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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:ミシルと罠師の糸
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五通の手紙

更新しました。



 昨日まで空を覆っていた雲は薄くなり、曙光の兆しが現れる。クェンデル山岳地帯は朝露に濡れて、山々の間には霧が立ち込めていた。樹冠の上を滑る雲と霧が混合し、あたかも自我を持って自在に天地を往来する龍が宙を舞うかの如き景色。「竜の背骨」の一角、中でも高く頭を天に突き上げた山の中腹にある小屋は、流れる雲に包まれて視界が悪い。見張り当番を任された小人族の一人――ジンシは、まだ寝起きに朧な視界が悪化したものだと錯覚して、目を擦りながらガレ場を登っていく。

 足元を埋め尽くす石塊の上を飄々と駆け上がって、体を解しながら雲の途絶える高さまで足を止めなかった。冴え冴えとした空気が、袴以外に何も着衣しないジンシの肌を冷たく撫でる。朝の寒気も意に介さずに歩を進め、ようやく豁然と視界が開ける。

 そこで漸く立ち止まり、欠伸をして背を伸ばすと、振り返って雲の上から周囲の全景を眺望する。雨の多いこの地域で雲が薄い日は珍しく、更に山小屋の高さまで雲がくる場合は太陽が天頂を過ぎたあたりからかなりの悪天候である予兆。一度空が晴天になれば、半時で急激に暗くなり、雷雲が槍の如き雨を地に降らせる。

 朝を迎えたというのに、これからの天気に沈む気分を晴らそうと、いまは澄みきった空気を胸一杯に吸い込む。鼻腔から胸の辺りまで、冷たい川水を一気に飲み干すような冷たさを胸の芯に感じた。


 秋に差し掛かって、もうすぐ冬になる。

 この時期は山菜も採り難くなり、備蓄の量を計算して冬越しに取り掛からなくてはならない。山陰には獣が潜み、温暖な春の空気を待って冬眠に就く。だが、その間も人間は活動を止めない。小人族も例外ではなく、これから多忙になる。

 雲が薄くなり、予想していた晴天の訪れを感じて小屋へと戻る。今度は先程よりも足場に気を配って進んだ。山は登りよりも下りの方が危険性が高く、それがガレ場となればなお厳しい。

 ふと、空の上を雄大な黒い影が滑翔しているのを見咎めた。目を凝らせば、艶やかな漆黒の翼を持つ鳥族(ガルーダ)である。見惚れるような美しさに感嘆の溜め息をこぼして、その姿を見守った。その鳥族はこの山の上を旋回している。何か探し物だろうか?ドン爺ならば、何か知っていたかもしれない。

 不審な鳥族の動きにジンシは違和感を覚え、敢えて霧の中へと飛び込んで、小屋へと駆け降りる。何百、何千とこの山を歩いたジンシは、切羽詰まった状況下でも、この山ならば視界が悪い中でも小屋の方向を見失わずに行ける。あの鳥族が仮に侵入者なら、ドン爺の感知できる管轄外だ。空からの襲撃には疎い。

 念の為にも報せなくては!

 ジンシは小屋を過ぎて森林の中へと飛び入り、獣のように樹間を走る。胸騒ぎがする――長らく住んでいるから、この地を脅かす危機には敏い。そこには過剰な自己信頼はなく、明らかに経験に基づく勘から導き出された答えだった。思い過ごしでも、あの鳥族の存在を伝えても損はない。

 山の麓までは遠い!

 足に力を入れて、更に速度を上げた。


 しかし、彼の行く手を阻むように、上空から漆黒の放擲が山肌を突き刺す。荒々しく地面を削った凄烈な雨に、粉砕された木々は木っ端と化し、ジンシと共に吹き飛ばす。斜面を裏切って爆風に煽られて来た道を転がり戻る。

 藪に上体を突っ込んで、漸く静止した彼は跳ね起きて前方を確認する。一体なにが起きた?

