紡がれた想いは絶えることなく
更新しました。熱々の戦闘シーンです。
山の斜面を走るのは二つの人影。
麓から聴こえる悲鳴と倒木の騒音。雨の中では足音も掻き消されるが、紛れもなくそれらが人が居るという証拠となっていた。下では多勢に対し、一騎が奔走している。何者なのかは、大体見当が付く。この山の工房に居る者の中で、最も戦闘力を持つのはカーゼだ。
山に自身の意思や感覚を伝達するドン爺の力によって、事の成り行きを説明されたドゥイが道程でユウタに伝える。敵は北大陸から空へと飛翔する黒衣の鳥族。その特徴だけで、ユウタとしては自分と相容れない存在――八咫烏であるという確信が生まれた。狙いは自分であり、隠れ家と疑わしき工房に軍勢を以て圧倒しようとしている。
ユウタは知っている。彼等はカーゼ達がユウタは不在であると話そうと、身内であると丁重に決め付けて鏖殺するのだ。ヤミビトの関係者、或いは協力者である可能性がわずかでもあるならば、危険分子として排斥する。軽微な問題だろうと見逃さず、徹底して弊害には武力を以て制するのが八咫烏の流儀。
リィテルで彼等の中でも地位が高いと思しき烏を屠ったユウタを、私情も重ねて絶対的な障害と見なしたのだろう。まだ儀式をせず不完全とは雖も、主である魔術師のムスビの嘆願すら無視し、目障りならば抹殺する。
カーゼ一人で対処できる数なのか――町を襲来した烏は、ムスビと大勢の冒険者によって辛うじて凌ぐことに成功したほど。この強雨ならば数は前回よりも慎ましいとは思うが、やはり油断できない。何よりも、あの烏が複数となって対峙するのは絶望的な戦場と同意義。
【猟犬】シュゲンに並ぶ暗殺者――すなわち、この大陸に於いて有数の殺し屋だ。たとえ相手が怪物だろうと、その力はその集団にも対抗し得る。しかし、それでも無理がある。単独で撃破できるとは到底思えぬ密度と数が烏の力。
急ぎ助勢にと現場へ馳せるユウタは、嫌な予感に足先を加速させる。もう坂を下るのではなく、樹間を滑空する鳥も同然の速度だった。山場の行動に熟練しているドゥイが追い縋る。何とか並走しているが、気を抜けば一瞬で距離が開く。ドゥイは俊敏な獣を愚直に己の走力のみで追跡していると錯覚して思わず笑った。
麓までの距離を短縮し、全身を猛打する雨も意に介さずユウタが山の斜面に隆起した岩を蹴って、工房まで猛然と疾走する。この中で自らの体から風を発しているような速力で未だ絶叫の止まない森に辿り着いた。
十数秒の後、ふらふらとした足取りで追い付いたのは肩で息をするドゥイ。大鎚を袈裟懸けにした襷で背に担いだ彼は、漸く訪れた静止に膝に手を付いて頭を垂れると、地面を睨んだまま呼吸を整える。途中までは全力で付いていたが、途中から間隔が開いて行く一方。
対するユウタも息が荒いが、それでも疲労に踞ることもなく、冷静な表情で周囲を見回していた。悲鳴は近い――だが、いつもより音が聞き取り難い。滝の飛沫を直近で受けているような勢いをした雨の所為で視界も困難な状況。鋭いユウタの五感をすべて封殺する自然環境に歯噛みして眉を寄せる。
神経を研ぎ澄まして、音源を辿った。大雑把でも良い、今は微かな手懸かりでも惜しいのだ。悲鳴はあちらこちらで上がっている。この中からカーゼの位置を特定するなど困難だ。無闇に動けば、余計な烏の手勢に阻まれて、ますます加勢が難しくなる。
「ユウタ、どうする!?」
「虱潰しに探っては埒が開かない。でも……」
林立する木々の根本に草臥れた夥しい死屍。これは……死神の足跡ではない。そこかしこに撒き散らされた泥と、縄や板、槍、糸などの罠と思しき物が見受けられる。既にカーゼが此所には居ないという証左。
しかし、何人もの強敵を討ち斃したユウタも戦慄する。これがカーゼの本気……刺客の手練。救うべき仲間だというのに、背筋を駆け上がる恐怖に身を震わせた。
ユウタは余計な感情を持たぬよう自身を制御する。今優先すべきはカーゼへの助太刀。
「おい、ユウタ、あれだ!」
ドゥイが吼えた。その視線の先をユウタが目で追えば、工房の前に立つミシルに辿り着く。拙い、何故だ、なぜ彼女が――!?
