二度目の指名手配
更新しました。ユウタとミシルのトークをお楽しみ下さい。
山小屋の傍で座っていたドン爺は、ふと山の付近に気配を感じて立ち上がった。握りの部分が太く膨らんだ杖に体重をかけながら、ゆっくりとした足取りで小屋の中へと入る。ドン爺の体ではガレ場はこの足場として最悪だ。
わずかな距離を歩く事にも難儀している姿を、小屋の中から見守っていたドゥイは、戸口に立った彼の膝と背に手を回して持ち上げ、床へと運んで座らせる。屈強な腕は、その小柄な体躯に似合わぬ魁偉であり、ドン爺ほどの重量ならば山を往復できる体力を秘めている。それが彼が町まで降りて情報収集の任を担う所以。
ドン爺の老体を傷付けないよう腕の力加減を案配する。普段は粗野な部分が見られるドゥイだが、配慮を欠かさないところは慎重さがあるという証左。
既に話さずとも、ドン爺の意を察して無言のまま小屋を出ると、少し離れた方形の岩で形成された庫へと向かう。削って作った岩の取手を引けば、中から武具の数々が現れる。
その中で五尺はある著しい長柄の戦槌を取り出し、軽々と一旋させてから肩に担ぐ。そのままドン爺と言葉を交わさずに、森の中へと降りていく。
「あれ、ドゥイは?」
「ぬしも行け。久しく客人が来た」
こちらはドゥイより鈍く、ドン爺の言葉を何度か反芻して、ようやく理解した。慌てて武具を手に取り、樹間の中へと飛び込む。こちらも、その体で操るには難儀すると思われる長槍を携えて。
ドン爺は、森の中に侵入した影の気配に覚えがあり、歓迎に向かった二人に一抹の不安を懐きつつ、自身は山小屋の中で座視するつもりだ。元より、ドン爺には山を降りる事すら寿命を削ると言わんばかりの苦行である。小屋の付近を散策する程度で、その老躯は悲鳴を上げる。
自分に出来る事は、この永い命で世界を俯瞰すること。そして……
「ふん、奴め……やはり宿命には抗えんかったか」
あの作業をする時だけは、全身に力が漲る。それこそ、あの一族より産出される闇と同様の呪いだ。数多の剣を彼等に捧げる事に生涯を費やしてきたが、それも厭わしくて最期に一縷の望みを託した者も、どうやら失敗に終わったらしい。その血の宿運は、個の意思で抵抗も許されないのだ。
神経を研ぎ澄まし、もう一度気配を探る。ドン爺の感知は、この森全土に及ぶ。彼はこの森の主と呼ばれても相違ないほどの力を有しているが、それは彼が背負う異なる立場に付加された力の副産物。この力自体を使用する事に一種の嫌悪を禁じ得ない。
「ん……?」
ドン爺は、微かに感じた違和感に唸った。既知である筈の気配、しかし胸中を騒がせる妙な違和感を払拭できずに当惑する。何かが違う、何か……
「……銘が、無いのか?」
疑問を解消すべく、もう一度己の感覚に訴えかけて、正体を探る。そこに、今は力の行使を厭う念も無く、森の中へと神経を張り巡らせた。
「間違いない……こういう事か……!」
× × ×
ラングルスには、冒険者協会も無く、魔物や宝物など、人々の目を惹く世界を内包した迷宮も無い。あるのは人の悦楽、快楽、娯楽である。そして、それと相反する廃退、敗退が犇めく。
路地や広場には旅芸人や詩人などを中心に群がる団塊が複数存在し、此所には種族や国といった概念は皆無。敗者か勝者か、楽しむか悲しむか、ただそれのみ。故に、この場を我が物顔で稀有な種族が往来しようとも、少し目を留めるのみである。それが脅威に晒されているムスビを救う遮蔽物としての働きをしていた。
人混みの中を、手を引かれて進むムスビは、先導する少年を見た。
