撃退作戦(3)/魂の発露
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“──歌え、唄え、詠え。”
嵐の如く、“隣人”の聲は止まない。煩わしいというほど騒ぐなんて無かったというのに、セリシアを駆り立てる。加速する感覚に舌が付いて行けない。戦場に響かせる音は、もう“隣人”との「ズレ」が生じてきている。
取り戻せない。巻き返せない。通過点などなく、延々と続けられる。同じ場所などありはしなかった。ずっと新天地、ずっと新世界・・・。
変遷する感情や詩は、止めどなく頭に流れて情景を浮かべる。錯乱してしまいそうなほど、目眩るしく変転する世界。
そう──セリシアは、“隣人”の代弁者。
何の目的で、どんな存在意義で、彼女に囁き続けるのか。あらゆる知識を有する賢人ならば、この謎を解明できたのかもしれない。しかし、未だ自我を得て間もない赤子も同然の主張しか出来ないセリシアに、それは困難なものだ。
“隣人”の言葉を紡ぐ。それで精一杯。
誰かの命令ではなく、己の意思で戦場に立った彼女を鼓舞するようだった。必死に追いすがるが、届かない。距離が離れていく気がして、それでも傍にいることは解る。
追随する──どこまでも。
奏でる音をより滑らかに、意識をより鮮明に、聲の意味を解する為に己を進化させる。現実と自分の内側の境界を不明瞭にして、その正体を暴く。
傷つく戦士への礼讃を、魔力に変換して注ぐ。“隣人”の正体さえ掴めれば、現状を打破する大きな鍵になる。その漠然とした確信を疑いもせず、歌い続けていた。
いま後方で皆の要となっているセリシアは、使命感にも似た感情を懐いて、聴く者を癒す歌を送る。
「まずい、セリシア!!」
主人の相棒の、危機感を孕む声がする。それで意識が一気に現実へと引き戻された。深い海から浮上して、ようやく空気を得たかのような解放感だった。明瞭になった視界、その隅で空を滑空する黒い影に振り向く。
もう眼前にあるのは、冷たく鋭い死の執行者。奴隷から解放された自分を、罰するべく来たのか?
腹部を刺し貫かれた。今まで受けた痛みで、最も苦しい。引き抜かれた尖端から血が生々しく貼り付いていた。
激痛で膝が揺れる。体重を支えきれず、その場に倒れた。もう、思考回路が回らない──意識が、断線する。
「セリシア!!」
声が聞こえる。だが、返答することも出来ない。喉や舌に血が絡み付いて、うまく動かせないのだ。“隣人”の聲が、さらに大きくなる。
“──読んで、呼んで、喚んで。”
一体、何を──?
“──叫んで、この「名前」を。”
× ×
セリシアは今、深い闇の底にいる。
海底だ──見た事などない。だが、その表現が的を射ている。冷たく、暗く、この寂寞とした世界に自分一人が独立しているかのようだ。元は闇の一部だったというのに、いつの間にか切り離されてしまって、異分子として堕とされた。
海流もなく、蟠った水の中で中途半端に存在する。難破船の如く、浮き上がることもできず、また術も意思も持たない。
最後の記憶──刀剣で貫かれた途端、そこから穴が広がって、内側を全て抜き去られた。優しかった主人、慈悲をくれたムスビとサーシャル。あの人々のお蔭で、最期を力強く生きることができたのだ。
悔いがないと言えば、そうなのだろう。
………そうなのか?
“──叫んで、この「名前」を。”
また聴こえる。あれだけ、自分を置き去りにしたというのに、また合わせろと言うのだ。今更、どうして足並みを揃えなくてはならない。自分勝手な“隣人”に、初めて苛立ちを感じた。
沈黙するセリシアに、いつも感じなかった懸命さを感じる。
“──叫んで、この「名前」を!”