 小屋を包んでいた霧よりも濃い土煙が濛々と立ち上ぼり、周辺の景色を隠蔽していた。ジンシは恐る恐る前へと進んで近付く。


「すみません、お訊きしたい事があります」


 頭上から声が響いた。思わず身構えて、その場から飛び退る。まるでこれ以上の進行を止める為に現れたのは黒い鳥族。翼を畳んで地面に優雅に舞い降りると、片手に携えた抜き身の刀をちらつかせている。目元を細めているのが、微かに相手が微笑んでいるのだと察して、ジンシもぎこちない笑顔で応える。

 武器をすでに抜きながら、相手に笑いかけるなんて、どんな精神してんだ!ジンシは間違いなく、答えようによってはこの謎の鳥族が自分を害するものだと判断した。


「お訪ねしても?」


「何の用だい」


「此所に黒い蛇の模様を右腕に持つ少年が、この場所を訪れませんでしたか?」


「知らねぇな」


 こいつが訊いているのは、ドン爺を訪ねた小僧に違いない。ドン爺の知己であるようだった、なら守らなくては。

 即答するジンシに、嘴を少し開けて嘆息する鳥族。最初から来ている事は知っている様子であり、ジンシに対してそれを問うのは確認か、それともまだ正確な位置が特定出来ていないからか。

 どちらにせよ、自分に対するその鳥族の空気が変わったのが判った。ジンシは引き攣った笑みで後退り、その分相手は距離を詰める。

 ジンシは自棄になり、鳥族を正面に見据えて右の方向へと走った。ここは生憎、草木生い茂る山中だ。翼を広げて我が物顔に空を舞う鳥には、不馴れな地勢。その点ではこの地帯に知悉した自分が有利だと踏んで動いた。


「仕方ありませんね」


 漆黒の翼が開くと、その羽が一斉に射出された。矢のように空中を滑走して、ジンシの腿を貫いた。他にも腕や首筋を擦過した攻撃への戦慄に、痛みはなかった。ただ片足に力が入らず、その場に転倒する。近くで聴こえる鳥族の足音に、前へと必死に地面を這って麓を目指そうとして止まった。

 このまま行けば、彼らが犠牲になる。それを避ける為に行動するのが、今自分にできる最善の行動だ。

 山で暮らしていく中で、侵入者から仲間を守る為に戦うのが三人の小人族の中で設けられた唯一の約束。それを厳守してきたからこそ、彼等との絆が欠けたことはなかった。

 ジンシは傍にあった木の幹に縋り付いて立ち上がると、鳥族を睨んで正対する。覚悟を決めた彼の意を読み取ったのか、鳥族が目元に再び笑みの色を浮かべた。


「素晴らしいですね。奴に良い手土産となりそうです」


 “――悪い、先に逝くぜ。”


 ジンシは諦観して、鳥族を真っ直ぐ見詰めた。








   ×       ×       ×





 晴れていく空を望洋とした気持ちで見上げていたムスビは、まだ誰も出ていない路地に立ち尽くす。不安になるほど、昨日の雨を忘れさせる天気は何かの凶兆か。

 心配なのはユウタだ。あの悪天候の中で、山の中を進むのはかなり困難だ。何処かで野営しているかもしれない。彼の順応性は高く、どんな土地だろうと適応してみせる。問題は森で小人族の捜索中にも刺客による急襲を受けていないか。

 現在、ジンが統率する<印>に対抗する組織【獅子】の庇護下にあるため、身の安全はある程度保証されているが、未だに執拗な勧誘を続ける友人の対応に辟易していた。いまは相棒の安否とこれからの展開への思案に手一杯である。

 第三区に潜伏する裏組織【鷹】が自分とユウタを狙っているのは既知事項だ。紆余曲折とした事情により闘争の後に和合を結んだシェイサイトの【猟犬】に比肩する。ならば、容易に回避など望めない。

 民衆の目を元に、敵は町中に情報網を張り巡らせて追跡の手を放つだろう。不用意に外出が封じられる今、ムスビはある意味全方位から拘束を受けている。

 今回の敵の多さは異常だ。――それもその筈だ、今や自分は国家転覆の容疑を掛けられた「白き魔女」。いつの間にかそんな風に呼ばれていたとは露知らず、驚愕を禁じ得なかった。艱難多き人生だとは達観していたが、ここまで壮絶なものへと成り果てるとは予想すらしなかったのだ。

