェンデルの雲海を滑るように飛翔した魔法の手紙は、命を得たかのごとく鳥の形を模して撓った翼は空気を孕んで叩くと、速度を増してさらに進む。下では豪雨に晒された大地を走る手紙の送り主と、そして烏の戦いが始まっている。

 だが、手紙には意思はない。ただ主の希望した――『できる限り早く』に従い、それを完遂する為に目的地へと飛ぶ。視覚もなければ聴覚も無いそれが、送り主の焦燥感を背に急いでいる様子は奇妙だった。


 空へと舞い上がってから二日後――。

 放たれた四通の手紙は、それぞれ同時に届いたのである。東国センゴクの東端にある山里、そして今どこかに居る嘗ての知人。信頼に足るその人物達に綴った内容は、極めて滑稽だと嘲られても仕方がないほど、突拍子も無い話であった。そこにあるのは、全く以て彼等には関係も無い、あったとしても、知らないの一言で一蹴されてしまうのが当然であろう情報。

 だが、送り主が信じた者は違う。彼らは、送り主の尋常ならざる事情、そして性格を知る。故に、それが事実であり、また冗談でないことも即座に承知した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――嘗ての仲間へ。

 この手紙が届いた頃、僕は貴方達と過ごした時と同様に、町にて敵との戦いに身を投じている。あれから、様々な事が判明して己の立場というものもおよそ把握できた状態にある。今は貴方達も知っているか、国家転覆罪の容疑で指名手配される身に成り果てた。

 無論、濡れ衣である。穏便な旅を所望する僕らにとって、全く縁の無い事実無根の罪。

 さて、以下の事を踏まえた上で、僕が今回あなた方に手紙を送った理由を説明したい。


 まず一つ。

 この大陸が再び戦火に焼かれようとしている。情報に拠ると、国境で勃発した諍い事の発端は黒衣の連中――<(スティグマ)>、またの名を矛剴(むがい)。特徴として、僕のもつ烙印とは違う白い蛇と短刀の紋様、東国の装束。そして――氣術。シェイサイトでは【冒険者殺し】、リィテルでは魔物の大量発生を促した者達。

 彼等は、この国の反乱分子を唆し、そして東西の国の首都を陥落させ、新たに国家を形成し、南の大陸との協力を得て神族への復讐を望んでいる。信じられないかもしれないが、これらはすべて真実だ。また、僕が彼等と遠からず血縁関係にあり、そして対立を選んだ。

 二つめ。

 この大陸が二つに分かたれる前、一人の皇帝が存在していた。大陸を統べるその血族は数十年前に神樹の根本に隠遁し、静かに暮らしてはいたが、夏の火事によって追い出される事となる。その末裔は、貴方達に僕が自慢気に語った少女ハナエであることが判明した。

 奴等はいま、彼女の妹を掌内に収めており、そして同じ血筋であるハナエを障害と見なし、排除しようと企んでいる。私情が無いとは断言できないが、いずれ彼等が国中に振り撒く暴虐を阻止する為に、彼女が絶対に必要となる時が来る。


 僕の願いは、実力も精神も信じられる貴方達に、彼女を守って欲しいことだ。僕は国に使嗾された黒衣の集団が訪れる日、首都にて迎撃しなくてはならない。だが同日、ハナエが襲われる可能性があるのだ。

 返事は短くて良い。

 了承か、それとも反対か。どちらにせよ、僕は貴方達を恨まない。こんな身勝手なことに巻き込んでしまうのは、僕としても非常に申し訳ない上に、君らまでを国家の敵に引き入れる浅ましい願望だ。

 でも、どうかお願いだ、僕の婚約者を守って欲しい。


 そして東国に身を潜める冒険者の先輩には、協力の是非は問わない。だが、情報が欲しい。


 返信を心して待つ。

 最後に僕の本名を明かしておく。この名を下に、返事をくれ。





 ――――矛剴優太(ゆうた)より。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 彼らは目を瞠る。――「僕の婚約者」という点に着目し、大きく笑った。話の規模が国、いや世界の運命に関わるとなれば、身構えるのが当たり前なのだろうが、そうはならない。最後に記されたその名が、あまりにも不格好だった。

