闇の胎動(5)/名もなき誓約
更新しました。ギャグも織り混ぜております。
「町へ出掛けよう」
ユウタがそう切り出したのは、リュクリルで生活するようになって、まだ五日の事だった。神樹の村を出て、気分が落ち込むばかりのハナエを元気付ける為に講じた一手である。予めミオに、ハナエの年の娘が好みそうな店を聞き、調査も済んでいる。
村では外界の貨幣制度が通じる訳もなく、資源も盛の中で調達できる満足した生活だった故に、ユウタには手持ちがない。三日間、トードの伝を頼りに働きいて稼いだ。その用途は、総てハナエを楽しませる為。
憔悴し、少し窶れた彼女は渋々ユウタとの外出を承諾した。あれから部屋に籠り気味なため、外の空気が必要だと考えたのだろう。何より、唯一信頼できるユウタが傍を離れる恐怖が決断させた理由でもある。
二人で裏町の露店を回って、ユウタとハナエは一時を楽しんだ。最初は周囲に怯えていたが、手を引くユウタに身を寄せて、今では無邪気に微笑んでいる。町人からは、恋人の様相と見てとれる程の仲睦まじい。
結果的にユウタの財布は空となったが、ハナエは満足気に裏町を埋める人々の往来を眺めている。出費はどうであれ、彼女の笑顔をまた見る事が出来たのは、大いに収穫のある日だった。途中で出会った年の近い娘や男にハナエを紹介する事もあったから、今後交流の輪が広がるかもしれない。
道の脇に設置された休憩用の長椅子に腰掛けている。二人の距離に間隔はなく、ハナエが肩に顔を載せている状態であった。ユウタは身動ぎもせず、最後に買った手羽中肉の揚げ物をぱくついている。
膝で握っていた片手をハナエの手が包み込む。ユウタは肉を咥えたまま、横目で彼女の表情を伺う。先程まで柔和な笑みを湛えていた顔が、眉を寄せてユウタを睨んでいた。
「どうしたの?お腹痛いとか?」
「女の子にそういう事を聞いちゃいけません」
「僕、何か悪い事したかな……」
「それはいつも」
「ごめんなさい」
ユウタは手羽中肉を味わった後にハナエと向き直る。夕餉が入らぬほど二人で買い食いをしたためか、顔色が外出前よりも良くなっていた。だが翡翠色の瞳は変わらず、ユウタに何かを訴える。
「言ってくれないと判らないよ」
「いつかユウタが、こういう事を他の人とするのかな、って」
ハナエの問いに、ユウタは首を傾げたが、すぐに理解した。ユウタ達が居る場所は、町の恋人が集う一画。この一帯に装飾品や二人で共有する商品が並び、特別な人間と時間を共有したいと考える者が多い傾向があるのだろう。
ハナエの質問は、ユウタが今日の彼女と親しく過ごした時間を、他の女性と満喫する時が来るのではないか、という事だ。何故、そんな当たり前の事を気にするのか。
「いや、あるかもしれないけど……」
「……そう」
「当分は無いよ。だってハナエ以上に親しい女性とか居ないから」
「いつか出来るでしょ?」
「この町に来て思ったけど、僕の基準がハナエだから、少し厳しいかな」
ユウタの何気ない言葉に、ハナエは赤面する。その反応が起こる要因を悟らない彼には苛立ちと、そしてどうしようもない愛嬌を感じるのが彼女だ。指を絡ませて二人は手を握り合い、裏町を彩る男女を観察した。
「僕は、やはり少し小柄なのかな」
「伸びてないの?」
「止まる気配がする」
「小さい方が、何だかユウタっぽいね」
頭を垂れて落胆するユウタを宥めながら、堪えきれず可笑しそうに笑う。彼には、体格だけでなく器が小さいと捉えられたと知って、誤解ではあるが訂正しない。もうハナエの顔に暗いものはなかった。
夜になり、人の群れが恋人よりも夫婦の占める比重が多くなった。
「結婚したいなぁ」
ハナエの呟きに、ユウタが顔に渋面を作る。村では数多の縁談を断った彼女に、果たして相手がいるのだろうか。優しい性格ではあるが、男の選び方は誰よりも厳しい。
