ユウタの煩悶~愛の中毒症~
更新しました。やや雑ですが、ロブディの一ヶ月の内の一つです。
ベリオン大陸南部山岳部の町ロブディ――滞在二週間目。
剣呑だった事件の解決と共に、やはり迷宮は盛況だった。“宴”が開かれた事もあって、町を訪れる官僚の人間達も居り、ロブディの町を包む雰囲気はより活気付いていた。中央道の四叉路の地点は、町人が集中していた。以前の“宴”の際には、偶然にも町を訪れた東国の女性が一族に見初められ、その時は空に轟かんばかりの祝福の声を一斉に上げていたのだ。
しかし、今回は異例であった。早々から伴侶を定めて傍に置くのが慣習である筈のカルデラ一族、その現当主も年齢はその時期に差し掛かっているというのに、今回は誰一人も一族へ招き入れることはなかった。
唯一、あるなるば、それは東国の少年。各町で噂が立つ者で実力があっての事だろう、夫というよりは随身、それも護衛としての役目を任命していた。もう一人、首都出身の赤い騎士も屋敷への出入を許可され、この異様な待遇には町人や、間諜を遣わしてもなお侵入が不可能だった以前のカルデラ一族を知る者にも理解し難い事態である。
さらに、首都から視察に来ていた『御三家』――国宝と称えて遜色無い国家戦力にして信仰心の象徴の一角『勇者』もまた、カルデラ一族へと頻繁に通っているどころか、入り浸っているようだった。
現当主たるカリーナその人は、何か差し迫る脅威を予見して、堅牢な砦を築こうとしているのではないか。または、戦力拡大を為し、いよいよ国家の支配権の収奪を企図しているのか。邪推が募る中で、彼女の目論見を考察する者達の沈思が、すべて間違いであることは、当主との面会を許された件の三人のみが知ることだった。
これを聞いたカリーナは、余計な詮索をされかねないと、勇者には中での滞在を、騎士には庭の離れにある木屋での生活を、最後に屋敷へと頻りに通う少年には人目のつかない黎明よりも前に訪れるよう指示した。
この三人が後の歴史に、絶対の矛と形容され、カルデラ一族が最も権威が強力となった時期に、それを脅かす刺客や策謀を切り伏せた、『カルデラの三叉槍』と呼ばれる面々に課せられたものだった。
騎士も勇者も、その注文の条件は嬉しき物ではあったが、少年の負荷が重い。彼の性格を知ってか、間違いなく欠かさず毎日その時間帯を厳守して来るだろう。それに、最近の彼の多忙さは鬼気迫るものを感じる。そんな状態であるのに、これ以上の規則で律して良いものなのか。
しかし、カリーナの性格を鑑みるに、幾ら少年を慮ったところで意見が通るとも思えず、少年の身を案ずるのみだった。
× × ×
カリーナの厳しい命令も遵守し、それでもなお健気に屋敷に居る人物へと毎朝面会に無欠を記録するユウタは、自分を心配するジーデスやセラの煩慮も知らず、意気揚々と日の光も差さない薄闇の中を進む。不遇と申告しても良い筈だと言うのに、その顔は晴れ晴れとしていた。故に、入り口を守る番兵たちの心の痛みは日々蓄積している。時には、少年が通過した後に人知れず冑の中で涙を流した。
軽い足取り、あまりに警戒心が抜けているその様子でも、物音一つ立てずに中央道を進むユウタは、それこそ屋敷の中でも畏敬を集める存在だった。年端もいかない年でありながら、その能力は屋敷の中でもカリーナの最高戦力と豪語して過言ではないものを備えている。だからこそ、立ち入りを許されているのだろう。
また、二代前から東国の血が一族の中に混入するようになってからか、侍女や兵達も敵対関係であった敵国の人種を邪険に扱うこてはしない。寧ろ、そんなことをすれば、それは現当主を冒涜する行為である。
ユウタは習慣となった、番兵に会釈をしてから屋敷へと入り、颯爽と屋内を慣れた足取りで歩き、ある一室を目指す。
廊下に出てみれば、もう部屋の前で待機していた目的の少女が天井を見上げていた。日頃から常に危険に対して気を配っているユウタは、自然と足音を鳴らさずに歩くようになっている。
気付いた少女は、闇の中に佇む黒衣のユウタを一瞬だけ幽鬼かと見紛い、小さく悲鳴を上げたが、すぐに胸を撫で下ろして駆け寄る。金の髪は既に整えられており、少年からの目を気にしている様子だった。