 矛もて()る者という姓と相反する性質を持つ送り主の名。なるほど、名付けられた時より対立は必至だったか。


 彼らは手紙に書く。

 自分達の知った話ではないし、面倒事であることに変わらない。国を敵に回せ?戯れも程々にしろ。

 東国に隠れたかの偉大なる冒険者は、己の現状と蒐集した持ちうる情報を残さず書き記した。


 そして、協力を要請された二通の手紙を受けた者は短文を綴った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 手紙・一

 ――親愛なる同胞よ。

 生憎だがこちらも忙しい。だが、興味が湧いた。小僧の婚約者とやらに会ってみたい。この任務、報酬は二人の式挙げとさせて貰う。

 ――――ヴァレンより。


 ――嘗ての宿敵へ。

 冒険者としてではなく、まさか貴様に傭兵として雇われようとは。だが我々はこれを諾とし、その婚約者を守る所存だ。敵がどれほど強大かはまだ知らぬが、貴様には借りがある。返礼には絶好の好機と見て、これを快く引き受けよう。

 ――――クロガネより。


 ――友へ。

 俺の人生を変え、救ってくれた君の願いとあっては、たとえそれが火中に身を投じるような苦行であろうとも惜しまぬ心積もりである。君が俺を頼ってくれた事を心から感謝している。任せて欲しい。

 ――――ティルより。


 手紙・二

 ――我が主へ。

 この身は貴方と主従の契りを結び、生涯の忠誠を誓いました。なれば、この依頼は貴方に下された新たな命令として解釈致します。

 ――――セリシアより。


 ――馬鹿野郎へ。

 漸く一人に定めたか。また行く先々で女の勘違いを引き起こして、引っ掻き回して、捏ね繰り回してんじゃ無いだろうな?良いだろう、祝いとして、何よりお前の相棒の顔に免じて受諾する。

 ――――サーシャルより。


 ――友達へ。

 貴方に婚約者が出来てしまったのは、とても寂しいけれど、惜しみ無い祝福を。外の世界を教えてくれて、そして恋を教えてくれた貴方の為に、戦おうと思います。次に会う時は、仲良くして欲しい、一人の友達として。あと、私の贈った琥珀の首飾りは、ニクテスの風習で『愛する人に贈る物』という意味。婚約者にあげて。

 ――――テイより。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 新たな文字を吹き込まれ、再び鳥は空へと舞い、雨降り頻る町へと向かった。





   ×       ×       ×





 背後からは肉の風――人を圧殺する質量で迫るアレオの放った手は、回廊の壁や天井を押し広げながら進む。一度でもあの中に入れば最期、体は骨の一片に至るまで微細に砕かれてしまうだろう。云わば灼熱地獄と同じく、脳髄を貫くような激痛に全身を焼かれ、自分の体が圧縮されら感覚に呑み込まれていく。

 そんな地獄の模様を想像して、思わず身震いしたムスビは、後ろ手で魔法を乱射していた。虚空を魔力の奔流が蹂躙し、対岸から侵略する肉の川に反攻した。衝突すれば凄烈な火花で屋内を破壊し、盛大に轟音を打ち鳴らす。だが、所詮は魔法である。一度対象に対して効果を与えれば、それは爪痕を残すのみで消失する。故に、再生しながら勢いを止めずに走る触手を消滅させるには至らない。

 高火力の魔法を発動しても、それは同じこと。どれだけ削ろうとも、無尽蔵に触手をムスビを追走する。そこに宿るのは、獲物が疲労と諦念に足を止めるのを待つ獣の狩猟本能ではなく、敵が必死に逃げ惑う様を楽しむ為の嗜虐心。

 悪辣な道化師アレオの攻勢は一向に収まる気配を見せない。途方もない逃走劇、終着点があるとするなら、それはアレオ本人の目の前だろう。誘い込まれている自覚はあった。触手も恐らく、それまでは自分達を殺さないつもりで手加減されている。