「リュクリルに良い人が居ると良いね」
「……ねぇ、ユウタ。わたし、白無垢とドレス、どっちが良い?」
結婚式は国に依って違う。東国では白無垢と呼ばれる白い装束を、西国では純白のドレスを纏うのが風習だ。ユウタは神樹の村でもそうだが、女性からは結婚式が幸せの絶頂と謳う者が少なくない。
「僕が選ぶの?いや、それは流石に畏れ多いよ」
「そっか……でも、いつか選んで貰うから」
ハナエはすっと立ち上がり、背を向けて数歩だけ進み出る。街灯に照らされた金髪が眩く光を反射して、思わず彼女から後光が差していると錯覚した。
それでも、ユウタには振り返った彼女の方が、街灯よりも輝いて映る。
「楽しみにしてるね」
× × ×
建物の前で、二人の氣術師は互いに鋭い剣幕で、飛び掛かる隙を窺っている。
全身を漆黒にしたユウタは杖の柄を緩く握って構る。今ではそれが少年だと判断できる者はいない。人型の闇は泰然と敵を見据え、その感覚を研ぎ澄ます。
タイガは、ヤミビトとしての姿を晒す少年を氣巧眼で観察し、途方に暮れていた。この眼を最大限まで氣で練り上げれば、大気や物体に流れる氣を色として視認できる。これまで長い戦闘経験で培った中でも見た事の無い色――周囲が色彩豊かに識別された景色の中に、変わらず黒い人影が佇む。それどころか、周囲の氣が吸収されるように渦動していた。
ヤミビトと相対した事は無い。一族の中でも秘中の秘とされた存在と対峙するなど、恐らく彼以外の者でも存在しない筈だ。
敵対すれば、敵意の対象とすれば、それが最期である。ヤミビトとの対立は、すなわち死を意味するのだ。現に、追手を放ってまで執拗に先代ヤミビトを攻めたが、誰一人として生還した記録はない。切られれば死ぬ――生きていたとしても、感情を幾つか喪う始末だ。
氣巧眼で見切れるのは、精々初動だけだろう。そこから、一体少年がどう動くのか予測もつかない。先程まで優勢だった筈が、まるで眼下の景色を焼き付くす溶岩流と同等の絶望感だった。圧倒的な迫力ではない、底抜けの闇。虚無を孕んだ暗黒は、拳が届く気配が無い。
聞き憶えがあった。ヤミビトのみに許された秘術「黒貌」。名だけが知られ、その正体は明かされていない。ただ、彼らを調停者と呼ばれる氣術師とは異なる者の謂い。
ジーデスに背負われながら、ユウタの様子を黙視する。いつ動くのか、素人のカリーナには読み取るなど無理な話だ。恐らく、常人程度の鋭さしかない彼女の五感なら、決着は瞬きの内につく。
ハナエを治癒した魔法で、八割方の魔力を消費した状態では加勢もできまい。否、助勢など二人の戦闘に無粋な真似となるだろう。
「決闘前に、何か聞きたい事はあるか?」
緊張した空気で、警戒を滲ませるタイガの声音が響く。ジーデスは反射的に身構え、後ろへと引き下がる。一度、彼の攻撃を受けているからこそ、その実力が身を以て知ることができた。あれは、怪物と形容しても遜色が無い位階の強さだ。崖道で遭遇した集団を束ねても、彼には敵わない。
ユウタは返答せず、前後へ両足を拡げ、身を低く杖を両手で携える。タイガからは丁度見えない位置に構えられ、その姿と相俟って手元が目視できない体勢。
氣巧眼が通用しないと判断して、氣巧拳へと変えた。鎧のように氣を纏う事で、敵の刃を防ぎ、攻撃力を数倍にまで増幅させる。相手が如何に強力な武具を用いても、それを跳ね返せる。だがそれは、相手が主神直属の暗殺者となれば話は別だ。
「先に言っておくが、お前を迎えに出たシゲルという男は、我が弟だ」
「……」
「殺しはしない……だが、ここでその仇討ちをさせて貰う」
相手が出ないと察し、タイガの足が駆動する。魔石の地面が砕け、その巨体が大きく跳躍した。風を巻いて頭上へと舞い上がると、宙で一回転し、大剣の如し屈強な脚を天高く掲げる。総身を包んでいた氣を脚部に集積させ、重力に従って落下し始めると、直下に居るユウタを狙って振り下ろした。
