闇の胎動(2)/崩壊の兆し
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東国の北部――。
寒風が荒々しく吹き抜け、鬱蒼とした森の中を薙ぎ払っていく。雲を抜けた太陽が柔らかく照らす中、鮮紅色の頭髪をした大男が雑草を踏み締めていた。巨大な魔物と見紛う屈強な体躯で、林間を掻き分ける。
あれから約一ヶ月。
シェイサイトで自身が携わった事件――【冒険者殺し】について、疑念を懐いた彼は、自身の故国と敵対関係である国の奥へと踏み入っていた。ユウタという少年と、そしてムスビという少女。二人と因果関係にあると思われる【冒険者殺し】は、“氣術師”である。各地を渡ったガフマンも、その存在を耳にした事はあったが、その長い旅路で実際に姿を目撃したのは、あれが初めてだった。
氣術師と云えば、ガフマンの記憶するところで、聞く度に悪行を為していたとされる。リィテルなどが例として挙げられるが、二〇年前のべリオン大戦の直中で、活発的に運動していた武装集団。――ユウタ達の話に拠れば、<印>と名乗る手練の組織。
それが何故、あのシェイサイトの迷宮にて、わざわざ冒険者を大量に殺害した罪に問われる危険があると心得てなお道を塞ぎ、深層で行うべき事とは一体何なのか。そして、ユウタを求める真の目的は?
戦争でも傭兵として戦ったガフマンは、長年の経験で培った感覚で、そこに不吉な未来を見出だした。これから、再び氣術師が何かを仕出かす腹積もりだと予期し、その正体を探るべく発祥とされた東国へ赴いたのだ。無論、彼が此所に居ると知る者はいない。
わずかな情報漏洩で、多数の犠牲が発生し、そして刺客が使嗾される。ガフマンが真実に辿り着く前に始末しようと考える者は、必ず現れる筈だ。
実際に、東国に立ち入ってから、密偵という容疑をかけられ、時に通れぬ道もあったが、それでも旅を続行。行動を察知されぬよう身分を隠している故に、己の取れる選択肢もかなり少なくされた。それでも挫けずに進み続け、遂に彼は見付けた。
「此所か……!」
ガフマンは森の奥深くに山里を発見した。
杣道を抜けて豁然と開けた場所へ出て、体の凝りを解さんと伸びをする。長い樹林との格闘の末、苦しくも目的地を発見した。
「ここが――矛剴の里」
氣術師の起源とされる地。
誰も立ち入らぬ神聖な場所は、洗練された神殿や都市と違って、粗野な小屋ばかりの里である。景観は山奥の集落とさして変わらない。
一見して、人の姿は見受けられなかった。非との営みと思われるものが無く、生き物の気配すら感じさせない寂寞としている。文献などで調べた限りでは、此所に大陸同盟戦争から人が訪れた記録は無い。
その理由が各地で氣術師が起こした悪逆の数々を鑑みて、交流は禁忌と暗黙の了解があるとされる。東国でも畏れられた地へ、何の躊躇いもなくガフマンは山道を登って行った。
数時間をかけて里を調査した結果、人間は全くいなかった。住居内へ侵入したが、埃だらけで長期間放置され、生活感の無い様相を呈している。一際大きな屋敷を見付けて、無遠慮に上がったガフマンは書斎と思われる場所で、暫し時を忘れて中身を確認した。
その際に入手したのが、矛剴と呼ばれる一族の家系図である。里の名を冠する一族が鍵になるとして眺め入ったが、不可解な記載に視線を留める。
結ばれた男女の間から延び、子の名が記されている。たが、家系図の中には線の終端には無名のまま空白のものがある。
「なんじゃあ、こりゃあ?」
首を捻りながら、紙面と睨み合って散策していると、ふと更に高地へと続く険しい杣道が忽然と姿を現した。まるで自我でも持つように、雑草が避けて一人が歩ける幅の小道が作られたのだ。あまりの驚愕に錯覚かと一瞬疑った。
