山小屋を目指して/逃走の最中に
更新しました。少し短いです。
春季から西国にて起こる騒擾の元。神樹の燃焼は、本格的な動きを示唆する凶兆だった。
ベリオン大陸中心に位置する森から北にある国境では、再び戦乱の臭いがしていた。二〇年前の諍いがあって以来、燻る火種を残したままに、一時の平穏が約束されていた両国の接する場所で勃発した。そこは国を繋ぐ仲介の役割を果たし、付近には異国の者が混ざって作業する農村もあるのだ。
西国の首都から、東国へと隠密に遣わした間諜によれば、神を糾弾する東国の黒衣によって、西国出身の農民を蹂躙する働きがあった。また、彼らに唆されて続いた東国を止めるべく動いた国境に派遣された兵士による争い。それが次第に周囲に跳梁していた強者を雇うまでになり、鎮静するどころか、ますます激化の一途を辿る事態の悪化。
諸悪の根元たる黒衣の人間は、春まで農村を根城にしていたが、神樹の燃える光景を見届けると、朝日と共に出ていったという。依然、足跡を見つける手懸かりすら無いまま、更に苛烈さを増していく国境の戦火が、じわじわと範囲を広げていることを、誰も止める事は叶わなかった。
黒衣の人間の特徴として、東国の装束に白い蛇のような紋様を肌に刻んでいるとされる。早速国内で彼等を叩き出す運動も興ったが、結果として現れる者は居ない……
そんな中、南方の町で現れた。それも、神樹の近くにある場所である。
国が怨敵と見定める者と同様の装束に、黒い蛇の刻印。些か違う風貌の少年に、国の中枢は噂を聞き咎めて首を捻ったが、彼を中心に次々と事件は発生する。それを始末するのもまた、件の少年だ。
更には、聖女暗殺の事件にも関与していた。
視察団を編成して遣わせ、尋問を行ったが少年に悪意は見られない。だが、立て続けに騒動に携わっている少年に対し、それだけでは嫌疑が晴れず。
更に国王直属の騎士団から、神樹へと調査に出ていた一兵を、カルデラ一族が引き抜くという異例の事態。その一件にも、少年が関わっている。絶大な力を持つあの一族は、政界の人間ですら近付くのも憚られる。そんな彼女に、ただの少年が接触し、事もあろうに一族の屋敷を往来できるのか。
国の要衝でもあるカルデラ一族の守りを破って交友にまで至り、訪れた土地を騒がせる東国の少年。「白き魔女」と嘯かれる見目麗しい少女を伴って人心を掌握する。
この秋、国王が少年を指名手配した。
名を「ユウタ」、罪状は複数による犯行での国家転覆。謎の黒衣の集団の一員として、生け捕り、または討伐。
当の本人は、そんな世界の動きも知らず、森の中を「白き魔女」と呼ばれる相棒と共に、シエール森林を縦断して、次の町に向かっていたのであった。
× × ×
古ラングルス市街地の裏路地の一件。刺客を生業とする連中が犇めく町の中で、国の敵と見なされた少年は驚倒していた。カーゼはその様子を呆れていたが、彼の感情は当然のものである。
ただ旅をしていただけだというのに、国全体と対立する状況下へと陥り、それも知らず悠然と次の町へと入れば刺客に首を狙われる始末。この理不尽に憤りを感じる暇もなく、その理由を問い質せば国家が敵だと告げられたのだ。彼等が幸運だったのは、人の流れが滅多に無いシエール森林の中に身を潜めていたという点のみ。
ユウタはやにわに青ざめた。国から敵視され、特徴などの情報が伝播した中、誰を信じて言いかも判らない混沌と化した町にムスビを残したままである。まだ此所へ来て半日も経っていない……時間の経過と共に、敵勢は増大してくるだろう。
だが、何処へ逃げても現状は同じだ。この劣勢を覆す恃みとなる伝は、カルデラ一族の力を持つ者のみ。だが、自分達を庇護すれば白羽の矢が向けられる。そういった迷惑を掛けられる筈もない。危機に直面すれば推参すると申し出た身が、自身の窮地を脱する手としてその逆を行うのは忸怩たる感情がある。否、もはや感情だけで物事を進めるのは浅はか極まりない。だが、それでもカルデラ一族との連絡手段を講じるにも道具が足りない。自分達の名で郵送しただけで足がついてしまう。
カーゼはその胸懐を見透かして卑屈に笑った。込み上げる可笑しみを噛み殺し、ミシルを指先ひとつで動かす。何気なく宙で虫でも払うように振った手に、ミシルは頷くと戸口の横に立て掛けられた戸板を持って入り口を塞ぐ。
「山に行けば、確かにアンタを狙う輩を上手く撒けるだろうな。……ミシル、付き添ってやれ」
「え、良いの!?でも何で」
「オイ以上の師を得たならば、もう此所に用はありゃせんだろう。なら、その人の近くで知恵のおこぼれを恵んで貰えば良い……抜け道を教えてやれ」