離すまいと込められた力はほどよく、先程の男達とは違う気遣いがあった。ムスビの素性を隠す為に、自身の身に付けていた帽子を貸していた。
同じ一対の獣の耳。三角に尖ったムスビとは違い、やや丸みを帯びた耳が時折、左右へと向いては動いていた。
彼の名はジン。
五年前に<印>からの襲撃を受けて、殲滅された獣人族の生き残り。ベリオン大陸への渡航後、すぐにムスビとは別れてしまい、それ以来一切の所在が不明であった。それが今、この町で再会を果たした事態を奇跡だと思った。
彼に誘われて、別の宿屋へと入れば、中は晩酌で賑わう人間達が所狭しと机を囲っている。中には机の下に小さな円形の板を掛け金の代わりとした遊戯が行われ、手繰る者によって繰り広げられる駆引きに一同が度々歓声や驚嘆の叫びを上げる。
ムスビはその人だかりを斜視しつつ、ジンに促されて椅子へと腰掛けた。続いて彼が正面に座れば、その周囲から人が引き波のごとく静かに距離を取った。会話が聞こえない間合いを保って、変わらない様子を装ってはいるが、その目には緊張が走っている。
その異様な空気にムスビが顔を顰める中、ジンだけが涼しげな顔であった。
「ねぇ、何かあたし達避けられてない?」
「一端は君にもあるけど、概ね俺の所為だ」
ムスビは席に座りながらも、超然と背を伸ばして周囲一帯の様子を窺う。確かに、こちらを畏れているのは、顔色で判る。しかし、その理由の大半が己の所為だと、なぜジンは知っているのか。いや、それよりも気に掛かったのはムスビにも宿屋に居た客の畏怖を催す理由があるというのだ。
彼が注文した料理が届く。ムスビにも同じ物が差し出されはしたが、食欲も無く手を付ける気にもならなかった。久しく再会した相手に対し、漠然と警戒心を持っている。それは町に入ってから、自分達を狙う刺客とアレオによる脅威が迫っていることで、相棒と分断された後に訣別したと観念していた友人との邂逅。連鎖的に起こる奇妙な出来事は、何らかの兆候なのかと疑念が胸の内で湧く。
ムスビを訝って、食事を中断して向き直った。
「どうした?」
「あたし、何で怖がられてるの?」
「……そうか、ムスビは知らないのか。無理も無い、半月も森の中で生活していたんだ」
沈痛な声で呟いたジンは、顔を隠すように俯いた。その内容が重大であるという事は、ムスビの目から映る彼の態度で判じられる。
「実は……ムスビは現在、指名手配犯とされてる。国家転覆の……な」
「あ、そう。道理で、そういう訳ね」
「えっ?」
ジンが戸惑いの声を上げた。折角また出会った同族の少女に、これ以上の現実を知らしめるのは大きな精神的負荷になると踏んで、話す事を逡巡していたが、予想と反した反応に呆然と開いた口が閉じない。
ムスビは逆に、あたかもそういった不遇には慣れているかと言わんばかりに、自嘲と余裕を滲ませた笑顔。寧ろ、先程よりも周囲を見回していた瞳には挑発的な意が含まれていた。
「ムスビ……恐ろしくはないのか?」
「国家転覆は凄いけど、実際には身に憶えがあるような……無いような……いや、あるわね、うん」
「ど、どうしてそんな、気楽でいられる?」
「気楽なんかじゃないわよ。面倒臭い事には変わり無いけど、あたしはこんな感じの事は常人よりも経験豊富ね」
「ど、どうしてだ」
「一度、冤罪で暗殺者集団【猟犬】に夜半は追跡されるし、町中には手配書なんかも沢山あった」
「そ、そうなのか!?一体どうやって、身の潔白を晴らしたんだ」
「まぁ、その方法が些か派手過ぎたたから……国家転覆なんて容疑がかかるのかもしれないわね」