 並走するマギトは、新たに懐中の干し肉を頬張って噛む。この状況においても、冷静さを保つ為には何かを口に含んでいなくてはならないという質から、ムスビは彼にまったく真剣さが感じられず苦い顔をした。

 進み続けた回廊の先に、上階へと続く階段。その先で挟み撃ちが待っていないか、そう危惧するムスビの心慮を知ってか知らずか、マギトが干し肉を差し出して来る。それを払いのけて、いちいち考えを巡らせているのが野暮に感じてしまい、ムスビは為すがままに階段を駆け上がった。

 後続する触手の猛追は終わらない。だが、進行方向に待ち伏せが無い事を確認し、安堵の息をつく。あのアレオのことだ、更なる余興として道を途中で塞いでしまうというのも考え得る。

 上階に上がれば、すぐ目の前に扉がある。左右へと等間隔に同じ扉があるのを見ると、ここが演芸場の入り口だと窺える。ここに来ても勢いを弱めず進む触手に迷う暇もなく、扉を蹴破って中へと飛び込んだ。

 入ってすぐ、マギトとムスビは左右に分かれた。たった今自分達が開けた扉を破壊し、触手が雪崩れ込む。先端がゆらゆらと揺れて、束になった状態で暫し出入を繰り返すと引き波のごとく床を這いながら消えた。


「ようこそ、白雪姫」


 響いた声音に、マギトは鉄球を振り回す。感情の希薄な彼でさえ、その声が内側にも谺し、不快感と恐怖を掻き立てられた。鋭い剣幕で周囲を検める。


 建物の入り口と同じと思われる下階には整然と席が並んでいる。中央にある円形の舞台は広く、それを見下ろす形でムスビ達のいる層と上に桟敷席が舞台を方形に囲っていた。天井は磨かれ、さらに意匠が入れられた魔石の照明があしらわれていた。会場の床は毛編みの絨毯が敷かれて、ムスビは思わず足で感触を楽しんだ。

 マギトの睨む前方、そこにムスビも視線を投げ掛ける。

 広場の中心には、光沢を放つ紫色のスーツを着ており、癖のある灰色の頭髪が互いに絡み合って藁のようだった。顔面は白く、眼窩は黒く塗られ、口許は頬に達するまで赤くなぞられていた。目を惹くのは、鼻に付けられた赤い球体が照明を反射して、艶に光っていた。

 その背からは灰色の触手を四方へと伸ばし、下階の入り口に続いている。どれもがムスビの記憶では、ミノタウロスの体躯よりも大きく太く、表面には稠密に重なった鱗があり、物語に登場する雄大な竜族の胴体を連想させた。

 黒の革靴で床を踏み鳴らし、下卑た微笑みを浮かべたままアレオ――本性を露にした「ジョーカー」は、ムスビの居る桟敷席の方を見上げつつ歩いた。手袋を填めた両手で拍手すれば、乾いた合掌の音も曇って聴こえる。

 ムスビは前へと進み、桟敷席の塀から身を乗り出して道化師を睥睨する。彼の所為で、町に到着して以来、まったく休憩が摂れなかったのだ。本来なら賞金目当ての追跡者のみである筈が、たった目に付いたという理由のみで追って来る人種こそ、ムスビが最も苦手とする部類の人間だ。


「よくぞ、この数日間を逃げ切った。改めて自己紹介するよ、私はアレオ」


「この町でその格好、まあお似合いね」


「前まではこんな感じじゃ無かったんだけど」


 肩を竦めると、今度はムスビに背を向けて歩く。すると、触手が彼の体内へと吸収されて行くのが判った。入り口から触手の終端が見え、すぐにスーツの中へと潜る。アレオは息を吐いて、膝に手をついて頭を垂れた。

 ムスビからすれば、今にも魔法で狙撃したかったが、彼の行動はまったく読めない。敢えて攻撃を誘っているのかと深読みしてしまう無防備な体勢。

 魔族という生物に対する経験をもう少し積んでいれば、まだ対処の仕方もあったかもしれない。


「いや~、疲れたね。町中に“腕”を伸ばすのはしんどいよ。でもっ、君の顔を見て全快しちゃったよ!」


「あたしは心底、あんたの顔を見なくちゃいけないこの現状に吐き気がするわ」


 ムスビは冷笑を浮かべ、桟敷席の一つに腰掛けた。長い距離を置いて対話をする二人の落ち着きに、マギトは足音を忍ばせながらムスビの傍に跪く。場内にはマギトの咀嚼音、ムスビとアレオの会話のみ。それら以外は遮断されたように聞こえない。

