アレオ
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享楽と廃退の町――ラングルス。
ロブディからシエール森林を挟んだ北に位置する。首都に近く、行商人の数も多い。魔物の巣窟である森を抜ければ、そこには一時の天国を味わえる世界が待っている。
ここでは、主に金銭を相手と争う賭博に幾つもの施設や運動が興る。大体が三区画となっており、その内の一つを除いて著しい繁栄を見せていた。この活気を伝聞で耳にした旅人も訪れ、危険と快楽を貪る。
第一区――競技が盛んとなっており、主に呪術で魔物を操作し、闘技場で相対させる。その生存戦に金を賭けた賭博が主流だ。調達されるのは、シエール森林の強力な魔物たちである。
第二区――こちらは娯楽として栄え、大陸の旅芸人や詩人が集まっては、人々を優雅な遊興へと導く。詩人や旅芸人が持つ情報を求め、訪れる冒険者の数が第二区に多い傾向がある。また、巨大な円状の建物の中では演劇を披露しており、この町を象徴する見物。
勝利には栄誉、敗北には失墜。
この二つを掲げた町で、どちらにも属さない。
第三区――町の入口付近にあるこの場所は、以前ラングルスが享楽の町となる前まで、人が住んでいた場所。ベリオン大戦で大きな破損を受けて以来、旧市街地として捨てられてしまった。今では浮浪者や闇商売などの取引先となっている中でも、「刺客の代理店」と呼ばれるものまである。
云わば、光と闇が表裏一体となっている町の風体。
× × ×
「いや、満腹。有難い」
第二区の惣菜屋にて、道の途上に拾った謎の男を介抱したユウタは、財布を見て顔を顰めていた。男の身なりがあまりにも粗野で、いざ踏み込んでみた町の中では明らかに目立つ。注目が募るのを回避したいユウタとしては、苦肉の策として無一文の男の衣服や食事代を負わなくてはならなかった。己の善心が招いた事態に悔やみ、ロブディで薄くなった財布を閉じる。
ムスビは彼の落ち込みを見て、流石に無感動とまではなれず、男の対応をしていた。髪型や煤汚れた顔を洗えばただの市民である。人柄も磊落、さらに口調はいつも諧謔。注文表の文字が読める事から、一般教養とされる学は積んでいるのだろう。
だが、油断はならない。初対面で唐突に攻撃をされたムスビとしては、警戒心を懐かないというのが無理な話だ。ユウタの常人離れした危機察知能力があったからこそ、男の発した謎の触手に殺されずにいる。
リィテルでの件に加え、自分達は町の前でなにかを拾うのはこれで二度目だ。銀髪の少女セリシアの場合はユウタ、今度はムスビがこの奇態な人間の面倒を見なくてはならない。否、実質はセリシアも彼女が世話を焼いていた。まだ少女が相手であったから良いが、今回は自分達よりも明らかに年上の大人。あの第三区に倒れていたとあっては、余計に信頼し難い。
ユウタは気を紛らわす為に、第二区の町を見た。人の数ならば、今まで滞在した街を軽々と超えている。自分達がいる惣菜屋も、その他の露店の盛況も凄まじい。店に殺到する人間達の勢いは餌を捕らえた獣じみた迫力を出している。
落ち着いた雰囲気が無い。ここは、夜半も騒がしい印象を受けて、睡眠不足が続くユウタとしては、さらに気分を悪くさせられた。
匙を放るように皿へと置いた男が、眼前の虚空で両の掌を打ち合わせる。頭頂部を二人へ晒すように下げた。
「いや、本っ当に助かった。持つべきなのは友人、だな!」
「もう僕ら友人認定だよ」
「あたしを狙ってんならお断りよ。こいつと婚約関係だから」
「「え」」
二人の声が重なった。無論、ユウタと男である。
以前までは恋人関係で通っていた筈なのに、いつの間にか婚約にまで発展している……らしい。ユウタは急な設定変更に思わず動揺した。その理由としては、幾ら演技と雖もハナエと交わした約束がある。だが、ムスビが男の好意を無意識に寄せてしまうのは事実。本人の望む相手がいない限りは、余計な衝突などを避けるべくユウタが傍で彼女の男を演じなくてはならない。
「え、ええ……まあ」
そこでふと、脳裏に過ったのはハナエが自分の知らない男と暮らし、既に幸せを掴んでいる未来。一瞬でも想像したことを後悔し机に伏した。自分が居なくては誰かと会話をするのも難しい状態を放置している――シエール森林で何とか振り切った筈の罪悪感が、ユウタの胸を押し潰す。
ムスビを恨めしそうに睨みつつ、ユウタも手元の食事を平らげた。何はともあれ、半月も魔物の肉のみで食い繋いで来たため、人の手が加えられた料理を口にできた現状だけを良しとする。
