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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
三章:セリシアと精霊の歌
54/302

精霊の我が儘

更新しました。



 この夏、激化した動乱の内でも注目を集めた事件──八咫烏による聖女暗殺。

 当代の聖女・レミーナの殺害を意図した八咫烏の集団により、任務にて港町リィテルを来訪していた彼女を狙った犯行。護衛として多勢を率いてはいたが、離島の先住民ニクテスとの外交を結ぶ式典において、その隙を突いて誘拐し暗殺した。

 なお、ニクテスの件も有耶無耶となり、結果的に聖女レミーナは虚しくも、努力の末に儚く散った。この報せはすぐ首都キスリートへと届いたが、生存者の兵士からの状況説明も要領を得ない。結果的に、全貌が明かされぬままに終息した奇怪な事件として、国の目を惹き付けた。


 町を八咫烏の侵略から守るべく決起した冒険者を率いた少女・ムスビの名は、リィテルを囲う山を超えて、僅か騒動から三日の内に西国中へと伝播した。先日に発生した魔物の大量出現でも、その中で最多の討伐数を記録した。

 彼女の仲間であるユウタは、聖女(レミーナ)の護衛を務め、ニクテスとの仲介を請け負う事になったが、最終的に騒動によって徒労となる。国から使嗾された視察団の尋問にも、罪悪感に他の兵士と変わらぬ反応を示した。

 聖女を喪失した損害などを先例と鑑みても、今回の方が被害規模も大きい。ニクテスとの交流は、今後断念する方針で固まった。

 リィテルの焼け落ちた家屋や、町の損耗を修復する復興の為の修復作業が続く。



 ユウタ達はあれから、二週間をリィテルで過ごしている。ユウタは公共事業に携わり、町の再建を手伝う。一方でムスビは先日の大量出現の原因を探る調査団の一員としてダンジョン内の調査を続けていた。

 ニクテスは町人や町長、兵士を呪術による催眠で騒動の記憶を削除し、島へと帰還する。立役者となったテイへの待遇の変化は、まだユウタ達も把握していない。あれより沈黙した彼等との連絡は全く無い故である。

 シェイサイトに続く事件の要諦には、二人の存在があり、その名がまたも国中に知れ渡ることを本人達は自覚していない。

 治癒魔導師とセリシアによる治療で、町から出た被害者の負傷などを回復することで、死者の数も少なかった。


 今回はムスビが大きな功績を挙げたことで、リィテルに平和が訪れたと語られる。これに誰もが批判の声を出さなかった。大量の八咫烏の死体を火葬した後に、彼女とセリシアを讃える冒険者の宴会がしばし連日連夜で開かれた。無論、ユウタはその場に出席しておらず、それを不満に思ったムスビの不機嫌もまた長期的に続く。

 視察団の尋問に加え、町の復興に駆り出されるユウタは誰の目からも忙殺されていた。故に、あれからムスビ達との会話も一切無く、町長が用意した客室で寝食を済ませる生活である。



 そして、騒動から三週間が経過した。






   ×      ×      ×




 サーシャルは、離島の浜辺で座っていた。日除けの傘を差して、その影に踞る。眼前には海が太陽の光を反射して煌めいている。海水が弾ける度に綺羅星の如く光を放って散った。この暑い気温の中、何よりも海が映えるのは夏の醍醐味でもある。

 しかし、今回は事情が少し異なった。

 ユウタに世話になった船乗り達の厚意で、ニクテスの離島に遊びに来ている。ユウタが予め、先に訪問してニクテスと話を付けており、島への出入を唯一許された。理由としては、ムスビの嘆願があり、長らく放置していた責任感にやむを得ず交渉に立ったのだ。


 いま、サーシャルの前方の海で戯れる二人の娘を、船員達もまた船の上から降りて眺めていた。


「ちょっと、こっち来て遊びなさいよ」


 その誰何の声に、サーシャルは視線を逸らした。男性の彼には正視することも憚られるように思えてしまう。堂々と物色する船員やゼスはともかく、サーシャルは赤くなる顔を隠して答えた。


