闇の胎動(3)/魔術師の前進
更新しました。少々荒いかもしれません。
『ムスビ、貴女は選ばれし者なの』
母が小さい頃、あたしにそう言った。
獣人族のみんなからもそう言われて、期待をかけられている事だけは理解できた。幼い頃から始めた武術と文字を学び、必死に応えようとした姿勢は、我ながら健気だったと思う。
何気なく日常を過ごしていて、疑念を懐いたのは、両親が美しい白髪なのに、どうしてあたしは違うのか。他の人達もそうで、あたしだけが浮いているような気がした。
綺麗な黒髪だ、将来が楽しみだ、とか。
誉めて欲しい訳じゃないのに、皆が口々に言う感想はどれも心に響かない。どうしてあたしは違うの……?
同い年の子供なんかは、まだ遊んでたりするのに、あたしは何で大人と戦わなくちゃいけないのか。何だか自分だけ厳しくされている気がして、嫌になってしまったけど、両親の希望に背くのも許せなかった。
ある日、獣人族の中でも優秀な子として、あたしと一緒に鍛練をする少年がいる。仲間が出来て嬉しかったから、すぐに打ち解けて友人になった。互いに理解し合える存在は、当時のあたしには救済にも思えた。
『ムスビ、俺いつか強くなったら……』
『なによ?』
『……何でもねぇ』
時折、彼の心情を読み取れない時があるけど、この友人は大切にしようと誓った。仲間の欠け替えの無さを感じて、もっと強く生きようって思える。自分を高める為の、強い支えになった。
十歳のとき、獣人族が<印>を名乗る集団に襲撃されて、死んでいった。知ってる大人も、遊んでいた時に見掛けた子供も、分け隔てなく、無差別に殺された。
家族が必死になって逃がしてくれた。
あの友人と一緒に大陸を渡ったけど、すぐ離ればなれになった。何処へ行ったのだろうか、あたしを置いて行ったのか。
結局、友人なんて薄情なモノ。
信頼できるのは家族と、そして自分だけ。ただひたすら、時間の経過を忘れるほど南へ歩いて、シェイサイトに辿り着いた。この町で生き延びて、いつか独りで幸せを掴んでやる。
盗みもした、時に人を殴ったりも。その途中で、面倒臭い男にも絡まれて、指名手配を受ける始末。
ほら、やっぱり。人なんてそんなモノ。都合が悪いと、人を傷付ける事なんて躊躇わない。すぐに裏切るし、何が良いのか。無駄に周囲と信頼関係を築こうとして、バカみたいだと思った。
あたしを見れば、皆が近寄ってくる。あたしに安寧はないのだろう。
そんなある日の事――
「興味はない……本音は関わりたくない」
あいつに会った。
素直じゃないのが瑕だけど、出会ったばかりのあたしを守ろうとするくらい、お人好し。あたしの憎む<印>と同族だと、殺される危険性があると判っていて、素性を明かしてくれた。
あいつなら信頼できる。久方ぶりに友人を得た気分だった。
でも、妙なことに親しいと感じる反面で、遠い存在に思えた。隣に居る筈なのに、あいつ自身の魂との間隔は途方もない距離がある。危険を共有しているのに、何故だか、一緒に背中合わせて戦えていない。
「僕らの旅路は、随分と流血が多い。種族が違うとはいえ、必ず敵対者を殺さなくちゃならない。仕方ないと覚悟はしてたけど、過分な気がするんだ」
進んで汚れ仕事を請け負うのに、血に染まって痛々しくなっていく。その時に、支えたいと正直に、心の底から願った。少しでいい、あいつの負担を和らげてやりたい。
あいつに対する感情が、友愛から変化したのも、恐らくこの時だったのだろう。
あたしよりも傍に居た時間の長いハナエには嫉妬した。あいつがハナエに恋愛感情が無いと知っていても、妥協も出来なかったのだ。
だから、自分でも柄じゃないドレスなんて着て自慢した。反応は珍しく動揺していて、初めて『女』てして見られたのだと悟った。それが堪らなく嬉しかったし、ハナエをジーデスに任せて、自分があたしを守る事に何の疑問も抱かなかったと知った時は、思わず笑ってしまったのだ。
もっとあいつの傍に居たい。なら、力が必要だ。カルデラ一族の図書館に入って、今度は呪術についても学んだ。魔法と呪術の知識がなければ、治癒魔法も使えない。これなら、あいつを守りながら、あいつを癒すこともできる。
戦場でも、何処へでも付いて行ってやる。世界で最も信頼できるのは、あいつだけだから。笑顔を向けてくれるのも、守ってくれるのも、手を差し伸べてくれるのも、あたしだけで良い。
あいつが手に入るなら、もう何も…………
× × ×
建物の中は、外よりも気温が高くなっていた。
床や天井が剥がれ、通路の壁には幾つもの壁が穿たれている。蒸気を立てる破壊痕は、その威力を物語っていた。
シズカは猛追してくる攻撃に、荒涼な風景に変わり果てた部屋へと逃げ込む。扉や氣術で塞ごうとも、周囲一帯に轟風を起こして竜巻を発生させた。室内は乱気流に見舞われ、同時にシズカも床や壁に何度も叩き付けられる。
ムガイの分家の一つでも、長の座を嗣いだ彼女の地位は伊達ではない。選りすぐりの実力者として選ばれ、その役を勝ち取ったのだ。
