山の燈に心は新たな火を灯す
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カリーナが率いた四人は、ダンジョン内に潜伏していた武装集団<印>と遭遇する。以前より巷を騒がせた失踪者の事件の解明を急いだ現カルデラ一族当主による調査は、一度目は失敗に終えたが、<印>が関与している可能性は非常に高い。
三日後、再度ダンジョンへと自ら探索し第四層を調べたが、既に敵の姿はなく、元は冒険者用の休憩所とされ、その後彼等の拠点と思われる建物には、無数の白骨化した遺体が発見された。体格などからも、事件の被害者と一致するものが見られ、彼らが事件の首謀者であることが明確となった。
シェイサイトでの【冒険者殺し】に続き、ダンジョンで<印>による殺害・傷害の事件には、多くの死者が出ている。
彼らが深層で何を行っているのかまでは謎であった。カリーナが閉じた筈の階層から、どんな方法で脱出したのか。ダンジョン第五層まで探ったが、判明したのは第四層から地上へと直接繋がった通路の存在、加えて第五層に秘蔵されていた書物が奪われていたこと。
カリーナによれば、第五層には大陸同盟戦争について、カルデラ一族が記録したものを保管していたらしく、それを収納する書架には厳重な罠を仕掛けていた筈だったが、全て破壊されていた。
<印>が暗躍していた事件は、常にダンジョンの深層。ユウタ達が体験した魔物の大量出現は地上にまで及ぶ規模で発生する異常事態であり、これもまた、同一犯だとすれば、彼らはダンジョン内で人払いをしながら必要な秘宝、または情報の蒐集を行っていると推測される。
町内での目撃や、また町を出たという情報は無いが、恐らくロブディには居ないという結論に至った。
あの戦闘で、「黒貌」を使用したユウタは、大気の氣を過剰吸収したことで、体調を崩した。タイガより受けた打撃の数々による負傷も重なって、四日間はカルデラ一族の屋敷で、寝台から起き上がれない状態であった。その間、ムスビと屋敷の侍女が看病をしている。力の濫用が祟った体調不良でありながら、ハナエの下へ向かう彼を全員で拘束する事態となり、見張り人が配備される。
ハナエはロブディの治癒魔導師、医師による治療が継続されている。傷自体は全癒したが、後遺症の確認については未だ済んでいない。現在断言できるのは、生命活動が維持されている、という点のみだ。
× × ×
ユウタは中庭で体を解していた。
意識は明瞭になり、全身を苛む痛みや熱は消え、氣の流れも正常である。ムスビの献身的な看病と、ついに治癒の魔法を取得した力を発揮したことで、予定よりも回復が早かった。これほど寝込んだのは、クロガネの時以来だ。
右腕の刻印については……
「うーん」
ユウタは腕を組んで唸った。
ヤミビトの黒印は、上腕を過ぎて肩にまで伸びていた。恐らく、「黒貌」の発動に起因して成長したのだろう。無論、激しい戦闘の度に自覚がある。大抵が切迫し、敗北の一歩手前という時だ。
ユウタは、強敵タイガの言葉を想起した。既に<印>は国の反乱分子を纏め上げ、国の中枢を支配する手筈だと明言していた。それは、この西国のみならず、東国でも並行しているという。まだ西側の半分すら廻れていないというのに、敵の手は大陸全土に渡っている。タイガと同等、或いはそれ以上の氣術師も存在する。ユウタとムスビのみでは対処のしようがなくなってくる。
「……ハナエに、会えないのかな」
ユウタが完全に復調しても、カリーナがハナエとの面会を許さない。治療がまだ未完だという理由だが、きっとユウタと会わせられない明確にして絶対な障害があるのだ。個人的な感情を言えば、一刻も早急な許可を求めたいところだが、カリーナの頑固な部分に加え、仮にそこへハナエが意図的に避けていると考えれば、素直に待機している他にない。
噴水の縁に座って、ユウタは紫檀の杖を膝の上で横にした。やや湾曲したその上部を握り締めて捻って引くと、銀色の刃が日下に晒される。鞘を傍に置いて、砥石で丁寧に研ぎ上げる。武器の手入れは丹念にやるべきだ。だが、ほとんどの場合、ユウタの剣は速く、鋭い故に血がほとんど付着せず、刀が錆びにくい。
仕上げの砥を入れて、水を刃にかけて洗ってから手拭いで拭いて、鞘に納める。【猟犬】のシュゲンや傭兵クロガネの言動からも、これが師の武器であったのは判る。実際的に、彼が手に馴染んだ物なら、彼の教育を受けたユウタにも扱い易い。自宅付近の山の洞で発見したのは偶然だったが、いまではユウタの愛用となっている。