早速、それがさも当然の如く、ユウタの手を取る。重ねられた掌に、少し頬を赤らめたが、目を細めて喜色を浮かべる面は、本当に愛する者をその手で触れられた幸福に充ち溢れている。
「あれ、ハナエ。ご機嫌だね、どうしたの?」
「そうかな……気持ち悪かった?」
「いや、そういうハナエを一日の始めに拝められて、僕としても幸せだよ」
ばか、と小さく呟いて少年を小突く。そのやり取りを起床したカリーナが寝ぼけ眼のまま、鬱陶しそうに眺めていた。立ち止まって、和気藹々とする元護衛の――いや、婚約者と戯れる従兄弟の姿に嘲りかどうか判じるのが難しい微笑みを湛えると、階段を降りていった。
その気配に気付かぬほど、目の前のハナエに没頭していたユウタは、ハナエと共に室内に入った。
「ユウタ、わたし町が見たいな」
「か、体の調子がどうかによるよ……それに、僕一人の判断じゃ君を連れ出せるかも判らないし」
「ユウタが居れば、大抵の事は大丈夫でしょう?」
「うーん」
× ×
「――というわけなんです」
「早朝に押し掛けて来たと思えば、そんな些細な事で悩んでいたのか」
ジーデスは規定の時間よりも早くに起こされた事に小さな怒りを懐いたが、少年の思考するに足らない些末な悩みに呆れてしまった。連れ出したいのならば、それでも良いだろう。実質、ハナエの体調は屋敷内で彼女の世話をする侍女や毎日話すユウタから聞いても良好である。何より、ユウタの氣術があれば会話も可能なのだから、何ら問題はない。――と、この少年に幾ら言い聞かせようとも無駄なのだろう。ハナエに対する心配性は凄まじい。それも、一歩踏み出す毎にふらつく赤子を見守る親の心理のようだった。
婚約者となったという報告を聞いてからも、彼等の仲にそれほど変化は見られない。これだと、諦めた自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
「ハナエは所謂……逢瀬がしたいんだ」
「で、デート……?」
「そうだ、恋人にとってそれは互いの愛を育む行為だ。だが、それが疎かになれば君らの仲が破綻する」
「そ、そんな……」
やにわに顔を蒼白にして狼狽えるユウタ。少し冗談を言ってみたが、こうも真に受けられると――それにこんなにも大きな反応があれば、揶揄いたくなってくる。笑いを堪え、真剣味を帯びた顔で少年と向き直った。
「付き合いの悪い男よりも、そちらの方が好印象だ。旅に出るなら、その分彼女に『ユウタ成分』の補給が必要なんだよ」
「ゆ、ユウタ成分……!?」
「それは、ハナエの君に対する愛の大半を構成するモノだ。一定の量よりも減少すると、別の男に気移りする可能性が高い」
「そっ、そんな……ハナエはしません……っ!」
「でも心配だろう?――だから、中毒症にしてしまえ」
「中毒……それは危険ですよ、体に悪い!」
「いいや、一度その症状に陥れば、定量より低くなろうとも、君への愛は不変。いや、寧ろより強く君を求めるだろう」
「そんな事したら、ハナエが寂しくて死んじゃいますよ!」
「対策法としては、定期的に手紙を書いて愛を囁いてやるんだ。きっとハナエの性格なら、君が如何に歯の浮くような発言をしようとも嬉しくて舞い上がる」
「あ、愛を……?」
「例えば……『僕の心は常に君のモノ、神がこの想いを認めずとも止まることは無い』、とか」
「お、おお……!」
いちいち過剰に、そして真剣に取り合うユウタを翻弄しているジーデス。癖になりそうだと、それこそ彼がユウタを弄ぶ事に中毒性を感じていた。これでは、あの人を嘲弄的に扱うカリーナに対して注意出来ないな、と心の内に思った。
「つまり……僕は何をすれば?」
「うん、まあ……デートでも良いけど、効率的で効果覿面なのは、夫婦の営み」
「夫婦の営み……一緒に生活する、ですか?それは少しまだ出来ないというか……」
「何というか、“大人の遊び”かな?」
「?えと、あれですか……博打とか?」
「それは夫婦じゃなくても出来る。相手に自分のモノであるという証を刻む、という行為だ」
「ま、また僕にハナエを切れと!?」
「何でそうなるっ!?」