「いや、良いって。お前らで遊んでろ!」


「どうしたの、あんた?」


 気軽に声を掛けてくるのはムスビである。

 露出の多い水着で、怪訝に顔を伏せるサーシャルを覗き込もうとする。傘の外にいる彼女の白い肌は眩しく、普段は一見しても解らないが、齢一五にして異性を魅了する豊かな線を描く体つきは目の毒だった。

 騒動の後、火に毛先が焼けてしまった事を切っ掛けに、短く大雑把に自分で髪を切り落としてしまった(ユウタの仕込み杖の刃で)。流石にユウタとサーシャルもそれを心配したが、本人の意中に後悔がなく、それ以上は追及しなかった。肩をやや過ぎた辺りの髪は、高い所で一つに結われている。

 そう──彼女がユウタに要求したのは、即ち離島の浜辺での海水浴。以前から聞いていたユウタは、それを了承した。

 サーシャルも勧誘されたので付いて来たが、ユウタも居ると考えて応じた。しかし、まずその前提から認識の齟齬があり、結果として船乗りを除き男性はサーシャルのみだった。同年代の女性と海水浴に興じるには、羞恥を隠せずその場から動けないのが現状である。


 ムスビともう一人、それはニクテスの娘。ユウタとあの三日間を共にしていたテイという少女だ。ムスビと友好関係を築きたいという要望を受けたユウタが彼女を連れて森から帰った。

 テイもまた、ムスビに引けを取らない魅力の持ち主である。女性同士の戯れに参加する胆力が無いため、完全に孤立していた。


「エルフの兄ちゃん。目が泳いでるぜ?」


 気遣ったゼスの言葉に、恨みの籠った視線を送る。サーシャルの孤独を和らげる試みは失敗したと、ゼスは反省して傍に腰を下ろす。二人で眺める景観は、波の音と重なって哀愁が漂う。


「に、兄ちゃん。やっぱり、あの二人に加えて貰ったら良いんじゃね?」


「この海を真っ赤に染めてやる」


「ニクテスに怒られちまうよ」


「ユウタは何してる?」


「釣りしてるよ」


 ユウタも、久しく自分の趣味を楽しんでいるようだった。あの麗しい女性たちとの交遊よりも、魚相手に格闘をする方が有意義だというのだ。世間、そしてサーシャルや船乗りにも理解し難い。ゼスに釣竿だけ借りて、意気揚々と荷物を担ぎながらニクテスに勧められたポイントへと向かったらしい。


「アイツ、引きずり戻してやろうかな」


「何で?」


「いや、だってさ」


 数日前、すでにこれを企画していたムスビが水着を購入する際、サーシャルに同伴を依頼したのだ。店内での試着などにも付き合い、女性からの視線を感じながらムスビに感想や意見を伝える役を全うした。彼が苦悶に耐えた理由は、彼女の願いあったからだ。


「ムスビの奴、驚かせてやりたいんだと。恥ずかしくて赤面するユウタが見たくて仕方ないとか」


「恋人に披露したい、と同意義だな」


「目の毒だったぞ、あれは」


「これで反応しなかったら、兄ちゃんは異性に興味がないって事か」


 二人でユウタという人間を分析する。

 配慮も出来る上に、あのムスビを制御する数少ない人間の一人。式典でも見た通り、己の発言の重さに自覚はなく、自分に頓着がない。危険な役を積極的に受け、直接見たのはゼスだけだが高い戦闘力を有する。

 掴み所が無い、というのが感想だった。誰もが振り向く容貌を持つムスビに、平常心で接することの出来る人物はいない。サーシャルもこの期間中で、すでに彼女の虜である。今の彼は、剣で大成すると豪語していた過去と背馳する武器を主に使用している。あれから弓の鍛練をダンジョンでしているのは、ムスビに誉められたから、である。