カーゼが命を懸して敢然と烏の群れに抗うのは、ドン爺とミシルを逃す為だと容易に判る。でも、守るべき対象は未だ脱走が果たされていない。これでは彼が戦っている意味も成さないではないか。
ユウタとドゥイは、戸口に立つ少女を目印に走った。まだ遠い――あと数秒で着ける、だがそれでももどかしい。切迫した状況下では体感時間が著しく遅くなる。一秒が永遠に感じる世界の中では、雨滴すら視認できる。
ミシルが前へと飛び出した。何の為に――当然、カーゼが目前で危機に陥っているのだ。
早く、速く、迅く!
たとえ途中で側面から奇襲して来る烏がいようと構うものか。ユウタの意識が余さずミシルの向かう方向へと注がれる。林間から覗いたのは、凶刃に貫かれたカーゼの姿。
「ドゥイ!!」
「判っとるわ!!」
言葉は不要。もう二人の間では一つの目的で意志が統一された。
躊躇うな、敵を掃討せよ。
× × ×
「カーゼは休んでて!あっしが何とかするから!」
気丈に振る舞って、彼の加勢を止めたミシルだったが、本心は恐怖に竦んでいた。黒く艶のある美しい鳥族は、禍々しい闇を仄かに纏っているように見えてしまう程の殺意を発していた。それが格上の敵との対峙した経験が浅いミシルを恐慌に陥れるのは容易い。
それでもミシルは、震える足を前へと駆り出す。これ以上、自分を守る為に育て親が傷付くのを見たくはない。それならば代わりに自分が立ち向かわなくてはならないのだ。それが例え、今では倒すのも難しい相手だったとしても。
「ミシル!!」
複数の烏が跳躍した刹那、激しい雨音の中で少女の名を呼ぶ声が響く。続いて宙へと躍り出たのは、雨に濡れて黒くなった青鈍色の袷の袖を払うユウタ。中空で一度器用に身を畳んで、ミシルに襲い掛かった烏の先頭にいる一体の首を横合いから草履の足の裏で蹴り抜く。鈍い音と共に、烏の頭部が不自然に傾いて、そのままユウタと共にミシルの視界から消えた。
まだミシルを狙う烏は三体。一人ずつならば処しようもあるが、これでは返り討ちは自明の理。胸に糸を強く握って固まるミシルの目前で、唸りを上げて水の緒を引きながら、空気を鈍く切り裂く戦鎚。大雑把に、大胆に、烏を総て撃墜した。振り抜いた長柄と鎚の錐状の先端に直撃して、血反吐を飛ばして後方の樹幹に叩き付けられる。
呆然とするミシルを囲うように、ユウタとドゥイが立ち並んだ。大小異なる二人の背中に安堵し、ミシルは涙を流す。戦場では禁物である筈の感涙を止められなかった。
ユウタはカーゼの刺創を観察して目を伏せる。深い……これでは氣術で自然治癒力を高めても間に合わない上に、出血も多い。
「ドゥイさん、僕らで何とかしましょう」
「無茶言うんじゃねぇ、イカれてんのか。お前ぇの手を借りても、こりゃあ難物だぜ。」
「久し振りの森で、昂ってるんですよ。相手を速やかに処分したい、と」
「遺憾ながら同意だ」
烏の残党十五体が木陰から姿を現す。翼を広げて威嚇するように迫る烏にも物怖じせず、ユウタは素手、ドゥイは鎚で相対する。この冷酷無慈悲な烏に対する憤懣は止まず、二人の体を戦闘へと駆り立てた。ミシルの前から二人が地面を蹴って、集団へと噛み付く。