嬉々として頷いたミシルは、驚愕に固まったユウタを他所に支度を始めた。カーゼはやれやれと溜め息を吐きながら、小屋の窓を一瞥した。雨が降り始めたのだ。外では溝板を忙しく叩く雨音がする。もうじき、前方を確認するのも困難なほどの大雨が来るだろう。長らくこの地に居座るカーゼからすれば、これは既に何度も経験した天候の兆し。
ミシルは準備を終えると、小屋の隅――先刻カーゼが踞っていた場所へと行くと、床を踵で小突いた。軽く木を打つ音と共に、床の一部が動いて観音開きに開いた。中は土を掘って道を作っただけの穴。そこへ先に身を投げ出したミシルの姿が消えたのを見届けると、カーゼはユウタをそこへ催促した。
未だに現実を受け止めきれずに困惑しているユウタの背を押した。
「早う行きな。もう、この小屋中心に奴等が集ってる」
「……どうして、見逃してくれるんですか?」
「外は最悪の天気だが、弟子が晴々とした門出を迎えるならな。まあ、まさか国全体で仕留めに掛かる悪人に定めるとは。……娘を頼んだ」
「貴方は、どうするんですか」
「オイも奴等から逃げる。抜け道は一つだけじゃない。なにぶん、この仕事をしてると退路の確保に手を抜く愚かしい真似はしないんでね。此所でも、恨み買っとるし」
カーゼは法被の袖を払って、ミシルが消えた場所とは逆の隅へと寄って、今度は屈み込むと床を叩いた。またしても、隠れていた道が現れ、更にその入り口の近くには脚絆や草履などの旅装束が揃えられている。用意の良さは、本人が語っていた通りだ。彼が穴の中から、板を元に戻した。
ユウタは感嘆の吐息をもらす。自分もミシルの居る穴へと飛び入ると、彼に倣って板を閉じて入り口を隠した。待機していたミシルと共に歩くと、すぐにカーゼの居る別の道と合流する。その先では、三つに分岐しており、前方はユウタでも視認が難しい暗黒が蟠っている。
「あーあ、アンタと先代は、こうもオイを面倒事に巻き込んでくれる。ま、アンタ達はいつも大変そうだが」
皺だらけの顔に憫笑を湛え、雑嚢の中から取り出した蝋燭に火を点けて、龕灯の中へといれる。右手にそれを掲げたまま、眼前に分かれた道の内で右端の道を選択して進むカーゼを、二人で見送っていた。
ミシルに導かれ、ユウタは左端の道へ進む前に、闇の中へと小さくなって行くカーゼに呼び掛けた。声が地中に拓かれた空間を震わせる。
「また……次はいつ会えますか?」
「アンタら、早くこの町を出な。そうさな……オイも山に行くとしよう。件の山小屋で」
「御武運を」
ユウタも進んだ。
町の中に残っているムスビは、恐らく今回も何らかの手段で逃げ果せているやもしれない。確かに敵は多い上、あのアレオの再襲撃も予想される。そんな中で、町人の目という情報を元に追尾する刺客の存在は無視できない。ただでさえ、人目を惹く彼女には、艱難多き戦場となる。
ユウタは森に住む小人族を訪ねた後、ムスビを救う為に再びラングルスへと入る所存だ。相棒を置いて逃竄など唾棄すべき行為だ。
つくづく、町を訪れた初日から事件に遭遇する質は直りそうもない。それも、窮状を突破する度に敵は大きな物へと変化する。終わりの無い道を歩まされているような感覚、その途上で一度は挫けもしたが、こうして自分は進めている。その中で鍛えられた精神は、今回もまた屈さずに乗り越えられるだろう。
ユウタは再会を信じて、ミシルを同伴して山を目指す。長々と続く一本道の中で、互いの足音だけが反響する。龕灯を前に掲げて先頭に立つミシルは、このユウタによって家を捨て追手に狙われる不遇に悪態もつかない。
「ミシルは、どうして暗殺業なんか……」
「あっし、実はこう見えて、結構高位な家の出だったから。まあ、やってる事は姑息で悪辣だったから、国から目を付けられてさ。国の依頼で、カーゼがあっしの親を暗殺」
ミシルによれば、この古ラングルス市街地に潜伏する裏組織【鷹】は、【猟犬】と比肩する暗殺者の集団。国との関わりを持つため、主に貴族などを標的にした仕事が多い。カーゼは中でも、【猟犬】のシュゲンに匹濤する遣り手だった。仕事を辞め、組織を脱退してからも出入しては情報の搾取などを行って、この町で生活している。
「……憎くは無いの?親を殺されて」
「あっしが異常だからかな。カーゼに憧れちゃってさ。泣き付いてでも弟子入りしたら、顰めっ面だけど連れてってくれた」
「……そっか。カーゼさんの事、好き?」