ことごとく意味の通じないユウタに、ジーデスは机に両の拳を叩きつけた。机上の小物が倒れても気にせず、ユウタに畳み掛けた。
「ユウタ、君にはそういう知識は無いのか?」
「すみません……何の知識なのか、皆目見当がつきません」
「君はどうやって、子供が出来るか知っているか?」
まず、彼の常識を問う事とした。森の中に三ヶ月前までの人生を過ごしていたユウタは、この旅に出てあらゆる知識を蓄えた。裏返せば、それは今まで何も知らなかったという証左。故に、ジーデスの常識が通らない場合がある。今回においても、彼との認識の齟齬をまず把握しなくてはならない。
「確か、一緒に寝て、唇を重ねるだけで身籠るとか」
「それが、正しいと思うのか?」
「ええ……違うんですか……?」
「……仕方ない、教えよう」
「なっ、なっ、なっ、なっ、なっ!?」
赤面して動揺したユウタは、部屋の壁に背を貼り付けていた。ジーデスは呆然とする――こんな事も知らないのか。倫理観などは人並みだというのに、どうして知識の欠落があるのか。
「ぼ、僕にそんな破廉恥な行為を……それも、は、ハナエが嬉しいだなんて、思う筈が無いですし……」
「確かに、君とそういった事をするとは考えてもいないだろう。だからこそ、踏み込めば良いんだ」
「い、いやいやいや、それは……」
「男なら決めろ、そんな躊躇ってばかりだと、いつしかハナエが君の下を離れるかもしれないぞ」
「……っ!じゃ、じゃあ……ジーデスは、そういった経験が?」
「これでも、何回かはあるぞ」
それきり、ユウタは俯いて席に着くと、耳まで赤く染めたままだった。ジーデスはその反応を楽しんでいると、彼が立ち上がる。
遂に意を決したかと、ユウタを見れば、その相貌は未だ不安に揺れている。確かに、未経験な者には躊躇があるだろう。誰もがその感情との戦いを一度は強要される。
「……判りました」
「よし、頑張れ」
「カリーナ様とセラに相談してくる」
「それは間違ってる!」
× × ×
「あ、あんた……クエスト中なんだから、そういうの後にしてくんない?」
「え、君なら答えられるかと」
「どういう意味?返答次第ではあんたも魔物と同じ扱いよ」
「逆に今まで君に人間扱いされた事、あったかな?」
ムスビと迷宮の傾斜路を降りている。ユウタの昼は、大抵が彼女と冒険者としての仕事に費やされる。本来は、それがユウタの本職だ。ガフマンから受けた指導を無駄にするわけにはいかない。
日中、ユウタとムスビが合流するのは夜の宿と迷宮探索のみ。それ以外は、各々の希望に沿って勝手に行動する。無論、互いを忖度して問題事の発生を避けたり、穏便に事を済ますことのみに細心の注意を払っている。
ユウタとしては、ロブディの町でハナエ、カリーナを除き最も親しい人間で、それもジーデスとの会話について考える相手としては、仲間のムスビが適当であった。
「あたしもそういうの、した事ないから」
「でも、君は知ってたんだね、どうすれば子供が出来るか、なんて」
「当たり前でしょ!あんたは一般常識が無さ過ぎるのよ」
「君も人の事言えないだろ」
「そうね」
旅先で何度も自分の無知によって、騒動を引き寄せた二人には否定の余地すら無かった。
「でも、何でその事……聞くのよ?」
ムスビはやや視線を正面から、そしてユウタから逸らして問う。
ユウタは、何故そういう疑問を懐くに至ったか、その経緯を彼女に伝えてはいない。まだハナエとの婚約自体も気まずくて明言出来ておらず、会話の流れで偶然にもそういった話題に発展してしまったとだけ話した。
「何よ……まさかしたい相手でも居るの?」
「いや、まあ、どうだろうね、はは」
「ふーん、まあ、良いわ。でも、そう……確かに女性を手に入れるなら、効果覿面だけど、それには”技術“が必要よ」
「技術……そんな奥深い話だったっけ?」
「知らないなら、黙って聞いてなさい」
「続けてみなよ」
「何か見下されてる気がするわね……。
相手が喜ぶようにするには、それらが要求される」
「よく恥ずかし気もなく言えるよね」
「あんたが聞いたんでしょうがっ!?」
片手間で魔物を斃しながら、ムスビは怒鳴った。無詠唱で魔法を発動して見せた彼女の手練に驚きながら、ユウタも仕込みの刃で敵の急所を衝いて一刀で敵を仕留める。