やはり、惹き付けられてしまう。
腕も足も要らない。ただ、音が欲しい。それを聞き取る為の耳と、返答する口さえ在れば、何もかもが満ち足りる。体を引き裂く痛みなど詮無いものと一蹴して、「名前」を叫ぶ。
“──セリシア。ああ、愛しいセリシア。”
初めて名前で呼ばれた。
名前で呼べば、“隣人”も応えてくれる。ようやく、本当の意味で通じあったのだ。闇の中で、揺曳する曖昧な輪郭。それがゆっくりと近付いてきて、頬に触れた。
暖かい。
この海底の冷たさをすべて取り払ってしまう。
“──セリシア。さあ、行こう。”
手を握られて、初めて触覚を得たかのような感覚に痺れた。全身に漲る力で、“隣人”の傍に立つ。
もう離れることはない。長かった空白を埋めるべく、二人で進み出る事にした。
× × ×
全員が凍り付いた。
セリシアが討たれた──セリシアが居たからこそ、この謎の集団への突撃を敢行できた。だが、空を舞う烏が、ひとつの命を啄んでしまった。血の海に横臥する少女の姿に、全員が悲しんだ。
戦場に立つという蛮勇を、怖れずに実行した少女の力が潰えるのは、交流の無かった人間にも度し難い辛苦を胸に与えた。
八咫烏が再始動する。少女の死を悼む人間の、感傷に浸るその隙を衝く為に。嘲る烏の羽音が、その場にいる全員を塗り潰そうとした。冒険者の燃える戦意など掻き消す。
黒刀を持って飛び掛かった。まだ冒険者は動く気配がない。確実に仕留められる。
烏達は、この後起こる事態を予測できず、攻撃を始めた。返り討ちに遭うのが自分達だと露知らず。
一陣の風が吹いた。
空中に舞い踊った烏達が、一斉に壁へと叩きつけられる。壁面で苦しく足掻くが、見えぬ桎梏でも打ち込まれたように、貼り付いてしまった。
顔を上げた烏は体を縛る力の正体の信じられぬ姿に愕然とする。
「セリシア……?」
ムスビの声に振り返る。
倒れた筈のセリシアが、端然とその場に佇立していた。ワンピースの裾を染めた血の色が抜けて行き、足下の血が水滴となって宙に浮遊する。治癒に専念していた時よりも、より一層輝かしい光を放つ存在感は、美しい銀の髪と相俟って、全員を平伏させてしまう神聖さを小さな体から充溢させていた。
明らかにセリシアの様子が変化した。だが、八咫烏の驚愕はそれだけではない。
その背後に立つ、巨狼。彼女の頭髪と同じ体毛、そして深紅の瞳をしている。峻嶮たる霊峰の如し威容は、獣にはない品格などを纏っている。唸り声を一つも上げず、セリシアを守護すべく寄り添う姿は使い魔──だが、どちらも高位な存在に思えてしまう。
「精霊魔法……!?」
「え、何よそれ」
サーシャルが狼狽した声に、ムスビが疑問に思った。あれが──魔法?致命傷を受けたセリシアが復活し、そして巨大な狼を召喚してみせた業は、確かに条理を逸した力でしか再現できまい。しかし、魔力をただの現象化させるだけの魔法に、果たしてあの狼を創造するだけの力があるのか。ムスビの持つ魔導書には、生命の創造は神のみが許された禁忌であると記述されていたのを記憶している。
屋根上から飛び降り、隣に着地したサーシャルは、烏ではなくセリシアを注視して話す。あたかも彼自身が信じられないといった表現であった。
「「特殊魔法」の一つ。
過去に偉業を成し遂げた英雄、偉人の魂──それらが“精霊”と呼ばれるモノ。それが特定の地域で生まれた子供なんかに宿るんだ。『加護』なんて言ったりするが、まず数が殆ど少ないんだよ。だから、貴重なんだ。
『加護』には各々で特殊な力がある。だが、それを開花させるのも難しい上に、生涯『加護』を使えなかった人間の記録もある。
使用者はその魂と共鳴することで、力を扱うんだ」
「特殊魔法って……セリシアはそんな凄い力があったの?」
「俺も驚きだって。
しかも、あれは知名度あるぞ……妖精族にはな。北方の土地に伝わる“銀の精霊”だ。元は妖精族だったんだが、野蛮な人間なんかによる侵略で、妖精族の住む秘境が襲われそうになった際、近くの村で狼に姿を変えた女性が撃退したっていう逸話だ。そこで“銀の精霊”は祀られるようになった。
俺は丁度、その村の近くにある秘境が出身なんだよ。だから、まさかこの場でその『加護』を持つ奴に会えるなんて」
「その女の人の名前は?」
「………セリシアだ」
セリシアの傷が塞がっていく。
それを見詰めていた冒険者達の背後で、漸く解放された烏が飛び上がった。狙いは完全にセリシアへと定められ、全方位から挟み撃ちに出る。今度は強風を作り出す猶予も与えずに殺める為に、高速で肉薄した。