 姿勢を正したアレオが器用に片足の爪先のみで立って回転する。


「あんた、二〇年前に来たらしいわね。それまで、別の場所でも殺人をやってたの?」


「いや、全然。寧ろ、此所に来て大胆になったかな?ベリオン大戦の時、リィテルの港に居た氣術師と交渉して、私とあと二人、魔族が大陸に航ったんだよ。

 それまでは高い地位で仕事をさせて貰って、尊敬もされた。だが……何も充実してなかった。鉄則を守って、厳かに振る舞わなくてはならない環境は息苦しい……本当の私を見てくれる者はいないのか?」


 アレオが述懐を始め、それを聞き流す。


「当時は血生臭かったからね。私は好き勝手やる事にしたよ。私は内なる本能に任せて人を殺し、そしてそれを衆目が注視することで、私を見てくれる!これほど心地よい事は無いだろう!

 日に日に、如何に残虐に人の命を摘めるか。己の美学を作ろうと邁進したよ、その度に周囲からの感情が募った。それで――」


「あんたは薄汚いゴミってだけね」


 言葉を遮って、ムスビは深いため息を吐く。聞くに耐えないとばかりに、眉根を寄せて首を振る。席の肘掛けに手をついて立ち上がると、塀に飛び乗った。

 話を中断されたアレオは、やや不満そうに目を細めて仁王立ちするムスビを睨む。口許は頬まで塗った口端で笑っているように見えるが、実情は一文字に結んでいる。誰かの関心を得ることこそ、アレオが殺人を犯す動機である。獲物から向けれらる恐怖も、仕出かした事件に人間が表す怯懦こそが悦の糧。だが、眼前の少女は殺人鬼の心理に微塵も興味を示さない。


「あんたの面倒を見てられるほど暇じゃないの。あたしの前に立つなら、一貫して敵、ただそれだけよ」


 こちらへ向き直ったアレオの体が左右に揺れた。

 スーツを破り、灰色の大蛇が姿を現す。町中に張り巡らされていたモノとは違い、眼球と牙の如き鋭利な棘を持つ禍々しい外貌である。錐状だった先端が五本に分岐し、人間の手を模した形態となった。幾重にも幾重にも、アレオから伸びては広場の床を擦り、鈍く叩く。

 あの太さ、長さ、形状、そして重厚な鱗。あれでは魔法が効くのか判らない。変幻自在の触手――いや「手」は、強力な盾にも矛にもなる。加えて魔力を感知して機敏に動く。もし、あの「手」で襲われた場合、攻撃力は魔法と五分か、それともそれを食い破って来るかもしれない。

 ムスビは魔力を漲らせる。微弱に紫色の光を帯び、風の無い室内で体から発散する魔力に髪が靡く。


「さて君の相棒が到着するまで、持ち堪えられるかな?」


「逆に、あいつが着くまでにあんたを締め上げとくわよ」


「いや、気力があって良いね。面白くなりそうだ」


「ふん、今にその顔を泣きっ面に変え――!?」


 アレオが上体を前に倒した。御前試合の前での礼儀のつもりでムスビに対して最敬礼をしたのではなく、「手」を伸ばすべく前屈したのである。伸縮自在の怪腕が一直線にムスビの居る桟敷席へと突き出される。

 盛大に二階席が爆発し、瓦礫が下階へと落下する。粉塵が煙幕となって、壁に突き刺さった「手」の正体を隠す。


「さっきのお返しだよ。人が話してる途中で」


 顔を上げて笑ったアレオを、正面から鉄球が強襲した。その体勢から回避に移行することが出来ず、顔面に直撃して後ろへ仰け反り、壇上を転がる。鉄球の投擲――これがもう一人、この会場に侵入した男である事はすぐに理解した。だが、それだけだはこの威力にはならない。その前に、「手」の上を撫でるように吹いて鉄球を高速で運んだ風があった。その根源は、辛うじて攻撃を躱わしたムスビである。「手」は、壁にマギトを突き刺していた。回避よりも攻撃に出て即死したマギトを一瞥し、ムスビは進み出る。