「無名、面会の時間だ」
「!は、ハナエは、もう大丈夫なんですか!?」
「残念ながら……ハナエじゃない人とだ」
「い、意地悪な……」
ユウタは目付きをきつくしてカリーナを見るが、微風が吹いたというように視線を受け流して屋敷へと戻っていく。彼女がこういった態度で時折弄ってくるからこそ、自分は焦らされているのではないかと考えてしまうのである。
カリーナと共に屋敷へと入り、三階へと登っていく。彼女の書斎を通過し、廊下の行き当たりにある部屋へと導かれた。カリーナが面会を承諾するのだから、それなりに親しい人物か、それとも地位が高い人間。
「面会中は、お前と二人きりにして欲しい、という要望だ」
「相手は、危険な人物でしょうか?」
「安心しろ、我が館にそんな者の侵入は一切許さん。付け加えるなら、私が最も信頼するお方だ」
ユウタは耳を疑った。彼女が「お方」、と相手を呼ぶなど。誰に対しても傲岸で譲歩も妥協もしない彼女が敬称で呼ぶのだ。
カリーナが取手に手を掛けると、ユウタは粛然と背を伸ばした。扉の先にいる人物に思いを馳せ、その姿を想像する。鷹揚な態度で接する温厚な人物か、或いはあのカリーナでさえ頭の上がらない自尊心の高い人種か。前者である事を期待し、開かれる扉に顔を強張らせる。
目の前に現れた空間には、カリーナの書斎と同様に書架が立ち並んでいるが、数が少ない。書見台の机には花が飾られ、部屋のそこかしこに誰かの趣向と思われる物が置かれていた。
その様相に緊張感が解けたが、ユウタは不躾にも中を見回していたことを悟って、咄嗟に目を伏せる。
一見して解ったのは、ここが何者かの私室であること。
「あら、こちらが?」
第三者の声に振り返り、ユウタは瞠目した。
部屋の隅にあるベッドから、女性が呼び掛けていた。長い黒髪に鳶色の差した瞳、振る舞いでは読み取れないが、顔付きなどはカリーナに似ている。年齢は四〇代半ば程度で、その肌には艶があった。
「私の母、先代当主のアカリ・カルデラだ」
ユウタは二人を交互に見つめた。
「カリーナ、良いかしら」
「無名、良いか?彼女はお前の敵ではないぞ」
「え?あ、はい」
念を押すように、注意するカリーナの様子を訝った。彼女の母という前提があるなら、元より敵視する必要は皆無だ。さらに、深く観察しなくとも理解できるのは、彼女が長くはない、ということ。ユウタには、その様子が死期の迫った人間のものである事をよく知っている。
カリーナが部屋を辞してから、ユウタが立ち尽くしていると、アカリ・カルデラは近くへ寄るように催促した。ユウタは手招きをした、彼女の血色の無い手に固まる。
「こちらへ」
アカリの手首に、見慣れた物がある。それも、最新の記憶は数日前だ。ユウタの意を察して、ただ優しい微笑を浮かべている。敵意の片鱗も見せず、寧ろ弱々しい彼女に戸惑うしかなく、ユウタは躊躇いながら進み出た。
触れられる距離まで接近すると、ユウタの右腕を指先が軽く撫でる。
「そう、貴方ね」
「……なんで、貴方に“烙印”が?」
手の色よりも白い、その印を袖で隠したアカリは窓の外、山の傾斜にある木々を眺める。
「私もムガイ出身の者なの。実を言えば、貴方の叔母ね。カリーナは従姉妹かしら」
少し無邪気に笑って、ユウタの頬を触る。
ユウタの叔母――即ち母の妹であること。タイガの話では、カオリという名である女性が実母だと明かされた。タクマとの間に、ユウタが生まれたという出生を耳にしたのも、つい最近のこと。
しかし、全員が既に亡き者であるという事実に、ユウタは諦めていた。親族に会う事を、心のどこかで切望していたのである。だが、<印>との敵対を選んだ状態では、討つべき相手としての邂逅しか望めないという諦観。
それが、奇しくもすぐ傍に居る現実に言葉を失ってしまった。
「私は会ってみたかったの、彼女の愛した人に」
「え?」
「貴方の存在を知って、こうして会えるのを待望してたの」
首を傾ぐ少年の手を引く。余りにも力はなく、これではペンを握る事すら難しいと思わせる握力だったが、今のユウタは引かれるがままだった。ベッドの傍に跪く体勢で、頭はアカリの腕の中にある。
「私の義母の話を聞いてくれる?少し長くなるのだけれど、これは私と貴方にとって、大切な話なの」