これが果たして、相手を殺さずに捕らえるという力加減なのか。直撃すれば、甲冑を着込んだジーデスでも、防具ごと肉体を砕かれて臓物を散乱させる惨状になるだろう。それが薄着のユウタならば、骨が残るかも疑わしい。
火の粉が付いて服が発火し、タイガの体が燃える。それでも頭上から降り注ぐ流星となって、攻撃を中断せずにユウタの頭蓋めがけて放った。
ジーデスは観念して、眼を瞑った。彼が奇跡的に最後に捉えたのは、ユウタの結った髪の毛先にタイガの踵が触れる直前。それまで全く予備動作も見せなかった少年に回避を望める筈もない。見知った人間が惨たらしい死体になる未来を予想した。
だが、実情は違った。
ユウタの背後から現場を見守っていたカリーナとジーデスからは死角となって見えない部分がある。左右へと動作を起こせば、二人にも認識されるが、それが前後だった場合は別だ。
ユウタは前へ倒していた姿勢を、敢えてタイガの攻撃に近付くように起こす。並行して仕込みの鞘を引き抜いて、刃を走らせていた。
そして、ここでタイガも予測し得ない変化がある。少年を氣巧眼で観た時、周囲の氣が彼を中心に渦巻いていると感じたが、それは大きな間違いである。闇の体は無差別に辺りの氣を貪っていた。無論、タイガの氣も例外ではない。
体内に蓄積された氣を使い、ユウタは身体能力を強化した。反射速度、瞬発力が増幅し、電光石火の体術で絶望的な状況の脱出を為し果せる。
攻撃が後頭部に命中する刹那、それを遥かに上回る速度で体を右へと捻って躱わすや、そのまま仕込みを振り上げ、膝蓋骨の下から両断する。
タイガの踵が地面を穿つ衝撃音と、ユウタの納刀する音が重なった。ジーデスは兎も角、刮目していたカリーナは慄然とする。
タイガの足が、ゆっくりと膝から離れ、地面に転がった。彼の顔が苦し気に歪み、痛みを堪える余り眉弓が深く隆起していた。
ユウタの肌が黒から黄褐色へと戻り、右腕の黒印が原形を取り戻す。
「俺の負けか……そうか……」
「ああ」
ユウタの瞳は凪いだ湖面のように穏やかだった。真紅に染まっていた眼差しも、今は琥珀色となっている。タイガは殺意が見せる鋭さが欠け、敵意すら窺わせぬ様子を訝った。自分が幼馴染の少女を敵として差し向けたことで、傷付ける事態を招いたというのに。
タイガは瞑目して、空を見上げて喉元をユウタへ晒す。
「殺すと良い」
「断る」
即答するユウタに、その場に居る全員が憮然とした。
「何故だ、俺はお前の大切なモノを殺すよう仕向け、更にはお前自身の精神破壊まで計画した敵だぞ」
「ハナエは生きてる。それだけで充分だ。
それに、そのヤミビトの性質の所為で、僕は無益な殺戮をしていると。だから、アンタを生かす」
「?何が言いたいのだ」
ユウタは眼を伏せて黙想する。これまで歩んできた道と、その途中で殺めてきた命の数々を。これまで、立ち塞がってきた弊害を切り伏せてきた。それが過ちだと断じて来なかったし、その行いで救われたモノがあるのも事実だ。
今回のハナエの件で、自分がヤミビトという呪いに翻弄されている事を思い知らされた。
優しく、芯の太くて強い人間であれ。そういう人間で在る為に、師はヤミビトの名を継承しなかったのだ。そこに、彼の意志が含まれていると考えられる。
「アンタを殺さないのは、僕の決意だ」
「何……?」
「僕は師匠がしたように、ヤミビトの宿命に抗う」
「……それが不可能だと歴史が証明した。まさか、主を持たない……と?」
「確かに、これから人の命を奪う事があるし、もしかすると、親しい者と避けられない対立があるかもしれない……でも」
ユウタは胸に誓う。名を襲わず、役目を負わず、主を持たず、ただの人間として生きる。これこそ、師が何よりも自分に望んだものだ。本人は違うと言うかもしれないし、或いは本当に他意であるという場合もある。