ユウタは腰を低く落として、烏の内側まで濡れた土を滑って内懐に潜り込むと、脇に引き絞って五指を内側に畳んだ手を、敵の腹部へと打ち込む。掌底が鳩尾を穿ち、衝撃が五臓六腑に伝播する。瞬間的な呼吸困難に喘いだ烏は、空へと翼ではなく外部から伝わり体内を蹂躙した力に舞い上がる。
しかし、それを許さず腕を掴んで制止したユウタは、烏の手首を捻って握力を奪うと、手中にあった黒い刀身の得物を収奪する。そのまま半回転させて逆手に持つと、天を仰いだまま悶絶し、無防備に晒された首へ一閃する。首が飛ぶ。嘴を開けたまま刈り取られたそれが地面に沈む。ユウタが次の相手へと飛び掛かるのを待ってか、合わせて血飛沫が雨に混じる。
一足を踏み出し、中段に刀を構える烏の手元に切っ先を突き出す。鍔と握り手の内側に滑り込ませて、上へと弾き上げた。
武器を手放した烏が握った両の拳を振り下ろす。烏の膂力ならば少年の頭蓋を割るなど造作もない。仲間を瞬く間に殺した戦闘技術を見て相当の手練れだと理解したが、それでもこれを回避するのは難しいだろう。敵討ちを果たしたと慢心しながら渾身の力で殴打する。
ユウタは刀の柄頭を、頭上から迫る片腕の肘に叩き付け、もう一方の腕は内側に優しく手を添えて、穏やかに外へと押しやった。どこに力が籠っているか、どこを押せばわずかな力で攻撃をいなせるかを瞬時に判断できるユウタが為せる技。
片腕は肘窩から折れた骨が皮膚を突き破る。無事な腕は痛恨の空振りに、それでも勢いは止まず体を巻き込んだ。少年の脇を潜るように前のめりに倒れると、後頭部を草履で踏み砕かれた。脊椎を損傷し事切れる。
背後から四体が襲う。同時に相手取るには、もう一人の力が必要。それが純粋に、体術のみで戦うのであればの話。劣勢を覆す武器ならば、他に幾らでもあるのだ。
ユウタは翻身と同時に、開いた掌を虚空へと突き出す。すると大上段に刀を振りかぶった烏達が、一斉に後ろへと弾かれた。ユウタを中心に発生した強い斥力に拮抗も許されず、地面を無様に跳ね転がった。――これが氣術か!忘れていた、相手はあのヤミビトだと。
烏は直ぐ様立ち上がったが、その内の一人が投擲された刀に眉間を射抜かれて、再び地面に伏せる。膝立ちのまま臀部を空へ突き出して俯せに上体を地面につけた同胞の死体に凍り付く面々に、第二の矢が放たれる。
罠に用いられた槍の数々――それらが独自の意思を得たかの如く中空に浮遊し、切っ先は烏に定めて止まっている。滞空時間が異様に長い、烏が目を瞠った。これも、氣術なのか。
ユウタが指先を振れば、同時に槍が射出された。無色無臭の氣の流れを操作する者、すなわち氣術師。相手が悪かったと諦念に脱力した烏は、槍に心臓を裂かれて生を終えた。
暗い曇天の下に生まれた竜巻か、或いは熱意に巻き起こった颶風。そう形容しても過分ではない。ドゥイを中心とした遠心力に振り回された戦鎚が、接近する烏を同時に三体も殺めた。彼等はこの攻撃に恐れて突撃を中断し、一旦距離を置こうとした矢先。柄を握る手を緩めたドゥイにより、戦鎚の攻撃圏が伸びて烏は理解も出来ぬままに骨を粉砕され、臓物を肉体から弾き出して土の上を転がった。
警戒して外から静観していた烏へ見せ付けるように、踏ん張って荒れ狂っていた鎚を制御し、空に掲げた手で旋回させて握り直して肩に担ぐ。不敵に笑いながら、ドゥイは人差し指を立てて何度も折る仕草を繰り返した。挑発しているのは明白だった。