 だからこそ、ユウタを妬む気持ちはあるが、どうも敵わない。

 ムスビの絶対的な信頼がある限りは、出会ってまだ約三週間の自分には超えられない壁として立っている。


 溜め息をついて、砂の上に四肢を投げ出して寝た。遮る傘からはみ出し、仰ぎ見た無窮の空に目を細める。


「世の中、理不尽だよなぁ」


「そうだぜ、兄ちゃん。だから、せめていつ死んでも良いように、どさくさ紛れで姉ちゃん達に触って来い!」


「お前、自重しろよ。将来絶対に苦労するから」


 ムスビ達が駆け寄ってくると、跳ね起きて身構えた。飄然としていたゼスも、緊張感に全身が強張っている。挙動不審な彼等に気にも留めず、女性陣二人は周囲を検めた。


「あれ、あいつは?」


「ユウタ兄ちゃんなら、セリシアさんと一緒に釣りだぜ」


「セリシアと??」


 二人で視線を合わせた後、方向を指し示した先へと走り去った。


「ゼス………修羅場の予感がするぞ」


「ユウタ兄ちゃんって、モテんのかな?」


「少なくとも、この町じゃない何処かで、女の子侍らせてる筈だ」






  ×       ×       ×




 埠頭から徒歩一〇分ほどの場所。

 海と川の合流地点から上流に上がる河原だった。約束の許とは雖も、無粋に深くまで踏み込めば、ニクテスとの信頼関係に瑕ができてしまう。故に、神樹の森を出て長らく出来なかった趣味を最大限楽しむ心との葛藤の末、これが導き出した唯一の妥協点である。

 ユウタが選んだ河原は、森の中を割る渓流だった。切り立った岩や、堆積した石と変化する地形で生まれた幾つも滝。彼の居る対岸の崖下で、川面に投影された揺れ動く魚影に、気分は最高潮に昂っていた。

 川辺から少し離れた場所で竿を振り、撓らせた先端から糸に吊るした針を投じる。餌となる虫を付近から都合し、すぐに魚を捕りにかかった。剣と違う得物で、自分の手に馴染む感触は平穏な日常の証である。ユウタは胸を弾ませながら、手元に意識を集中させた。

 その近くで、鋭く削った石を枝に括り付けた簡易な銛を手に、岩の上に飛び移ったセリシアが、すぐ傍の魚を観察している。いつ、どのタイミングで放てば良いかを思案しているのだ。気配を殺しているつもりかもしれないが、あまりに眺め入って身を乗り出している。魚影に重なるように映った自分の姿は眼中に無い。


 二人で川の音に神経を委ねて、穏やかな時を過ごしていた。樹間を疾走する風は、やはり湿気を含んで肌の上に汗が滲む。

 時折、手で水を掬っては顔を洗う。涼やかで冷たく、それだけで爽快感が味わえた。

 セリシアが銛で突いた。飛沫を上げて進んだ石の尖端が、魚を貫く。その河床を叩いた衝撃で他の魚影は驚き四散したが、確かな手応えに顔が輝く。

 魚を一尾仕留め、得意気な顔で帰還するセリシアを見て、ユウタの闘争心に火が付いた。確かに、魚を捕らえる手段として、糸を垂れて釣るよりも銛で潜った方が容易なのである。

 セリシアの持つ銛の尖端には、本来ある筈の()()が無いため、魚を逃しやすいが見事に生け捕りにしてみせた。


 それから無言で、二人の格闘が展開された。ユウタは年下の少女にも徹底して手を抜かず、培った技術や勘を駆使して、本格的に魚影の集中している場所などを的確に衝く。流れに沿わせて、餌を運び不自然無く標的へと接近させると、瞬く間に食わせた。