だが、どう解釈するのも本人の勝手だ。
「それでも僕は、もう二度と大切な人を切る事はしない。これは、敵を殺さずに勝利した証明だ」
敵を斃す者でありながら、敵を生かすというのは、ヤミビトとしてあるまじき事である。これがユウタの誓い、新たなる自戒。
タイガは呆れ笑いを溢し、首を振った。敵を生かすなど、ムガイの血筋には有り得ない所業だ。だというのに、この少年は歴史に抗った先代ヤミビトの意思を嗣ぐ者となると言う。味方に命を脅かされても、決して過たぬ剣になると誓言した。
ユウタは屈んで、タイガの脚の断面を検めると、袴の腰紐にある小太刀の把を手に取った。
「今から傷口を氣巧剣で焼く。良いな?」
「……“無名のヤミビト”……か」
鎬から黒い光の収束した刀身が出現する。わずかにタイガとユウタを赤く照らしているそれは、ゆっくりと傷に当てられた。苦悶を押し殺し、全身を駆け巡る激痛に耐えるタイガ。まさか、敵から施しを受けるなど考えてもいなかった。しかも、それがあのヤミビトとは。
傷口を焼いた後、ユウタは右腕の為にある予備の包帯を丁寧に巻いた。作業中も抵抗しないタイガへの処置を済ませる。
「……これで完了だ。もうアンタと相まみえる事が無いよう願う」
「……氣術師は、義足でも十全に戦えるぞ」
「その時は、四肢を切り落としてやる」
「それは御免だ」
ユウタは背を向けて、ジーデスとカリーナの元へと歩く。
「……シゲルの事は謝罪しない。僕は今回、お前にさせられた事があるから」
「構わん。……それと“無名”」
タイガの声に肩越しで顔を向ける。
「あの娘が生きていた場合、喪った感情を取り戻す為の方法は、こちらから一つしか提示出来ん。
神樹の樹液。あれが唯一、その疵を癒すのに良薬となるだろう。あれは神の子息から生った大樹、神の呪いが授けた能力を相殺する効果かまある」
「それは確かなのか」
「伝承だ、詳しい話は知らん」
「だけど……神樹は……」
あの日、ユウタの眼前で燃え上がった。高く、大きく聳え、空に拡げた枝葉は雄大さと神聖の象徴。しかし、それは過去の話だ。今では燃え付き、倒木したと聞いた。その目で後の状態を確認せずに出発したが、あの火勢では神樹の原形も無いだろう。樹液が取れるとは到底思えない。
「ああ、だからお前には何の益体もない情報だろうな」
「……代わりに、<印>がこれから仕出かす事を教えてくれ」
「……我々<印>は、神族を潰す。
その為にも、まずは東国と西国を統一させ、魔王と協力する事を企図している」
「計画の進捗状況は?」
「順調だ。現に、国の反乱分子とは結託し、侵攻はもう始まっている。水面下で戦いは起きているし、それを止める術は無い……主を持たないお前には」
<印>の目的――神族への復讐。必要なのは武力、西と東の国、そして約五〇年前から長い沈黙を貫く魔族の戦力。これらを以て、ムガイの願いが成就し、一族を蝕む“呪い”が解ける。確かに、それさえ果たせば、ユウタはヤミビトの運命に縛られずにいられる。
「愚問だが、我々と協力する気は?」
「僕はアンタらを潰すよ。もし、<印>が大陸を掌握したら、満足に旅も出来ないだろうし、神族と主神が消えれば、“無名”としての証明も無駄になってしまうから」
「良い答えだ。楽しみにしているぞ」
その時、建物の半分が盛大に崩れた。瓦礫は欄干を越えて溶岩へと落下していく。呆気に取られたユウタとタイガが見詰める先で、建物の中から人が姿を現す。
「ムスビ!?」
「ふん、何よ、ボロボロじゃない」
「何でこんな場所に」
「事情は後で説明するわ」
ムスビが魔石の床を蹴って、ユウタの元まで走る。
ユウタとしては、タイガから受けた傷と、ヤミビトの力の解放、そして氣巧剣の使用で体力は限界に達していた。だが、そんな負傷者に対しても配慮などなく、ムスビは勢いをそのままに彼の胸の中へと飛び込んだ。受け止める為に踏ん張る足が悲鳴を上げ、ユウタは呻き声を漏らす。
