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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
四章:カリーナと図書館の鍵
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闇の胎動(1)/酉のタイガ

更新しました。



 二人きりの一室。敵の姿はなく、これが脱走の好機だと踏んだ。あの白衣の少年が再び入室するまでに、この場を離れる必要がある。ムスビとハナエを拘束するのは、恐らく地下ではなく建物の上階。この空間内に唯一ある大きな窓からは、マグマの激流が窺える。だが、少し下へ視線を下ろせば通路と思われるものが確認できた。

 扉は一つ。手足を縛する荒縄を魔法による発火で焼き切った。肌を撫でた熱に耐えて、火傷を気にせず次はハナエの解放に急ぐ。

 寝台の上で仰臥する彼女の枷を丁寧に外し、その背に手を回して、ゆっくりと上体を起こさせる。触れた掌に感じる体温に、胸の内で安堵が広がった。自分が一人ではない――そう思えた事が、いま自身を奮い立たせる要素になる。


 ハナエの顔は晴れない。

 自分を救いに戦地へ身を投じる幼馴染を案じているのだ。助けに来てくれるのは、とても嬉しいし、それを求めている思いがあるのも否定はしない。だからこそ、彼の危険を喜んでいるようで、自己嫌悪に己を罰したくなる。こんな過ちを一体何度繰り返したことか。

 変わらなかった。たとえ、旅に出て様々な出会いや別れ、戦いなどを経験しても、ユウタは自分を想ってくれている。その事実を素直に喜べないのは、ハナエの勝手な行動に起因して発生した問題で、いつも彼は身を切るような闘争に踏み込むのだ。


 ムスビはその胸中を察して、無言のまま立たせる。いまは感傷に浸るよりも、逃げる事が先決だ。敵の懐にいる事はわかるが、それに対し自分達はあまりにも未知であるが故に、留まるのは賢明ではない。一刻も早いユウタとの合流が望ましい。

 何より、この建物は<印>が選挙した砦となっている事は概ね予想できる。ならば、腹の内とも呼べるこの中を、どう切り抜けるか。内側から敵勢を錯乱するにしても、非戦闘員のハナエを抱えながら氣術師を相手取るのは愚考。逆に彼女がいなくとも、ムスビだけでは処しようのない難問だ。

 窓を破砕して外へ大胆に飛び出し、追手の追い付かないスピードで脱出するか――?

 いや、この場からは視野が狭い。仮に降り立った地点で、偶然にも敵と遭遇したならば、どちらが有利か。詠唱を必要とする魔力では氣術に劣るし、武闘で挑んでも武術に優れる“ムガイ”に勝機は薄い。


 ここは覚悟を決めて、建物の内部を通るしかあるまい。ムスビの決断を言われずとも悟ったハナエもまた、深呼吸で気持ちを落ち着かせる。彼女の足枷とならないよう、ただ荷物とならない為にも全力で行動せねば。

 扉に手をかける。開け放ったと同時に敵がいれば、問答無用で撃退するまでだ。


「行くわよ、ハナエ」


「はい、行きましょう」







   ×       ×       ×





 ユウタは、目前に立つ男の偉容に圧倒された。

 赤みがかった黒の短髪に、紺色の袷の胸襟から覗く盛り上がった胸板と、隆々とした彫刻と錯覚する腕はジーデスの太腿ほどある。今まで見た人間で、ガフマンにも匹濤する迫力に満ちた風貌だ。あたかも、そこに神殿の支柱が佇立しているように思えた。

 不可視の一撃によってジーデスを吹き飛ばして見せた怪能力。この男は、建物越しに氣術を使って見せた。熟練の氣術師と雖も、遮蔽物のある状態で標的へ向けて氣の流動を作り出すのは至難の技だ。まさか、透視でも出来ていたとでもいうのか。

 ユウタは不安になった。今まで、この杖を握って斬れなかった者などいなかった。それは、己が積んできた鍛練に裏付けされた、絶対的で揺るぎない自信が成すモノ。数々の強敵を倒したその確固たる自負も、だがこの男の前には通用するかわからない。まだ互いに攻撃していない状況でも、格上――否、破格の敵だと、動物的な本能で認識する。戦う前から結果を突き付けられているような、途轍もない敗北感が心を掌握していた。