何かが自分を導いている。そう思って、ガフマンは踏み出した。
ガフマンが歩けば、その数メートル先で道が生まれていく。見えざる案内人が掻き分けて指し示しているかのような奇異なる光景には、幾らあの彼とて不気味に思えた。しかし、ここで引き返せば何かに襲われるような危機感に、歩を進める。
道が終わると、山の斜面に作られた一つの小屋が現れた。
高さ一丈ある張り出しの桟敷から階段が伸びている。随分と古いのか、里で見掛けた物とは年季の差がある雰囲気を醸し出す。
ふと気付いたのは、ここは妙に静かだった。風で揺れて奏でられる枝葉の音もなく、鳥の囀ずる声も聞こえない。自分が踏んだ草と砂利の音が騒々しく感じるほどの静寂だ。
里から外れた場所にひっそり建てられ、険しい地形に、気配や音に敏感になってしまうような環境。
ガフマンはその場から飛んで、張り出しの桟敷に乗ると、中へと押し入る。粗野な作りなため、扉はない。中を歩くと、廊下の脇に列座する武器の数々と、やはり一歩毎に足音が大きく鳴り響くような構造。ここは、戦士を育む特別な場所なのだと悟った。
奥の一室は石板があった。刻まれた文字は少し風化していて、東方の表意文字で少し苦労して解読する。石の表面を撫でた太い無骨な指が止まった。ある一点を指して、ぽつりと呟く。
「……ヤミビト……?」
“――矛もて敵を剴る者より選ばれし我ら。主に仕える事を最上の名誉とする無謬の剣とならん。我らの本願は正しき治世、正しき統制を成す者への忠誠。その為ならば死の谷を歩む生も正道となる。”
ガフマンは立ち上がって、中途半端な長さの太い長剣の柄を握った。背を向けた通路の方向へ、肩越しに声をかける。気配はなかったが、それでも第六感じみたモノが反応した。
此所はどうやら、矛剴の里でも特に近付いてはならない場所だったようだ。ガフマンの背後で、武装した数名の黒衣が立っていた。
石板を見て、やれやれとため息をついた。
「ったく、一筋縄じゃあいかん事もある。まさしくそれは冒険!だが……今回は些か、それを逸したものだ。悪いとは思っとるが、それでもこちとら止むを得ん事情があるんでな」
ガフマンと黒衣が同時に動く。
閃いた白銀の光が交差して、けたたましい金属音が打ち鳴らされる。それが大きく周囲に反響した。
”――主に振りかかる禍のことごとくを闇に葬るは闇人の使命なり。”
× × ×
「ムスビさん、後ろです!」
「はっ?」
周囲を警戒していたムスビを背後から叱咤する。
ハナエの声に身を翻して構えた瞬間、腹部を固い何かが直撃した。痛みに耐え、その場に踏み留まる。攻撃したのは誰か、それを見極める為に途切れそうな意識を繋ぎ止めた。
「大丈夫ですか……?」
「あんた……ハナエじゃないのね」
ムスビの右脇腹に、ハナエの拳が突き刺さっていた。至近距離で交わる視線に、ハナエがにこりと微笑む。
その場に膝を着いたムスビを見下ろして、高らかに笑声をあげた。
「どうでしたか、わたしの演技。呪術で感覚を繋げば、記憶だって共有できるんです。見た目だって誤魔化しようがありますしね」
ハナエだった相貌が崩れ、内側から別の顔を覗かせる。
緑が混じる長い黒髪を三つ編みにした女性だった。ハナエの容貌とは全く違う。それが、彼女の感情で、彼女の記憶を代弁していた。嘘偽りは無いとしても、ムスビには自身が弄ばれているように感じて業腹だった。
「私は十二支の『子』を冠する、分家サトウの長シズカです。よろしくね、可愛い魔術師さん?」
「ぶっ飛ばしてあげる……!」
× × ×
「遅いッ!」
またしても――。