 今回の発端は国を掻き乱す<印>との関連性を疑われたユウタだ。だが彼の噂に尾ひれが付くほどの騒動に発展させた一因もまた自分にあることは自覚しており、ムスビは消沈する。


「どうしたんだ、ムスビ?」


「ジン、あたしを追ってる殺人鬼の情報は掴めた?」


「大方ね。ただ、相当厄介な相手だよ」


 ジンが近くにある井戸の縁に座った。徹夜で情報の蒐集に追われていたのだろう。かなり疲労しているのが伺え、少し窶れたジンにムスビは素直に心配した。自分を想ってくれる姿勢があるからこそ、強く否定に出ることが出来ない。複雑な心情に制限され、自由な行動など望むべくもなく、ただ事態の進展を待つ。


「君の言うアレオは、この町で「ジョーカー」と呼ばれているよ。連続殺人犯として、一応殺人罪による逮捕状が出てるけど、ここの体制が緩い所為で飼ってる状態だ」


「まあ、この町の警備には最初から期待してないわよ。魔族を押さえるなんて、簡単に出きる事じゃないし」


「奴の殺人は色々ある。公衆の面前で盛大に標的を爆殺、あとは明け方に第二区の中央にある魔石街灯に大腸で括り付けた死体を飾ったりとか……猟奇的なものばかりだ。被害者はどれも高位な人間……それと綺麗な女性」


「それで、顔食いの殺人鬼にあたしが選ばれたと、光栄な事ね」


 皮肉に言ってみせたムスビに、ジンも苦笑するしかなかった。彼女の危険ともあって、調査を迅速に進めただけあり、その正体を暴くことに成功した。だが、厄介な相手である。

 魔族は強い生命力と強靭な肉体を持つ種族。更には特殊な生態を持つ者もあり、不用意に正面から対峙するのは愚策である。このラングルスでは悪役である反面、英雄としても称えられる存在で、周囲の期待や支持などを得ているのが厄介だ。

 「ジョーカー」――もとい、アレオが大胆な行動に出れば、それに乗じた民衆の動きがあるだろう。そうなれば、【獅子】の力を以てしても処理が困難になる。何より、相棒が出払っている中でムスビは町を脱出出来ないのだ。落ち合う場所を決定する為にも、まず彼との連絡手段が必要だ。

 先日、ムスビは『魔力郵送』を教えた。魔力で文字を記し、送り先の人間を思い浮かべるだけで希望した日に届くという現代の連絡網を支える手法の一つだ。

 ムスビの手には、既に伝えるべき現状をしたためた文書を手に持っている。あとは送るタイミングのみを見計らっていた。これをアレオや刺客に探索されれば、ユウタの所在や自分の居場所を敵に教える事になるのだ。


「奴等の拠点とか、判る?それなら直接叩いて、あたし一人で潰せるわ」


「ジョーカーに対して短絡的に攻撃に出れば、返り討ちは必至だぞ。まだ二日目だろ……膠着状態にあるともまだ判断し難い短い時間の経過だ。落ち着くんだ」


「それは充分承知してるわよ」


 ムスビが行動を急ぐのは、ジョーカーの脅威への焦慮ではない。一ヶ所に長らく留まれば、外部に伝達した情報で別の町や地域から新手が出現する可能性を無視できないのだ。敵勢が数と密度を増すだけ、不利が重なり続けていつか耐えられない時がくる。その際に生じる苦痛や悩みをユウタに背負わせたくないのだ。

 早急に事態を解決する一手が欲しい。


「ったく、本当に面倒ね。何なら誘き寄せようかしら」


「やめてくれ」


 傲然と胸を張って、自信を表す彼女にジンは笑った。小さい頃から、こういう性格は変わっていない。自他共に認める能力の高さは、獣人族の中でも優秀であった。

 ジンは過去に同じく、ムスビと共に英才教育を受けていた。逆に言えば、習熟を待って一つ一つを丹念に学ばせた方針を採ったムスビと違い、ジンは彼女の随身となる教育を施されていたためか、より進んだ内容を強要された。無論、そこに不満はなく、ムスビの為ならばと努力を惜しまなかった彼の実力は、いま一つの組織を束ねるにで成長している。