「ムガイの分家リンドウ、その長の責を担う者。『(とり)』のタイガ」


 自分の名を迷いなく名乗る相手に無言で返す。

 黙然と正面を見据える少年の眼差しは、畏怖と勇気を含んでおり、視線を受け止める男――タイガは平然としている。その姿に余裕も慢心もないが、それでも強者としての風格は、戦闘の素人でも肌で感じられるほどだった。

 タイガは目線をわずかに下げる。ユウタの手に握られた紫檀の杖を一瞥すると、鼻で嗤って首を回し、近くを流れる溶岩を眺めた。遠くから網膜を焼く灼熱の光に瞼を閉じる。


「話は『巳』のトオルとダイゴ……ああ、確か今はゼーダとビューダ、だったか。神樹の村に潜入していた二人から、事情を聞いている」


 ユウタは聞き憶えのある名に反応した。ゼーダとビューダ、口振りからしてそれらは偽名。その前に挙げられたのが、彼等の本名だ。どうやら、既にユウタの情報を聞き及んでいるらしく、タイガは感情の色も示さぬ表情で滔々と語った。


「襲名もせず、更には氣巧法にもタイゾウが来るまで無知であったとか。初歩的な氣術のみを鍛え続け、暗殺の手解きだけは受けていたとか。

 先代の悪辣さが顕著に、その教育に形として出ているな。だが、あの罪人の質の悪さは筋金入り。老衰してなお、手出し出来ぬ所為でお前を正しき道へ戻す時期も延長されてしまった」


 その話を聞き、ユウタは驚愕に戦意すら喪失した。

 確かに、三人の氣術師が森へ襲撃して来るまでは、氣巧法など理解の埒外にあるも同然の知識だった。それに、この旅で散々想い知らされたのは、自分の技術が速やかに息の根を止める事に突出していることも。何よりも、カリーナから伝えられた先代ヤミビトの生業からは、納得する他なかった。

 太古の昔より、脈々と受け継がれた名、役目も――“無名のヤミビト”たるユウタは、ロブディを訪れるまで、その重大さに気付かなかった。


「だが安心しろ。我々は、お前を本来の姿へと回帰させる。その手筈は万全に整っている。まずは必要な段階を踏む事から始めよう。

 これからお前を、叩きのめす」


 タイガが一歩を踏み出す。たったその挙動だけで、空間が圧し拡げられ、圧迫されたような感覚に、足は意思と関係なく後退する。今まで出会った事のない、絶望的なまでの危機が間近に迫っていた。それも、目視できる距離を進んでいるのだ。

 ハナエを救出する為に乗り越えるべき試練だとしても、これは無理難題だ。現在のユウタには、これを突破し、更に潜伏する氣術師たちを捩じ伏せるだけの力が無い。どんな相手だろうと切り伏せると誓ったユウタの切っ先が、今は途方もなく遥か遠い標的に向けて振られているようだった。何を努力しても届かない、不条理を体現した敵が立ち塞がっている。

 だが、その程度で諦める理由は無い。いや、経緯も時間も場所も、ユウタには詮無い物である。如何なる困難や不利に縛られようとも、ハナエだけは助ける。無謀だ、無駄だと云われようとも構わない。


 後ろへと引いていた足を擦りながら前に出す。平生よりも短く小さい歩幅だが、勇敢なユウタの覚悟を示す一歩だった。

 冷静さを欠いてはならない。それが剣先を鈍らせ、戦闘を長引かせるだろう。いつだって一刀で仕留めてきた。たとえ相手が、自分のすべてを凌駕した怪物であろうとも、ただ実行すべきことは、最初から一つしかない。

 撞木足で膝を曲げて中腰に構え、左に逆手で持つ杖を背に回し、右手を柄に添える。尋常な勝負など不必要だ。挨拶も無用。卑劣だと罵られようが関係ない。ただ殺す、その一点のみを徹底するだけ。


 謎の攻撃に倒れていたジーデスは、全身を襲う鈍痛に呻いた。見えざる巨人の腕に払われたような衝撃を身に受け、防御する隙もなく叩き伏せられたのを憶えている。理解し難いが、それでも攻撃である事に変わりない。

 正体を究明すべく、震える膝に鞭を打って地面から立ち上がった。痛みはあるが、それが骨の損傷や靭帯の破断ではないと、体を動かして調べて解り安心感を得る。これならば、カリーナの援護を続行できる筈だ。