 すぐに岸へと引き込んで上げる。桶の中へと放り、その成果をセリシアに見せると、口の端をつり上げて笑った。

 対する少女は主人よりも冷静で、彼が自身に対抗心を懐いて勝負に乗り出たことを即座に察した。自分よりも存外子供らしい彼を微笑ましく思いながら、先程よりも生き生きしている彼に応じて次なる獲物を求めて流れへと向かう。

 まさか、ユウタも彼女が自分を楽しませる為に応戦したとは想像もしていなかった。どちらが大人なのか、それが解らない状態である。言わずもがな、自覚した時の彼の羞恥はひとしおだった。


 しばしの戦闘の後、結果として勝利したのはセリシアだった。

 セリシアが九、ユウタが六。

 途中で、彼女の思慮を悟ったユウタは、今まで全力で挑んでいた戦いに消極的となってしまう。

 敗北感と含羞に項垂れるユウタ。その横で、乾いた枝を藪の中から適当に用意したセリシアが、火を熾して魚を焼く事にする。

 石で囲った内側で広がる火勢を按配し、枝で串刺しにした魚を並べる。枝まで燃えないよう工夫していると、ユウタが焼ける臭いに吸い寄せられ、セリシアの横に座った。

 木漏れ日が川面に差して、透明な水を透き通って河床にまで届く。頭上で鳥の囀りに耳を澄ませて、ユウタは大自然の中に溶け込む感覚に浸った。


「旦那様、頃合いと思います」


「頂こうか」


 ユウタが二本を手に取って渡す。小さく合掌して「いただきます」と呟いてから噛み付いた。程好く焼けた魚は、噛んだ瞬間に芳ばしい香りを鼻腔にまで届かせた。

 セリシアは彼が口を付けてから、続いて自分も食べる。最初は熱で喘ぐように細く息を吹いていたが、やがて幸福に満ち足りた顔で咀嚼していた。横目でその表情を盗み見ていたユウタは、次の物へと手を伸ばす。


 二人はすぐに、完食した。ひとつも残らなかったのは、単に勝負事の後にある食事を期待した故に募った空腹感が原因である。堪能してはいたが、まるで一つを飲むみたいに手が止まらなかった。


「ご馳走だったね」


「大変美味でした」


 感慨に深く頷きながら、その余韻を瞑目して楽しんでいる。再び銛を手に、川へと出ようとしたセリシアに笑声を上げた。驚いて振り返った彼女を手招きで呼び、暫く休憩するように促す。

 まだ満腹ではない分を拵えようとしていたのか、やや不服そうに渋りながら岸へと引いた。


「いや、セリシアの食欲も凄いね」


「成長期なのかもしれません。奴隷商人に連れられている頃は、これ程の食事も取れませんでしたから」


「じゃあ、これからは満足する分だけ沢山食べられるようにしよう」


 ユウタは岩に立て掛けた背嚢から、一枚の紙を取り出す。銛の先を研ぎ始めたセリシアへと、それを渡した。握るように両手で包んで持たせると、彼女は小首を傾げた。


「二週間でようやく、君の引き取り先が決まった。凄い裕福な家庭ではないけど、子供を何人か養えて、丁度君くらいの年の女の子を欲しがっている夫婦がいるんだ」


 セリシアの目が大きく見開かれて、紙を持っている手が震え始めた。その変化に気付きながら、話を続けるしかなかった。

 ユウタは、自分の旅にセリシアを同行させる気は一切無い。ムスビだけで余裕の無い状態である現状で、これ以上の人員を抱えるのは負荷になる。彼女を危険な目に遭遇させない為にも、突き放すのが最善だと選択した。

 その為に、仕事の合間を縫って町人に呼び掛けて、引き取り先を見繕った。元奴隷のセリシアを人間と不等に扱うかもしれないという一抹の不安はあったが、その夫婦の真意を確かめた上で決意したのだ。