「まあ、それもやっぱり経験が必要なのよ。回数を重ねたりとか」
「か、回数だって……!?で、でもそんな頻繁に相手に要求したら辟易されるだろう」
「それも、技量によるわね。ま、相手を最初から喜ばせたいなら、他の相手で練習よ」
「なんて恐ろしいこと言うんだ」
「何なら、あたしを相手にする?興味が無いわけでも無いし」
ムスビの発言に、ユウタは沈黙した。それが図書館迷宮の中で重くなって行き、居たたまれなくなった二人は顔を逸らした。
「い、いや、遠慮しておく」
「け、賢明な判断ね」
× × ×
その晩、結果的に、外出の許可が下った。夜の町に繰り出すとなって、ハナエの歓喜とは裏腹に、ユウタは冷たい汗が溢れて絶えない。結果的に自分がどう立ち回れば良いか、全く策を見出だせずにいた。ジーデス達が効率的だと言う方法を用いるには、如何に修羅場においても剛胆で敵に物怖じすらしないユウタとしても、これはかつてない敵である。何事もなく、穏やかに過ごすのも構わない。まだ町を出る路銀も溜まっていないのだ。
だが、いつかは来る――その時が。それも、その見計らいを誤れば、ハナエが離れていく恐れが無いわけではない。彼女がそんな薄情な人間でないという事は、ユウタのみならず周知の事実。しかし、払拭できない恐怖にユウタの胸は押し潰されていた。
屋敷の前に待っていたユウタが一人で頭を抱えて唸っていると、ハナエが兵士に連れられて現れた。彼女がすぐに手を握ってきた感触に、思わず全身を跳ねさせる。
「うわあっ!?」
ハナエが戸惑っている事に気づき、直ぐ様氣術を発動する。
「だ、大丈夫?ごめん、驚かすような真似して」
「ぜ、全然良いよ、はっはー」
「……ユウタ、今日変だよ?」
「今日は空が青いね」
「もう暗いけど?」
ユウタの異常に、ハナエは首を傾げて訝る。注意深く探るような瞳に、少年が挙動不審になっている事が、なお疑念を膨らませた。
「もしかして、別に好きな人ができた?」
「間違ってもそんな事があったら、カリーナ様やジーデスに殺される」
「じゃあ、どうしたの?何だかユウタ、辛そうだから……言ったでしょう、本心を聞かせてって」
ハナエの純粋な気遣いに、ユウタはなお胸を強く締め付けられる。
そうではない、そうではないんだ――!この煩悶に渦巻いた胸懐を、今にも暴露してしまいたかったが、その発端がハナエであるとなると伝えるのも難しい。
「そ、そのさ……ハナエは、何があっても、僕の婚約者で居てくれる?その間も、僕よりも魅力的な男性に出会っても、変わらずにいてくれる?」
「……それは、出来ない」
「え……」
「いつまでも婚約者は無理だよ。だって、ユウタが迎えに来れば、妻になるの。わたしも、そっちが本願だから」
彼女の言葉に、ユウタは何も言葉を発せずにいた。そもそも前提として、ハナエが他の男に心を委ねる事自体が無かった。単なる杞憂、それも勝手に妄想を加速させたユウタの甚だしい心配であったのだ。
己の愚考に頭を痛め、そして自分をここまで愛してくれるハナエを前に、一つの了解を得た。
どうやら、もう既にユウタはハナエに対する中毒症にあるということである。
「ハナエ」
「何?」
「今日は楽しもう、疲れたり、困ったら気にせず言ってね」
「うん」
ハナエが嬉しそうに、ユウタの腕に身を寄せる。そのまま二人は、仲睦まじく夜のロブディを堪能した。
その頃、屋敷では――――
「貴様ら、正座しろ」
ジーデスとムスビが書斎に呼ばれ、その場に両膝を折り畳んで頭を垂れていた。腕を組み、その胸の怒りを顔に遺憾なく表すカリーナの表情は、室内の空間を緊張させている。悪態を小さく呟くムスビと違い、ジーデスは諦念に乾いた微笑みを浮かべている。
「無名で遊ぶのも大概にしろ。一応、あれでも血の繋がった者、無粋な手出しは言語道断だ」
「申し訳ありません」
「く……はい」
二人は説教を受けながら、その夜を過ごした。
読んで頂き、誠にありがとうございます。
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