 完全には避けられなかったのか、肩にできた切創から血が垂れていた。


「じゃあ、もう一回ね」


 アレオは立ち上がって、獰猛な笑顔で立つムスビに、血涙を流しながら微笑み返す。顔に生まれた傷から流れる夥しい血で床を汚しながら、脳震盪で震える意識と足を奮い立たせる。


「どっちが根負けするか、勝負だね」


 アレオが体を右脇へと煽る。その動作に続いて、六本の巨木の樹幹のような「手」が六本伸びる。直線だけでなく、あらゆる角度からムスビを狙って演芸場を破壊しながら侵攻する。

 ムスビからすれば、巨大な魔物を数体同時に相手取っている状況だった。これを退けるのは至難の技である。何も総て撃墜するのではなく、本体を狙うだけで沈黙できるなら造作もない。

 ムスビは桟敷席を貫通して突き刺さっていた「手」に飛び乗り、その上を駆けながら呪文を唱える。


「《烈火の槍(バーニング・ランス)》!」


 ムスビの背後の虚空で練り上げられた魔力が燃え始め、形を与えられる。五尺ほどの槍に変形し、発射された高熱の刃がアレオの右肩に命中した。火と衝撃が弾け、彼が後ろへと鑪を踏む。隙が生まれた、いま撃てば確実に斃せる!

 だが、足元の手が動き始め、上に載るムスビの胴に巻き付くと、壇上へと無造作に投げた。アレオの背後に叩き付けられ、苦悶に呻き声を上げる。全身に走る鈍痛に四つん這いのまま、アレオを見遣った。彼もまた、膝を着いてムスビを見詰めている。


「楽しいね」


「すぐに終わらせてやるわよ」






   ×       ×       ×




「結局、剣は使わなかった」


「格闘だけであれだけの数……流石です師匠!」


 ユウタ一行は、地下道を入っていた。

 第三区での襲撃を凌いだ三人は、本道を通るのは得策ではないと考え、地下水の流れる道を利用する事にした。黒く澱んで水道の底を洗う水は膝の高さにあり、歩調を鈍らせる。だが、鍛練を積んでいるからこそ、全員に疲労はない。

 ドゥイは現在、別の道を通って町の中へと入る運びだ。地上の様子を把握するには、指名手配中のユウタや、【鷹】に顔が知られているミシルよりも、彼の方が適格である。

 彼を駒のように走らせることに些か罪悪感を覚えながらも、情報を待つ事にしている。第二区の直下にある地下道に入れば、そこどドゥイが待っている筈である。ミシルもまた過去に何度か利用しており、地下道に心得があるという。町を一度脱出した際の曖昧な記憶力を見せたため、ユウタは信用に困ってはいたが、無知な自分の勘任せな行動よりは速い。


「ミシル、本当に大丈夫だよね?」


「ええ、お任せを!今回は大丈夫!」


「前回もその調子で来て欲しかったなぁ……」


 不平を溢すユウタの声も耳に入らず、闊歩して先導するミシルは、地下道の壁に凭れるドゥイの姿を見咎めた。鎚を立て掛け、上着を羽織ってユウタ達を待っていた。

 駆け寄る二人に対して、ドゥイは沈痛な面持ちである。


「どうしたの?」


「いやな……町中、何処行ってもうるさくてよ。何やら、演芸場?らしき場所でとんでもねぇ事が起きてるみてぇだ。全員、バカみたいに口開けて声張り上げて、そっち見てる」


「呪術……ですかね」


「多分な。ついでに、その方向から灰色の蛇……じゃねぇが、ウネウネしたのが伸びてたぜ」


 町人が呪術で操作されている。その事態に不吉な予感がした。これだけの人間を嵌める技量となれば、ユウタの天敵である。一刻も早くムスビとの合流を希望しているユウタとしては、その術者との戦闘はなんとしても避けたい。

