裏切りと神樹の炎
四話目更新。
暇人です、はい。
こんな筈じゃなかった。
そう思ったことが、幾度もある。無念も、後悔も、上塗りするほどに過去への執着心は強くなった。守れたモノを意識すると、盲目になってしまうのは、必定かもしれない。
ただ、傍に居て欲しい。
そう口にすれば、願ってしまえば、消えてしまうと怯えるほどに儚い。無意識に、彼女を求める事を拒否していた。でも、それが如何に己の支柱として、こんなにも強く存在していると、時にその弱さを忘れてしまう。だから、突き放して、求めて、また同じ時を過ごす。
彼女にとって、自分は唯一本音を受け止めてくれる友人──否。
自分にとって、彼女は本当の己を受け止めてくれる、そう信じさせてくれる欠け替えのない命同然の価値を有する。
この暮らしが、いつまでも続けば。
そう──こんな筈じゃ、なかったんだ。
× × ×
囲炉裏の火を炊いて、寄り添うように座る二つの影が、室内で大きく揺らいでいる。夏の夜も、ここは酷く寒い。月も星も、空からの光は閉ざされていて、この焚き火が灯台の如く、暗然とした森の闇に暖かい光を柔らかく投射する。
お互いで肩の触れ合う近さに腰を下ろし、ユウタは心底安堵していた。
取り戻せたものは大きい。自分から突き放したと言うのに、また此所へ戻ってきてくれた彼女の真意を、友情を疑う余地などない。老人亡き後、灰色じみた世界の中でも唯一輝かしく、色褪せない宝物。
最近、獣を相手に狩猟を行わないのも、以前に怪我をしてハナエを心配させてしまったから(数時間に及んで泣きわめくほど)。釣りの時は、余分なほど数を稼いで、二人分用意してしまうのも。何もかも、彼女を喜ばせ、迎え入れる為。
そう思い返せば、如何に自分の生活の主柱にまで彼女が意識されているのか。そして、自分がどれだけ孤独に弱い脆弱な人間かを知らされる。
左肩に乗るハナエの顔を横目で見る。
すると、彼女も視線に気付いて破顔した。その笑顔が、火よりも眩しい。
薪を一つ、投げ入れる。乾いた音と共に、積み上げられた燃料が崩れた。煌々と二人を照らす光を、長く、長く保つ為に。
ふと、ハナエがおもむろに口を開いた。
「ねえ、春に聞きそびれたけど、あなたの力って何なの?」
「ああ、ハナエは知らなかったか」
自分でも白々しく反応した。彼女は特に疑ってはいないし、気付いた様子も見受けられないが、実際的なところはユウタが秘匿してきた故である。存在自体は晒しても、言葉として全貌を説明した事はない。それだけで去ってしまうほど、ハナエは薄情ではないが、それでも怖くてたまらなかった。いつしか、本当に恐れられてしまうのではないか、と。
「“氣術”──って言うんだ」
「キジュツ?」
「この大気、水、土、生物……万物に存在する“氣”、書物によると“魔力”とも呼ばれていて、世界を循環してる力だ。
僕ら氣術師は、仙人とも言われてる。呪術師や魔導師みたく、体内の魔力を使って現象を起こすんじゃなく、体外──即ち、自然やその物体の力を操作するんだ」
ユウタが手を翳す。虚空に向けて、伸ばされた掌には何の変化も見られない。
しかし、次の瞬間にはその手中へ、離れた位置にあった石が独りでに動き、中空を滑ってユウタの下へと飛来した。それを掴み取った彼に、ハナエは感嘆の声を漏らす。
「こうやって、物体とか、意識を向けることで、対象の“氣”を操作しながら、引き付けたり、引き離したり、或いは浮かせたり。そんな事もできる。
力の流動や、自然に干渉する──それが氣術。だから、本来は戦闘向きじゃないんだけどね。多分、火力なら西の国にいる魔導師の方が凄いだろうな」
