幕間:ギゼルの娘
ちょっとした話。でもほっこりします。
私には、ずっと好きな人がいます。
それは、故郷の村ではある日を切っ掛けに嫌われてしまった男の子です。
理由は、彼がまだ村を自由に出入りできた頃。
私は守護者の娘として、周囲から畏敬の念を持たれていて、父親の厳格さもあってか、娘の私まで近寄り難い印象を持たれてしまったのです。
確かに人見知りで、あまり笑うことも出来ませんが、それでも友達が欲しくて、でも消極的で……子供の目の付く場所にいつも座って、児戯の光景を眺めていました。
いつになったら、あの間に入れるのか。
願うばかりで行動に移さなかった、今思い返せば愚かです。自分が心底臆病者だと自覚し、泣きたくなりました。
けれど、その時に彼が来てくれたのです。
この村でも珍しい黒髪をした少年です。琥珀色の瞳は、整った顔に宝石を填められたように綺麗でした。
一人でいる私に近付いて、声を掛けて来ました。
「君、一人なの?」
「うん」
「なら、僕と遊ばない?実は釣りに行くんだけど」
釣り──村の外に出た事のない私からすれば、それは初めて体験するものでした。体が反射的に頷いて、彼に付いていく選択肢を取りました。自分でも、何故ここまで自ら出ていくことができたのか不思議に思います。
川辺で釣りを教わり、彼の補助もあって二匹釣れました。その時、言葉に表し難い喜びを少年と分かち合ったのです。それを素直に共感してくれた彼に、いつの間にか心を開いていました。
村を度々訪れる少年を捕まえては、射的、釣り、隠れんぼ。様々な遊びをしました。その中で私の積極性が育まれたのかもしれません。次第に村の子供たちとも遊べるようになりました。
その頃から、彼とはやや疎遠になっていて、遊びたくても素直に申し出ることが出来ませんでした。
私が十歳で、一つ上の彼を既にこの時から異性として意識し始めていたの出す。恋慕の芽は開花し、いつもその姿を追うようになりました。
けれど、その度に失念しているのです。
彼の主柱には、常に一人の少女がいることを。
それは、私よりも後に彼と交流を始めながら、今では一番仲良くなった女の子。村長の娘で、名前はハナエ。可憐で美しい容貌の彼女には、まだこの時点で彼に対する好意も見えなかったのです。
まだ間に合う。彼の隣に、まだ私が立てる──そう思った。
転機が訪れた。
私が一四、彼とハナエが一五。
突如として、春先に少年は周囲から疎外されるようになりました。その事件の全貌を大人から聞くことはできませんでしたが、犯人はあの人らしい。
絶対に違う──彼の優しさが、そんな間違いを犯す筈がない。きっと、利用されたんだ。
事情を知らずとも、私の思考はこう導きだしていた。
いま、彼は村から嫌われている。きっと寂しがっている。今がチャンス、今が──
だけど、予想外なのはそこから。
なんと、ただの友人として互いを意識していた筈なのに、ハナエが彼を恋い焦がれる乙女の眼差しで見詰めていました。それを知った私の焦燥を加速させるように、少年も少女に依存していくようになっていきます。
遅かったんだ、また遅れを取った。
そう己を叱責する私を、ある日父が連れ出して、森を抜けた南の町へ。そこで、新たに生活するのだと言われ、私が困惑するままに父は帰りました。
父は二度と帰ってこなかった。
代わりに、あの二人がやって来たのです。
二人が引き取られる様を、遠目で確認した私は、再び少年に接触の機会を求めました。それはすぐにやって来ます。
彼が新居で家事の為に、森と家を往復する道筋で偶然を装って会いました。
「久しぶり」
「あ、うん。久しぶりだな」
朗らかに笑う彼に、私も連られて笑ってしまった。ああ、この笑顔が欲しかったのです。自分にだけ向けられた、この眩しい表情が。
でも──
「リュクリルで生活するの?」
「ううん、僕はその内に旅に出るよ」
少年は、自分が想像しているよりも大人になっていたのです。成長した彼を前に、空白の時間、その長さを感じました。戸惑いに口を閉ざした私を不安にさせないよう、優しく撫でてくれます。その行動だけで、顔が熱くなりました。
それから一月、彼とは過ごしたけれど、やっぱり気づいたのは、少年の瞳に私は映っていない。
「明後日、早朝に発つ」
「……そう、頑張って」
「うん、いつになるか解らないけど、帰ってくる。その時は、また話そう」
そういって、去っていく彼を黙って見守るしかできませんでした。
ああ、遠いなぁ──。
私は、このことをハナエに伝えました。
恋敵であるこの女に、いっそのこと本心を吐露してしまおうかと考えましたが、それが虚しい事だって同時に理解していて、結果的にハナエが彼に会えるよう仕組んだだけでした。
その日。
私は朝から、遠目でハナエが家の前に待ち構えているのを、黙って見ていました。隠れながら窺っていると、少年が現れます。酷く驚いた様子でした。
二人の会話を見て、ふと気付きました。
ハナエは彼に恋慕を、少年はハナエに親愛を。
少年が彼女を家族としか見ていないことに気付いて、安堵しました。それと同時に、誓ったのです。
次に帰って来た時、彼女よりももっと魅力的な女性になると。
ハナエと別れて、街道を抜けリュクリルを出たところで彼の前に私は立ちました。
「こんな所まで見送りに来てくれたのか」
「うん、だからしっかりね。気を付けて」
そう言うと、少年は毅然とした態度で頷いて、私の頭を撫でてくれました。まるで兄妹のように。
「何だか、久し振りに仲良く話せて嬉しかったんだ。ありがとう……改めて、いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
ハナエに上塗りさせてもらいました。せめてもの抵抗です。これで、少しでも私を思い出してくれたら。
今は妹みたいでも良い。でも──
「次に会った時は、覚悟してて。絶対、振り向かせるから」
彼にそう、大胆な宣戦布告を残して、家に逃げ帰りました。
彼の戸惑う声が後ろで聞こえたけど、気にしません。
私は不敵に笑ってみせました。
勝負はこれからです。
次回から前日譚を始めます。
春先に起きた、ユウタの事件。
氣術師の少年の原点を語ろうと思います。