「セリシア。そこで、君は普通の人生を。何の変哲もない、穏やかで健やかな未来を歩むんだ。これが主人である僕の命令」


 奴隷の証とされる首輪はもう無い。未来を決めるのは彼女だが、これでユウタが共に歩むことはないと理解した筈だろう。

 セリシアは悄然と顔を伏せて、小さな声で答えた。


「いや、です。承服しかねます……。私は……」


「セリシア………」


「サーシャルに付いて行きます」


「えぇ?!」


 全く予想していなかった回答に、思わず素っ頓狂な声で叫んだ。自分ではなくサーシャルの名が出た事に、少々嫉妬しながら尋ねた。町で暮らすよりも、サーシャルに付いて行く事を選択する理由が皆目見当がつかない。


「サーシャルに付いて行けば、旅先であらゆる味を知覚する事が可能です」


「ああ、食欲か」


 自由となった少女を衝き動かす衝動は、簡潔的に食欲であった。


「それに、旅先で旦那様と、再び出会う事も出来ます」


 その言葉と共に、無表情だったセリシアが破顔した。きっと自分と会う事が無ければ、いつこうして彼女が笑えていただろうか。ユウタは胸の内にこの巡り合わせを祝福する声を秘めて、黙ってその銀の頭髪を指で梳く。指の間を滑らかに通る艶やかな毛の手触りが心地良い。

 その感触に感嘆と安心を得ていると、下流から届く聞き慣れた騒々しい声に振り向く。セリシアとの会話が極端に少ないため、この貴重な時間を邪魔される事にユウタは不快感を露にした。

 岸沿いに上がってきた人影を睨んだが、すぐに喫驚で瞠目した。相手はその表情を待っていたとばかりに冷笑を浮かべて胸を張った。

 堂々と構えるムスビと、その背に隠れて顔だけでなく全身を紅潮させたテイの二人を凝視した。反応としては、ムスビが希望したものではある。驚きを隠せずに固まった彼を眺めては、愉悦にポーズまで決める。


「ムスビ、暑いからってそんな無防備な姿でいるのは危険だよ。さっきの声で勘違いしたニクテスが、槍でも放ってきたらどうするんだ」


 ユウタの言葉は、普段通り酷かった。

 褒めるのではなく、寧ろ防御力の低さに着目して咎めるような口調に、ムスビはその場で頭を抱えた。テイがおずおずと前に進み出ると、セリシアと一度顔を見合わせて微笑む。


「似合ってるね、テイ。あの……でも、僕は男だから、その、上を羽織ってくれると……」


 ユウタは顔を逸らしながら、単衣を脱いで渡す。それを躊躇しながら羽織るテイは、喜色に染まった顔を伏せた。

 これにはムスビが批判の声でユウタを叱責する。


「何であたしは褒めないのよ!?」


「だって、テイはニクテスだから良いけど、君はまだ彼等とは騒動以外で面識が無いだろう?そういう事態だって考えられるんだ」


「うっわ、本当につまらないわね!」


「何に興醒めしたのか知らないけど、しっかり装備を整えてくれ」


「くっ………釣りなんか何が面白いのよ」


「ちょっと淵に来なよ。そこで四〇分間潜れたら、真の面白さを説いてやる」


「魅力の解説に、何でその意味の解らない試練をクリアしなくちゃいけないのよ」


「つべこべ言うな!釣りを侮辱しやがって!」


 ユウタは砂を蹴って肉薄すると、ムスビを持ち上げて川の奔流へと投げ入れた。着水すると、河水が雨のように辺りへ降り注いだ。過剰なほど強く叩き込んだのである。全力ならば人を殺せる腕力のあるユウタに投擲されれば、そうなるのも無理はない。

 少し流れた場所で、ムスビが川面に姿を現した。罵声を響かせながら、猛然と川の流れに逆らって進む姿は凛々しく屈強な男みたいな強さを感じさせる。袴の裾を膝上まで捲って浅瀬に踏み出し、臨戦態勢で拳を構える。