かなりの修行によって扱う事を許される、と念を押すように言った。何故か、氣術について語ると、自分の師を務めていた老人のような口調になってしまう。影響力が強いと、こうも表側に表れしまうことに苦笑した。
氣術によってできる事。
体内を循環する“氣”の部分操作による身体能力の強化。加え、自然治癒力の促進。また、体外と体内の“氣”を調和させて空間認識能力を高める事で、気配察知や遠視を可能にしている。
これら以外にも、斥力、引力、浮力、圧力……その他にも様々だが、かなりの集中力が必要とされ、常に老人からは冷静であれと厳しく指導された。その修行の賜物か、最初は恐ろしくもあった守護者ギゼルに対しても、臆面なく堂々と接する勇気や覚悟が持てる。
ただ、氣術の欠点は、“氣”──即ち魔力の消費が極端にないのに対し、先述の通り火力がないのだ。加えて、集中力。だからこそ、戦闘には不向きである。魔導師や呪術師のような疲労がない分、見劣りはしない。
戦うとしても、攻めではなく、守りに徹した力となるだろう。
「・・・なんだか、ユウタみたいだね」
ハナエがふと、そう言った。その言葉に視線だけ動かし、火に照らされた金色の頭髪に見入る。どんな場所でも、美しく映える彼女の姿は一枚の画となる。どんな荒野だろうと、彼女が居ればそれは胸を踊らせる景色となろう。
ハナエはユウタの腕を小さく摘まんで引き寄せる。
「わたしがユウタの傍にいるのも、その氣術で引き寄せられてるのかな」
「それは、怖いね。旅に出たら、嫌なモノまで寄せ付けてしまうから」
今さら、旅と口にすると、胸の芯が冷めていくのがわかる。ユウタは、自分でも露骨だな、と自嘲気味に鼻で笑った。これから享受する困難も僥倖も、いまこの一時に比べれば、如何に矮小たるか。
「それでも、きっと良いモノも引き付ける。それで、色々な人があなたの優しさに気付く。
ユウタの守る力が、きっとこれから沢山の人を救う」
「………今は、嫌われてしまっているけど」
ハナエが首を緩やかに横へ振る。その仕草の一つでさえ、ユウタは我を忘れて見詰めてしまっていた。
「この村だけだよ、きっと。わたしは信じてる」
ハナエの言葉に、記憶を遡行する。
確かに、最初は険悪なものではなかった。村人たちは優しかったし、守護者たちも穏やかだった。村長の歪みは、ここ数日で知ってしまったけれど、気に掛けてくれた大人の一人だ。現状は兎も角、根本的に彼らへの怨恨はない。ユウタが優しい気質だからなのかもしれないが、それでも感謝の念を懐かずにはいられないのである。
「ハナエみたいな人に、会える自信がないな」
「…ふふ、そうかな」
「うん」
狂おしいほど愛おしい。
それが素直な本音だった。だが、ユウタが真に力を発揮するのは、一人の時である。氣術は己を守る術に特化しており、故に他を守護する優しさには成り得ない。幾重にも起きた偶然の巡り合わせが、ハナエを守っているだけのこと。
その事実に、深甚なる失意で胸を穿たれたような痛みがする。結果的に、ハナエに甘えているだけなのだ。
ただ、独りになりたくないだけ。きっと、森を出て知人が出来れば、そちらを優先してしまうだろう。己の薄情さだけが示される。
「ハナエ、僕は君みたいになりたいよ」
純粋な望みを口にした。きっと、誰も共感したりはしない。それでも、その優しさは、老人とは違う強さとして、ユウタの憧憬で在り続けた。眩しくて、時に目を瞑ってしまうからその大切さを認知せずに突き放してしまう。でも、自分にはない決定的な強さなのだ。