ムスビが自分に抱き着くという事態の異常さに、ユウタは怪訝な表情を浮かべた。屈託の無い笑顔を浮かべる彼女の真意が知りたいが、今はそれよりも優先すべきなのは脱出である。
「ヤミビトに抗うのなら、その「黒貌」は使うなよ。恐らく、先代は一度も使う事が無かっただろう……お前が使用するのは、理を外している」
初めて聞く言葉だったが、ユウタはそれがヤミビトの力だと悟った。首肯して、今度こそタイガから離れてカリーナ達の元へと戻った。
「カリーナ様、すみません」
「何に対しての詫びなのかは知らんが、今は此所を離れるぞ。ジーデス、働け!」
「扱い方、何か雑になってきてません?」
ジーデスは無言でカリーナを背負い、猛然と駆け出した。ユウタはその背を追い掛けようとしたが、足が縺れてその場に転倒する。極度の疲労で意識が薄れ、視界に靄がかかって見える。
「くッ……動け……!」
「ちんたらしてないで、行くわよ!」
ムスビがユウタを担ぎ上げて、ジーデスの後を追う。女性に運ばれるという状態を恥じるべきではあったが、相手がムスビとあると、何も感じなかった。全く気遣いが無いと相手を注意しながらも、ユウタにも彼女に対する遠慮は毛頭無かった。
「健闘を祈るぞ、ユウタ」
背後からその声を聞いて、ユウタは意識を手放した。
「申し訳ありません、若様」
「いや、ご苦労だったよタイガ」
地面に座るタイガに、白衣の少年が歩み寄る。遠景で必死に追手を振り払う人影を眺望して、愉悦に顔を綻ばせていた。負傷したタイガを労り、肩を叩くと刀を鞘に納める。
「ヤミビトは、どうだって?」
「精神的な負傷は負わせました。帰って娘の様子を見れば、変わる事もあるやもしれません。ですが……」
「そうか、まさか兄弟で争う羽目になるなんてね」
白衣の少年は後頭部を掻いて、深い溜め息をついたが、その表情は明るい。
「まあ、最初から判っていた事だし、今回が最後の機会だった。それも無惨になってしまったが……」
「『子』のシズカは、どうなりましたか?」
「死んだよ。流石は魔術師だ。そろそろ準備しないとね」
白衣の少年が足元に散乱した瓦礫の破片を拾い上げると、その握力で粉砕させた。
「次に会う日が楽しみだよ、ユウタ」
× × ×
「走れ、ジーデス」
「精一杯ですよ」
「荷馬車の方がまだ速いが?」
「甲冑を脱ぐ暇さえあれば……。でもこれじゃあ」
ジーデスは振り返りながら戦慄する。崖道の岩場を軽快に進み、肉薄する<印>の集団。全員が刀剣で武装していた。一人ひとりが強者となれば、捕まった途端に殺されるのは自明の理。本当ならカリーナにも自分で走って欲しかったが、魔力を大量に使用した損耗がある少女を強引に引っ張るのは気が引けた。
「うおおおおおおっ!」
己を叱咤して、ジーデスは加速する。扉まで逃げてしまえば、後は封鎖できる。脱出経路はただ一つなのだ。
「待ちなさいよ!!」
その背後から、魔法で<印>を退け、ジーデスを猛追するムスビ。こちらはユウタを抱えながら、着実に彼との距離を詰めていた。カリーナと同じ少女であるというのに、ジーデスには一種の化け物に思えてしまった。
とうとう横で並走するにまで追い付く。
「これ、どう撒けば良いのよ!」
「知るか!!そして早いな君!?」
「お世辞は良いのよ。何、ハナエの次はあたしを口説いてる訳?」
「こんな状況でお世辞も何も出来たもんか!」
軽口を言いながら笑うムスビに半ば苛々しながらも、足を止めない。だが、体力が底に近付いている。気力では補えない域にまで、状況は切迫していた。
「誰か……助けてくれ!!」
「良いよ~」
呑気な声を響かせた人物が、二人の目の前に立つ。扉を背に三叉槍を握り締めた少女に、ジーデスは歓喜の余りその名を叫んだ。
「勇者殿!!」