ユウタが固い魔石の床に叩き伏せられた。鞠のように跳ねて転がる。幾ら死角や隙を見付けて、急所を突かんと攻撃しても、総て未然に封殺されてしまうどころか、手傷を負うのはこちらばかり。一撃ごとに内臓が悲鳴を上げ、骨が軋んで全身を激痛が舐め上げる。断線する意識を繋ぎ止めて、気絶だけは耐えた。
ここまで自分の手が通じない相手は初めてだ。ユウタの流儀は、無駄な剣戟を省き、速やかに敵を仕留めること。しかし、持ち前の正確無比な体捌きをもってしても、このタイガを凌駕することは叶わない。歴然とした力の差を体に叩き込まれ、半ば諦めかけている。
戦闘を傍観するジーデスは、ユウタの手放した仕込み杖を抱えて立ち尽くす他になかった。仲間が何度も返り討ちに遭う様を、無感動に見ていられるほど非情な人間とは断じて違う。手酷く相手を痛め付ける姿に憤怒せぬ訳がない。
それでも、この戦闘に自身が介入する余地など皆無だ。地雷の密集した場所を闊歩して進む度胸があったならば、タイガへ向かって剣を執ることが出来ただろう。それと同意義の覚悟を要するものであった。
ユウタの姿が、目にも留まらぬ速さで相手の内懐へと飛び込んだ。タイガの足払いを躱わし、腹部へ向けて掌を叩き付けんと振りかぶった。当たれば、打撃の威力の有無を問わず、軽い接触で敵の生命を断絶できる。
――が、あの勇者セラでも捕捉するのが難しいというのに、タイガの手刀が頭上から振り下ろされる。あまりの速度に空気を掻き乱し、裂声をあげて走った。固い岩石に槌でも打ち付けたような鈍い響きを辺りへ届かせながら、ユウタの腹部に横合いから命中する。
腕をそのまま上に振り抜き、少年の体を空へと投げた。爆裂した痛撃が、その箇所から痛みを体内で轟かせて、喉の奥から血が溢れる。本当に戦鎚で打たれたような衝撃に悲鳴すら出ない。
ユウタは欄干に背中を打ち付けて、その場に落ちて座り込む。この背凭れがなければ、炎の噴流に呑まれて跡形もなく消えることができる。ここにタイガを突き落とす事が出来れば……
歩み寄ったタイガの手が、ユウタの襟を掴んで持ち上げる。手足は脱力して指先にも力が行き届かない。視線だけでジーデスに逃げるよう訴えるが、依然としてその場に留まっている。
「俺の氣巧法――氣巧眼は、実際に氣の流れを目視することができる。幾ら俊敏に動いたとしても、見切ることは造作もない。遮蔽物があろうとも透視できる」
仕組みは単純だった。氣巧法とは、本来火力に欠ける氣術を攻撃形態へと応用した技。主に媒体となる武器を、尋常ならざる威力を持つ兵器へ仕立てる。氣巧剣は鍔迫りを許さず、氣巧拳は刃を通さず、氣巧弾は視認などさせない。
この男の場合は、それを感覚器へと用いたのだ。普段ユウタが使用する氣術の認識能力の拡大を、更に昇華させたもの。今まで避けられる者がいなかったユウタの剣にも反応できた。さらには扉で隔てた先にいたジーデスをも捉えたのだ。
「先代の教育の賜物だな。お前をここまでムガイの血から遠ざけるとは……。しかし、我々が迎えに来ると知って、まさか氣術よりも暗殺術に意識を向けさせたか。つくづく“悪鬼”と畏れられただけはある」
「し……師匠を……侮辱するな……ッ!」
「教えてやろう。奴がした事を……そして我々の目的を」
タイガは一度ユウタを上に振り上げると、地面へと叩きつける。血反吐を吐くユウタの胸を足で踏みつけて固定した。
「氣術師とは、神族と交わった矛剴という一族の者。本家と、十二の分家がある。本家の血筋には、代々闇人と呼ばれる稀有な存在が生み出された。必要条件としては、まず本家の子あること、そして、先代のヤミビトがその“役”を終えた時」
「……役?」
「役とは、ヤミビトが“ヤミビトとしての生”を全うした時。次の代を育成する為に身を退く事だ」