ハナエは虚を突かれたように瞠目し、首を傾げた。暫くして、その本意を悟ると照れたように顔を綻ばせる。村では毅然とした、次期村長として遜色ない厳かな姿とは一変して、年相応の少女の表情だった。それを見ているのは、ユウタだけだという優越感がある。
ユウタは薪をまた、投げ入れる。
火はまだ尽きない。
「明日には、此所を出ていくんだ。だから、また今回みたいな事があると大変だから、あまり不用意に村を出てはいけない」
「え……」
「秘密基地として、扱ってくれる程度は良いけどね」
明日には出立する。そう切り出して、ハナエの顔が歪む。
ユウタはそれを直視できず、揺曳する火に視線を固定した。
「今まで、ありがとう」
「……うん、こちらこそ」
儚げに微笑する。それが身を裂くほど痛かった。
衝動的にユウタは、彼女を胸の内に引き寄せた。突然、強引に取り込まれたハナエは愕然と固まっている。己を掻き抱く少年の行動に、思わず忘我して、離れるのを待った。否、いつまでもこうしていたいと、奥底で願いながら。互いの体温に包まれて、その心地よさに心を打たれる。
ハナエの髪の匂い。それが麻薬じみた安心感を与えてくれる。
肩を掴んで、優しく引き離した。
ユウタには、今自分がどんな顔をしているかわからない。ただ、己の身の一部を切除したような痛みが、ハナエと触れていた部分で疼いている。
「ユウタ………」
彼女が何かを呟いて、ユウタは家の外に意識を傾けた。無人の森──村から遠く離れたこの場所に、接近する影がある。火を頼りに、こちらへ来たのだろうか。
村人ではない。ハナエの縁談相手のように、この家に近付く者など存在しないのだ。火を焚く音の合間を縫うように、何かが砂を掻きながら進む音を鳴らす。次第に大きくなるそれは、何かの接近を報せる手掛かりだった。
氣術で手元に仕込み杖を手繰り寄せた。緩く握り込む。上半分に楕円形の筋が入った場所へと手を添え、いつでも抜刀できる体勢で待ち構えた。姿を見せた途端に、その命脈を断つ気勢で。
ハナエが背後に回る。小さく彼の服の裾を引いて、恐る恐る玄関を見詰めていた。
「ユウタ?」
「静かに」
そう制するユウタに従い、暗闇の中を悠然と進む正体を待つ。
戸板が勢いよく、開くのではなく押し倒された。激しく立てられた物音に、ハナエが体を震わせて反応する。
眼前に姿を晒したのは、スノウマンだった。厚い毛皮の上からでも、その隆々とした筋肉が脈動しているのが感じられる。興奮に息巻いて、拳を何度も地面に打ち付けていた。明らかに異常なのを物語っている。
ユウタのは敵を見据えて、大きく跳んだ。床を蹴って進み、スノウマンと自分の射程が交錯した刹那、捻り上げると共に引き抜かれた刃が閃く。残像じみた銀の軌道を闇夜の中空に残した剣閃が、正確にスノウマンの首筋を斬る。
刃を血に濡らすことなく、達人の手練を見せたユウタの前に許しを乞うような姿勢で倒れ、床を汚す。完全に斃れたその死体を睥睨し、杖に短刀を戻した。
やはり、昼に感じた異常は間違いじゃない。魔物がまず、この付近に立ち寄った例も、自分が生きている内じゃ絶対に無かった。この地域に吹き荒れる風が、ユウタに警告していたのだ。こうなると、村も危険かもしれない。この程度の魔物なら、守護者が苦戦することもないだろう。だが、その元凶が仮に、人であったならば。また、それが手の付けられぬ強敵だったなら。不可侵の領域とされ、常に神聖な守りで固められていたあの村を根絶やしにするかもしれない。
迅速にこの情報を伝達しなくては。
だが、ハナエを置いて行ける訳もない。危険ではあるが、夜の森を共に駆け抜けるしかなさそうだ。そうなれば、ユウタの行動は早い。