己の自負に傷付けられ、その態度が癪に触ったと刀を前方に突き出したまま走り出す。小人族に低い姿勢での接近は通用しない。だが、あれだけ大きな武器を素早く操るには難儀するだろう。ならば、単純な行動速度で上回れば良い。
烏が蹴爪で疾駆する。ドゥイは鎚の柄の末端を地面に突き立てると、高い位置に飛び付いた。幹に縋り付く猿のような状態のまま、体重で傾いていく鎚に身を委ねている。
足を止めて、それを迎撃しようと刀を振り翳す烏の顔面に足を伸ばして着地。片足を嘴の根本に付けたまま、もう片方を振り下ろして踵を側頭部へと叩き込む。岩どうしが激突したかの如き鈍い音を立てて、白目を剥いた烏が口から泡を吹いて地面に崩れ落ちた。
地に足をつけたドゥイは、再び鎚の柄の中程を掴み、踏み込もうとしていた烏二体を一振りで仕留める。この森を守ってきた小人族の実力は八咫烏をも凌駕する。
二体がミシルを睨んで、そのまま刀で一度空を切ると、前傾姿勢で飛び出す。仲間の死体を飛び越えた烏に小さな悲鳴を上げたミシル。駄目だ、殺される。
「まだだ!!」
「ちったぁ働けぃ、娘ぇ!!」
赤い花が宙で咲いた。花弁がミシルの頬に貼り付く。半身を寸断された烏が左右を転がった。武器を振り抜いたユウタとドゥイが居る。
ミシルは敵を全員潰した……そう安心感に膝を折りそうになって、振り返る。
「ッ……カーゼ!」
カーゼに飛び掛かる烏の最後の生き残り。目を血走らせ、せめてひとりでも仲間の弔いに捧げてやらんと気勢を上げている。嘴からは耳を劈く悲鳴じみた烈声。
ミシルの体は畏怖の情による柵を破って、小さく跳躍して、交差した糸の円環の中に烏の首に引っ掛ける。刃がカーゼに向かって、振り下ろそうとした烏の頭が体を置き去りにした。
「……よくやった、ミシル」
カーゼが血を含ませた言葉で誉めると、ミシルはとうとう彼に抱き着いた。ユウタは武器を投げ棄て、そのまま二人に歩み寄る。ドゥイは気まずそうに視線を右往左往させて、雨の中で嘆息した。森で繰り広げられた攻防が幕を閉じて、今度は仲間を悼む悲哀の情念に満ちる。
ユウタがカーゼの隣に身を屈めて、彼の瞳を覗き込んだ。磨かれた剣も同然の鋭さがあったその隻眼から、次第に光が失われていく。呼吸も弱々しくなり、明らかに死に際にあることを悟った。だが、カーゼの表情は死人ではない。寧ろ終焉よりも次の事柄に対する期待に微笑している。
カーゼは少年と少女を交互に見た。
まだ年端もいかないガキのくせに、強固な意思を秘めた目をしている。過去に同じモノを見た経験が、その強さを思い出させる。匹敵する者もいない無類の刺客、その弟子がこうして自分を仲間と認めている。これが、あの殺人機械が人間としての愛情を注いで育てた賜物なのか。
「二代目……死ぬんじゃないぞ」
「はい」
「アンタの事ぁ知らん。オイに心配事させるような生易しい代物じゃないからな、頼むぞ」
「努力を尽くします」
「親に恥ねぇ生き方しろよ」
無言で頷くユウタから視線を外して、ミシルに振り向いた。目元に情けない表情を浮かべ、口許を引き締めて堪えている。その必死の形相があまりに可笑しく、血で咳き込みながらも笑う。どうやら、予言は大体当たっていたらしい。確かに、これは穏やかとは言い難いが、それでも愛娘に看取られるならば重畳。