ユウタは腕の中で身動ぎをした。この感触は、似ているのである。ハナエとの抱擁や、他の人間では全く再現できない温かさや想いの湧くこの行為。ただ包まれるだけだというのに、ユウタの胸を満たして、渇かせる。
育て親の存在を、ふとユウタはアカリに重ねてしまい、その声に頷いた。
× ×
約五〇年前――
当時、政界でも遺憾なくその手腕を振るい、カルデラ一族は国の中枢にその意見を通す。その存在を弊害だと認識した者や、大陸同盟戦争でも活躍したこの一族を根絶やしにせんと刺客を使嗾する者が絶えなかった。常に迫る脅威を退けるべく、有名な戦士などを雇うことで凌いでいた時期があった。
カルデラ一族当主ダフスト・カルデラは、ロブディで行き倒れとなっていた十五歳の少女ヒビキを拾い、後に妻として迎え入れた。
彼女はここに至るまでの経緯を問うと、頑なに口を閉ざして話さなかった。ただ、会いたい人を追って来たという。その胸にある白い刻印で、古い文献から武術の長けた一族“ムガイ”の出身であると判明した。当時から悪名を轟かせる彼等から逃げたと推察した。
それから間もなくして、カルデラ一族の権力を用いてヒビキは人を探し、三年経って遂に努力が実った。
刺客の手練として、名だたる暗殺者の中でも化け物と呼ばれたヤミビトを招く。
ヒビキとヤミビトは同郷の仲にして、幼い頃の友人。再会を歓喜したヒビキが、ヤミビトから漂う血臭は生々しく、彼の辿った人生を物語っていた。
少年期としては最も多感な時期を、苛烈すぎる戦争に身を擲って過ごしたヤミビトの風貌には、少年としてのあどけなさが微塵もなかった。沈鬱で冷えきった眼差しと、杖に刃を仕込んだ剣呑な武器を手にした姿には、親しかったヒビキさえ恐怖の対象である。
ヤミビトとは太古から存在する一族であったが、常に世界の裏で人知れず、神の手先として働いた者。彼がその名で刺客の界隈に生きた理由は、ある目的あってのこと。そのお蔭で探す手懸かりとなった。
それから、当主が病で早急に亡くなり、代行として当主となったヒビキの希望で、カルデラ一族の遣い手となったヤミビトには、新たに名が与えられた。
アキラと呼ばれ、長期的にヒビキの下で働くようになった殺し屋の少年を、誰もが忌避した。亡きダフストの子を身籠りながら、そんな相手と仲睦まじく接する彼女の想いを知って、誰も咎められない。
確かに、ヒビキは路頭に迷っていた己を救ってくれたダフストを愛していた。だが、それ以上にアキラと名付けられた猟犬への想いを募らせている。時に、胸懐を吐露したが、アキラはそれを拒み続けた。
べリオン大戦の最中、ヒビキは病に倒れた。
カルデラ一族は古くから短命であり、家門に加わった者にもその呪いあるという謂れがある。
死期が近いヒビキが下した命令にも、アキラは忠実に従った。最後に二人で交わした約束は、ヒビキが眠るまでに、必ず帰還すること。
最後に、実葛の花を置いて去ったアキラとの約束を果たせずに、ヒビキは他界した。花言葉「再会」を意味した花は、彼が帰るまで不思議と枯れずにいた。
息子と、その時カルデラ一族に嫁いだアカリ、そして娘に看取られてヒビキが眠ってから数年後にアキラは戻った。葬られた彼女の墓に挨拶を告げてから、アキラも姿を眩ませる。べリオン大戦にてヤミビトが死亡した、という噂まで長して。
× ×
「それから、準えるように当主になったヒビキの子供である夫と娘は、すぐに亡くなってしまった。それでも、当主になってカリーナという娘に恵まれて幸せなの」
大陸同盟戦争の時期から続く縁。
ユウタの中に、もうアカリに対する当惑は無かった。
「私もそろそろ、命が尽きかけた頃、噂を聞いたの。二代目のヤミビト、アキラの継承者と呼ばれる少年が居ると。私が最後にあの人と話したのは、彼が屋敷を去って行く時よ」
アカリが、ムガイにすら畏れられた強者と言葉を交わしたのは、一種の批判であった。彼女には、アキラがヒビキに対する愛情があるというなら、何故戦争を優先したのか。実質、べリオン大戦が終息を迎えたのは、少なからず彼の功績である。それでも、許せなかった。
愛する者よりも、戦いを優先した人生。そうまでして成し遂げたかったモノは何なのか。ヒビキの話では、彼には妻も隠し子も無い。血のつながりがあった師も既に死人。彼は天涯孤独の身だった。
『ヒビキには伝えた。わしの願いは漸く成就される。この半生が無為にならなかったのは、すべて彼女が在ったからこそ』
『貴方は何がしたいの?あの人を捨ててまで』
『この因果を絶つ為。わしを最後のヤミビトとし、後世に神意の剣を残さぬ夢』