 この力を余さず、すべてムスビに捧げようと考えてはいるが、どうにも空振りがちであった。確かに、ヤミビトが専門する暗殺の業を裏返しにして用いる方が、ジンよりも随身としては強力だろう。


「ん……ムスビ、報告が来たよ」


「え?」


 ジンは静かに告げて立ち上がると、ムスビの隣に立った。空を見上げている彼の視線をムスビが追うと、空に翼を広げる黒い影を発見する。降下して接近してくるそれが何かを知った瞬間、血の気が引いていく感覚がした。

 顔を蒼白にしてジンの後ろに隠れたムスビを、地面に降り立った黒い影が微笑ましそうに見詰める。


「八咫衆の一人、ミキトだ」


「お初にお目にかかります、私はミキトと申します。以後お見知り置き頂ければ光栄かと」


「あー、うんうん、はいはい」


「そう警戒せずとも、我々は貴女に怨恨などありません。逆に、我々が姫の意に反する愚行に至った結果と弁えております」


「ジン、物分かり良すぎて気持ち悪いんだけど」


「すぐにそういうことを言うな」


 いっそ底意を感じるような慇懃な態度にムスビが更なる疑念を募らせる。町の冒険者と結託し仲間を百近く殺めた相手を目の前に、憎悪の片鱗すらも見せないのは演技なのか、それとも本心なのか。後者ならば正気の沙汰ではない。<印>への復讐に燃えていた時期があったからこそ、ミキトと名告る八咫衆の真意が判らなかった。

 疑い深くなったムスビに呆れながら、ジンが歩み寄ると、ミキトは恭しく頭を垂れたまま懐の筒に入れられていた紙を差し出す。それを受け取ったジンが手を振れば、ムスビに黙礼して空へと飛翔した。


「あれが情報提供の遣い?」


「まぁね……内容は……」


 紙を展けて内容を検めれば、ジンの表情がわずかに曇る。ムスビは横から盗み見て、紙面に綴られた文字の羅列の中にユウタの名を見付けて気色を顔に露にする。


「無事に小人族と会えたらしいが、そこから行方がわからないとか」


「はあ?何でよ」


「刺客を撒く為に、もう山岳地を超えて何処かに逃げてるのかも」


「あー、無い無い。あのバカに相棒のあたしを捨て置くほどの脳は無いわよ」


 ジンの言葉に、ムスビは屈託の無い笑顔を浮かべていた。信頼の篤さに溜め息が出る。

 この情報は偽作である。ジンがミキトに依頼し、誂えた偽の情報であって、ムスビからユウタを離反させる印象操作。彼女の中でユウタが仲間を切り捨てる冷酷な人物へ変えられれば、まだジンにも挽回の余地がある。ヤミビトを魔術師の儀式に必要なただの道具と見なす状態にしたい。

 だが、どうやら旅で培われたモノは何よりも確信があるらしい。

 ジンがどれ程言おうと信じなかった。


「し、仕方なく逃げたんじゃないのかな」


「だとしても、近い内に救出しに来る。それに、あいつは第三区を抜けて外に居る事は確定なんだから、抜け道もあるかもしれないわね」


 期待に目を輝かせるムスビには、もう何を語り聞かせても無駄だと諦念に項垂れ、拠点の家屋へと戻る。ムスビも彼に続き、直に迎えに来るであろう相棒の姿を想像して満面の笑みを浮かべていた。

 ふと、またあの感覚――昨日どこかで感じた気配に、ムスビは振り返った。無人の路地に漂う空気がぴりぴりと肌を刺す。


「……気の所為ね」


 ムスビがそう思って前に向き直るのと際どい行き合わせで、その後方の路地から長身の男がふらりと姿を現す。手には鵞ペンと紙を持ち、既に紙には文字が書かれている。ムスビが見ていたなら、間違いなく警戒していただろう。一度すれ違った事のある、橙色の頭髪をした男だ!