ムスビはこの町に至るまでの経緯を説明した。アレオの襲撃が止んだ事からの安堵か、状況の詳細をジンに語る時間もあり、二人で暫しの間、今までの旅路で体験した出来事についても仔細に報告する。ジンは相槌を打ちながらも、時折本当に呆れて嘆息する。
ふと、相棒の少年の正体がヤミビトだと開示したとき、彼の顔が途端に曇った。険のある眼差しに、意気揚々と話すことに夢中になっていたムスビは狼狽する。
歴史を遡れば、獣人族の中から輩出される『魔術師』を過去に決闘で殺害したヤミビト。それを、ジンが知っている可能性を失念していた。無論、五年前の惨状においてもムガイによる殺戮もあって、その血族に対する憎悪はあるだろう。ムスビは八咫烏からだが、ジンはもうとうの前に聞いていたやもしれない。
ムスビが苦笑して相棒の話を中断すると、ジンが席を立った。その挙動のみで、客の中で息を呑む者もいた。ジンはムスビの背後に回って、首に腕を回して抱き締める。
「な、何?」
「ムスビ、やめるんだ。ソイツは危険だ」
「そんな事無いわよ。寧ろあいつは、ムガイと対立中なの」
「君を欺く為の演技だ。奴を信用しちゃ駄目だ」
一方的にユウタを危険だと断じる彼の頑な姿勢を嫌って、ムスビはジンを突き放す。あのユウタが害を為そうと近付いてきた刺客。奇しくもその技巧や体捌きは、その業にあるものだろう。だが、ユウタを疑う心慮は微塵もなかった。ムスビを守る為、己の危険を顧みずに追手を引き付ける囮役を進んで担ったのだ。
何よりも、シェイサイトでの騒動で領主の息子が繰り出した兇手に対しても、命を懸してまで敢然と立ち向かった。それも、ただ一人――ムスビを想ってのこと。
「あたしが生きているというのは、どうあっても<印>には不都合なのに、あいつは守ってくれる」
「君という魅力的な女性に目が眩んだんじゃないか?」
「人の感情の機微に対して……特にある一点が神の悪戯を思わせるぐらいに愚鈍なあいつには無理な話よ」
「俺がムスビの傍にいる。仲間も居るし、こっちの方が<印>を撃滅し、国に怯える事もない」
「怯えなんてないわ。どんと来いよ。あいつは相棒で、あたしは旅をしてるの。復讐は……もう正直どうでも良いのよ」
「何故!?君の両親が殺されたんだぞ」
「だって、あの人達が望んでるとは限らないじゃない。それよりも、あたしの幸せを案じている筈よ……それに」
次の一言に、ジンを含めたその場の客が慄然として身を固めた。彼女が垣間見せた異質な迫力には口を噤む。
「あたしの相棒を侮辱するなら容赦しないわ」
鋭い眼差しをジンに投げ掛けた後、すぐに屈託の無い少女の笑顔を繕って、卓上に置かれた水を飲む。漸く食事に手を付けて、一口ひとくちを噛み締める。
ジンはムスビの後ろで頭を垂れていた。彼女の篤い信頼の先がヤミビトにある事実を認めたくなかった。
「ああ、でもあれよ。この町、危険な連中が潜んでるじゃない?だから、滞在中だけでも守ってくれると有難いんだけど」
一度拒んでおきながら、自身に利のある話を要望するムスビに、ジンは落胆を隠さずに眉根を寄せた険しい顔で首肯する。この少女の信頼をヤミビトから剥離させるのは困難。ならば、せめて不在の間だけでも、空白の時間を埋めよう。
席に再びついたジンは、食事を再開した。それから一通り、現在国境付近で火花を散らす抗争が次第に大きくなり、戦争を招く危険性があること。そして、そこから連なって二人が国家転覆を企図していると推測された理由をムスビに聞かせた。始終を静聴していたムスビも、嘲弄的に鼻で嗤う。
「ムスビ、これから君は何を?」
「そうね……<印>の情報とか、あるかしら」