苦々しく肯定したユウタに、ムスビは満面の笑みだった。こちらの気も知らずに、とばかりに目で訴えるのも体力の浪費に感じて、男を見た。
「私はアレオ。命の恩人である君らに明かしておくと、魔族の者なんだ」
「魔族?……ああ、確かあの南大陸の」
「あれ?反応薄いね君達。もっとこう……「えぇぇぇ!?」とか、「ぎゃぁぁあ!」とか無いの?悲鳴と絶叫を予想してたんだけど」
想定外の反応に目を見開き、アレオが頭を掻く。
「なら無駄ね。あたし達、何も知らないに等しいから!」
「胸を張るところじゃない」
「気付いた?最近、また成長してるのよ」
「何の話!?」
ユウタは魔族の存在について考える。
以前聞いた話では、魔族には角が生えている。だが、アレオと名乗ったこの人物には見られない。確かにあの触手は魔物か、魔族以外には納得しようがないだろう。大陸同盟戦争以来、歴史の中で長い沈黙を続ける魔族がいま目の前にいるというのは、大変驚くべきなのだろう。だが、ユウタとしてはベリオン大陸の種族と戦争を始めたという以外に、彼等に対する知識は皆無だ。
偏見のみで物事を判断するな、というのがカリーナから厳しく言い付けられた旅の心得。実際に旅行の経験もない彼女でも弁えていること。それを自慢気に語っていた姿を微笑ましく見ていたのは咎められたが。
「どういう経緯で、この町に?」
「そりゃ聞くだけ野暮さ。気が付いたら此所に居たってやつ」
アレオの飄々とした振る舞いは返答に困る。
ムスビもこれ以上の問答は無為であると諦観していた。まず、この男は真面目に人と取り合う姿勢を持ち合わせていない。
ふと、ムスビはユウタの視線に気付いた。目を合わせずに、机を凝視している。
「どうしたの?」
「別に何も無いよ」
ユウタの声音が鋭い刃物のごとく突き刺さる。何故かこの町の直中で、彼がどうして戦闘の時と同じ顔を見せるのか。ムスビに話す気は無く、ユウタは短い返答をするのみだった。
「アレオさん。この町にはどれ程滞在していますか?」
「えー……まあ、二〇年くらい」
「此所に人体の損傷を治す術に詳しい人物は?」
ユウタの質問に、アレオが首を傾ぐ。
ムスビも既に聞き及んでいるのは、ハナエが氣術による手助けがなくては、満足に声を発することが無理だということ。そんな彼女を置いてまで、旅を続行したとなれば、言わずもがなユウタに新たな目的が生まれたのも察している。アレオが各地の情報交換がされる町に二〇年もの滞在期間があるというのなら、ハナエの治療に役立つ方法、或いはヤミビトの力による後遺症を取り除く手も知っているかもしれない。
だが、ムスビからは違和感しか感じない。
ユウタの瞳には、大きな期待や焦燥はなく、寧ろ落ち着きを払って、相手に隙を見せない態勢で訊ねている。戦闘でも無いというのに、一体なにに警戒しているのか。
アレオは腕を組んで目を伏せ、暫く机の下に視線を落としてから唸った。
「名医は居ないけど、物識りな爺さんを知ってるよ。町の外れの……シエール森林の北の峰、その中腹に住んでる」
「有名なんですか?」
「いや、私が少し第三区にお世話になっていた頃なんだけどね、噂があったんだよ。もうかれこれ、五〇〇年以上も同じ姿で生きてる小人族が居るってさ」
「実際に姿を確認した人は?」
「正直、居ないと思うなぁ」
「有り難うございます。それじゃあ、僕らはこの辺で」
ユウタが挙手すると、察した店の者が勘定をあらために駆け寄った。
ムスビと食事代を折半すると、強引に腕を引いて立ち去ろうとする。
「それでは、アレオさん。次の機会があれば、また」
「ははっ」
乾いた笑い声で答えた彼に振り返らず、ユウタは人波をするすると抜けて、宿屋へと向かった。店を去ってから終始無言の彼を怪訝に見詰めていたムスビは、彼の心配とは他所に、若干の落胆を抱いていた。このまま宿に直行するということは、街を二人で散策することも叶いそうにない。
宿屋の前にムスビを連れて行くと、立ち止まって壁に凭れ掛かった。
「あんた、どうしたの?」
「下を見てみなよ」
言われた通り、ユウタの足許に視線を下ろす。
「なっ……」
立っている地面に異常があったのではない。地に立った彼の右足に異変があった。草履の鼻緒が断ち切られ、指の間から細く血が線を引いて滴っていた。自分の辿った路を見れば、断続的に続く血の足跡がある。ムスビが喫驚で言葉を失っていると、ユウタが空へ向いて嘆息した。
「第三区で厄介になっていた。なら彼もまともな人間じゃない。現に、君に向かって机の下で何度も攻撃を仕掛けてきていた」
ユウタが淡々と述べる。