殺し屋を専門としている自分が迎えられるとは到底思ってもみなかった未来だった。
「ミシル、頼んだぞ。刺客の業を事とするなら、このオイに恥じねぇくらいになれ」
「うん……っ、カーゼは……あっしの大切な親だからっ、目標なのは当たり前だよ……!」
「照れ癖ぇこと言うな。逝きづらくなるじゃねぇか。ったく、仕返ししなくちゃあな」
カーゼの手が伸びて、ミシルの頭を撫でた。頭を何度も、繰り返して髪の上を滑らせる。その感触に、ミシルは下唇を切るほどに噛んで、感情の爆発に耐えた。カーゼの顔が穏やかで、思わずユウタとドゥイも顔を強張らせた。
ドゥイの言葉が、雨音を消してその場の全員に、特にミシルにしっかりと刻まれる。
「愛してる」
それを最後に、カーゼが瞼を閉じる。頭頂から落ちかけた彼の手を両手で受け止めたミシルが、頬に寄せて瞑目すると大声を上げて泣いた。我慢が利かなかった。どうしようもなかった。
「うぅぅぅぅぅっ……、あああああああ!カーゼ、カーゼ、カーゼぇ!!」
その光景があまりに正視に耐え難く、ドゥイは熱くなる目頭を押さえて背を向けた。ただでさえ、ジンシの死で感傷的になっているというのに、たて続く人の死を見守るのは、重すぎる心労に狂いそうになる。
その中でも、ユウタだけは口を閉ざしたまま、優しい瞳でカーゼとミシルを見詰めていた。その胸に去来するのは、既視感と再確認した愛情である。二人の様子が、あまりにも前の自分に重なってしまう。師が最期の最期に遺した言葉、遺した感触は、ミシルが受けたものと丁度同じだった。
例え人殺しでも、人を愛する権利はある。アキラがユウタに、シュゲンがヴァレンに、そしてカーゼがミシルに。大切なモノを、いつまでも胸の中に風化することの無い言葉を与えてくれた。そしてその言葉を、いつしか自分が定めた人に送れる為に生きる決意を持たせる。
工房の扉が開いた。
戸板の隙間から身を覗かせたのは、雨に降られていたと思えてしまうほど汗を滴らせたドン爺。頭に巻いた手拭いをほどいて、ユウタを真っ直ぐ見据えている。
「仕上がった」
二人をその場に残して、ユウタは工房に入る。取り替えられたばかりの蝋燭が室内を柔らかく照らす中で、机に置かれた刀身が煌めいていた。ドン爺がその前に立つよう催促する。ユウタは粛々と彼に従って台の前に立って、それに眺め入った。
鎬地は穢れ一つない漆黒で、先刻まで戦っていた烏よりも深く、青みがかった光彩がある。刃紋が鎬を添うようにして直線に先端まで伸びており、薄い灰銀色を帯びる。刃は剣呑な輝きがあり、鋭さが以前よりも感じられた。
その容貌に息を呑んでいると、ドン爺がそれを両の掌に載せて持つ。何を始めるのかと首を傾ぐユウタに向かって、緩慢な動作で差し出すと黙礼する。下げた頭をそのままに、ユウタへと差し出したまま。これは何らかの儀式か――ふと、ユウタは森の中で眠って看た夢を想起する。
背筋を正し、一礼してそれを受け取った。ドン爺の声が重く工房全体に反響した。
「これは人の剣であり、決して闇に生きる神の剣では無い」
「誓いましょう、これは神の剣ではありません、僕の愛する者を守る剣です」
「よかろう」
剣から光を纏った。暫くして、それが微弱になって行き、元に戻る。
「ワシがこれに課したのはただ一つ――「不屈」。どうか、先代の宿願を遂げてくれ」