「それなら、多少は。
今、奴等は西国から撤退して東へと向かってる。何故だか知らないけど、港町リュクリルではシェイサイトの迷宮第六層にあった宝物“呪典”を複数も使用して魔物を喚び寄せたらしい。他にも地方によっては、現在の国政に不満を持つ反乱分子を結束させて民間にも武装蜂起を促したりとか」
ムスビの中で部品が組み立てられる。
“呪典”――恐らく、ムスビがリュクリルの迷宮で発見した謎の書物の事だろう。微弱にも魔力の波動を感じさせるそれは、カルデラ一族の当主カリーナによれば、一種の呪術を付加した魔装だと判明した。だが、その書物が誰の手によって製作されたのかは、彼女の知識を以てしても解明は叶わなかった。
やはり、<印>の仕業だった。そして、ムスビ達はまさにシェイサイトで、その“呪典”を探っていた氣術師達と相見えていたのだ。
ムスビは卓上に身を乗り出して訊く。
「その“呪典”って何よ?」
「シェイサイトで最期を迎えた有名な呪術師が遺したとされる呪術の結晶。彼は生前、魔物を操作する術に特化していた。
<印>は以前から“呪典”の一つを所持していて、それを使用して神樹の燃焼を計画したらしいが、国を争乱に陥れる為に更に必要になったから、【冒険者殺し】の事件が発生したらしい。扱い方は呪術に精通した人間じゃないと無理だと」
「……あんたら、一体どんな情報収集能力してんの」
「八咫烏から定期的にね」
「げっ……あいつらね……」
「女王に裏切られたと嘆いていたよ」
ムスビはユウタを守るべく、八咫烏と対立した事があった。その際も、最終的に若頭を仕留めたのも自分。確かに、彼等からすれば裏切りと見なされて同然の行いだ。勿論、情報提供をしていたジンにも、その所業を報せている筈だ。
苦々しげに顔を歪めたムスビに大笑して、首を横に振ると、ジンは肩を竦めてみせた。その態度には怒りや憎しみの感情が籠っていない。
「ヤミビトに籠絡されたという結論に至ってね。君の話を聞いていると……その、頼りにし過ぎていると思ってしまうから」
「籠絡、ね……。逆にあいつを落とす方法って無いかしら」
「確か、ロブディの一件で判ったのが、奴には後生大事にしている娘が居るとか。ヤミビトとしては珍しい例だけど……最終手段は人質に取るさ」
「ふーん」
ムスビは特に咎めなかった。ロブディ滞在中の殆んどを、ハナエの看護に積極的に取り組んでいたユウタの態度が気に喰わず、また幸せそうにしているハナエに対する妬みがある。とはいえ、ジン達が本気で無い事も悟っていて、拒否せずに流した。
「まあ、ヤミビトに危険性が無いとするなら、ムスビ、君は“儀式”を受けるべきだ。間違いなく、必要になってくるだろう」
「……確か、魔術師になる為の、かしら?」
「それを受ければ、君は<印>に負けない力を手にするだろう。俺も出来る限りの事は協力をするし」
魔術――その力の本性を知らないムスビは、儀式を執り行うと言うジンの真意を計りかねた。だが、絶大な力を有すると述べるジンの言葉に虚飾だと思われる言動は見られない。
それが真に強力な力となるならば、是が非でも欲しい。
「前にも八咫烏に言われたけど……儀式って、実際的に何をするのよ」
「一つ、神樹の樹液を摂取すること。
二つ目は……」
「二つ目は?」
話す事を躊躇うジンに、ムスビが片方の眥を上げて睨んだ。抵抗があるのか、それでも口の開閉を繰り返していたが、やがて観念し弱々しい声音で告げた。
「二つ、ヤミビトと……主従の契約を結ぶこと」
× × ×