セリシアは動かず、その後ろで片足の爪を軽く振るった巨狼の挙動に合わせ、空中で烏が静止した。ムスビが撃墜しようと、呪文を唱えようとしたが、冒険者の頭上で爆発した敵の姿に硬直する。飛散した肉片は、地面を汚す前に霰となって砕けた。
呆気に取られる一同の中、嘆息をついて肩を竦めてみせる。
「な?凄いだろ?」
「あれ、あたしの相棒でも勝てない」
「本来の土地から離れると、力の覚醒も確率的に低いんだ。特別な強い感情、死にも近い大きな出来事………まあ、要するに大きな刺激を与えられることで、発現するらしい」
セリシアは巨狼に守られながら想う。
内側で傍に在り続けてくれた──遂に、その全貌を明かしたのである。
主人にも言った。力とは、初めて形を与えることで生まれると。故に、セリシアは己自身を力の形とした。あの途方もない闇の中で、揺らめいていた白い影は、自分自身。
“隣人”の名前は──セリシア。自分とそれは一つの個体で、彼女はもう一人の自分。常に己を支えてきたのは、己であったということ。内側に宿る気高き魂の発露。精霊は巨狼の姿を借りて具現化した。
「凄いわね……一気に戦闘力も倍増したんじゃない?」
「いや、ホントに凄いぞ。これは八咫烏も怖くない」
セリシアの下へ運ばれていた負傷者の傷が、異常な速度で回復していく。神の奇跡と形容しても不遜ではない光景に、八咫烏も憮然としている。
その隙を狙って、ムスビが近くの敵を回し蹴りで壁へと吹き飛ばす。壁面を盛大に破壊する音で我に返った全員が、心強くなって蘇ったセリシアに鼓舞され、雄々しい咆哮を上げながら再び烏を蹂躙し始めた。
ムスビは手中に膨大な魔力を集中させ、敵が必要な間合いに踏み込んで来るのを待つ。十数人の烏が彼女を捕らえようと蹴爪で地面を蹴った。高速で詰め寄る相手にタイミングを合わせ、集積したモノを拡散する。浜辺で発動した魔力の暴発だ。
クレーターが生まれる。陥没した地面は、ムスビを中心に拡大されていった。彼女の世界とも言える領域に踏み込んだ者から、凄まじい魔力の圧力を掛けられ、地面に平伏した。
烏の体が地面へと沈む。亀裂を入れ、さらに地中へと食い込んだ。範囲外でそれを静観していたサーシャルは訝って、一つ石を投げ入れる。あの中で何が起きているのか?
投じた石が境界線を越えた瞬間に、直下に落ちて地面で砕けた。その現象を見て、ムスビと倒れる烏を検分する。
「重力なのか?ムスビ、こんな技習得してたのか!」
「えっ、初めて使うわよ」
「はぁ!?」
間の抜けたムスビの返答に、思わず奇声で叫んだ。土壇場の危機で感覚を頼りに、こんな技が発動できる筈がない。これが魔法なのだとすれば、「特殊魔法」の一部なのか。ムスビの新しい力は、しかしこれでもまだ氷山の一角であるかのような不気味さを感じる。
本人が中央で困惑しているらしく、周囲を検めては、その双眸を大きく開いている。その喫驚を見て、サーシャルは笑った。
ムスビの力が解除されたが、地面に沈没した烏は起き上がらない。白目を剥いて、全員が泡を吹いていた。それを生み出した本人が慄然としており、自分の掌を見詰めている。
彼女としては、浜辺の戦で感覚を得た魔力爆発を起こして、全方位を一掃しようと図った。しかし、形にしてみれば、全く異なる現象を生んだ。結果としては良かったが、自分の力が正体不明の何かである事に瞭然とした恐怖がある。
「ほ、本当に何なの、これ?」
「ぼさっとするな。次、いくぞ」
サーシャルが肩を叩いて横を通過し、烏の残党を撃つ。
× × ×
路地を赤く染めた戦いが終わりを迎えた。
八咫烏を掃討した冒険者たちは、その場に崩れ落ちて疲労の回復に専念した。一人ひとりが達人じみた腕を持つ敵を討ち取るのは、安易なものではない。致命傷は致し方無いと諦観し、死を覚悟した彼等は、いま己の生がまだ実感できない。果たして、もう終わったのか、と。
セリシアの背後から、あの銀の精霊も姿を消した。彼女は常に回復と迫る八咫烏からの護身に全力を投じていたから、周囲よりもひどく消耗している。もう少し長期化していたならば、間違いなく倒れていただろう。まだ力の発現から間もなく、少女には重い負荷である。
ムスビとサーシャルは、セリシアの隣に腰を下ろす。最前線で身を張り続けた二人は、顔色が悪かった。奮発して魔力を使用し続けたためか、もうその場から立ち上がることも出来ないと言った。
「無理、もう死にそう。出来れば、あいつの戦いに助太刀したかったけど」
「戦ってるのは、八咫烏のカズヤが言っていた若頭。きっと、かなりの強敵だ。遠距離での攻撃がある俺とムスビが助勢に行けば、確かに良いかもしれない………でも」
サーシャルは口を噤んで、居心地が悪そうにしている。怪訝な表情で見つめるムスビに対し、気まずく俯いていた。