『どういう事?』
『カオリが子を生んだ』
『まあ!そうなの!』
『その中にヤミビトが生まれた』
アキラがヤミビトとして、カルデラ一族から受けた最後の任務を果たしたのと同時期である。
『まさか……その子を殺すの?』
『いや、本家の血筋を抹殺するのは容易い。わしが成すのは、その人生を以てヤミビトを完全否定する者』
『どういう、事?』
『これは、ヒビキとわしの間に交わされた約束。内容は、彼女に秘匿するよう条件付けをされた。何一つ、彼女との約束を守れなかったわしが唯一可能な贖罪。
いつか、貴女に形として見せよう』
アキラはその一言と共に去った。
その十五年後に、彼とヒビキの秘事が明らかとなるとは想定していなかった。カリーナには特徴を教えていたが、まさか宴会に居合わせるとは何たる奇跡か。母の為にと引き留めたカリーナは、すぐにカルデラ一族の護衛にと申請したが、アキラの望む未来ではないと、アカリが許容しなかった。
故に、あの頑固なカリーナが妥協して、一週間の期間と限定した実情には、アカリの言葉があったからである。
ユウタの頭髪を優しく撫でるアカリの手が震えていた。小さく嗚咽の声が聞こえ、ユウタは杖を床に置いて、アカリと抱擁を交わす。彼女の背に腕を回すと、とうとう泣き崩れた。
そして、ユウタは気付かれぬようにひっそりと洟をすすった。涙は流れなかったが、堪えきれない感情が胸を焼いた。
その目には、いつも森の情景が浮かんでいた。その中に佇立する我が家と、こちらを静かに見守る師。そこに向かって、ただ真っ直ぐ走るのがいつも想い描いた景色。その揺るぎ無い心象を、ほんの一時忘れ、ユウタはアカリの体温を感じようと腕の力を強くした。
暫くして、落ち着きを取り戻したアカリは目元を腫らしながら、ユウタの手を握る。
「有り難う、貴方は大事な姉の形見。そして、あの優しくて強いヒビキ様の愛した人が、この世に唯一遺した夢なの」
ユウタは黙って握り返す。
師もといアキラにしか得られなかった感情を、この人は与えてくれた。こんなにも、自分を愛してくれる人がいるなんて。僕がヤミビトを否めたのは間違いじゃなかった。僕はしっかり、師の遺志を嗣いだんだ。
「カリーナ様に失礼かもしれません……けど、僕はいま、心の底から貴女の事を、母親みたいに思いました。
僕の親は、いつも師匠しかいなかったから、とても嬉しいです」
「それで、良いのよ。貴方も私の子供、いつでも帰って来なさい。もしかしたら、その頃には私はいないかもしれないけど、カリーナの良き友人、良き従兄弟として支えてあげて」
「はい」
「ヤミビトとしてでなく、あなた自身の意思で」
「ええ、必ず」
友人なんて出すぎた、と出掛けた言葉を噛み殺し、ユウタは粛々と承った。
「ユウタ、とはどう書くの?」
アカリの声を聞いて、ユウタは書見台の上の紙と鵞ペンを持って、丁寧に書いた。無論、彼女が聞いているのは、東国の表意文字で記した時だろう。その二文字を、胸を張るようにアカリへと見せた。
「優太、です。優しく、芯の太くて強い人間であれ、という意味があります。師匠が呉れた大切な名です!」
「そう、あの人もきっと苦労したでしょうね。子供の名は、個人の性格などに基づいて考えられるものだから。でも、貴方の場合は彼の願望ね」
ユウタから鵞ペンを受け取り、震えながら文字を書く。あわてて紙の両端を持って、破れないよう加減して張る。紙の上を滑らかに走るペンは手慣れていて、ユウタは思わず見とれてしまった。
「燈、これが私の名よ。忘れないで」
「燈、ですか。綺麗ですね」
「灯火を意味する者として、いつも近くに居る人々を照らせるよう、生きてきたつもりよ」
「……きっと、カリーナ様があんなに明るいのも、そうですよ」
「明るい……のかしら?」
「さあ、どうでしょう。少なくとも、周囲が暗くなるくらい、意地悪をしている時の彼女は明るくて、目を輝かせるくらいですから」
呆気に取られた後、ユウタの冗談に笑ったアカリの笑顔がとても貴くて、温かくて、そして明るかった。
胸の芯を刺す優しさに、暗い感情に苛まれていた心が、新たな希望の火を灯した。ユウタはもう何があろうと挫けず、己が信じる道を進む事を、心の中で誓った。
今回は本作を読んで頂き、誠に有り難うございます。カリーナの母と、アキラの話を書いて、ハッピーエンドを目指したいと思いました。この志を貫いて、書き進めたいです。
次回もよろしくお願い致します。