店の会話の途中から、ユウタの耳がそっと靴を脱ぎ、地面を刃物が擦る音を聞き咎めた。鋭く、小さく、町の喧騒に紛れてしまって誰も気に留めないようなそれを、殺伐とした日常に身を置いてきたユウタには届いたのである。アレオの視線がムスビへと向けられているのを見て、ユウタは浮かせた右足を彼女の足に絡ませるように出した。
それが何なのか、ユウタには容易に理解できた。指の間に忍ばせたナイフで、ムスビを暗殺しようとしていた。行動を共にしている間も、そんな得物を一切見せなかった筈なのに。
ムスビの脚を切断しようと薙いだ刃が、丁度ユウタの足の指先に触れた途端、ユウタは足の指で白刃取りをし、草履の裏で刃物を蹴り飛ばした後、アレオの足を蹴り下ろした。
机の下では、刹那の攻防が行われていた。目的は不明だが、ムスビを殺そうとしたアレオと、応戦するユウタ。
ムスビは彼の様子の変化、その原因に漸く気付いて、しかし安堵せずに恐怖で身を竦ませた。
「どうして、あたしを狙ったのよ」
「手際は良かった……殺人鬼か刺客なのかは知らない。どちらにせよ、こういう事に慣れてる人間だ」
後者ならば覚えがある。シェイサイトの一件でもそうだが、私怨でムスビを捕縛しようとする連中は居る。無意識に人の気を惹いてしまう彼女は、悪意の標的にされやすい。間接的に手を講じてくる輩は少なからず居るだろう。
だが、前者は刺客よりも質が悪い。噂で耳にしたか、それとも初見か。どちらだとしても、また狙ってくる可能性が高い。刺客は己に不相応な仕事だと理解した時に断念するだけの思考回路が備わっている。だが、殺人鬼ならば別だ――殺したいと思ったなら、例えそれが益体の無い行為であろうとも、気が果てるまで続行するのだ。
恐らく、いま店に戻れば彼は居ない。だが、机の下を確認すれば、破損したナイフが残っているだろう。
「ムスビ、暫く宿に居るんだ」
「あ……え、あんたは?」
「……悪いけど、北にいる小人族を訪ねる」
「それなら、一緒に居た方が良いじゃない」
「ムスビ。あのアレオを凌ぎながら、第三区を抜けるのは無理だ」
「何でよ」
「目を付けられてる。第三区からずっと、追跡されてるよ。今も雑踏の中から窺ってきてる。変に見回しちゃ駄目だ」
ムスビは身を固めて、ユウタの右手首を掴む。
あの廃墟から人が付いてきている事には気付かなかった。
「ムスビの魔法は、迎撃に向いている。宿の中なら、敵がどこから襲撃するかも、ある程度は予測がつくだろう?」
「さ、殺人鬼と刺客の両方が相手なのね」
「いや、追跡の三人は僕が面倒を見る。君はアレオに気をつけて。まだ近くには居ないみたいだけど」
ユウタはムスビの手から右腕を抜き、雑踏の中へと入っていった。
× × ×
路地の裏で、人が死んでいた。
石畳の隙間に血が流れて、赤くなぞる。
「キャハハハッ!ウフフフフッ!」
笑声がこだまする。堪えきれない愉悦を腹の底から吐き出して、死体の周りを踊っていた。くるくると、くるくると。
「綺麗なモノ、見ー付けたっ!」
血濡れのナイフを手中で一周を回旋させて、死体の刺創を踏みつける。圧力を加えた部分から、また血が滲み出るのを、とても嬉しそうに眺めた。誰もが正気の沙汰ではない、と言うだろう。
思い浮かべたのは、綺麗な白髪と琥珀色の瞳。旅装束で見えないが、きっとあの体は蠱惑的な線を描いて、剥いてしまえば格好の餌だ。あの白く美しい肌に、初めての足跡を刻むが如くナイフの先端が引っ掻く情景に陶然と忘我する。
「しかも、今回は……」
そこに辿り着くまでに、己に立ちはだかる障害を考えた。
黒髪の少年。婚約者を名乗る少女を守らんと、見えないナイフにも応じてみせた。
何という技、何という正義感!
自分が求めていたモノを持ち合わせていた。誰もが最後には己を選ぶという独善的な生物だ。いや、それこそが正しい。生存本能としての選択だ。
しかし、あの少年は違う。壊れているのかもしれない……しかし、あの少年にはそれか無い。誰かの為ならば、本心で、本意で、本気で対象を守り抜く覚悟。まさに正義の味方。
対する自分は――悪。どうしようもなく、延々と無益な殺人に没頭した。そこに義があった訳でもなく、道理が通っていた筈もなく、ただ純粋に愉しいからだ。
喉が乾くなら、血で潤せば良い。服が欲しいなら、人を殺して奪えば良い。
「楽しみだなー!」
紛れもなく、正義とは正反対な性質。
血で濡れた指先を加えて、舌で堪能する。
「君の絶望する顔が見たいよ」
路地裏の闇に紛れた異質な影が哄笑した。
今回アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
次回もよろしくお願い致します。