タイガは滔々と続ける。
× ×
神代まで遡る。
魔術師を生み出す獣人族の家系。
氣術師を生み出す矛剴の血族。
魔王を斃すべく新たに作られた主神ケルトテウスの兵器。ヤミビトは特に、神の手先として常に暗殺を生業とした宿運。武術、氣術、五感などを統計した戦闘力でも、神族の中で逸脱した能力を秘めていた。特徴として、黒髪に琥珀色の瞳。ヤミビトとして生まれたならば、名を与えられず、違う環境で修練に打ち込む事となる。
ある時、ヤミビトに決闘を申し込んだのが魔術師。――『改革者』と称される力は、世界を変える力を持つ。それを『調停者』たる氣術師が抑えて力の均衡を保っていた。
当時、その魔術師は力を遺憾なく行使し、世界の条理を屈折させるまで、魔術を悪用した。ケルトテウスはヤミビトに対し、決闘にて魔術師を葬り去る任を与えた。
結果、見事に任務を遂行したヤミビトは獣人族などからの怨恨を避けるべく、追放という形で一族と共に中央大陸べリオンの北東部に身を潜めた。そして、生涯神の僕であれという“呪い”の黒印をヤミビトに、他のムガイには白印が刻まれた。
しかし、ヤミビトにしか、魔術師殺害の真意が伝わっていない。ムガイの神と、そして獣人族への怨嗟は、ここから始まった。
それからも、べリオンの調停を任じられ、神を永遠の主として、反乱分子となる人を殺し続けた。途方もなく続く歴史、勃発した戦争が終わりを告げる時、その裏には常に闇が居た。
そして――大陸同盟戦争が近付く中、新たに闇人を襲名したのが、ユウタの先代である。
出生時から大きな“黒印”は前例を見ない力を有していた。幼少期からムガイの棟梁を超える氣術と、そのさらにその師をも凌駕した。
主神ケルトテウスはこの存在を大いに喜び、我が手先にと祝福した。
しかし、先代は神を、ムガイの血を拒絶し、西へと逃げ続けた。
× ×
「それから先、奴がどう過ごしたかは、噂程度にしかなかった。聞いた物で最も信憑性が高かったのは、主を転々と変えて暗殺業に身を窶していたとか」
タイガは眉根を寄せて、不愉快そうな表情を作った。師が恨まれる理由とは、つまりムガイと呼ばれる血筋と離反しようとした事に端を発しているのだろう。
「それから我々の目的は、神への叛逆だった。神に仕えるあの忌々しき獣人族と魔術師を根絶やしにし、ケルトテウスを玉座から引きずり下ろす。そうすれば、呪いも解けるとな」
「呪い……」
ユウタは自分の右腕に視線を向けた。
師は、これが愛の形だと気づく時が来ると、言葉を遺した。黒印は神との契約の印なのかもしれない。そうだとするなら、確かに呪いだ。
「そして、それから一〇年後……本家の血筋に、ある者が生まれる。ヤミビトでもないが、黒髪に琥珀色の瞳をし、その能力の高さは他の氣術師を圧倒する力があった。
その名はタクマ……お前の父親だ」
タクマ――その名を聞いて、ユウタは目を見開いた。旅先で遭遇する<印>の構成員から、“タクマの形見”と呼ばれる事が多々あった。一体その人名は何者が宿したモノなのか、どんな人物だったのか。しかし、それを<印>が教えてくれた事はなかった。
「僕の……父親だって……?」
「そうだ。彼は我々の願いを叶える力を持っていた。だからこそ、最強の氣術師として鍛え上げようと腐心した。
だが、そうも上手くいかない。消息を絶っていた奴が現れた。立ち塞がる同族を殺し、タクマを連れ去った。我々は探し続け……しかし、一向に見付からない。捜索に駆り出された者も、帰っては来なかったのだ。
それから約二〇年後にタクマが我々の下へと帰還した。どんな経緯があったのかは知らないが、神族に対する憎悪は、我々とは桁違いだった。