地下の抜け道を道なりに進めば、地表へと上がる為の傾斜が目前に現れた。ミシルに従って登れば、龕灯の火に照らされた前方に穴が穿たれていた。木々に囲われており、樹影の中なのか薄暗い。数時間をかけて闇の中を二人で滔々と進んでいたため、そんな景色にも思わず歓喜してしまう。
ユウタとミシルは嬉々として穴から躍り出た。
「この道は、一体誰が作ったの?」
「カーゼ。【猟犬】のシュゲンが潜入の暗殺が上手いのと違って、カーゼは罠仕掛けなどの技術が上手いんです」
「いや……この長距離を掘るのは、かなり苦労すると思うけど」
「カーゼが、えと……アキラと初めて関わった時に、第三区が大荒れになって、その時に脱出に苦労したから、彼が去った後に作ったみたいです。二つの道は、シエール森林の中に続いていて、一つは罠ばかりなんです」
地中に開かれた道、そこに施された工夫と製作に至る経緯。その労苦は計り知れない。ユウタの師によって、カーゼがどのような被害を被ったのかは聞いていないが、余程の事だったのだろう。入り口を隠す為に設えた床の細工、三つの内で過てば二度と引き返しの出来ない死の罠、森と家を繋ぐ道。
ユウタは申し訳ない気分になり、額の前で合掌して、今は別の地点へと移動しているカーゼへの謝意に、ただ無事を祈った。養父の身を案じる素振りも見せないミシルは、森の中を進んでいく。彼女には目的地の正確な場所が既に判っているようだった。年は自分よりも若いというのに、魔物の跳梁跋扈する森林を悠揚と進む姿に敬服する。
やはり、暗殺に携わる業を専門とする者の気構えは、常人には推し量れない覚悟がある。【猟犬】のヴァレン、そしてミシル。突然身に降り掛かった不測の事態にも冷静に対処する。
「ミシル、僕はクェンデル山岳地帯の中で、最も高い山という情報しか貰ってないんだけど、君はもしかして、一度行った事があるの?」
「師匠、あっしはこれでも女子、山まで赴く用事なんて無いですよ。実際にはあの地下道を使うのも初めてでしたよ。どの道が罠のやつかも、朧気に憶えてました」
「ええ!?」
「誉めて下さい、師匠!」
「この馬鹿者!」
勝手知ったるように感じた行動は、まさか初体験だったとは露知らず、ユウタは愕然と目の前の弟子(仮)を凝視する。では、選択に拠ってユウタ達はカーゼが追跡者に対し仕掛けた死の罠に嵌められていたかもしれないという。
ユウタは一度だけ抜け道のあった方向を顧みて、総身を悪寒に震わせた。自分の体内で鼓動する心臓の音を確認しようと意識が体内に集中する。
「……えっ、まさか無知?予備知識も無し?そういうの僕だけにして」
「師匠、北へ進みましょう。そうすれば山が見えます」
「そんな安直な考えで良いの!?」
「為せば成る、ですよ!」
「ごめん、言ってる事が解らない!」
ユウタの批難を受け流して、ミシルは満悦の笑みだった。何がそんなにも喜ばしいのかを全く察せずに煩悶とするユウタを放置し、北の方角へと進む。計画性があると思われていたミシルが、全く何も考慮していないと知って、多大な不安が胸に乗し掛かる。
これからの理不尽にも立ち向かう気概を示していた筈のユウタは、まさかミシルに出鼻を挫かれるとは思ってもおらず、既に意気消沈していた。ミシルに付いていくほど、暗澹たる闇を進む途方もない感覚がした。
薄暗いのは、頭上に枝葉を拡げる木々に日光を遮られたためだと思っていたが、空を見上げれば黒々とした暗雲である。今にもまた、雨が降りだしそうだと予想して、ユウタはラングルス到着前の落雷を想起して、樹林から距離を置く。自然のもたらす力を目の当たりにした身として、二度と遭いたくもないと考えている。