「今日こそ、積年の恨みを晴らしてやる!」


「そんなに長くないわよね!?」


 ムスビへと水を掬い上げると、氣術を用いて砲弾じみた速度で射出する。児戯の範疇を出た、強烈な攻撃が彼女に命中した。防御した腕ごと弾かれて仰け反ると、そのまま倒れた。水飛沫と共に勝ち誇って哄笑するユウタは、背後の虚空に次々と水の弾丸を用意した。姿を見せたと同時に狙い撃つ所存だ。


「ユウタ、それ、良くない」


「旦那様、流石にそれは過多です。せめて三発にして下さい」


「セリシア、これ、数の問題?もっと、他に、ある」


 テイ達の心配など耳に入らず、待機しているユウタの前に立ち上がる。ムスビは痺れる腕に、憤怒に震える総身から漲る力が滲んだ。それは感情というより、魔力だった。空気を染める淡紫の光を帯びる。

 ユウタは殺気を感じ、さらに水の量を増やした。完璧に相手を沈黙させる大火力を誂える。

 双方が睨みで牽制し合う。


「やったわね、この朴念仁……!」


「無知なのはお互い様だよ、この」


 言い掛けて、ユウタが凍り付いた。背後に構えていた水が、氣術を解除されて再び河の流れへと還る。その異常に気付いたセリシアとテイが、ムスビに視線を走らせた後に、沈痛な面持ちで背を向けた。

 ムスビは眉を顰め、ユウタの視線を追う。どうやら自分を見ているらしい。では原因は何か?

 自分の体を見下ろして、その正体を解明する。すぐに理解は出来た。

 後方へと()()()()()()()()を見送った後、セリシア達と同様に体を背けるユウタへと、拳を振り上げた。


「ッ…………何見てんの、この変態────!!」


 ユウタは、甘んじてその反撃を受け入れた。

 彼としては、初めて見たと、深く深く記憶に刻まれる。






   ×      ×      ×




 旅立ちの時間が来た。

 早朝から、聖女レミーナが最後に辿ったとされる西に続いた山岳の道へ向かう。

 理由としては、調査隊としてムスビがダンジョン内を探索していた時、第三層で奇妙な書物を発見したのである。それは、真鍮色の蝶番に鍵穴が付けられ、施錠されている故に開けない謎の本だ。閲覧を禁じているのか、魔力などで開錠を試みたが、何一つ成功しなかった。

 しかし、これを中心として微弱にも異常な魔力の波動を感じたムスビは、引き続き個人で調べるとギルドから許可を得て持っている。

 ここから北西へ向かうと、山奥に書物や魔法、呪術に関する知識が豊富な人間が住んでいるとの情報を入手した。迷わず、ユウタもムスビの意向に従い、そこへ向かう。

 ゼーダとビューダが残した仕掛けならば、その謎を解き明かすのに是非もない。いつか彼等を討つと志すユウタにも断る理由がなかった。

 出発の際も、ムスビの格好は変わらなかった。アンダーウェアをそのままに、ショートパンツと再び長靴を履いている。ユウタは何故か断固として注意を受け取らない彼女の態度に消沈した。唯一の救いは、ユウタが買ったキャスケット帽子を使っている事だけである。


 サーシャルとセリシアとゼス、そして特別に身分を隠して現れたテイが、関所まで見送りに来た。聖女が通過する際に世話になった門番達に会釈しながら、別れの挨拶を済ませる。

 深く一礼するセリシアに、二人は笑った。


「もう、こいつに頭下げなくて良いのに」


「旦那様、次に会える日があったら良いですね」


「えっ、何か怖い……」


 真顔で放たれたセリシアの不吉な物言いにユウタは怖じ気付いたが、それが冗談だとすぐに察して、頭を撫でる。顔を綻ばせる少女はもう、感情の希薄だった奴隷の頃とは違い、年相応の女の子の柔らかさを見せていた。