べリオン大戦が始まり、魔族との密約を交わし、争う両国の中枢を支配しようとした。この大陸、そして南の魔族を束ねれば、如何に神族といえど敵わんだろう。
タクマは、ヤミビトからの教えにより、秀逸した力で敵対者を殺した。その過程で本家のカオリと結ばれ、神族への復讐を果たさんと猛進した」
「……タクマは、どうなった?」
「死んだ。当時、五年も続いた戦争を終結させようと活動するカルデラ一族を抹殺しようと、タクマは単身でこの地に赴いた。だが、その先にいたのは彼の師であるヤミビトだった。
戦いがどうなったかは知らない。だが、タクマは奴に殺された。その後、カオリは二人の子供を生み、その内の一人がヤミビトとしての生を授かる。その時、我々は奴も息絶えたと考えた」
ユウタを踏みつける爪先に力がこもる。
「だが、惨劇は繰り返された。
またしても奴は現れ、当代のヤミビトを連れ去ってしまったのだ。――そう、赤子のお前を、奴は我々から奪った。
カオリは出産の疲労で死に、彼女を救うべくヤミビトの追跡を行ったが、無駄だった。
それから数年後、神への反逆の狼煙として計画した神樹の排除。ケルトテウスの子息が眠る神聖な地を汚し、我々の意向を示しんとした。
そこに送り込んだのが分家『巳』の二人。本来ならば、すぐにでも始める筈だったが、不測の事態が待ち構えていた」
「……先代ヤミビト」
「そうだ。奴がいた……そして、お前が居る事も。それからは様子見として、二人とは連絡を取り合った。その過程で、先代ヤミビトが名を授けずに生を終えたと。奴はどうやら、最後までムガイの血とケルトテウスに抗ったようだったな」
話を終えたタイガが足を退けた。解放されたユウタに屈んで手を差し伸べる。
「お前はタクマの意思を継ぐべきだ。己の呪いを解く為に、我々を虐げた奴等を破壊するのだ」
師と、そしてタクマという人間の顛末を聞いて、ユウタは茫然自失となった。長らく懐いていた疑問が解消できたというのに、ただ胸の中は絶望感で冷たくなっていた。
父親は、戦争で暗躍した悪人。それを止めた師。そう解釈できるかもしれない。だが、どちらも正義とは言えなかった。
一族を殺し、タクマを奪い、そしてその命を終わらせ、その息子をも誘拐した。師の真意は全く解らない。旅に出るまでは、その素性を全く知らなかったのだから。
だが、いつの日だったか、師に幸せかと問いかけた時、こう言っていた。
『わしはな、幸せになったらいかん人種なんだよ。だから、今は誰かの為に尽力する未来を選んでおる』
辛そうな表情で誰かを哀悼するように。
『過去、他人を傷付けた己の所業に対する悔恨。それでわし自身を殺したくなってしまう。誰かを救う度に、そう思うのだ。あの時だって、今のように人を助けられたのでは、とな。
幸福は許されぬと自戒しておきながら、お前と居られる幸せに没頭しとる。果たして、わしはこのままで良いのか。そう自問自答するばかりなのだ』
自身が幸福を享受することに否定的な考えを持ち、それでもユウタを愛してくれた。彼が悔やんだのは、きっとタクマに対する行いと、その人生で殺してきた人々への想いだ。何も報われず、何も救えず、徒労に終えた人生を自嘲しているみたいだった。
『頼むから、わしのようにならんでくれよ』
ユウタに氣巧法を、ヤミビトの名を一切明かさずに天寿を全うした彼は、真実を秘匿したまま死んだ。多大な愛と、身を守る術だけを託して。
この技巧も、云わば護身として授けたに過ぎないものなのだ。それを偶然にも旅の中、相手を屠る為の力になっているだけ。
変わらない。
たとえ師が如何なる罪を犯そうと、業を背負っていたとしても、ユウタにとって、最愛の父である。タクマが何者だろうと関係なかったのだ。