「ハナエ、悪いけど今から村に行く」
「ユウタ、でも…!」
「時間が惜しい。君を守護者に預けて、僕は原因を探る。まずは情報を彼らに伝えるところからだ」
ユウタは右手を差し伸べた。
迷いなく、突き出されたそれに、躊躇いながらもハナエは白い手を重ねた。包み込んだ彼の体温に身を委ね、二人で走る。
× × ×
嘘だ。
そう、ハナエが呟いた。
それはユウタの心境を代弁するものでもある。
眼前に広がる光景に、二人は眺め入った。
夜空を照らす光量を振り撒きながら、火を灯す神樹。その下で、村が業火に焼かれる様に茫然自失としてしまう。悲鳴を上げながら、体内の水を蒸発させて、痛みと熱さに我を忘れ、狂乱に駆け回る火車。人の形をした薪が、ちらちらと踊っている。
口元を押さえ、身を引いた彼女から隠すようにユウタは立った。
「小僧!」
その誰何の声に振り返ると、右腕に火傷を負ったギゼルが立っていた。肉の爛れた場所を苦しそうに見たユウタを睨む。
「お嬢、どうしてユウタと」
「彼は、守ってくれたの…だから…」
半ば放心状態のハナエが、苦し紛れに言葉を紡ぐ。何も言えなくなった二人は、周囲を検めた。視線を巡らすほど、地獄絵図は苛烈になっている。神樹の火は、止まる気配を見せない。予感は的中していたのだ。しかし、村自体が大打撃を受けることは予想だにしない、天災のような事態である。
「この調子だと、村長の館はどうなっているか……」
「誰がこんな事を?」
虚ろな瞳で足下を見つめたままのハナエを無視し、ギゼルと二人で敵の影を探る。守護者の安否はわからない。村長の館は恐らく焼け落ちているだろう。となれば、クロエも無事では済まない。
「俺が村に戻ってきた時、神樹が何者かによって燃やされ、その根に延焼し、家を焼き続けたんだ」
「……村長は?」
「……さあ、無事であって欲しい」
片手の杖を握り込み、ハナエをギゼルから離すように交代していく。
「……どうした、小僧」
「今日は、随分と馴れ馴れしいですね」
「村の非常時だ、使える物は何でも使う」
ハナエを後ろへと放して、杖を引き抜く。敵意を露にした戦闘体勢のユウタに、ギゼルは肩を竦めてみせた。短刀の刃を股の背後で傾け、低く身構える。
「…疑ってるのか?」
「守護者が警備に当たっている……数々の敵を撃退してきた達人の手を抜けるなら、まずそれ以上の手練れだと想定します。ですが、守護者を背に神樹へと直接的な打撃を入れる事はできない。
というか──なぜ、“神樹から燃えた”、なんて言えるんですか。村に入ってから気付いた口調だから、事件発生直後に来たんでしょう。でも、入り口からでも神樹までは遠い」
「小僧は、俺を疑ってるのか。だが、神樹ほどの巨木なら燃えて行く様をここからでも見えるさ」
「燃やしている人間も、ですよね。発生直後なら。でも、あなたはその犯人を追跡する事もなく、僕らの下へ来た時に犯人の存在を挙げないし、原因を知らない感じだ。他の守護者は、どうしたのです。彼ら全員を相手に、逃れられる程なんですか、その犯人って」
ギゼルは飄然とした態度を崩さず、眼下の少年を見詰めていた。その瞳が、静かに揺れている。
「仕方なかったんだよ。小僧の為にじゃない。私の為にやったんだ。お前だって、この村を恨んでいるんじゃないか?」
腰から武器を引き抜く。その火傷を思わせぬ手際で両手に握りしめた。
「…それでも、僕は好きだったよ」
背後のハナエを一別しながらそう言うと、短刀の切っ先を、眼前の男に翳す。
「アンタは、許さない」
巻きましたね、急展開ですね。
次号、丸っきり戦闘となります。