「必ずや、果たしてみせます」
その言葉は、絶対の意味を持つ。
ユウタは再確認した。カーゼとミシルの間に育まれた、何者も干渉できない不変の愛。親から子へと受け継がれ行き、時代の中でも変遷することなく生き続ける人の遺志。摂理では、条理では計れない想いの結晶。
必ず、師の願いを成就させる。それが自分の本望であり、また感情を与えられず生を無機質に終えていった先祖への弔いだ。
× × ×
ムスビのいる一行は地下水道を辿って、次の拠点に辿り着いた。途上で問題が発生することはなく、不気味なほどに順調に進んでいる。何かの気配を感じる事も無かった――先日の路地裏でふと気にかかった感覚を除けば。
もしかすると、死角からアレオが常時見張っているやもしれない。あの異常な執着心は、この町で「ジョーカー」と敬われ、畏れられる狂人にしか理解し得ない。不運にもその対象になってしまった身分としては、もう呆れるしかなかった。
国家転覆に、殺人鬼にも追われる。字面だけ見れば、あまりにも間の抜けたものだったが、それが現実ならば苦痛を通り越し、一種の笑い種である。
地上に出たのは路地裏。板を退けて上がり、全員が早速周囲に気を配る中で、ムスビもジンに助けられて地に立つ。靴は水を含み重くなっていた。踵を引き抜いて逆さにすれば、水が地面を叩く。膝下まで地下水に浸かっていたためか、体が少し冷えていた。
だが、幸いにも地上へと出た時には雨は止んでいる。それだけが沈んでいく気分を取り直す唯一の材料であった。
ジンに調べさせていた情報によると、様々な事が解った。
「白き魔女」――ムスビ。生来の美貌が備えた人心を掌握してしまう魅力に起因して、人々を導いたリィテルの時の出来事が、彼女がそう呼ばれる所以である。本人の知らぬ場で付いた二つ名は、奇しくも彼女の本質を言い当てていた。確かに、その魔性じみたカリスマ性が、呪いなどを使い人を惑わす魔女である。
そしてもう一つ。
【梟】――これはユウタの事である。音もなく飛び、獲物――即ち「白き魔女」に害を為そうと迫る者を仕留める。名前のみなら、微かな恐怖心のみだが、実感を伴うとそれは精神に大きな傷を負わせる。羽音も無い、だが確実にそこにあって、知らぬ内に命を奪われる。それがどれだけ恐ろしいことか、ユウタに戦慄し死んでいった者を知る身としては、彼に相応しいと思った。
「ムスビ、何だあれ」
ジンが発見した異常に、全員が敏感に反応した。虚空を指し示す彼の先には、こちらへ向けて滑翔する紙の鳥。ムスビの手元へと降り立つと、それは形を失い、手の上で紙面を広げた。そこに綴られた文面が少し水で滲んだが、すべて読める。
傍からジンが盗み見た。
「誰からだ?」
「ふん、ようやくね」
ムスビは答えずに、それをショートパンツのポケットへと無造作に突っ込む。内容はすべて記憶したから、もう見直すことも無い。だが、捨てれば追手の判断材料になる。
空を見上げ、目を細めて笑った。
「楽しみね」
『三日後、それまで辛抱してくれ。僕が必ず君を迎えに行く。
ユウタより』
今回、本作を読んで頂き、誠にありがとうございます。
次回の更新は、数日後になるかもしれません。一週間の間隔はありませんが、これからもよろしくお願い致します。