 恐らく、演芸場に向かえば何かが判るのだろう。灰色の……触手。間違いなくアレオが居る。ムスビもまた、その中に居るかもしれない。彼女は捕らえられたのではなく、逆に敵の懐へと潜り込んで叩く戦法だろう。だが、ムスビ本人も呪術に掛けられているという恐れがある。その時はハナエの時と同じように、敵として差し向けられる。そうなれば、ユウタは手出しが出来ない。仲間を切らない、という己の戒律を決して破ってはならないのだ。


「演芸場まで行きましょう。ドゥイさん、判りますか?」


「いや、知らん」


「あっしが知ってます!」


「た、頼んだよ……それじゃあ行こう」


 戸惑ってしまったが、ミシルに再び案内を一任し、ユウタは演芸場を目指す。此処からさほど距離を置かぬ場所に位置しているため、もう間も無くであるという。地下水をざぶざぶと音を立てて進むミシルは、少し先へと進むと壁を叩いた。

 訝るユウタとドゥイの目前で、壁の一画が軋みを上げて扉のように開いた。無粋な石壁に間隙が生まれる。その先を指し示すミシルが自慢気に胸を張る。


「な、何これ」


「演芸場に設置された地下への抜け道ですよ」


「何でそんなモンがあんだ」


「開演中に劇に必要な道具が破損したり不足したりした場合、調達役が町へと行って人知れず道具を揃えてくる為に作られてるんですよ」


「何でミシルがそんな事を知ってるの?」


「ここはたまに、劇を見に来た要人を狙う刺客が利用するんです」


「なるほど」


 ミシルの話に感嘆の息をもらすユウタとは違い、ドゥイは「物騒だなぁ」と呟いた。確かに、この道の役割は殺伐とした響きを持っている。第三区の仕事人を利用する為の道が備わっているとなると、ユウタを追う者も此所を使うかもしれない。

 三人は黙々と中へと入って、進んだ。


「中の構造は?」


「えーと、此所から行けば倉庫です」


「演劇の道具に必要な?」


「そうです。そこから上へと入れます」


 ミシルの言う通り、暫くして着いたのは大道具倉庫である。鉄棒や大玉、服や様々な物が揃えられたその空間はあまりにも広く、あらゆる道具を収納しながらも寂莫としていた。木製の支柱が林立して、天井を支えており、所々で蜘蛛が巣を作っていた。魔石の龕灯が壁に設置され、明るく照らされている。

 ユウタが中を用心深く観察していると、鼓膜を叩く耳鳴りに顔を顰めた。次第に近づいてくる音響に耳を塞ぐ。脳を直に掴まれて揺さぶられているような感覚に足元がふらつき、膝を着いた。思考を掻き乱す音、何処からか聞こえる。

 汗を流しながら苦悶に顔を歪めるユウタに二人が気付いた。明らかに様子がおかしい。先程まで闇の中を涼やかな眼差しで窺っていたユウタが、今は苦しそうに俯いている。呼吸も荒い。


「どうした、ユウタ!?」


「判りません……だけど、耳鳴りがします……!」


「耳鳴り?俺はしねぇけど」


「あっしも……」


 二人が顔を見合う。恐らく、耳の鋭いユウタのみが拾える高周波なのかもしれない。


 ちりん、と音がする。ユウタは耳なりの他に聴こえたその音に集中した。断続的にする鈴の音を辿れば、上階からこの倉庫へと降りてくる人の気配からする。誰だろう……気配を探ろうにも、ユウタの感覚を阻害する耳鳴りの所為で、相手の像すら頭に思い描けない。傭兵クロガネを想起する。

 ちりん、音はすぐそこだ。ユウタは杖を握り締め、ミシルに支えられながら立ち上がった。室内全体が震動していると錯覚するほどに、耳を苛む衝撃は強い。


 ちりん、死神の足音が地下の闇に響き渡る。








今回読んで頂き、誠に有り難うございます。

次回もよろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