 自分を見回していた目を上げて、あまりの驚怖に言葉を失った。

 昂然と進む巨人と、その進行方向で両手に武器を携えた少年。この光景は前者と比較すると、後者が何とも頼りなく映った。

 その認識が、偏見が、見る者の油断を招く。それが最大の隙を生み出し、少年にとって格好の餌食と成り下がる体勢だ。そうやって、何人もが死んだのかもしれない。現に、先程の集団がその良い例だ。大勢でも侮ってかかるから、結果的に全滅させられた。

 しかし、対する巨人の瞳や様子には、それらが微塵も窺えない。ユウタの実力を識ってなお、やはり、こちらの方が危険な獣に見えた。


「ユウタ、危険だ!一度退却しよう!」


「ジーデスはカリーナ様の元へ。僕は此所を……押し通る!!」


 ユウタが地面を蹴った。

 発光する魔石の床を音もなく馳せる。獲物を捕捉した猟犬の如く躊躇いの無い俊敏な動きで、対象との距離を一気に潰す。

 タイガが拳を掲げた。相手の戦闘スタイルは徒手空拳だと推察する。その肉体で相手を滅ぼす戦法で倒すことを意図している。鋭い剣幕で前方から接近する敵を見定め、床を打ち鳴らした強い踏み込みを決めた。

 その瞬間、ユウタの行動速度が変化した。辛うじてジーデスが視認できていた姿が、知覚できる範疇を逸して加速した。唐突に消えたように見えて驚く。

 ユウタは、踏み出された足より更に内側へと滑り込む。攻撃を開始する予備動作の前の段階。――タイガの軸足を足場に跳び上がって、その厳つい面前に跳び上がる。敵に認識される前に、ユウタの仕込みが光った。体勢もタイミングも、この上ない一撃。確実に仕留めるつもりで放った最速の剣は――眼球目掛けて突き立てようとした筈だというのに、その頬を掠めるだけに終わった。

 状況を理解するよりもユウタは、タイガの胸を蹴って後方転回する。その打擲はタイガの動きを止めるには至らなかったが、攻撃圏を離脱するには充分であった。

 地面に着地してからも、更にバックステップで距離をとる。攻撃が当たらなかった――それが何よりも不可解だった。あの至近距離で、しかも攻撃に身を乗り出した体勢から、一体どう躱わせるのか。

 タイガは振り上げた拳を止め、姿勢を伸ばして頬の切創を撫でた。タイガの指に血が付着する。出血量からして、深くはない。


「速かったな。この俺でなくては見えなかった」


 そう豪語するタイガの言葉に虚飾はない。

 ユウタは納刀して、一歩退いた。仕込みを振るった手応えに、違和感がある。それが、ただ躱わされただけでない事を必死に訴えていた。

 タイガを観察する。走り出してから内懐に侵入してから顔面を切るまでの記憶を、自分の中で再現する。この疑念を晴らす解答が、この中にある筈だ。


「今度はこちらの番だ」


 タイガが再び進撃を始めた。その巨体が大きく躍動する。彼我の距離は一〇メートルだ――この距離を容易く一瞬で詰め寄るのは不可能だと見て、ユウタは人差し指を正面に向ける。空中を漂う無色無臭の氣が、指先で定められた形に集積する。与えられた役目に背かず、忠実に球体を象って放たれようとしていた。ユウタの合図一つで、相手を撃ち抜く凶器となる氣巧弾。

 タイガに見える筈もない。これは完璧な不意討ち、必殺必滅を確約したユウタ独自の氣巧法だ。


「成る程、興味深い」


「――えっ」


 氣巧弾を装填したユウタに対し、距離をおよそ五メートルの地点で足を止めて、引き絞った剛腕を突き出す。

 タイガの拳が唸りを上げて颶風を巻き起こし、辺りを蹴散らした。ユウタは真正面から総身を乱打する衝撃波に抗えず、後方へともんどり返る。発破をかけられたように地面は隆起し、粉塵が煙幕となった。

 受け身など望むべくもなく、魔石の床へ無様に叩き付けられて、肺の奥から空気が吐き出される。氣術で発生させた斥力を、何倍にも束ねて放出させたかのような凄まじい威力だった。