 サーシャルはムスビと握手した。彼としては、彼女と別れる辛さに胸を打たれながらも、必死に顔に出さぬよう努める。


「じゃあな、ムスビ。元気で」


「次に合う時は、あんたの弓の腕前、成長したかどうか拝見させて貰うわよ」


「その内な」


 苦笑したサーシャルの肩をムスビが叩く。そんな些細な接触だけで、彼にとっては多大な激励として感じられるのである。

 テイが逡巡していると、ユウタが自ら前に歩み寄る。その接近に全身で跳ねた彼女は、咄嗟にその胸の中で抱いていた物を、ユウタに押し付けた。受け取った彼が見ると、更に顔を赤くしてしまう。

 それは、綺麗に磨かれた楕円形の琥珀が付いた首飾り。紐に吊るされたそれを、目の前で首に掛ける。


「これは?」


「お、お守り。テイ、探して、作った」


「こ、これ自作!?」


 小さく首肯した彼女の両手を強く握った。誰かに贈り物をされた経験がほとんど無いユウタにとって、首飾りは途轍もなく嬉しかったのだ。


「ありがとう。大切にするよ」


「あ、あう……」


 頭から蒸気を上げんばかりの熱で、テイが後ろへと倒れた。サーシャルがそれを受け止め、ユウタに批難の目を向ける。ムスビも呆れて片方の眦を上げて睨んでいた。

 ゼスは気軽にユウタの肩を肘で突いた。


「それ、また会いに来て、って意味だぜ?」


「そうか、じゃあまた来るよ。約束守れなかったけど、今度帰って来た時に氣術を教えるよ」


「楽しみにしてるな!」


 快活な笑顔のゼスも、セリシアと同じく撫でた。船員達への挨拶が出来ていないのは心苦しいが、ユウタは一度姿勢を正すと、四人に一礼した。


「お世話になりました。また会おう」


 ユウタとムスビは、山道を辿った。道脇に陳列する店にも目を留めず、順調な足取りで山を進む。しかし、ムスビは再びあの串焼きに足を止めていた。嘆息混じりにユウタが手を引いて歩く。


「まだ出発して少しも経ってないんだぞ。我慢してくれ」


「はぁ?あんた、あたしに指図出来るの?」


「何が言いたいんだ?」


 ムスビがショートパンツの衣嚢から、冒険者の身分証明書を取り出す。手帳の釦を外して開いた。

 中身を検めたユウタは、一番下の項目に驚嘆を含む悲鳴を上げた。


「れ………Lv.4!?いつから!?」


「浜辺の討伐に加えて、調査隊の任務も完遂したからね。これくらいは当然よ。でも……あんた確か、まだLv.1よね?」


 ユウタの中で、何かが瓦解していく音がする。がらがらと、自信や意気が屑となって落ちる。ムスビは肩を落として悄然とする彼を窘めるようで、実は嘲弄する大笑で更に追撃した。


「あっはっは!ま、仕方ないわよね?という訳で、あれ食べてくわよ!」


「もう…………どうにかしてくれ……」


 ムスビに先を越された屈辱に、早くもユウタは満身創痍だった。







 セリシアは彼を見送った後、踵を返す面々の中でサーシャルを呼び止める。

 人生でまだ数えられるほどの我が儘しか言った事がない。躊躇いを覚えるが、それでも自分に嘘は付かない。“隣人(セリシア)”の声は、もう己をすぐ傍で支えて、押し出してくれる。


 “──さあ、口を開けて。あなたの(ねがい)を聞かせて。”


「サーシャル、お願いがあります。私を──」




















第三章はこれで完結です。

セリシアを主軸として描けていたか、正直不安がまだ残りますが、それでも締め括れたと思います。

今回読んで頂き、本当に本当に有り難うございます。小話を挟み、登場人物紹介(三章)の後、四章を始めます。

これからも氣術師の少年を、よろしくお願いいたします。

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