「ま、素直じゃないのが瑕だけど、それでも大好きだよ。それに、聞いてたんだ。あのカーゼが勝てなかった暗殺者……何だっけ……そう、アキラ!その弟子だって聞いたから弟子入りしようと思ったわけだよ」
「ヤミビト、の方が判り易い?」
「そうなぁ……でも、子供にこう言うんだよ「良い子にしないとアキラが来る」とか。でも、裏の方では確かにヤミビトで通ってるね」
「僕の師匠は、そんな事しないなぁ。寧ろ子供をあやすのが上手いよ」
ユウタが基本的に泣きわめくような子供では無かったというのもあるが、それでも親の立場としては苦労がある。それを師は一切の不満も溢さずに育ててくれた。
「つまり、あっしは孫弟子!?」
「まだ弟子として認めてないんだけど」
「うお、こりゃ凄い事だよ!」
「話聞いて?」
× × ×
ラングルス第二区は騒然としていた。
人の往来する道に面する宿屋は、利用者も多く繁盛している。宿泊した旅人の感想に、不満は微塵も無いという誉れ高い施設。
それが突如として、業火に焼かれて崩れた。衆目を集めるその光景。近くに居た人間が、舞い散る火の粉に小さく悲鳴する声も、家屋を燃やす火勢を前に気にも留められない。
宿屋を包囲した民衆の中で、外套を羽織ったムスビが息荒く、人の間を進む。アレオに悟られぬよう、急がずに歩いた。
遡ること数分。屋内で灰色の触手に全方位を塞がれた窮地で、魔法を使わざるを得なかった。風の魔法で道を切り払い、再生を繰り返して迫るその手を掻い潜って外に出た後、宿に火を放った。もうアレオによって生者は居ない。弔いの積もりではなかったが、触手を一網打尽にすべく躊躇わなかった。
しかし、荷物も共に焼けてしまったのは手痛かった。何より、ユウタから唯一貰ったキャスケット帽子が自分が起こした炎の中と考えれば、胸が苦しくなる。
宿から離れた家屋の壁に凭れると、休憩にその場で腰を下ろす。路肩で膝を抱えて、外套をに顔を埋める少女に男達の視線が募る。今は外気に去らされた獣耳は注目の的。何より、それが若く美しい娘ともなれば。
遠目で窺う者の中から、数名がこちらへ向かって歩いて来る。ムスビは舌打ちして立ち上がった。ただでさえ、到着してまだ間もなく疲労もある中でアレオの急襲が重なって、体は休みを必要としている。
「ねぇねぇ、君。何してんの?」
「恋人を待ってるのよ」
「それじゃあ、それまで俺らと遊ばない」
ムスビは思わず噴き出した。何度も経験した事だが、自分を狙い目を血走らせる男の姿は滑稽に感じられたのである。幾らこの男達が努力を使用とも報われないのは、ムスビ本人がもう一人の男に執心しているからだ。
「あたし、恋人以外と遊ぶ余力なんて無いから。悪いけど諦めて」
「良いじゃねぇかよ。外にそんな格好で出るくらいだし」
男の無骨な指が外套を剥ぎ取った。ムスビは短い肌着とショートパンツのみで、白い肌が大きく晒されている。
ムスビを狙う人間は二種に分かれる。一つは、外見に恋を患った者。もう一つは、肉体関係を築こうとする不埒な輩である。今回の場合は後者にあり、嘆息して男から外套を奪い取って羽織る。
「それで、恋人さんを誘惑しに行くつもりだったのか?」
「想像にお任せするわ。でも、あたしは自分の体を易々と売るような軽い女じゃないのよ」
「まぁ良いじゃん。体操もかねて俺と……」
複数の手が伸びた。悪寒に身を強張らせながらも、男を蹴りで突き放そうとムスビが片足を掲げる。
男が野卑な笑顔でムスビに触れようとした時、横合いから誰かの手に捕まれ、腕を捻り上げられた。痛みを堪えて、その手の主を探った。
ムスビと自分達の間に、いつの間にか立っていた少年。赤い毛織りの帽子を被った少年の剣幕に、全員が怖じ気付いて後退る。
「……その人に、触るな」
男達は少年に圧倒され、その場に座り込んだ。
汚物にでも触れたように手を振って、ムスビに向き直る少年が、帽子を取る。突然の闖入に喫驚していたムスビに追い討ちをかけたのは、少年の容貌だった。
短く毛先の跳ねた藍緑の髪に、凛々しい眉と整った顔立ちに黒の瞳。一見して美しい少年ではあったが、彼の頭部にはムスビと同じ耳が生えていた。帽子に隠されていたそれを見せ付けるように一礼する。
「獣人族……なの?」
「久し振りだな、ムスビ!」
顔を上げた少年は、喜色を顔に浮かべていた。
「……誰?まさか、親近感湧かせる為に付けたの?」
「違うよ……ジンだよ。一緒に逃げたじゃないか」
少年の言葉に、ムスビは首を捻ったが、すぐに少年と一致する面影を記憶の内から呼び覚ました。
「……嘘でしょ?」
今回アクセスして頂き誠に有り難うございます。
次回もよろしくお願い致します。