 軽い脳震盪を起こして、足に力が入らない。


「ぐ……!」


「見えないか?まだ、その程度か」


 落胆に見下ろすタイガは、ジーデスの方へ振り向いた。佩刀した彼も、また敵対者と見なして掌を翳した。まだ攻撃を受けて体が思うように動かない相手にも、容赦なく氣術を行使する。

 ジーデスは後ろへと突き飛ばされた。物理的破壊力は無いが、彼の背後には鉄の欄干がある。――そしてその先からは、万物を焼き滅ぼす炎の世界が待っており、その境界線をまさに体が越えようとしていた。


「……む?」


 ジーデスの体が虚空で静止する。見えざる手に支えられるように、鉄の欄干の前で留まった。

 タイガの操作する氣が、主導権を無視して逃れ、空中に散逸していく。


「やるな、ヤミビト」


 立ち上がれはしないが、ユウタはタイガと同じく、ジーデスを掴もうと手を伸ばすように掌を広げて、タイガの氣を奪い、それを己のモノへと吸収していた。


「そうだ、もっと足掻いてみせてくれ」


 タイガは足を天へと掲げて、轟然と鉈の如く振り下ろす。火を吹かんばかりの勢いで迫る踵下ろしに、ユウタはその場から身を低く飛び出して、その背後に回った。攻撃動作の途中、死角から襲う刃を止められる筈もない。心臓を狙って柄を握った――だが、その瞬間に死神が微笑む。


「まだ甘い」


 振り下ろしていた足を、そのまま地面の上を滑らせて、後方へと蹴り上げる。それは寸分違わず、踏み出して前屈みなユウタの腹部を捉えた。五臓六腑を震撼させる打撃に意識が白くなり、抜刀することも出来ずに空へと叩き上げられた。

 ユウタは血を吐きながら落下する。死角に回ろうと、至近距離で攻撃しようと、如何に不利な状況だろうと身に迫る危機をすべて見透しているようだった。あの踵下ろしも、ユウタが最初から方向を変えて攻めて来るのを即座に察している。


 タイガの裏拳が、落下中であったユウタの背中を殴打する。錬磨された肉体から繰り出される打擲は、少年の体を藁屑のように吹き飛ばした。取り残された紫檀の杖がジーデスの足元まで滑り込んだ。


「ば……ばかな……!?あのユウタが……」


「俺に見えない場所はない。さあ、ヤミビト、立て」


 ユウタは蹌踉めきながら立ち上がる。

 タイガは直ぐ様駆け出して、握り閉めた拳を、ユウタの頭蓋目掛けて振った。身を傾けて回避するが、微かに額の部分を掠める。鈍い刃物で切つけられたものと同じような傷から、深紅が迸る。

 頭上を雷鳴のごとく薙ぎ払ったタイガの腕の下をくぐって、その胴体へと掌底を叩きつけんと突き上げた。春の氣術師シゲルを斃した時と同じ手法――体格は丁度同じで、懐が深いからこそ攻撃中の無防備な部分への痛打は効きやすい。


「何度言えば判る?」


 ユウタの胸を、タイガの膝が穿つ。骨の軋む音が反響した。何度も直撃があるのは危険だと察し、その威力を利用して後方へと逃れようと地面を蹴って仰け反る。


「それがお前の本気か!」


 タイガの拳が連続で襲い掛かった。一秒に六発の速度で開始された蹂躙は、回避行動に移って防御の展開もまだしていないユウタを射抜く。岩をも爆砕する連撃を受け止めて、地面へと倒れた。明らかな実力差に抵抗もできない。

 ここまで一方的なのは初めてだった。仕込みを抜くよりも速く、タイガの力が必ず命中する。

 地に伏せたユウタの体を足で踏みつけて、タイガは睥睨していた。








  ×       ×       ×





 建物の中を走るムスビは、未だ敵と遭遇しないこの事態を不気味に感じていた。ハナエは悪態を一つも吐かずに付いて来てくれる。それについては問題はないが……


「ハナエ、周囲を警戒してね」


「もう、敵がいるんですね?」


「隠れてるのかもしれないけど、気配が全くしないのよ。ほんと、怖いくらい」


 ムスビが周囲を忙しなく睨む――その後方から手が伸びた。






今回アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

次回もよろしくお願いいたします。

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