しかし、それが無惨にも一人の娘の前に倒れ伏せ、一方的な蹂躙を受けているとなれば、威厳もない。意識を保つのが精一杯で、もう感覚は麻痺していた。
玲瓏な美貌を持つ少女。全身から桁外れの魔力を漲らせて、傲然とシズカを見下ろしている。あまりの威圧感に、少女の前で吐血した。触れられてもいないというのに、全身を凄まじい圧力で潰されたように感じたのである。
少女との距離が近くなり、咄嗟にシズカは氣巧法を発動した。相手を欺く為に鍛え続けた彼女の技。ヤミビトの幼馴染の女に己を擬装して、命乞いをする。
「ま、待って!ごめんなさい!許して、命だけは……」
「へえ、それが氣巧法ね」
シズカの技――氣巧服。
体内の氣の流動を操作して、気配を他人と同一のものに変化させる。それに呪術を併用することで容姿も変え、相手を完全に翻弄する――筈だった。
しかし、魔術師の血筋であるこの少女は、変化したシズカにも全く遠慮も無く攻撃を実行する。防御しようと、その上から無慈悲に高火力の一撃を浴びせ続けた。いまさらこの技を行使したところで、自分の未来を変えられる訳もない。
「悪いけど、逆効果だから」
シズカの総身が業火に包まれる。絶叫して床を転がる彼女を、さらに少女の体から奔出する魔力が変化して生まれた赤雷に痙攣を起こした。
人の焼ける臭い、悲鳴の入り混じるその地獄絵図を、冷然と眺めながら一向に手を緩めない。いまシズカは体の水分が蒸発し、意識が死の闇に堕ちて行く中で最後に見たのは、尋常一様ではない魔力を纏う死神の姿だった。
「……死んだわね」
眼前の死体を睥睨して、ムスビは攻撃を止める。数分前まで人間として活動していた肉は、灰塵となって崩壊し、人の姿から逸脱していく。
ここまで敵を必要以上に痛め付けたのは、これが初めてであった。過剰なほど攻めてしまったのは、シズカの飄々とした立ち振舞いか、それとも彼女が象ったハナエの姿なのか。どちらを考えても、歯車が噛み合うほどの納得が得られる。
周囲を検めて、いつの間にか下階に降りていた事を気付いた。如何に自分が戦闘に夢中だったのか。自分の“感情”の強さを感じ取って、ムスビは首を竦めた。
再び廊下へと出て、出口を目指し中を散策する。同じ構造が続き、何周もしているように錯覚した。時間の浪費に思え、壁に向けて魔法を行使する。
指先から緋色の光が集束し、刃の形状となった。
「《烈火の矢》」
壁に解き放たれた凶刃が炸裂し、粉塵を巻き上げて穿孔する。ムスビを避けながら辺りに充満する土煙を払って、作られた穴の中へと身を躍らせた。敵の気配は全く感じられないが、敵が氣術師ならば油断は一切できない。
建物の外かと思って、大きく跳躍したが、彼女の予想を裏切り、すぐに足は地面に降り立った。足裏から感じるのは先程と同じ感触である。
「どこに出口があんのよ」
ムスビがその場に立って、足元を見下ろした。このまま下階に降りるよりも、大胆に外へと飛び出した方が脱出は容易だと考えたが、ハナエに扮したシズカと行動している時も、その危険を予め察していた。だが、前者の場合は下に、ムスビの脱出を予測した、あの白衣の少年が待ち伏せているかもしれない。現に、ムスビが逃げる事を予想して、シズカを傍に置いたのだから。
仮に出会した場合は、恐らく命を失う覚悟で挑まなければ確実に負ける。会話の途中に感じたモノが、ムスビにそう思わせた。
「まあ、別に良いわよ」
だが、それでも今は負ける気がしない。いま全身から充溢する力は、嘗て無い自信を懐かせる。体内で自分を束縛していた何かが消えたように、体力も魔力も好調だった。
「《風の猛り》」
ムスビの足元を、研ぎ澄まされた烈風が貫いた。円錐形の風が彼女の真下を狙い、床を盛大に破壊する。瓦礫と共に下へと降りて、転倒せずに立つ。
着地地点のすぐ傍に、窓があった。それが丁度、建物の正面玄関前の道を見下ろせる位置にある。ムスビは何気なくそれを見詰め、そこに複数の人影があるのを見咎めた。
目を凝らし、その正体を暴こうと集中する。
「あっ」
人影の中に、見慣れた姿を発見して思わず声が出た。硝子の窓に張り付いて、ムスビは顔を綻ばせる。
そこに居たのは、ユウタだった。
ハナエが居ないこの建物まで来た、という事は恐らくムスビの危機を察して駆け付けたのだろう、と推測した。ハナエではなく、自分を救いに来てくれたのだと思うと、胸が高鳴る。
だが、様子がおかしかった。
何かを見下ろして固まっているユウタの足元に、誰かが倒れている。金色の髪は無粋な魔石の床に広がり、生気のない白い肌が広がる赤色の中に際立つ。
「ハナエ……どうして……?」
ユウタの片手には、抜き身の剣が握られている。その刀身が赤く濡れている事には気付かなかったが、ムスビの脳内に疑問が浮かぶ。
ハナエとユウタが、何故一緒に居るのか。こんな危険な場所に、彼女を連れてくる筈がない。そう考えれば、ハナエは別の場所で、ムスビと同じように拘束されていた事が推察できる。では、ハナエが流血に濡れている理由とは?