問題は他でもない、自分を愛し、傍に居てくれたか、その一点に尽きる。
「そうか……」
タイガの体が、ユウタを中心として発生した斥力に弾かれた。氣術の急襲に反応できず、彼は地面の上で四肢を広げて仰臥する。
ユウタが立ち上がると、静観していたジーデスの手中にある仕込み杖が空気を切り裂いて持ち主の下へと戻った。手で掴み取り、石突で魔石の床を鳴らす。
「僕は変わらない……。僕は、僕を愛してくれた師匠に恥じないよう生きるだけだ」
左右にふらふらと揺れながらも、前に進み出た。身を起こしたタイガの間合いに踏み入る。
「ヤミビトじゃない……僕はユウタだ!」
自分の名を叫んだ少年に、タイガは嘆息した。歴史に脚色を加えてはいないし、ありのままの事実を語っても先代ヤミビトが悪であるとユウタも悟ると踏んで語った。
しかし、それも徒労に終わったと思うと、落胆を禁じ得なかった。
「やはり、あの手を使うしかないか」
タイガが片手を挙げた。
身構えたユウタの視線の先で、建物の中からローブを着込んだ小柄な人物が姿を現した。ユウタとジーデスが瞠目する。
二人が見慣れた姿が、短刀を手にこちらへ歩んでいる。
「ハナエ……!」
ユウタが名を呼べば、その人物が涙を流して首を振る。翡翠色の瞳を潤ませ、唇を苦々しく噛んでいた。
「ごめんなさい……わたし……わたし……!」
「ハナエ!今助け」
「やれ」
ユウタの言葉を遮って、タイガの手が振り下ろされた。それと同時に、ハナエが走り出す。ユウタへ向けて一直線に、止まる気配を見せなかった。
短刀を払いのけて体を受け止める体勢に入った。恐らくタイガによって操られているのだろう。しかし、それでも、ハナエの動きを見ると、精密な操作がされている訳ではなさそうだった。単純な動作しか出来ず、タイガの戦闘を代行できる程ではない。受け止めるのは容易い。
タイガを鋭い眼光で牽制しつつ、ハナエの短刀を握る手を掴み上げた。
「哀れなヤミビトだ」
タイガがそう呟いた。
ユウタはそのまま、ハナエの短刀を弾いて彼女を抱き締める。暴れないよう強く左腕一本で拘束し、ジーデスの下まで戻った。
「ジーデス!ハナエを押さえていて!彼女の状態を調べる!」
「お、お前……何をしてるんだ……?」
「え……?いや、今からハナエを操る力を取り除くって……」
ジーデスの反応に、ユウタは首を傾ぐ。
ハナエを敵から解放しようというのに、彼は凝然とユウタとハナエを見据えて固まっていた。この熱風に晒された場所でも、顔を蒼白にしている様子が事の重大さを伝えている。
「……ん?」
ユウタはふと、右手に伝わる温かい感触を覚えた。指先から手首へと、次第に広がっていく。ハナエの肩を掴み、一旦離れて手元を確認した。
右手が杖を握っていた。柄の部分から、ユウタの手を真っ赤に染める。本来は鞘に納まっている筈の刀身が伸びて、ハナエの腹部に呑み込まれていた。見下ろせば鞘は足元に落ちていて、滴った血が紫檀の表面を滑る。
ジーデスの鼻先には、ハナエを貫いた血濡れの刃先が突きつけられていた。
「なんだ……これ……え……?」
「それが主を選ばなかった、ヤミビトの末路だ」
タイガの声と共に、ハナエの全身から力が抜け落ちる。仕込みの刃から逃げるようにくずおれて、ユウタの前に転がった。
腹部から広がる深紅の池を、ユウタは眺める。同じ物が、自分の手を染めている。それは温かかった。
「……ハナエ……?」
今回アクセスして頂き、誠にありがとうございます。これからも重々しい展開に、ギャグが欠けた日常が続きます。それでもお付き合いして頂けたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いいたします。