シエール森に居れば、追手の影に警戒する必要もない。彼等は町の外まで脱出したとは思いもしない。しかし、いずれは抜け道も露呈する。しかし、跡を辿って訪れる可能性を懸念すれば、鍛冶の小人族の訪問も断念しなくてはならないのだ。
必要とあらば、差し迫る脅威を力を以て排斥する他にない。
「あ、そう言えばカーゼが言っていました。目的の山の付近まで行けば、迎えがあるそうです」
「迎え?まさか、小人族が小屋まで案内してくれるって事?」
「そうなんですかね?」
「いや、君が知らないと終わりなんだけど」
予想していたよりも早く、二人はクェンデル山岳地帯まで到着した。ラングルスとの距離が短いというのもある。ユウタは山頂を暗雲に隠す峻険たる山々を眺めて感嘆する。神樹の森にも、この様な高山は無かった。
ミシルが脚絆を脛に巻いて準備をする。
「こちらが動くまで、あっしらの元までは来ないでしょうし、進みますか。途中、険しい岩場を登らなくてはならない場合も考えて、師匠も脚絆を」
「大丈夫」
師と共に岩壁を訓練で登る事もあったため、特に支障はない。ユウタとしては、脚絆を装着しない方が楽であった。
ミシルが向ける尊敬の念を込めた視線に笑って、ユウタ達は歩を進める。
迎え、というものが一体何なのか。恐らくミシルも詳しい内容までは把握していないのだろう。だが、仮に迎えがあるとするなら、カーゼと行動を共にしているだろう。その小屋を目指すのは、ユウタのミシル、そして彼のみ。三人を導いてくれるその迎えが、穏やかなものであって欲しいと願う。
「…………」
「ん、どうしました師匠?」
ユウタが足を止めると、困惑した表情を目に浮かべてミシルが振り返る。雨の前に訪れる強風が落葉を巻き上げて、袷の裾を叩いて通り過ぎて行く。
紫檀の杖を握りながら、樹幹へと身を寄せる。その意図を察したミシルもまた同様に、木陰へと姿を潜める。互いの安否を確認できる距離で気配を消し、森の中を見回す。
「師匠……さすがです」
「誉めてる場合じゃないよ」
ユウタの手が杖の柄本に伸びていく。
ミシルもまた、腰の鞘に納めた短刀の把に軽く指を絡めた。
「そこだな!」
ミシルが隠れていた位置に、突如として空から槍が飛来する。一体どこから投擲されたのか、人の姿も見えない状況で、探すよりも先にユウタが跳躍して、宙で半回転すると槍の柄を踵で蹴り下ろした。槍の穂先が描く軌道が歪み、ミシルの傍に佇む木の根を突き刺した。
ユウタがその槍を検める。とても長い柄は、ユウタの背丈よりもある。それに比較し、刃が一尺を下回る短さの異様な武器。槍の穂と反対にある柄の末端は輪状になっており、縄が結び付けられていた。
縄は林間へと伸びている。その先を目で追っていたユウタの聴覚が、背後で砂を噛む裸足の音を聞き取った。
「ミシル、君は長槍の使い手を。僕はもう一方に対応する」
「敵の数は……」
「確認できる内で二つだ。頼むよ」
「最初の試練ですね、良いでしょう!」
ここは山の近辺――追手にしては到着が早すぎる。ならばこれは――例の迎えだ。だが、強い敵意を感じる。
山小屋まで導いてくれるものではなかった。これは明らかに相手を退ける為の迎撃である。
木陰から飛び出したミシルは一振りの短刀を逆手に持って構える。二人で背中を合わせて、全方位に気を配る。
手荒い歓迎だ、とユウタは卑屈な笑みを浮かべて、抜刀の姿勢に入った。
今回アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
次回もよろしくお願い致します。