 それを折り畳んで、小さく息を吹き掛けると、風に乗る鳥の形を模して変形し、空へと飛び上がる。そして第三区の方向へと去っていくのを見届け、再び路地の裏へと消えていった。







   ×       ×       ×




 昼時になり、太陽が空高く昇る。

 ドン爺の鍛冶が終わるまで、ガーゼから教わった『魔力郵送』を使って手紙を書いた。これは四通である。

 一つは、ラングルスに隠れているであろうムスビ。彼女の所在を敵に教える危険な行為ではあるが、敢えてその危険を冒す覚悟での情報交換が出来なければ、何も始まりはしない。ヤミビトやベリオンの皇族に関する情報は綴らず、現在必要なもののみに絞り込んだ短文で送る。

 二つ目は、東国の山里に身を潜めたガフマン。東の情勢が知れれば、<印>の動きが判る。それを後々、ロブディのカリーナへと伝達できれば良い。

 残りは、ハナエを守る為に必要な人材へ送る手紙だ。ユウタが信頼できる強者、護衛に適した相手。しかし、<印>と対立しなくてはならなくなり、何よりもユウタを優先しろというあまりにも身勝手な要望である。受諾する際には返事を書いて欲しい、とだけ最後に書き足した。

 今、この国でユウタとムスビは国家転覆の嫌疑、そしてハナエは皇族の血筋として<印>や民衆から狙われるであろう。その事態を予見したいま、即座に行動に移行すべきだ。


「よう、伝えてぇ事は書けたってか?」


「うん、有り難うドゥイさん」


「さん付けはよせ。年はお前と六つくれぇしか変わんねぇよ」


 照れ臭そうに答えたドゥイ。

 手紙が送り易く、尚且つ雲の上で敵に悟られ難い山頂付近で発送しようと考え、ドゥイに案内を頼んだのである。往復の数時間で、ユウタの武器も完成するだろう。ミシルとガーゼは工房の守備に徹しているため、ドン爺の工房に鎮座している。

 ユウタは仲間と、そして婚約者の為にいま可能な最善の策を講じる。武器が受け取れれば、隙を伺ってすぐにムスビの救出に向かう。敵の数や不馴れな町の地理など、険難(けんなん)が多いことが予想できた。


「なあ、ユウタっつったか?」


「はい、何ですか?」


「ドン爺、かなりお前ぇに期待してるみてぇだから、失望させんなよ」


「判ってるよ」


「さっきからちょくちょく思ってたんだが、敬語なんだか普通に喋るんだかハッキリしろや」


「すみません。僕こういうのだからさ、許してよ」


「あー、ムカつく!!」


 ドゥイを弄りながら楽しんでいると、森を騒然とさせる轟音が響いた。ユウタの耳が、ドゥイの勘が、その音源と波源が山の中腹辺りで発生した事を知覚する。誰かが戦闘を行っている――いや、それは無い。ならば、崖崩れか?――それも考えられない。

 二人は正体を見極めるべく、先を急いだ。二人が険しい地形に慣れている性分であるからか、問題の目的地まで早々に到着した。


「……何じゃ、こりゃあ……!」


 森林限界から「山の服」を剥ぐように、山肌がガレ場まで盛大に破壊痕がある。空から砲弾でも落下したような景観は、二人を唖然とさせた。状況の理解が追い付かない中で、ユウタはか細い人の声を聞き咎めた。

 聞き憶えがある。ドゥイと共に奇襲を仕掛けてきた小人族の片割れ――ジンシの声音だ。ユウタの背筋が凍える。間違いなく、いま彼はこの惨事を作り出した何者かに襲われている。小人族が強力な魔法を使えたという話は聞いたことがない。