剣を引き抜いたままのユウタが、呆然と立ち尽くすのを見て、ムスビは了解した。
「まさか、殺したの?」
そんな事をする筈がない。どんな道理があろうとも、断固としてユウタが認めない事はムスビにも理解が及ぶ。何かの手違いで、ハナエを敵と見紛って攻撃したのか。過つ事のなかったユウタの刃が、最もその手にかけてはならない人物を切ってしまった。
ユウタが壊れる――直感ではあるが、彼が崩れていく気配がする。白衣の少年が言った、『ヤミビトを壊す』という意味は、この事だったのかもしれない。
ユウタの精神的支柱を自ら破壊する。その行為は、彼を絶望と狂気に駆り立てるだろう。
ムスビの胸懐は、危機感と“新たな希望”を宿していた。ハナエの死んだ後、自身を支えるモノの無くなった不安定なユウタを、救えるのは自分だけかもしれない。
「……あたしって、本当に嫌な奴」
しかし、自己嫌悪は無かった。寧ろ、これからへの期待にこそ、彼女は胸を踊らせておる。ハナエは善人だ、全く己を害する要素は見当たらない上に、友人としても申し分がないだろう。それでも、互いに一つを求めてしまった時点で、ムスビの認識は極端に彼女を絶対的な『敵』と見なしてしまった。
急いで現場に向かおうと、走り出した瞬間、目前の瓦礫から、二本の短剣が飛来する。突然の奇襲であったが、ムスビに突き刺さる寸前で、突風に阻まれた。魔法ではなく、リィテルの浜辺などで使用した魔力の放出に近い。
「うわ、凄いね」
白衣の少年が、物陰から姿を現す。短剣を投擲したのは、彼であった。
ムスビの剣呑な面持ちに、物怖じする様子も見せずに悠々と進み、腰の鞘から剣を抜き放つ。一度は突き付けられ恐怖したが、今では無感情でいられる。
ムスビが目指すのは、ただ一つ。
ユウタの隣だけである。
ムスビの頭上で、詠唱もなく、弩弓の矢の如し黄昏色の巨大な槍が出現する。薄暗い通路を照らす燦然。白衣の少年の目に、緊張が走った。
「お返しよ」
槍が周囲一帯の空気を震撼させて射出される。人では応じる事もできない閃光の如し爆撃に、白衣の少年は体を寸断される前に撃墜した。ほぼ同時に迫る高速の魔法を撃ち落とすという、人には不可能な体術を実現してみせた。
ムスビの顔が険しくなる中で、弾いた少年の顔は変わらぬ笑顔で立っている。
「手元が痺れるよ。凄いね、流石は魔術師」
「これ、魔法なんだけど。でも、魔術がこれよりも優れてるなら、興味深いわね」
「どうして?」
「あんたを殺せるからよ」
その時、少年の体が床に平伏する。全身に乗る重圧によって、立ち上がる事も許されない。天井から落ちた瓦礫。その破片が急速に床へ落下するのを見た。
「これ……は……!」
「どう?こういうの」
ムスビは窓の方へと視線を向けたまま、少年を押さえ付けていた。魔力放出と同じく、リィテルでの経験で会得した『重力の倍加』。対象の動きを止めるまでの力加減ができ、魔物で試行したときは圧殺も可能だった。
「出口を教えてくれたら、見逃してあげても良いわよ?」
「……断る」
少年の鋭い眼差しがムスビを捉えた。
嘲弄的な態度をとっていた彼女の体が、後方へと突き放される。異常な重力に体を固定されながら、氣術でムスビを攻撃したのだ。
今度はムスビが床に倒れ、少年の体が重圧から解放される。
「やれやれ、ヤミビトの前まで取って置くつもりだったけど、予定変更だね」
少年が床を蹴って飛び出した。
「手足を切り落として、大人しくさせておこう」
「やってみなさいよ」
今回アクセスして頂き、誠にありがとうございます。
久しく運動をして、現在猛烈な筋肉痛に、体の節々が痛くて悶絶しております。運動不足には注意してください(きっと皆様はしていると思うけれど)。
次回もよろしくお願いいたします。