「何よ?」
「ユウタはきっと、単騎で真価を発揮するんだ。噂で聞いたクロガネとの一騎討ちとか、船員から聞いた話でもさ。………守るべき者を庇いながら戦うことが苦手な部類の人間、その中でもそれが顕著なんだよ」
ムスビは眉を顰める。サーシャルを睨んで、責め立てるような口調になった。
「じゃあ、あたしは不要って訳?」
「こ、こればかりは、否定できない」
ムスビは苛立ちを覚えた。実際に、未だサーシャルにその言葉を撤回させる腹積もりである。あたかも自分が相棒にとって枷であると言う見解が、大きな間違いであると。
だが、納得できてしまう。【猟犬】のヴァレンはユウタの戦いを傍で見ていたからこそ、その本性を知ったという。ユウタがクロガネと果たし合った後、彼の述懐を聞いた。
『小僧を見て、正直に敵に回したくないと思った。その反面、味方にしたことで安心感じゃなく、いつか俺らも殺られちまうんじゃねぇかってな。
アイツを傍に置く以上、常に何らかの危険が伴う。それを承知してねぇと、いつか本当にあの仕込みの刃に切られる』
誰もが戦く。
その業は暗殺に秀でたもの。対人において、あの杖を握った時、剣戟無双のユウタが完成する。自分よりも大きな敵を、瞬間の刹那に切り伏せてしまう。確かにクロガネとの戦闘を見守っていた時、常に胸に懐いた感情は一貫して恐怖だった。それが消えたことはない。
一点に研ぎ澄まされた刃の如く、ユウタは敵を殺める一手に秀逸している。だからこそ、その本分は守ることではない。彼が晩酌で吐露した、ハナエを守る覚悟の無さは、それに端を発していた。
「……だからこそ、誰かが傍に居るべきなのよ」
「ユウタに技を教えた人間の精神を疑う」
「え?」
「だから、あんなに優しくて気性の穏やかなアイツを、人殺しに優れた武器に育て上げた人間の判断は、正気の沙汰じゃない」
サーシャルの言葉に、何も反駁できず押し黙った。
まだ、別の道があったのではないのだろうか。幸福となれる道筋、血に濡れる必要のない未来を選択できたのでは。
「そうすりゃ、形はどうあれ、優しい普通の少年だった筈だ」
「………でも、あいつはその環境で育ったからこそ、優しくなれたんじゃない?だって………」
シェイサイトの広場で、気絶寸前のユウタが呟いた言葉が、それを何よりも証明していた。本人に暗殺の業という自覚がなくとも、剣を執る理由を、人を殺める理由を疑った筈なのだ。
『勝った・・・勝ちましたよ師匠』
だが、それでも止まらないのは、きっと優しさを説いたのもまたその存在であるからだ。ユウタを構成するほとんどが、「師匠」と敬愛して止まない人間に対する感情と思い出。それを侮辱する者は、誰であろうと許せないだろう。
ユウタは不安定に感じる。
その姿は、万物を切り裂く剣だが、いずれ硬い盾に阻まれるだろう。受け太刀などさせず、先んじて敵を切るのが彼の流儀。あの仕込みの細い刀身こそが、彼の姿を投影しているようだった。血錆に蝕まれ、そしていずれ刃が欠けるかもしれたい。そうなった場合、何がユウタの支えになる?
ムスビは蹌踉めきながらも、自身を奮い立たせて立ち上がる。サーシャルが横目で見守りながら、小さく呟いた。
「行っても、足手まといになるかもしれないぞ」
振り返らず、サーシャルにセリシアを任せたまま歩き始めた。
「それでも、あたしが一緒に戦わない道理はないから。あいつ一人で発揮できる戦闘力よりも、二人で力合わせた時の方が格段に強いから」
その言葉に、もう何も言わなかった。
覚束ない足取りで、遠くの闇夜を照らす炎の明かりを頼りに進むムスビを見送った。そして、直感したのは、ユウタとムスビが酷似しているということ。
ユウタにとっての支柱が、師とある少女であるのに対し、ムスビの精神を防護する盾はユウタなのである。彼がいなくなれば、きっと晒された心はすぐに毒に冒されて死滅してしまう。最もユウタを失いたくないのは、彼女なのだ。
その信頼の篤さが、いずれ破滅を招かないよう、サーシャルはただ祈った。
最近、夢を見るのですが、大抵が同じ夢なんです。憂鬱な気分で学校に登校している自分を、何度も繰り返し。
ああ、外に出たくない。一貫して、この発言が末期だと友人に指摘されましたが、自覚が正直無いのが非常に危険だと。
果たして、ちゃんとした人間になれるのか。頑張りたいです。
今回この長い戦闘にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
次回、三章の最終決戦を、全身全霊、持ちうるモノを総動員して仕上げたいと思います。よろしくお願いいたします。