「ボクはセラで良いのにさ~。ま、ユウタが気絶しちゃってるなら、ここはボクがやるしか無いよね」
セラの槍の尖端から、紅蓮の炎が奔走する。崖道を轟然と進む灼熱の舌に、ムスビとジーデスは道脇へと飛び退いた。間一髪、靴の爪先を掠めた高熱の放射は背後から追随する<印>を呑み込もうとする。
しかし、連携の取れた軍の反応は素早い。直ぐ様、全員が氣術を発動して炎を斥ける。
<印>がセラの魔法に拘っていた。故に、その隙にムスビ達が扉に辿り着くまでの時間を稼ぐ事に成功したのである。ジーデス達が中へと滑り込んだのを確認して、セラも魔法による牽制を中止して隙間へと飛び入った。
赤毛の少女が帰還した瞬間に閉ざす。
「カリーナ様!」
「くっ……少ない魔力だが、今回は事足りる」
カリーナは懐の秘宝を解き放ち、第四層の扉へと先端を翳す。淡い光が地下の薄闇を星の如く照らし、固く、カルデラ一族の許しを得ぬ者に開けない扉へと変える。
「『命令:施錠』!!」
鍵の掛かる音が鳴る。
カリーナはジーデスの腕の中で意識を失い、一行は漸く訪れた休息に、腰を落ち着ける。
「勇者殿、随分と早かったですね」
「うん、ハナエを医者に連れて行くのに片道一〇分は要したよ。いや~、間に合ったね」
ジーデスはムスビの肩に載るユウタと、眠るカリーナを交互に見た。今回、大きな働きをしたのは、紛れもなくこの二人だ。迫る敵を悉く切り伏せ、幼馴染を傷付けた後悔に打ちのめされながらも、敵を殺さずに撃退したユウタ。若者とは思えぬ的確な指示と判断力、魔物にも臆さぬ大胆さ、そして人の命を救う為に魔力の消費と一族の秘術を暴露する事も厭わぬ精神を持つカリーナ。
この両者がいなくては、一人も欠けずに生還する事は不可能だった。
「本当に、凄い人達だ」
心の底からの感想を述べたジーデスに、セラも同意した。
「でも、ジーデスも凄いよ。実力が不相応な危険にも、勇敢に立ち向かった精神!」
「誉めてるのか、それ……」
苦笑するジーデスは、カリーナをもう一度背負って立ち上がる。
「さ、全員で帰ろう。カリーナ様が起きていたら、きっと「すぐに出るぞ!」と申しておられた筈だ」
「あはは、確かにそうだね」
セラとジーデスが先行し、階段を登る。その足取りから、ムスビは彼らが激戦を潜り抜けたのだと察した。
肩に担ぐユウタの頬を叩く。
「いつまで寝てんのよ」
「気付いてたのか……」
「いい加減に自分で歩いきなさいよ」
「あと数時間、運んでくれません?」
「え?あと数日、あたしとくっついてたい?」
「今すぐ降ろせ」
ムスビから離れ、ユウタは一人で階段を上がった。体力も歩行ができる程度には復調している。
「それにしても、暑いわね」
胸元を緩めるムスビに、思わずユウタは眼を逸らす。彼女がその反応を楽しんでいるとも知らず、必死に平静を装う。
「パーカーなんて着なきゃ良いのに」
「仕方無いじゃない。いつの間にか此所に居たんだから」
「……誘拐に遭うとか、無用心だな」
「あたしはこれでも、毎日男に警戒してるわよ」
そう言いながら、パーカーを脱ぐ。臍と腹部を大きく露出した下着姿では、全く信憑性を伴っていない。ユウタが嘆息をつくと、ムスビは横に並んで手を握った。
「それでも防げない時は、恋人のあんたがいるでしょ」
「ああ、はいはい」
ユウタは適当に答えて歩く。
その時、ムスビの変化に気付く事はなかった。
彼に見えないよう、ムスビとは嫣然と微笑すると、指をさらに絡める。掌に伝わる体温と感触に独占欲が湧く。
“――この手は離さない。”
「楽しみね」
「?何が?」
今回は本作を読んで頂き、誠に有難うございます。後のシリアス展開を考えると、沈鬱な気分になって来ましたので、ギャグを多目にしました。
次回も、シリアスとギャグの配分が均等になるよう目指します。
これからもよろしくお願いいたします。