「ドゥイさん、こっちだ!」


「何だ、判ったのか?」


「ジンシさんが襲われてる!かなり危険だ!」


「案内しろ!」


 役目は逆転し、ユウタが先導してジンシの下へと向かう。自分達が工房に居る時から、何かが起きている。雲が次第に厚くなり始め、再び雨の訪れを報せる。

 予断を許さない状況、ジンシの身を保護すべくユウタとドゥイは風のように駆け抜けた。幸い、破壊の痕跡が木々を薙ぎ倒して視界が開けているため、瓦礫を避けるだけで問題なく進める。


 視野の隅に血痕を捉えて、ユウタが立ち止まる。慌てて静止したが、一刻も早く現場に向かいたいドゥイがその後ろで焦燥感に息が荒くなっていた。


「どうしたってんだ、ユウタ!」


「この出血量……もう、ジンシさんは……」


「何言ってんだ、そんなわけねぇだろ!?」


 未だに轟音は聴こえる。もうすぐ近い場所まで迫っていることは、ユウタにも判っていた。だが、足下に広がったジンシが残した鮮血の量が尋常ではない。彼の体格からしても、七割ほどの出血が見受けられた。そんな状態で手傷を負いながら、未だに生き延びているとは到底思えない。


「ドゥイさん、(まず)いですよ」


「何がだ!」


「敵はジンシさんの生存していると錯覚させて、敢えて誘い込んでるんです」


「な……何?」


「見て下さい。こんなに出血していたら、仲間が死んでいるなんて、すぐに理解できるじゃないですか。そう悟らせたくない敵が、こんなものを残す筈がない」


「?つまり……?」


「ジンシさんが、僕らを引き止める為に此所で自分の命を絶ったん……だと思います。よほど敵も焦ってたのかもしれない……人質として使おうとしたけど、自死してしまった以上、利用できるとすれば」


「いや……あり得ねぇ……!」


 ドゥイが言葉を遮る。

 だが、それでもユウタは続けた。


「敵はあそこで待ち構えている。どちらにせよ、私怨で向かってくると信じて迎撃態勢を整えている筈です」


「行くしかねぇだろ」


「得物も無しで、無闇に接近するのは危険です。ジンシさんの命を無駄にしない為にも、万全を期して」


 ユウタの言葉が、再び遮られた。

 だがそれは、ドゥイではない。空から漆黒の羽毛が千の矢となって飛来した。攻撃を察知したユウタが、ドゥイの山袴の腰紐を掴んで引き寄せながら、森の中へと飛び込む。周囲の地面を穿つ攻撃、それらを掻い潜って木陰に身を寄せながら凌いだ。

 羽毛による射撃が止み、ドゥイを木陰に潜ませたまま、ユウタは木々や地面が破壊されて切り開かれた場所へと進み出る。


「お待ちしてましたよ、ヤミビト」


 目前に降り立ったのは、リィテルで対峙した八咫烏の同胞。白い羽衣に身を包んで黒い太刀を抜刀している。対するユウタは腰紐から小太刀の把を抜いて氣巧剣を発動させる。

 刀身が以前とは違う。黒の光に深紅の光を帯びた禍々しい剣ではなく、ハナエの瞳と同色――翡翠の輝きを放っていた。生命の色を湛えた剣は、以前までの印象を根底から払拭するような美しさがある。

 ユウタは新たな氣巧剣を中段に構えた。


「用件は?」


「貴方を殺しに来ました」


 やはり、リィテルで若頭を討ったのは、大きな禍根を残していた。実際に止めを刺したのはムスビだが、促したのもユウタである。責任が無いとは言えない。


「そうか……だけど、人違いだよ」


「……何?」


 ユウタは右の手中で氣巧剣の把を一旋させ体勢を変える。剣の切っ先を相手に翳したまま後ろへと引き、相手に半身だけを見せて左足を対峙する方向へと向かせる。そのまま左手もゆっくりと把に添えて、八咫烏を見据えた。


「ヤミビトじゃない。僕はユウタだ」


「……面白い、良いでしょう」


 ドゥイが見守る中、ユウタと八咫烏が前に出た。






今回アクセスして頂き、誠に有り難うございます。手紙を送る前に困難が彼らを襲います。

次回もよろしくお願い致します。

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